いぬもあるけば・・・「目覚まし時計」
2001年7月12日 深夜に再放送を見る。ETV2001「世界を体で感じよう:宮崎駿」 吉本ばなな(おそらく)とのインタビュー。
語る言葉から、宮崎駿さんはアンビバレンツを感じているのではと感じた。アニメーション作家としての活動の影響力を恐れている。「引退だ、引退だ」と事ある度に言うのは彼の悲鳴なのかもしれない。止めたくても、降りたくても・・・「さまよえるオランダ人」。
哀しいことに、彼の作品のレベルが高い故に、観客はそれから受けるもので満足してしまうのだ。映像から受ける自然の素晴らしさや飛翔感など。アニメーターの夢は「まるで本物みたいに」そして「想像の杖で世界を創造する」こと。アニメーションはかつてリアルに恋い焦がれるバーチャルだった。しかし、それが大衆化し普及するにつれ、存在の建前が崩れてきた。バーチャルが存在する前提はリアルの存在。送り手と受け手の共通了解としてのリアル。それは体感的世界。イメージの翼が羽ばたくには知力と情熱が必要だ。そして豊富なリアルがなければ羽ばたきによる揚力が生まれない。
世界の果てをめざし、そして自らの手で世界を広げ、構築することは大変なことだ。志半ばで力つき倒れてしまう人達がほとんど。そこで頭の良い者達は考えた。「そこまでしなくたって、今ある世界で十分だ」 そして記号化が始まった。パロディという形で始まったものが、次第にそれそのものが目的化されてゆく。もうリアルは必要ない。いや、リアルよりも純粋だ。「人間では表すことが出来ない、僕らが失ったピュアがここにある」 現実界を超える想像界。ドラッグトリップ。バベルの塔。
喜びと危機感を持って、宮崎駿は三鷹に美術館を開く。彼の趣味丸出しのオモチャ箱のような空間。来館者はここで「遊ぶ」。そのための仕掛けが用意してある。「身体と精神の両立」を隠しテーマとして。
・・・などと妄想を膨らませながら見ていた。
今週頭の梅雨明けのお陰で目覚まし時計が要らない。4時に寝ても5時に寝ても7時半に目が覚める。暑さと喉の乾きで(沈)。睡眠時間が少ないと夏バテしやすいことを「体感」した。(しなくていい(汗))
そんな状態で初台の東京オペラシティーの近江楽堂に行った。古楽器によるバロック室内楽を演奏する「ko-ha-ku」というバロック・アンサンブルの結成公演を聴きに行くために。
バロック音楽は割と好きで、NHK−FMの「朝のバロック」を聴くのが楽しみだった。健康的な生活をしていたときは(汗)。
古楽器への関心は学生の時の影響だ。人文学部で科学思想史を研究している教授のゼミに潜り込んだりした後に、先生が趣味でチェンバロを買ってしまったという話を聞いて驚いた。学士のときの研究室の担当教官がやはり音楽好きである地方公民館に有田正広さん率いるアンサンブルの公演に誘ってくれた。その時に聞いた演奏とフラウト・トラヴェルソやヴィオラ・ダ・ガンバという一度聞いたら忘れられない名称。後年、HD社のアラベスク2というPBMで風の魔族PCにフラウト・トラヴェルトという名を付けた。そんな(変な)因縁もあって、古楽器に対して関心を持ち続けていた。
会場は小さな楽堂で、自由席だった。早めに来たので割と良い席に座れた。奏者が出てきて、演奏が始まる。オーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバそしてフラウト・トラヴェルソ。クレープスの作品。それから自己紹介。男性1人と女性3人のユニット。男性がリーダーで寒いギャグを取り混ぜながらMC。堅苦しくないユニットであることを印象づけることに関しては成功。それからテレマンの作品2曲を演奏して10分の休憩。テレマンの曲は「朝のバロック」でよく聞いていたので馴染み深い。ターフェルムジークから2つが演奏された。2つめはバロック・ヴァイオリンが加わりクインテットとなった。
バロック音楽は心地よい・・・それが仇になった。睡眠不足からもたらされる睡魔との戦い(大汗)。なまじ小さなホールの良い席なだけに、舟を漕ぐのは目立ちすぎる。もう、大変ッス。なんでこんなに眠くなるのかと思っていたが休憩時に判った。演奏中は音が邪魔しないように空調を止めているのだ。そのため演奏が進むにつれて暑くなってくる。睡眠不足と暑さが睡魔の発生原因だった。
原因が判ったところで、対策がなければ仕方ない。10分の休憩はあっという間に終わり、演奏が再開された。J・S・バッハ、J・E・バッハそしてJ・C・バッハと小川さん一族の作品3つ。最後の作品にはまたオールド・ヴァイオリンが加わってのクインテット。演奏が、そして睡魔との戦いが終わった。ぐふぅ。
結成公演ということもあって、観客の多数が出演者の知人だったようだ。ロビーで話し合ったり、写真を取ったりしていた。私は隣駅の幡ヶ谷に寄ろうか、それとも真っ直ぐ帰ろうか悩みながら駅に歩き急いだ。
語る言葉から、宮崎駿さんはアンビバレンツを感じているのではと感じた。アニメーション作家としての活動の影響力を恐れている。「引退だ、引退だ」と事ある度に言うのは彼の悲鳴なのかもしれない。止めたくても、降りたくても・・・「さまよえるオランダ人」。
哀しいことに、彼の作品のレベルが高い故に、観客はそれから受けるもので満足してしまうのだ。映像から受ける自然の素晴らしさや飛翔感など。アニメーターの夢は「まるで本物みたいに」そして「想像の杖で世界を創造する」こと。アニメーションはかつてリアルに恋い焦がれるバーチャルだった。しかし、それが大衆化し普及するにつれ、存在の建前が崩れてきた。バーチャルが存在する前提はリアルの存在。送り手と受け手の共通了解としてのリアル。それは体感的世界。イメージの翼が羽ばたくには知力と情熱が必要だ。そして豊富なリアルがなければ羽ばたきによる揚力が生まれない。
世界の果てをめざし、そして自らの手で世界を広げ、構築することは大変なことだ。志半ばで力つき倒れてしまう人達がほとんど。そこで頭の良い者達は考えた。「そこまでしなくたって、今ある世界で十分だ」 そして記号化が始まった。パロディという形で始まったものが、次第にそれそのものが目的化されてゆく。もうリアルは必要ない。いや、リアルよりも純粋だ。「人間では表すことが出来ない、僕らが失ったピュアがここにある」 現実界を超える想像界。ドラッグトリップ。バベルの塔。
喜びと危機感を持って、宮崎駿は三鷹に美術館を開く。彼の趣味丸出しのオモチャ箱のような空間。来館者はここで「遊ぶ」。そのための仕掛けが用意してある。「身体と精神の両立」を隠しテーマとして。
・・・などと妄想を膨らませながら見ていた。
今週頭の梅雨明けのお陰で目覚まし時計が要らない。4時に寝ても5時に寝ても7時半に目が覚める。暑さと喉の乾きで(沈)。睡眠時間が少ないと夏バテしやすいことを「体感」した。(しなくていい(汗))
そんな状態で初台の東京オペラシティーの近江楽堂に行った。古楽器によるバロック室内楽を演奏する「ko-ha-ku」というバロック・アンサンブルの結成公演を聴きに行くために。
バロック音楽は割と好きで、NHK−FMの「朝のバロック」を聴くのが楽しみだった。健康的な生活をしていたときは(汗)。
古楽器への関心は学生の時の影響だ。人文学部で科学思想史を研究している教授のゼミに潜り込んだりした後に、先生が趣味でチェンバロを買ってしまったという話を聞いて驚いた。学士のときの研究室の担当教官がやはり音楽好きである地方公民館に有田正広さん率いるアンサンブルの公演に誘ってくれた。その時に聞いた演奏とフラウト・トラヴェルソやヴィオラ・ダ・ガンバという一度聞いたら忘れられない名称。後年、HD社のアラベスク2というPBMで風の魔族PCにフラウト・トラヴェルトという名を付けた。そんな(変な)因縁もあって、古楽器に対して関心を持ち続けていた。
会場は小さな楽堂で、自由席だった。早めに来たので割と良い席に座れた。奏者が出てきて、演奏が始まる。オーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバそしてフラウト・トラヴェルソ。クレープスの作品。それから自己紹介。男性1人と女性3人のユニット。男性がリーダーで寒いギャグを取り混ぜながらMC。堅苦しくないユニットであることを印象づけることに関しては成功。それからテレマンの作品2曲を演奏して10分の休憩。テレマンの曲は「朝のバロック」でよく聞いていたので馴染み深い。ターフェルムジークから2つが演奏された。2つめはバロック・ヴァイオリンが加わりクインテットとなった。
バロック音楽は心地よい・・・それが仇になった。睡眠不足からもたらされる睡魔との戦い(大汗)。なまじ小さなホールの良い席なだけに、舟を漕ぐのは目立ちすぎる。もう、大変ッス。なんでこんなに眠くなるのかと思っていたが休憩時に判った。演奏中は音が邪魔しないように空調を止めているのだ。そのため演奏が進むにつれて暑くなってくる。睡眠不足と暑さが睡魔の発生原因だった。
原因が判ったところで、対策がなければ仕方ない。10分の休憩はあっという間に終わり、演奏が再開された。J・S・バッハ、J・E・バッハそしてJ・C・バッハと小川さん一族の作品3つ。最後の作品にはまたオールド・ヴァイオリンが加わってのクインテット。演奏が、そして睡魔との戦いが終わった。ぐふぅ。
結成公演ということもあって、観客の多数が出演者の知人だったようだ。ロビーで話し合ったり、写真を取ったりしていた。私は隣駅の幡ヶ谷に寄ろうか、それとも真っ直ぐ帰ろうか悩みながら駅に歩き急いだ。
いぬもあるけば・・・「誤解の原因」
2001年7月11日 ワイドショー(ワイドって?(苦笑))で岡田美里という人が叩かれている。
なんでも「素晴らしく望まれている」のに離婚だなんて「我が儘」だと。焦点は離婚理由の「PTSD」。
そのために、まるで何かの事件のように、コメンテーターには精神科医療関係者も添えられている。
私が見たものに登場していた人はPTSDに対する理解がかなりあるように見受けられた。しかし、発言しきれずに、「我が儘よ!」と憤ってるおばさんを納得させることが出来なかった。
番組に出ているおばさんは見事に全国のおばさん達の代表として、主婦生活という戦争を生き抜いてきた勝者として、そして加害者としての依り代役を果たしていた。
バッシングの最大の原因は離婚理由が理解出来なかったことだろう。訳の分からない言葉がどうして理由になるのか?
彼女は判っていなかったのだ。PTSDという言葉がどれだけ日本に浸透しているのかを。おそらく彼女が日本の精神科に掛かっていたら、まずPTSDと判断されなかったに違いない。鬱病とかその辺りに治まっていたのではないだろうか?ハワイで診断を受けたから、PTSDについての理解が深いアメリカで診断を受けたからPTSDと診断されたのだ。逆に言えば、理解の浅い日本でPTSDと言っても理解を得られないと言うことになる。
たかが離婚でバッシングを受けてしまうということは、それなりに注目され、発言に力があるということだ。ならば彼女は離婚前に「自分がPTSDであること」でなく、「PTSDとはどんなものなのか?」について発言し、理解を深めて貰うことに動くべきだった。
結果、彼女は自身を最も傷つける言葉を喰らうことになる。
「貴方は我が儘だ。」
なんでも「素晴らしく望まれている」のに離婚だなんて「我が儘」だと。焦点は離婚理由の「PTSD」。
そのために、まるで何かの事件のように、コメンテーターには精神科医療関係者も添えられている。
私が見たものに登場していた人はPTSDに対する理解がかなりあるように見受けられた。しかし、発言しきれずに、「我が儘よ!」と憤ってるおばさんを納得させることが出来なかった。
番組に出ているおばさんは見事に全国のおばさん達の代表として、主婦生活という戦争を生き抜いてきた勝者として、そして加害者としての依り代役を果たしていた。
バッシングの最大の原因は離婚理由が理解出来なかったことだろう。訳の分からない言葉がどうして理由になるのか?
彼女は判っていなかったのだ。PTSDという言葉がどれだけ日本に浸透しているのかを。おそらく彼女が日本の精神科に掛かっていたら、まずPTSDと判断されなかったに違いない。鬱病とかその辺りに治まっていたのではないだろうか?ハワイで診断を受けたから、PTSDについての理解が深いアメリカで診断を受けたからPTSDと診断されたのだ。逆に言えば、理解の浅い日本でPTSDと言っても理解を得られないと言うことになる。
たかが離婚でバッシングを受けてしまうということは、それなりに注目され、発言に力があるということだ。ならば彼女は離婚前に「自分がPTSDであること」でなく、「PTSDとはどんなものなのか?」について発言し、理解を深めて貰うことに動くべきだった。
結果、彼女は自身を最も傷つける言葉を喰らうことになる。
「貴方は我が儘だ。」
いぬもあるけば・・・「知らなかったユング」
2001年7月10日 出張帰りの車中でカール・グスタフ・ユングの「ヨブへの答え」(みすず書房)を読了。
河合隼雄の著作などを通し、元型や集合的無意識などで知られているユングだが、この本は私の中にある、そのような「普通の」心理学者としての彼のイメージを一変させた。
西平直の「魂のライフサイクル ユング ウィルバー シュタイナー」(東京大学出版会)を読んだときも何故他の二人と並ばれるのは最初判らなかった。読んでも二人とはかなり立場や発言意図が違うのではないのかとユングに関する記述については捉えていた。
本の帯の惹句では「ユングの最高傑作」とあった。しかし私はこの本のタイトルを知らない。「タイプ論」の方が知られているはずだ。それすらも、つまりユングの著作は1つも読んだことが無い。手に取ったのはユングがあのヨブに対してどのように語るのか、そのことに興味を持ったからだ。
本を開いてから、驚きの連続だった。
「私は・・・聖書の記述をもこころ(ゼーレ)の発言とみなす。」
旧約聖書の「ヨブ記」の主人公(ヨブ)にシンクロさせ、彼が感じた感情・イメージを自らの心に内に湧き上がらせ、それを足ががりに聖書を、キリスト教の神イメージを読み解くというものだった。ある意味、とても危険な思索だ。そして、その方法は私に馴染みぶかい手法だった。何故ならば、それはPBMの戯れ方の主たる方法だからだ。
旧約聖書を読む上で、教徒でないものにとって尤も難しい部分の1つが「ヨブ記」だと思う。ヤーヴェ、正しき発音が伝えられていない神のヨブに対する言動は余りに気まぐれで過酷だ。全知で義であるはずの神がそのようなことをするのか?ユングはそれをそのまま受け入れた。つまり、そうではなかったのだと。
それからの展開は・・・凄い。
「ヨブを陥れようとする試みが失敗したことが、ヤーヴェを変えたのである。」
「彼の被造物が彼を追い越したからこそ、彼は生まれ変わらなければならないのである。」
「神は人間になることを欲した、そして今も欲している」
「《マリア被昇天》が教義化されたことによってプレローマにおける聖婚が暗示され、それはまたすでに述べたように未来における神の子の誕生を意味しており、その神の子は・・・」
《太陽と月の息子》・・・《彼は無数の名を持つ》《名状しがたいもの》
文中で使用されるセフィロートやプレローマなどカバラーやグノーシス主義の用語。私は読み進めるにしたがって、あの暗黒神話とあのアニメを思い起こさずには居られなかった。パロディは時として、裏に潜むものを明らかにしてしまう。そう、まさに「無意識的」に。イメージの記述として読み解けば、それらは全て真実の一面を照射していると考えられないか?
ユングの他の著作を読む必要がありそうだ。個性化過程について・・・。
河合隼雄の著作などを通し、元型や集合的無意識などで知られているユングだが、この本は私の中にある、そのような「普通の」心理学者としての彼のイメージを一変させた。
西平直の「魂のライフサイクル ユング ウィルバー シュタイナー」(東京大学出版会)を読んだときも何故他の二人と並ばれるのは最初判らなかった。読んでも二人とはかなり立場や発言意図が違うのではないのかとユングに関する記述については捉えていた。
本の帯の惹句では「ユングの最高傑作」とあった。しかし私はこの本のタイトルを知らない。「タイプ論」の方が知られているはずだ。それすらも、つまりユングの著作は1つも読んだことが無い。手に取ったのはユングがあのヨブに対してどのように語るのか、そのことに興味を持ったからだ。
本を開いてから、驚きの連続だった。
「私は・・・聖書の記述をもこころ(ゼーレ)の発言とみなす。」
旧約聖書の「ヨブ記」の主人公(ヨブ)にシンクロさせ、彼が感じた感情・イメージを自らの心に内に湧き上がらせ、それを足ががりに聖書を、キリスト教の神イメージを読み解くというものだった。ある意味、とても危険な思索だ。そして、その方法は私に馴染みぶかい手法だった。何故ならば、それはPBMの戯れ方の主たる方法だからだ。
旧約聖書を読む上で、教徒でないものにとって尤も難しい部分の1つが「ヨブ記」だと思う。ヤーヴェ、正しき発音が伝えられていない神のヨブに対する言動は余りに気まぐれで過酷だ。全知で義であるはずの神がそのようなことをするのか?ユングはそれをそのまま受け入れた。つまり、そうではなかったのだと。
それからの展開は・・・凄い。
「ヨブを陥れようとする試みが失敗したことが、ヤーヴェを変えたのである。」
「彼の被造物が彼を追い越したからこそ、彼は生まれ変わらなければならないのである。」
「神は人間になることを欲した、そして今も欲している」
「《マリア被昇天》が教義化されたことによってプレローマにおける聖婚が暗示され、それはまたすでに述べたように未来における神の子の誕生を意味しており、その神の子は・・・」
《太陽と月の息子》・・・《彼は無数の名を持つ》《名状しがたいもの》
文中で使用されるセフィロートやプレローマなどカバラーやグノーシス主義の用語。私は読み進めるにしたがって、あの暗黒神話とあのアニメを思い起こさずには居られなかった。パロディは時として、裏に潜むものを明らかにしてしまう。そう、まさに「無意識的」に。イメージの記述として読み解けば、それらは全て真実の一面を照射していると考えられないか?
ユングの他の著作を読む必要がありそうだ。個性化過程について・・・。
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いぬもあるけば・・・「更新不能」
2001年7月9日 さすがに5時台は日差しも厳しくない。出張用の荷物を取りに、一旦会社に寄った。このときに日記の更新をしようと思ったが、予想外の出来事のために後にすることにした。出張先からでもアクセスできるはずだった。
私はPDAとしてwinCE機のドコモのシグマリオンを利用している。PDAそのものとしての使い勝手ならばパームに惹かれるが、私が求めていたPDAの条件としては、1)キーボードでテキストを打てること、2)データ交換が手軽に出来ること、3)モバイル状態でネットに繋げられること、4)コンパクトで丈夫な筐体、そして5)手頃な値段だった。実売3〜4万円台のシグマリオンはOSのバージョンが古く、メモリ容量が少な目な廉価商品であるが、私の求める仕様をほぼ満足していた。
で、これを使って何回か日記をアップしていたので今回も同様にアップできると考えていた。いざ、アップしようとすると出来ない。書き込みする書式が現れないのだ。最初、携帯で接続したために通信速度が遅いからうまくジャンプしないのだろうと考えていた。が、P-in Comp@ctを用いても同じだった。
考えられる理由の1つとして、先日行われたこの日記サイトの仕様変更が考えられた。シグマリオンに搭載されているwinCEもしくはPocket Internet Explorerのバージョンが古くて対応していない処理がある可能性がある。
別の理由があるのかもしれないが、出先ではあまり検討もできない。結局、日記の更新は諦めざるを得なかった。
もし仕様変更によるものならば、参るなぁ。今後、シグマリオンで旅先から日記を更新できないとなると別の手段を考えなければならなくなる。別のソフトならば可能かもしれない。
今のままでも見ることはできるのだが、書き込めないとは・・・ぐふぅ。
(7/13:今、携これを帯で書き込みしている。成功していればよいのだが・・・)
私はPDAとしてwinCE機のドコモのシグマリオンを利用している。PDAそのものとしての使い勝手ならばパームに惹かれるが、私が求めていたPDAの条件としては、1)キーボードでテキストを打てること、2)データ交換が手軽に出来ること、3)モバイル状態でネットに繋げられること、4)コンパクトで丈夫な筐体、そして5)手頃な値段だった。実売3〜4万円台のシグマリオンはOSのバージョンが古く、メモリ容量が少な目な廉価商品であるが、私の求める仕様をほぼ満足していた。
で、これを使って何回か日記をアップしていたので今回も同様にアップできると考えていた。いざ、アップしようとすると出来ない。書き込みする書式が現れないのだ。最初、携帯で接続したために通信速度が遅いからうまくジャンプしないのだろうと考えていた。が、P-in Comp@ctを用いても同じだった。
考えられる理由の1つとして、先日行われたこの日記サイトの仕様変更が考えられた。シグマリオンに搭載されているwinCEもしくはPocket Internet Explorerのバージョンが古くて対応していない処理がある可能性がある。
別の理由があるのかもしれないが、出先ではあまり検討もできない。結局、日記の更新は諦めざるを得なかった。
もし仕様変更によるものならば、参るなぁ。今後、シグマリオンで旅先から日記を更新できないとなると別の手段を考えなければならなくなる。別のソフトならば可能かもしれない。
今のままでも見ることはできるのだが、書き込めないとは・・・ぐふぅ。
(7/13:今、携これを帯で書き込みしている。成功していればよいのだが・・・)
いぬもあるけば・・・「見逃し」
2001年7月8日 目の前に未使用のアールヌーヴォー展の前売り券がある。ううっ、結局行けなかった。出張準備のためにユザワヤに行ったりなんだりがあったため。シクシク。
その代わりといったら変だが、夕方、ライブを見に行った。場所は渋谷のブエノス東京。営業のメインは深夜だからか、妙に安い。ぱぶりか(いやtv.orangeか?)の対バンで見た「GREEN HORN」というバンド目当て。着いたとき、すでに2番目のバンドが演奏していた。いつものライブハウスとは違う内装に驚きつつ、階段を降りた。割と混んでいる。というか思ったほど広くないことに驚いた。
3番目のバンドの「Sarah’s mini skirt」。楽曲は好みなのだが、女性のヴォーカルが弱い。歌詞がよく聞き取れなかった。出ているというCDならばきちんと聴けるか?結局買わなかったが。
4番目のバンドの「zeal」。男っぽい正統派のロックバンド。微かに感じる不良っぽさがなんとも。今回初めてオリジナル曲ばかりのライブらしいが見せ方や聞かせ方はかっちりしている。
5番目のバンドの「SOUND CAMPANY」。ヴォーカルの男性のキャラクターが記憶に残っている。
6番目、最後が「GREEN HORN」(->リンク)だった。以前見たとき、男性のサポートがあった気がするのだが・・3ピース・ガールズ・バンドだった。変なバンドだ。演奏も歌も下手なんだか、上手いんだか。いや、そういうのを飛び越えてるところがある。ドラッグ性があるというか・・・。検索してみると、結構注目されてる、もしくは一度演奏を見た人の心に残っているらしい。・・・やっぱり、変なバンドだ。でも、だから目が放せなくなる。CDを購入。ぐるぐる〜。
その代わりといったら変だが、夕方、ライブを見に行った。場所は渋谷のブエノス東京。営業のメインは深夜だからか、妙に安い。ぱぶりか(いやtv.orangeか?)の対バンで見た「GREEN HORN」というバンド目当て。着いたとき、すでに2番目のバンドが演奏していた。いつものライブハウスとは違う内装に驚きつつ、階段を降りた。割と混んでいる。というか思ったほど広くないことに驚いた。
3番目のバンドの「Sarah’s mini skirt」。楽曲は好みなのだが、女性のヴォーカルが弱い。歌詞がよく聞き取れなかった。出ているというCDならばきちんと聴けるか?結局買わなかったが。
4番目のバンドの「zeal」。男っぽい正統派のロックバンド。微かに感じる不良っぽさがなんとも。今回初めてオリジナル曲ばかりのライブらしいが見せ方や聞かせ方はかっちりしている。
5番目のバンドの「SOUND CAMPANY」。ヴォーカルの男性のキャラクターが記憶に残っている。
6番目、最後が「GREEN HORN」(->リンク)だった。以前見たとき、男性のサポートがあった気がするのだが・・3ピース・ガールズ・バンドだった。変なバンドだ。演奏も歌も下手なんだか、上手いんだか。いや、そういうのを飛び越えてるところがある。ドラッグ性があるというか・・・。検索してみると、結構注目されてる、もしくは一度演奏を見た人の心に残っているらしい。・・・やっぱり、変なバンドだ。でも、だから目が放せなくなる。CDを購入。ぐるぐる〜。
いぬもあるけば・・・「七夕」
2001年7月7日 七夕から受けるイメージの1つに『再会』がある。今日はそれにまつわることが2つ。
PBMを長いことしている中で色々なイベントに参加してきた。オフィシャルイベントとして北海道の定山渓温泉や洞爺湖温泉、群馬の水上温泉に行ったり、果ては貸し切りのフェリーで新島の露天風呂に入りに行ったり。個人企画のイベントで半田の中埜酢店(ミツカン)の近くにある公共施設に泊まったこともある。
今回、T社の元マスターであるN野マスターの担当したシナリオに参加した人達有志による同窓会・・・のようなものが催された。さすがにこういう同窓会イベントは初めてだ。N野マスターにはお世話になったし、そのときのプレイヤーと今も交流していることもあり、参加することにした。
池袋の母子像前に14:30。以前、オフ会でそこを待ち合わせにしたことを思い出しながら向かった。東京圏で連絡が取れ、且つ都合がつく人ということだったが、それでも20名ほど集まった。N野マスターに限りなく似ている人がいらしたのは秘密だ(爆)。
1次会はトキワボウルでボーリング。結果はさんざんだったが、それよりもダメージを受けたことが。友達から「DIRASさんに是非!」と紙袋をプレゼントされた。なんだろうと見てみると、週刊DIASの今週号。いや、よく見るとIとAの間にRの文字が貼られている。
「これは・・・もしかして『週刊DIRAS』?!」 彼の凄さを再確認。受けのためならばこれぐらいは朝飯前。センスと実行力はPBMでも光っている。しばし、その威力に真っ白に燃え尽きる。N野さんにもこのネタで烈しく突っ込まれるし〜。
2次会は新宿に移って飲み会。「J’s」という店の個室。挨拶や自己紹介など済ませ、飲む、話す。半分ぐらい品川プライベなどで顔を見合わせている人だが、それ以外で知っている人についてはほんと久々だ。楽しいときを過ごす。
3次会はカラオケ。一曲も歌わないでずっとおしゃべりしていた。2次会で話せなかった人さんと音楽談義。彼はミッシェルガンエレファントやハイロウズなどのファン。好みのジャンルが少しずれているので前は余り話が盛り上がらなかったのだが、さすがにイースタンユースも知っていたため、ここを中心に盛り上がった。ぐう。フジロックに行きたくなるじやないか。 他の人とも9月にどっか行きたいね〜とか、次のイベントの相談。またこのような企画があればいいねと。
ニフティ関係の同窓会サイトに飛んで、登録してみた。登録して初めて、誰が登録しているのか知ることができるシステム。実名制であるためだろう。3年時に同じクラスだった女性が登録していた。旧姓が併記されている。知っている男性が一人もいないというのはどうしたことだろう。うーむ。昨年、3年時の同窓会があったが行けなかった。ダリエさんのライブとぶつかったからというのはダメでしょうか?ふに。どれだけの規模の会だったか、盛り上がったかなど聞いてみたい。子供の写真披露会になっていたというのに10カノッサ。
中学時の部活で一緒だった女性も登録していた、こちらも旧姓併記。とても個性的でしっかりしていた女性だった。社会に出て一暴れするのではと思っていたが、気が付くと結婚していた。それに関しては意外だった。しかし、彼女の持つ潜在力が専業主婦という1つの役柄に治まるとは思えない。それ以外の役を得て、何か「実行」する/しているのではと考えている。
二人にはとりあえずメールを打ってみよう。登録時期が昔なのですでにメルアドが変わっていて届かない可能性が高いが。
それにしても・・・初期登録時のコメント記載でふざけたものを書かないで良かった〜。何故なら・・・何故なら、登録名簿の中に弟の名前を見つけたから。ヒーッ!!!(滝汗)
PBMを長いことしている中で色々なイベントに参加してきた。オフィシャルイベントとして北海道の定山渓温泉や洞爺湖温泉、群馬の水上温泉に行ったり、果ては貸し切りのフェリーで新島の露天風呂に入りに行ったり。個人企画のイベントで半田の中埜酢店(ミツカン)の近くにある公共施設に泊まったこともある。
今回、T社の元マスターであるN野マスターの担当したシナリオに参加した人達有志による同窓会・・・のようなものが催された。さすがにこういう同窓会イベントは初めてだ。N野マスターにはお世話になったし、そのときのプレイヤーと今も交流していることもあり、参加することにした。
池袋の母子像前に14:30。以前、オフ会でそこを待ち合わせにしたことを思い出しながら向かった。東京圏で連絡が取れ、且つ都合がつく人ということだったが、それでも20名ほど集まった。N野マスターに限りなく似ている人がいらしたのは秘密だ(爆)。
1次会はトキワボウルでボーリング。結果はさんざんだったが、それよりもダメージを受けたことが。友達から「DIRASさんに是非!」と紙袋をプレゼントされた。なんだろうと見てみると、週刊DIASの今週号。いや、よく見るとIとAの間にRの文字が貼られている。
「これは・・・もしかして『週刊DIRAS』?!」 彼の凄さを再確認。受けのためならばこれぐらいは朝飯前。センスと実行力はPBMでも光っている。しばし、その威力に真っ白に燃え尽きる。N野さんにもこのネタで烈しく突っ込まれるし〜。
2次会は新宿に移って飲み会。「J’s」という店の個室。挨拶や自己紹介など済ませ、飲む、話す。半分ぐらい品川プライベなどで顔を見合わせている人だが、それ以外で知っている人についてはほんと久々だ。楽しいときを過ごす。
3次会はカラオケ。一曲も歌わないでずっとおしゃべりしていた。2次会で話せなかった人さんと音楽談義。彼はミッシェルガンエレファントやハイロウズなどのファン。好みのジャンルが少しずれているので前は余り話が盛り上がらなかったのだが、さすがにイースタンユースも知っていたため、ここを中心に盛り上がった。ぐう。フジロックに行きたくなるじやないか。 他の人とも9月にどっか行きたいね〜とか、次のイベントの相談。またこのような企画があればいいねと。
ニフティ関係の同窓会サイトに飛んで、登録してみた。登録して初めて、誰が登録しているのか知ることができるシステム。実名制であるためだろう。3年時に同じクラスだった女性が登録していた。旧姓が併記されている。知っている男性が一人もいないというのはどうしたことだろう。うーむ。昨年、3年時の同窓会があったが行けなかった。ダリエさんのライブとぶつかったからというのはダメでしょうか?ふに。どれだけの規模の会だったか、盛り上がったかなど聞いてみたい。子供の写真披露会になっていたというのに10カノッサ。
中学時の部活で一緒だった女性も登録していた、こちらも旧姓併記。とても個性的でしっかりしていた女性だった。社会に出て一暴れするのではと思っていたが、気が付くと結婚していた。それに関しては意外だった。しかし、彼女の持つ潜在力が専業主婦という1つの役柄に治まるとは思えない。それ以外の役を得て、何か「実行」する/しているのではと考えている。
二人にはとりあえずメールを打ってみよう。登録時期が昔なのですでにメルアドが変わっていて届かない可能性が高いが。
それにしても・・・初期登録時のコメント記載でふざけたものを書かないで良かった〜。何故なら・・・何故なら、登録名簿の中に弟の名前を見つけたから。ヒーッ!!!(滝汗)
いぬもあるけば・・・「織り姫オンパレード」
2001年7月6日 トゥルーデマーマレードのライブを見るために、La.mamaに向かった。着いたとき、すでに最初の出演者のステージが始まっていた。私が入ったとき、すでに最後から2番目の歌だった。今日のイベントタイトルは「おり姫オンパレード2001」。女性ボーカル特集らしい。
奥華子(->リンク)。ピアノ弾き語り。素直でクリアな歌声に驚いた。対バンについて調べもしなかったし、期待もしていなかった。うーん、この歌声は好みだ。前向きな歌を素直に歌うのは難しい。昔ならばともかく、今では時に聴く側を引かせてしまうことがある。素直さを愚直と同義に捉えてしまう時代では。だからこそ、それをそのまま歌って聴かせてしまうのは才能といえる。彼女にはそういう才能があると思う。
次は中嶋凛(->リンク)。バンドを従えての登場。元気POPな歌。多少コテコテな感じもあるけれど、許せるレベル。悪くない。
お次はメジャーデビューしている tef tef(->リンク)。デビュー曲の「君をひとりじめ」は確かにどこかで聞いたことがある。カワイイ姉妹ユニット。姉がアコギ&Vo、妹がメインVoとタンバリン。二人のハモリは心地よい。・・・が何故、このイベントに?聴きながら、不思議に思っていた。全国展開している営業の一環なのかしらん。
最後がトゥルーデマーマレード。活動休止ということで駆け付けた人が多い。ビデオや写真を撮っている人もいた。よい歌が多いが私にとってガッと来るものがない。おそらくそれが私が余り足を運ばなかった理由だったのだろう。最後だったこともあって、アンコールがあった。
帰るに際し、奥華子と中島凛のCDを購入した。奥華子はチェックしようと思う。ある意味で今が旬の歌声だと思うから、今の内に・・・
奥華子(->リンク)。ピアノ弾き語り。素直でクリアな歌声に驚いた。対バンについて調べもしなかったし、期待もしていなかった。うーん、この歌声は好みだ。前向きな歌を素直に歌うのは難しい。昔ならばともかく、今では時に聴く側を引かせてしまうことがある。素直さを愚直と同義に捉えてしまう時代では。だからこそ、それをそのまま歌って聴かせてしまうのは才能といえる。彼女にはそういう才能があると思う。
次は中嶋凛(->リンク)。バンドを従えての登場。元気POPな歌。多少コテコテな感じもあるけれど、許せるレベル。悪くない。
お次はメジャーデビューしている tef tef(->リンク)。デビュー曲の「君をひとりじめ」は確かにどこかで聞いたことがある。カワイイ姉妹ユニット。姉がアコギ&Vo、妹がメインVoとタンバリン。二人のハモリは心地よい。・・・が何故、このイベントに?聴きながら、不思議に思っていた。全国展開している営業の一環なのかしらん。
最後がトゥルーデマーマレード。活動休止ということで駆け付けた人が多い。ビデオや写真を撮っている人もいた。よい歌が多いが私にとってガッと来るものがない。おそらくそれが私が余り足を運ばなかった理由だったのだろう。最後だったこともあって、アンコールがあった。
帰るに際し、奥華子と中島凛のCDを購入した。奥華子はチェックしようと思う。ある意味で今が旬の歌声だと思うから、今の内に・・・
いぬもあるけば・・・「癒し系」
2001年7月5日 別にNHKしか見ていない訳ではないのだが・・・。実際のところ、平日はテレビ東京系のWBSというニュース番組をよく見ているけれども、全国ネットでないのでここにそれの内容を元にしたことを書くのは少々ためらわれる。時間的に深夜帯にTVを見るが、深夜番組も昔からすると、面白い番組は減った気がする。そんなわけで夜はNHKの番組をだらだら流すことになる。
人間ドキュメント「心でメスを握る」を、そしてETV特集の癌患者の現状を考える番組を見た。
前者はある大学病院の外科の教授の話。師から学んだ外科医の心を後輩に確実に伝えようと、教育プログラムを検討・実践している。外科医を「育てる」。思いは強い。看護実習で患者に接させたり、先達である自分の医療行為を見せたりなどを通して学ばせる。自らも師から受け継いだ「理想の医」の姿。私の友人の中にもこの道を選んだ者がいるのだろうと考えながら見ていた。
後者は患者よりの番組。私が見たのはシリーズのうちの1つだったようだ。中で印象に残ったのは「ホールネス(人間の全体性)」という単語。癌患者に対しては治療行為だけでなく、「癒し」も求められる。その癒しの鍵となるのがホールネスの獲得ということになる。逆にいえば、そういう志向や視点を持たない治療行為は癌患者にとって、もはや苦痛でしかない。患者にとっては治癒は勿論であるが、「如何に生きるか」ということが問題となる。というか、それが真剣に考えるべき問題であることを病によって認識させられている。それはある意味で癌との勝ち負け中心の生き方ではない患者の生き方の模索に通じるのかもしれない。
「全体性」と「唯一性」・・・ 番組を見ながら、フランクルの著作物を思い出した。彼の言うところの「生きる意味」。
しかし、自ら使っているがいつから「癒し」という言葉はこれほど手垢にまみれてしまったのだろう。粗悪な孫コピーの如く掠れてしまい、言葉が持つ重みはスカスカになってしまった。今ではこの単語を使うのに一種の覚悟が必要になる。言葉本来の「意味」とそれが消費されてきた「流れ」がコンプレックスされデータベースとなっていて、使用者にアンビバレンツな感情を生じさせる。データベース化、つまり情報化の力は言語使用者を「その単語を使った者」として強制的にカテゴライズする。
アーティストが自分の作品群に対し「癒し系」などと言われるのに抵抗を感じるのはここから来ているのではないだろうか?
(a)「貴方の作品は人を癒す力がありますね」と言われるのと(b)「貴方の作品は癒し系ですね」と言われることの違い。
「系」という言葉は暴力的だ。個性を否定して1つのカテゴリーに押し込める。個人に関わる部分以外で使われる分にはそれほど問題ではないが、今は個人に関わる部分でも使われている。社会学では「系」という言葉の現代社会における増殖をどう分析してるのだろうか?
そうそう、ファンに「癒し系」といわれてしまったとき、(b)の文脈を無理矢理(a)の文脈に置き換えて認識する方法がある。「系」を太陽系という使い方、「system」に変換するのだ。「癒し系」ならぬ「癒しsystem」。同様に「渋谷系」も「渋谷」を構成し生み出すシステムの1つと認識してみる。静的なカテゴリーではなく、動的なシステム、自らそれを生み出すものというイメージに変換される。
人間ドキュメント「心でメスを握る」を、そしてETV特集の癌患者の現状を考える番組を見た。
前者はある大学病院の外科の教授の話。師から学んだ外科医の心を後輩に確実に伝えようと、教育プログラムを検討・実践している。外科医を「育てる」。思いは強い。看護実習で患者に接させたり、先達である自分の医療行為を見せたりなどを通して学ばせる。自らも師から受け継いだ「理想の医」の姿。私の友人の中にもこの道を選んだ者がいるのだろうと考えながら見ていた。
後者は患者よりの番組。私が見たのはシリーズのうちの1つだったようだ。中で印象に残ったのは「ホールネス(人間の全体性)」という単語。癌患者に対しては治療行為だけでなく、「癒し」も求められる。その癒しの鍵となるのがホールネスの獲得ということになる。逆にいえば、そういう志向や視点を持たない治療行為は癌患者にとって、もはや苦痛でしかない。患者にとっては治癒は勿論であるが、「如何に生きるか」ということが問題となる。というか、それが真剣に考えるべき問題であることを病によって認識させられている。それはある意味で癌との勝ち負け中心の生き方ではない患者の生き方の模索に通じるのかもしれない。
「全体性」と「唯一性」・・・ 番組を見ながら、フランクルの著作物を思い出した。彼の言うところの「生きる意味」。
しかし、自ら使っているがいつから「癒し」という言葉はこれほど手垢にまみれてしまったのだろう。粗悪な孫コピーの如く掠れてしまい、言葉が持つ重みはスカスカになってしまった。今ではこの単語を使うのに一種の覚悟が必要になる。言葉本来の「意味」とそれが消費されてきた「流れ」がコンプレックスされデータベースとなっていて、使用者にアンビバレンツな感情を生じさせる。データベース化、つまり情報化の力は言語使用者を「その単語を使った者」として強制的にカテゴライズする。
アーティストが自分の作品群に対し「癒し系」などと言われるのに抵抗を感じるのはここから来ているのではないだろうか?
(a)「貴方の作品は人を癒す力がありますね」と言われるのと(b)「貴方の作品は癒し系ですね」と言われることの違い。
「系」という言葉は暴力的だ。個性を否定して1つのカテゴリーに押し込める。個人に関わる部分以外で使われる分にはそれほど問題ではないが、今は個人に関わる部分でも使われている。社会学では「系」という言葉の現代社会における増殖をどう分析してるのだろうか?
そうそう、ファンに「癒し系」といわれてしまったとき、(b)の文脈を無理矢理(a)の文脈に置き換えて認識する方法がある。「系」を太陽系という使い方、「system」に変換するのだ。「癒し系」ならぬ「癒しsystem」。同様に「渋谷系」も「渋谷」を構成し生み出すシステムの1つと認識してみる。静的なカテゴリーではなく、動的なシステム、自らそれを生み出すものというイメージに変換される。
いぬもあるけば・・・「晩酌」
2001年7月4日 くぴくぴ。晩酌をしている。
「北雪 純米酒」 よい酒だ。新潟は佐渡の銘酒。東京ではそう気軽に手に入らない。・・・はずなのに蒲田駅ビルに入っている安売り店で売っていた。値段も良心的というか、地元で買うのと同じぐらいの値段。
最初、商品棚にあるのを見て「嘘だろ〜」と呟いてしまった。ちょっと冷やかしのつもりで覗いたのにいきなり一升瓶を提げて帰る私。ぐふぅ。
もっと高い値段でも売れる酒だ。現に呑んでいるが、純米酒でかつ作りもいいので翌日全然残らない。すーっとした酔いを楽しんでいる。ダウン系のドラッグなのに酔いに連れての眠気が来ないのは驚きだ。そして、平日の晩酌としてこれほど適当な酒もないだろう。(純米酒自体そういう傾向があるので晩酌用の日本酒としては純米酒を選んでいる)
店の人は余り知らないようだが、さすがに日本酒を買う人は判っているようだ。今日、また店を覗いたら同じぐらいの価格帯の中で北雪だけが無くなっていた。
ビール類だが、店頭で買うのは基本的にアサヒと決めている。ビールはスーパードライ。発泡酒は本生。
実は味で決めているわけではない。味ならば、サッポロの黒ラベルやエビスが好みだ。居酒屋など呑み屋で選択できるならばそちらを選ぶだろう。
選択の第一、かつ唯一の理由は「リターナブルびん」であること。繰り返し使える瓶に詰めているもののみ買っている。尤もいつもあるとは限らないので缶を買うこともある。リターナル瓶の本生は130円。確か瓶を返すと5円バック。つまり実質125円。値段だけならば安売り店で纏め買いした方が安くつくだろう。この辺りは自己満足だけでしかない。
でも、不思議に思うのだ。なぜ、アサヒだけがリターナブルびんを採用して、他社は採用しないのだろう。趣旨がリサイクルにあるならば、アサヒも(しているのかも知れないが)他社に呼びかけてよいはずだ。また他社もそれに乗るぐらいの度量があってしかるべきだと思うのだが・・・。小人の発想しかできないのならば寂しい。
まあ、アルミ缶のリサイクル網が完成されていてリサイクル率が90%以上とかいうのなら別だけど。どうなんでしょ、その辺り。東京圏はアルミ缶を日がな集めている方々がゴミ箱や収集所で活躍しているけれど・・・。
発泡酒といえば・・・
先日、秋葉原のある店の棚に商品名のテープが貼ってあった。
「発砲スチロール」
どんなスチロールなんじゃ〜い!
・・・ん?発砲・はっぽう・ハッポウ・・・
発砲酒「マグナムド○イ」とか〜
やばそう・・・(汗
「北雪 純米酒」 よい酒だ。新潟は佐渡の銘酒。東京ではそう気軽に手に入らない。・・・はずなのに蒲田駅ビルに入っている安売り店で売っていた。値段も良心的というか、地元で買うのと同じぐらいの値段。
最初、商品棚にあるのを見て「嘘だろ〜」と呟いてしまった。ちょっと冷やかしのつもりで覗いたのにいきなり一升瓶を提げて帰る私。ぐふぅ。
もっと高い値段でも売れる酒だ。現に呑んでいるが、純米酒でかつ作りもいいので翌日全然残らない。すーっとした酔いを楽しんでいる。ダウン系のドラッグなのに酔いに連れての眠気が来ないのは驚きだ。そして、平日の晩酌としてこれほど適当な酒もないだろう。(純米酒自体そういう傾向があるので晩酌用の日本酒としては純米酒を選んでいる)
店の人は余り知らないようだが、さすがに日本酒を買う人は判っているようだ。今日、また店を覗いたら同じぐらいの価格帯の中で北雪だけが無くなっていた。
ビール類だが、店頭で買うのは基本的にアサヒと決めている。ビールはスーパードライ。発泡酒は本生。
実は味で決めているわけではない。味ならば、サッポロの黒ラベルやエビスが好みだ。居酒屋など呑み屋で選択できるならばそちらを選ぶだろう。
選択の第一、かつ唯一の理由は「リターナブルびん」であること。繰り返し使える瓶に詰めているもののみ買っている。尤もいつもあるとは限らないので缶を買うこともある。リターナル瓶の本生は130円。確か瓶を返すと5円バック。つまり実質125円。値段だけならば安売り店で纏め買いした方が安くつくだろう。この辺りは自己満足だけでしかない。
でも、不思議に思うのだ。なぜ、アサヒだけがリターナブルびんを採用して、他社は採用しないのだろう。趣旨がリサイクルにあるならば、アサヒも(しているのかも知れないが)他社に呼びかけてよいはずだ。また他社もそれに乗るぐらいの度量があってしかるべきだと思うのだが・・・。小人の発想しかできないのならば寂しい。
まあ、アルミ缶のリサイクル網が完成されていてリサイクル率が90%以上とかいうのなら別だけど。どうなんでしょ、その辺り。東京圏はアルミ缶を日がな集めている方々がゴミ箱や収集所で活躍しているけれど・・・。
発泡酒といえば・・・
先日、秋葉原のある店の棚に商品名のテープが貼ってあった。
「発砲スチロール」
どんなスチロールなんじゃ〜い!
・・・ん?発砲・はっぽう・ハッポウ・・・
発砲酒「マグナムド○イ」とか〜
やばそう・・・(汗
いぬもあるけば・・・「活動休止」
2001年7月3日 DMが来た。エブナイの「バンドの星」コーナーで4週目まで行っていた「トゥルーデマーマレード」。
日程さえ合えばライブを見に行きたいなぁ・・・と思いながら視線を泳がせると「トゥルーデマーマレードは活動休止します」の一文を発見。えっ?!まだ、なんで。しかし、DMにはそれしか書いていない。うーむ。TVに出たことなどを通して色々考えることがあったのだろうか。久々にサイト(−>リンク)を覗いてみると、6/23更新時に活動休止の「お知らせ」をアップしていた。
あれだけ順調に活動していたのに・・・。「カリスマライフ」の件を思い出したりして。7/3にアコースティックなライブ?あの・・届いたの今日なんですが。聞きたかった(涙)。7/6の渋谷La.mamaのライブが休止前最後のライブの様だ。何番目か判らないが見届けたい。
バンドもHPも会社も立ち上げるのは勢いでなんとかなるかもしれないが、立ち上げ時と同じ情熱を持って活動をし続けるとなると大変なようだ。
日程さえ合えばライブを見に行きたいなぁ・・・と思いながら視線を泳がせると「トゥルーデマーマレードは活動休止します」の一文を発見。えっ?!まだ、なんで。しかし、DMにはそれしか書いていない。うーむ。TVに出たことなどを通して色々考えることがあったのだろうか。久々にサイト(−>リンク)を覗いてみると、6/23更新時に活動休止の「お知らせ」をアップしていた。
あれだけ順調に活動していたのに・・・。「カリスマライフ」の件を思い出したりして。7/3にアコースティックなライブ?あの・・届いたの今日なんですが。聞きたかった(涙)。7/6の渋谷La.mamaのライブが休止前最後のライブの様だ。何番目か判らないが見届けたい。
バンドもHPも会社も立ち上げるのは勢いでなんとかなるかもしれないが、立ち上げ時と同じ情熱を持って活動をし続けるとなると大変なようだ。
いぬもあるけば・・・「弦楽四重奏」
2001年7月2日 秋葉原の坂口電熱にヒーターを買いに行き、その足で吉祥寺MANDALA2へ。
すでに開場していた。なるべく前よりの空いている席を狙って座ろうとすると、前の席に荷物を置いていた女性が飛んできて「ここ取ってます。」・・・まあ、いいけれど。それならばせめて目印にチラシでも置いて欲しいもの。ライブに浮かれて知り合いのところに飛び回りたいのは判るが。ちょっとメンタルポイントを削られた
。開演までの間、昨日の日記に引用する「アーバン キャッツ」内の一節をPDAに打ち込んでいた。と、声を掛けられた。たまははきで顔なじみの女性。私よりも遙かにイベントチェックの烈しい人。確か谷山浩子さんやザバダックの古くからのファンだった。ならば、斎藤ネコストリングカルテット(−>リンク)のライブにいるのも不思議ではない・・・というか、彼女はかなりディープらしく、会場のあちこちで知り合いと談笑していた。改めて見回すと、ザバダックのライブで見かける男性が前の方にいる。なるなる。
斎藤さんを始めとするメンバー登場。夏らしく甚平姿。恐ろしいことに、ミッフィー甚平(^-^;;。さらにタイ土産の扇子と同じ構造の怪しい帽子を被りだす一同。開演前から怪しい雰囲気が・・・。20時を過ぎてからライブは始まった。いきなり最初にやる譜面が見つからないということで、急遽「MUSHI」という妙におどろおどろしい曲を演奏。
次はゲストやお客さんからの「持ち込み譜面コーナー」。最初はゲストの井口モエさんアレンジの譜面を演奏。野バラや赤トンボなど。アレンジした日が後になるほど捻りがきつくなる辺りに井口さん自身の変化が・・・とネコさんが突っ込んでいたのが笑えた。続いて、お客が持ち込んだ譜面なのだが、どうやらMidiデータをそのまま譜面変換ソフトで変換したものらしく、演奏して貰うというより、こんなものがありますよ的なものだったらしい。なので際物な曲ばかり・・・。
暴れん坊将軍、機動戦士ガンダム、マリオブラザーズ、ドラえもん・・・これらの弦楽四重奏が試みられた。熱心に弾くネコさん達。ミッフィー甚平姿で。いやはや。
お休みの後に、吉川忠英さん作曲の「ネコと一緒」という曲を演奏。一度演奏した後にかけ声を入れることにして再び演奏。「ハッ」というかけ声が可笑しさを醸し出す。
お次はゲストの江崎稔子さんの弾き語り。低域から高域まで使いこなす歌声に唸った。これはチェックしないと。江崎さんとネコさん達のセッションも良かった。
お気楽な雰囲気のライブが終わったのは23時過ぎ。江崎さんに声を掛けてCDを購入したり、こちらのメルアドをお教えしたりしたら帰宅ぎりぎりの時間。ネコさんたちはこのまま会場で打ち上げに入るようだ。
私は駅まで走って、どうにか無事に帰る事が出来た。しかし自室についたのは3日の0時半過ぎ。2日中に送らなければ意味がないメールが〜っ(涙)
すでに開場していた。なるべく前よりの空いている席を狙って座ろうとすると、前の席に荷物を置いていた女性が飛んできて「ここ取ってます。」・・・まあ、いいけれど。それならばせめて目印にチラシでも置いて欲しいもの。ライブに浮かれて知り合いのところに飛び回りたいのは判るが。ちょっとメンタルポイントを削られた
。開演までの間、昨日の日記に引用する「アーバン キャッツ」内の一節をPDAに打ち込んでいた。と、声を掛けられた。たまははきで顔なじみの女性。私よりも遙かにイベントチェックの烈しい人。確か谷山浩子さんやザバダックの古くからのファンだった。ならば、斎藤ネコストリングカルテット(−>リンク)のライブにいるのも不思議ではない・・・というか、彼女はかなりディープらしく、会場のあちこちで知り合いと談笑していた。改めて見回すと、ザバダックのライブで見かける男性が前の方にいる。なるなる。
斎藤さんを始めとするメンバー登場。夏らしく甚平姿。恐ろしいことに、ミッフィー甚平(^-^;;。さらにタイ土産の扇子と同じ構造の怪しい帽子を被りだす一同。開演前から怪しい雰囲気が・・・。20時を過ぎてからライブは始まった。いきなり最初にやる譜面が見つからないということで、急遽「MUSHI」という妙におどろおどろしい曲を演奏。
次はゲストやお客さんからの「持ち込み譜面コーナー」。最初はゲストの井口モエさんアレンジの譜面を演奏。野バラや赤トンボなど。アレンジした日が後になるほど捻りがきつくなる辺りに井口さん自身の変化が・・・とネコさんが突っ込んでいたのが笑えた。続いて、お客が持ち込んだ譜面なのだが、どうやらMidiデータをそのまま譜面変換ソフトで変換したものらしく、演奏して貰うというより、こんなものがありますよ的なものだったらしい。なので際物な曲ばかり・・・。
暴れん坊将軍、機動戦士ガンダム、マリオブラザーズ、ドラえもん・・・これらの弦楽四重奏が試みられた。熱心に弾くネコさん達。ミッフィー甚平姿で。いやはや。
お休みの後に、吉川忠英さん作曲の「ネコと一緒」という曲を演奏。一度演奏した後にかけ声を入れることにして再び演奏。「ハッ」というかけ声が可笑しさを醸し出す。
お次はゲストの江崎稔子さんの弾き語り。低域から高域まで使いこなす歌声に唸った。これはチェックしないと。江崎さんとネコさん達のセッションも良かった。
お気楽な雰囲気のライブが終わったのは23時過ぎ。江崎さんに声を掛けてCDを購入したり、こちらのメルアドをお教えしたりしたら帰宅ぎりぎりの時間。ネコさんたちはこのまま会場で打ち上げに入るようだ。
私は駅まで走って、どうにか無事に帰る事が出来た。しかし自室についたのは3日の0時半過ぎ。2日中に送らなければ意味がないメールが〜っ(涙)
いぬもあるけば・・・「アーバン キャッツ」
2001年7月1日 面白い展開があって、急遽、演劇を見に行くことになった。混んでいるという話と楽日ということもあって見るのを諦めていたもの。アドシアターコミュニケーション第10回公演『マリア?映画館、襲撃!?そして優しい闇の訪れ』
『金融腐食列島呪縛』という映画の脚本を書いて注目された鈴木智さんが書いたということで(映画を見ていないにも関わらず)期待していた。
中目黒駅を出て、チケットを融通してくれる人と合流。中目黒ウッディーシアターに赴く。狭い中に椅子を限界まで並べてあるが、それも埋まってしまった。18時開演。近未来。人工太陽で闇を追い払った日本。闇は禁忌とされ、それを必要とする映画の上映やライブは禁止されている。その処置前に刑務所に入っていた映画監督ミフネ(赤塚真人)が出所してきたところから話は始まる。浮浪者の少女マリア(増田未亜)達と出会い、裏稼業としての映画製作を行う。いつか自分が取りたい映画を撮り、イベントとしての「映画」を上映することを夢見て・・・。
冗長なシナリオだった。話を終えられる程度の盛りあがりがいくつかあって、それに疲れた。全般に映画へのオマージュが溢れている。逆に言えば、そこでネタになっている映画を知らない観客は置いて行かれてしまう。 伝えたいことは判るし、演出も面白かったが、話をもう少し纏められなかったのだろうか? 映画でいえば、編集作業が甘い感じ。主題があいまいになっている。回想を再演と考えれば、見終わって思い浮かべるときに、それぞれのシーンの強度が均一なので「この劇はこのシーン」というのが浮かんでこない。「これは「映画」を切り売りしているミフネと「性/聖」を切り売りしているマリアのアイデンティティ拡散を示している構造だったのか?」などと妄想される。
出演していた役者の演技はベテランの赤塚真人さんや麻生敬さん、若手の根本博成さんや増田未亜さんなどしっかりとしたものだった。増田未亜さんの役者としての成長を見守っているものとして嬉しかった。いつか、あの役をやれるほどの高みまで達してほしい。
場面転換および劇のテーマとして歌手のフジカワレイコ(−>リンク)さんの生歌が使われていた。特に最後に歌った彼女の歌は惹かれるものがあり、ある意味、一番美味しい役だったかもしれない。思わず、CDを購入してしまった。劇で使われた「青い地平線」という歌が気に入った。
この出会いを演出してくれた人達に感謝。
夜、EZ!TVを見る。「お水の花道」ということで、新宿NO.1のキャバクラ嬢の青木沙里菜さん(ちょっと記憶が曖昧)の仕事振りを特集していた。彼女が動くと500名はいるというファンも動くという。大金の報酬を約束する銀座へのスカウトも多い。しかし、彼女は新宿で頑張りつづける。何故ですか?という取材者の問いに対し、「お金のためじゃない。名前を残すため。止めた後も語り継がれるように。」と答えていた。これを見てのコメンテーターのわかってなさ。「でも、どうせお金と名声のだめでしょう」それに頷くスタジオ一同。
「名声」という言葉を使うな。戦士に対し使うべきは「名誉」だろう。何故ならば、彼女が求めているのは今、与えられるものではなく、戦場を去った後に残す/残されるものだからだ。今は金のためは当たり前。ならば、コメンテーターは何の為にそこにいるのか?自ら軽く揶揄するように発した言葉が、最も自分を傷つける浅ましさを表出しているのに気が付かない。
20代の女が月に100万稼いでいることそのものは決しておかしくない。自らを元手としたサービス業のベンチャーと捕らえるならば。実際、真面目に仕事をこなしているではないか。一人で生きているではないか。そのための城を買おうとしているではないか。
彼らの「・・・別にいいけどね。でも・・・」という残酷な暗喩、呪詛の言葉の方が余程おぞましい。
「Papa told me」のエピソード「アーバン キャッツ」が思い起こされた。
自分でこの街を選んでしまったんだから
年とった女に優しい街なんかどこにも無い
それなら少しでも好きな場所で
悲しい目にあわずに暮らしたいじゃない
だから私のところへいらっしゃい
一緒に生きましょうよ この街で
違う歌を聞く 違う夢を見る
それでもいつか 同じひとつの空の色を
思い出してしまうかもしれないけど
そんな時は 少しずつ背を向けて
微笑みましょう 私たちは
誰のものでもない 私たちは
TV語録:諏訪内晶子さん
「ヴァイオリンで連想されることはなんですか?」に対し、「歌・・・ですね」
『金融腐食列島呪縛』という映画の脚本を書いて注目された鈴木智さんが書いたということで(映画を見ていないにも関わらず)期待していた。
中目黒駅を出て、チケットを融通してくれる人と合流。中目黒ウッディーシアターに赴く。狭い中に椅子を限界まで並べてあるが、それも埋まってしまった。18時開演。近未来。人工太陽で闇を追い払った日本。闇は禁忌とされ、それを必要とする映画の上映やライブは禁止されている。その処置前に刑務所に入っていた映画監督ミフネ(赤塚真人)が出所してきたところから話は始まる。浮浪者の少女マリア(増田未亜)達と出会い、裏稼業としての映画製作を行う。いつか自分が取りたい映画を撮り、イベントとしての「映画」を上映することを夢見て・・・。
冗長なシナリオだった。話を終えられる程度の盛りあがりがいくつかあって、それに疲れた。全般に映画へのオマージュが溢れている。逆に言えば、そこでネタになっている映画を知らない観客は置いて行かれてしまう。 伝えたいことは判るし、演出も面白かったが、話をもう少し纏められなかったのだろうか? 映画でいえば、編集作業が甘い感じ。主題があいまいになっている。回想を再演と考えれば、見終わって思い浮かべるときに、それぞれのシーンの強度が均一なので「この劇はこのシーン」というのが浮かんでこない。「これは「映画」を切り売りしているミフネと「性/聖」を切り売りしているマリアのアイデンティティ拡散を示している構造だったのか?」などと妄想される。
出演していた役者の演技はベテランの赤塚真人さんや麻生敬さん、若手の根本博成さんや増田未亜さんなどしっかりとしたものだった。増田未亜さんの役者としての成長を見守っているものとして嬉しかった。いつか、あの役をやれるほどの高みまで達してほしい。
場面転換および劇のテーマとして歌手のフジカワレイコ(−>リンク)さんの生歌が使われていた。特に最後に歌った彼女の歌は惹かれるものがあり、ある意味、一番美味しい役だったかもしれない。思わず、CDを購入してしまった。劇で使われた「青い地平線」という歌が気に入った。
この出会いを演出してくれた人達に感謝。
夜、EZ!TVを見る。「お水の花道」ということで、新宿NO.1のキャバクラ嬢の青木沙里菜さん(ちょっと記憶が曖昧)の仕事振りを特集していた。彼女が動くと500名はいるというファンも動くという。大金の報酬を約束する銀座へのスカウトも多い。しかし、彼女は新宿で頑張りつづける。何故ですか?という取材者の問いに対し、「お金のためじゃない。名前を残すため。止めた後も語り継がれるように。」と答えていた。これを見てのコメンテーターのわかってなさ。「でも、どうせお金と名声のだめでしょう」それに頷くスタジオ一同。
「名声」という言葉を使うな。戦士に対し使うべきは「名誉」だろう。何故ならば、彼女が求めているのは今、与えられるものではなく、戦場を去った後に残す/残されるものだからだ。今は金のためは当たり前。ならば、コメンテーターは何の為にそこにいるのか?自ら軽く揶揄するように発した言葉が、最も自分を傷つける浅ましさを表出しているのに気が付かない。
20代の女が月に100万稼いでいることそのものは決しておかしくない。自らを元手としたサービス業のベンチャーと捕らえるならば。実際、真面目に仕事をこなしているではないか。一人で生きているではないか。そのための城を買おうとしているではないか。
彼らの「・・・別にいいけどね。でも・・・」という残酷な暗喩、呪詛の言葉の方が余程おぞましい。
「Papa told me」のエピソード「アーバン キャッツ」が思い起こされた。
自分でこの街を選んでしまったんだから
年とった女に優しい街なんかどこにも無い
それなら少しでも好きな場所で
悲しい目にあわずに暮らしたいじゃない
だから私のところへいらっしゃい
一緒に生きましょうよ この街で
違う歌を聞く 違う夢を見る
それでもいつか 同じひとつの空の色を
思い出してしまうかもしれないけど
そんな時は 少しずつ背を向けて
微笑みましょう 私たちは
誰のものでもない 私たちは
TV語録:諏訪内晶子さん
「ヴァイオリンで連想されることはなんですか?」に対し、「歌・・・ですね」
いぬもあるけば・・・「TV三昧」
2001年6月30日 NHKの討論番組を見ていた。面子が豪華で飽きさせない討論だった。NHKがこの時期にあれほどの人を集めて討論番組を開くとは・・・。
で、それを見終わった後、NHK教育に変えてダラダラと何気なく見続けていた。そのうち「国宝探訪」という番組が始まった。今回は「瀟湘八景図」の紹介。「をを!漁村夕照図も出てるよ。そういえばこの間、根津美術館まで見に言ったなぁ。」などとぼんやり思いながら眺めていた。話は室町時代に巻物であった瀟湘八景図が切り分けたことを解説していた。「そういえば、そんなことを言っていたなぁ」
と、画面に見たことのある男性が。
「そうそう、竹内先生が・・・ガッ!!」
思い出していた当人が画面でいきなり出てくるというのは、そうあることじゃない。余りのことに周囲の部屋に響きわたる程の驚きの声を挙げてしまった。
そういえば、NHKと割と関わりがあると言っていた。が、たまたま付けていたTV。先週や来週ならばこの番組を見ていたとは限らない。不思議な縁を感じて、思いこんでしまった。
その後も、チャットをしながらTVを見続ける。NHKは印象深い番組をやってるねぇ。赤塚不二夫先生を取材した番組で安孫子先生の姿を拝見。赤塚先生は今、「点字漫画」を作っているらしい。なんやかんや言ったところで、トキワ荘の人は違うな。「人生、泣き笑いでやんす」という色紙の言葉が心に残る、そして・・・そして、気がつくと「こころの時代」の時間。ふふふ・・・(沈)。
「こころの時代」は「神の与えた試練とともに」というタイトル。ターミナル・ケアの充実に尽力する老医師の話。かつてバリバリの外科医で、メスを振るうことで患者を救いたいと考えていた。そして、「キリスト教徒である私は他の医師よりも患者の患者を愛せるんだ」という自負を持っていた。
いつしか、患者を救おうという思いが「私は患者を救えるんだ」という万能感にすり替わっていた・・・。しかし、彼の意図に反して切っても切っても治らない患者が出てくる。彼は「治療者」という力に振りまわされていた。外科的方法にこだわり、「人を救う力のある自分」というイメージに固執していた。
その「傲慢」は自分の娘の不慮の死と己のガン発病によってうち砕かれた。運命が角笛を鳴らし、それこそが「躓き」であることを悟らせた。そして気付く。「患者中心の医療ではなく自分中心の医療をやっていたことに」
この話は如何に「キリスト者」になることが難しいことかを教えてくれる。キリスト教徒=キリスト者ではないという事実。何かを信仰している。もしくは何かに使命に服している。それを1つの優越だと思い、振る舞った瞬間、誓いを破ったあの男のように全てを失ってしまう。いや、元々持っていなかったことに気付かされる。
この医師は今はターミナルケアを通して、誰にでも訪れる死の時を人生完成の時とできるように手助けすることを目指している。「治す」ことが出来ない患者に対して医師が取りうる態度を考えながら。
「傲慢さを捨てることの重要さ」
この事に関して、その前の番組であった赤塚先生の語りと重なるところがある気がする。
「何も知らない方がいい。何も知らないならば色々教えてもらえる。低地に水が流れるように。」
その後のニュース番組で歌声喫茶「カチューシャ」が閉店するというニュースを知る。カラオケの流行によって廃れてしまったという。歌声喫茶とカラオケ。似ているようでかなりベクトルが違う気がする。歌声喫茶は「皆で」という志向で歌うことそのものが目的。カラオケは「一人で」という志向で「如何に」歌うかという評価が目的。盆踊りとダンスの違いか。
さて、そういう前提の上で、面白い動きがある。「ザバうた」がそれだ。この動きを理解することによって、新たな市場が形成される可能性がある。ある意味、それ以上の影響力/世界構築能力を持つものが。キーワードはやはり「PBM」。
番組が変わった。京野菜のお話。伏見とうがらし、鷹峯とうがらし、万願寺とうがらし、賀茂なす、山科なす、九条ねぎ、壬生菜、みず菜。このうち知っているのは壬生菜とみず菜ぐらいだ。都市生活者は知らないし、近郷農業地帯の人も余り知らないが、かつて様々な種類の地域野菜があった。しかし、効率化を求める中で育てにくい種は捨てられた。「効率化ヲ求メル中デ育テニクイ○ハ捨テラレタ。」
最後に・・・「偏屈ばっかり言ってないで、TVぐらい普通に見ていろよ!」とツッコミを入れてみる。(大汗)
で、それを見終わった後、NHK教育に変えてダラダラと何気なく見続けていた。そのうち「国宝探訪」という番組が始まった。今回は「瀟湘八景図」の紹介。「をを!漁村夕照図も出てるよ。そういえばこの間、根津美術館まで見に言ったなぁ。」などとぼんやり思いながら眺めていた。話は室町時代に巻物であった瀟湘八景図が切り分けたことを解説していた。「そういえば、そんなことを言っていたなぁ」
と、画面に見たことのある男性が。
「そうそう、竹内先生が・・・ガッ!!」
思い出していた当人が画面でいきなり出てくるというのは、そうあることじゃない。余りのことに周囲の部屋に響きわたる程の驚きの声を挙げてしまった。
そういえば、NHKと割と関わりがあると言っていた。が、たまたま付けていたTV。先週や来週ならばこの番組を見ていたとは限らない。不思議な縁を感じて、思いこんでしまった。
その後も、チャットをしながらTVを見続ける。NHKは印象深い番組をやってるねぇ。赤塚不二夫先生を取材した番組で安孫子先生の姿を拝見。赤塚先生は今、「点字漫画」を作っているらしい。なんやかんや言ったところで、トキワ荘の人は違うな。「人生、泣き笑いでやんす」という色紙の言葉が心に残る、そして・・・そして、気がつくと「こころの時代」の時間。ふふふ・・・(沈)。
「こころの時代」は「神の与えた試練とともに」というタイトル。ターミナル・ケアの充実に尽力する老医師の話。かつてバリバリの外科医で、メスを振るうことで患者を救いたいと考えていた。そして、「キリスト教徒である私は他の医師よりも患者の患者を愛せるんだ」という自負を持っていた。
いつしか、患者を救おうという思いが「私は患者を救えるんだ」という万能感にすり替わっていた・・・。しかし、彼の意図に反して切っても切っても治らない患者が出てくる。彼は「治療者」という力に振りまわされていた。外科的方法にこだわり、「人を救う力のある自分」というイメージに固執していた。
その「傲慢」は自分の娘の不慮の死と己のガン発病によってうち砕かれた。運命が角笛を鳴らし、それこそが「躓き」であることを悟らせた。そして気付く。「患者中心の医療ではなく自分中心の医療をやっていたことに」
この話は如何に「キリスト者」になることが難しいことかを教えてくれる。キリスト教徒=キリスト者ではないという事実。何かを信仰している。もしくは何かに使命に服している。それを1つの優越だと思い、振る舞った瞬間、誓いを破ったあの男のように全てを失ってしまう。いや、元々持っていなかったことに気付かされる。
この医師は今はターミナルケアを通して、誰にでも訪れる死の時を人生完成の時とできるように手助けすることを目指している。「治す」ことが出来ない患者に対して医師が取りうる態度を考えながら。
「傲慢さを捨てることの重要さ」
この事に関して、その前の番組であった赤塚先生の語りと重なるところがある気がする。
「何も知らない方がいい。何も知らないならば色々教えてもらえる。低地に水が流れるように。」
その後のニュース番組で歌声喫茶「カチューシャ」が閉店するというニュースを知る。カラオケの流行によって廃れてしまったという。歌声喫茶とカラオケ。似ているようでかなりベクトルが違う気がする。歌声喫茶は「皆で」という志向で歌うことそのものが目的。カラオケは「一人で」という志向で「如何に」歌うかという評価が目的。盆踊りとダンスの違いか。
さて、そういう前提の上で、面白い動きがある。「ザバうた」がそれだ。この動きを理解することによって、新たな市場が形成される可能性がある。ある意味、それ以上の影響力/世界構築能力を持つものが。キーワードはやはり「PBM」。
番組が変わった。京野菜のお話。伏見とうがらし、鷹峯とうがらし、万願寺とうがらし、賀茂なす、山科なす、九条ねぎ、壬生菜、みず菜。このうち知っているのは壬生菜とみず菜ぐらいだ。都市生活者は知らないし、近郷農業地帯の人も余り知らないが、かつて様々な種類の地域野菜があった。しかし、効率化を求める中で育てにくい種は捨てられた。「効率化ヲ求メル中デ育テニクイ○ハ捨テラレタ。」
最後に・・・「偏屈ばっかり言ってないで、TVぐらい普通に見ていろよ!」とツッコミを入れてみる。(大汗)
いぬもあるけば・・・「音と音を紡ぎ合わせる」
2001年6月29日 ソーイングマシーンのライブ。吉祥寺MANDALA2。19:30過ぎに着く。ライブはまだ始まっていなかった。というか・・・考えていた以上にお客が少ない。それでもお子さん連れの女性など彼らのファンらしき人が見て取れる。
ボーカルの永井さん、先日まで喉をやってしまってしゃべることもドクターストップが掛かっていたらしい。サポーターのさつきさんから聞いていたので、大丈夫だろうかと心配だった。
最初の歌声はかなり硬いものだった。やはり、喉の調子が悪いのか・・と思ったが段々良くなってくる。実は「武蔵野青年浪漫フォーク」を標榜する彼ら故、このハコも何回か演奏したことがあるのかと思っていたのだが、マンダラ2はどうやら今回が初めてだったらしい。つまり緊張していたってこと・・・。それは他のメンバーにもあったようだ。全体的に硬かった気がしていた。「天窓」でやっていたときはもっとノリが良かった。ベースの宇野さんは割と相変わらずだったけど。そういえば、宇野さんは今回、ウッドベースとハイハットだけでなく、ピアノも演奏していた。まだ引き出しはありそうだ。
2〜3歳ぐらいの女の子が、テーブルの上に乗ったりして楽しんでいる様子が微笑ましかった。対バン目当てで来ている団体さんの娘さんがヴォーカル真ん前で寝ている様子が苦笑ましかった。
最初はどうなることかと思ったが、途中から良い感じになって愉しめた。
対バンはベテラン奏者によるユニット。どこかで見たことのある人達。バンドリーダーのベーシスト、どこかで見たことあるよ〜。でも、思い出せない。絶対、一度ステージを見ているはずなのだが・・・。
彼らが奏しているフュージョン系インストゥルメンタルのライブにこれほど多彩なお客が詰めかけるとは思わなかった。意外だ。いや、客層から想像していたライブではなかったので。
ソーイングマシーンと対バンは方向性がかなり違った。ソーイングマシーンを聞きに来ていた私にとって、対バンの演奏はレベルが高いことを認識することが出来ても、聞き続けるのはちと辛かった。ソーイングマシーンの演奏時間が40分ぐらいに対し、彼らの演奏時間は倍だった。お陰でするつもりがなかったのに何回か意識が飛んでしまった。
ライブ終了後、ハコの前でダラダラお話。ペチカというグループのメンバーが見に来ていた。7/24にMANDALA2でライブをするらしい。アコギ、ベース、ドラムに、フィドル、マンドリンなどを加えたアコースティックな編成という話から、かなり気になる。・・・うっ、残念ながらこの日は浜田山ちびっこ祭りの日だ。「ぱぶりか」が今回も出演する、トンデモイベント。掛け持ちして駆け付けるというのもなぁ。ぐふぅ。
ライブといば、7/2に斎藤ネコストリングカルテット(通称ネコカル)のライブがMANDALA2であることを知って、思わず買ってしまった。秋葉原に買い出しに出掛ける用があるのだが、そのまま吉祥寺に向かうことになりそうだ。
こうやってチェック対象が、人の輪が広がってゆく。1つ立てたフラグが、次々イベント発生を呼び込んでゆく・・・
その後、誘われるままに打ち上げに参加。場所はぱぶりかの打ち上げでもお馴染みの魚民。混んでいるから2時間限定と個室に通されるところもデジャビュを感じる。気にしないで、呑む、話す、呑む、話・・・。今日のライブの感想を言ったり、バンド名の意味するところを聞いたり。
そして、またやってしまった。「あ゛、終電、もうない・・・」3秒悩む。次の瞬間、気を取り直してグラスを手に取った。何、終電が行ってしまっても、始発が来る。ほんの4、5時間後に。
とはいえ、全員が始発まで残るつもりでいた訳ではない。終電が間に合う人達は帰って行く。気が付くと、残ったのはソーイングマシーンのメンバーとさつきさんと私だけ。う゛ーむ。この展開もデジャビュを感じるゾ。き、気にしない、気にしない。打ち上げに参加して朝までなんてよくある事、よくある事(大汗)。
しばらく呑んでいるとラストオーダーの声。限定時間が過ぎたということらしい。個室を出るから、そのまま居ても良いかを交渉したが、さすがバイトくん、素晴らしい融通のつき具合。ダメだった。
仕方ないので別の店を探す。すぐ近くに朝までやっている居酒屋発見。なだれ込んで、飲み直す。さつきさんがメンバーの凄い表情を激写してしまうなどイベント発生。色々話をしたりして、気がつくと5:30。時が経つのが早すぎる・・・。
店を出ると・・・驚くほど明るかった。気分的には8時ぐらい。うーん、なんだか。
早朝の中央線に乗って帰宅。どうにか乗り過ごすことはなかったが、車中、ほとんど意識を失っていた。
ボーカルの永井さん、先日まで喉をやってしまってしゃべることもドクターストップが掛かっていたらしい。サポーターのさつきさんから聞いていたので、大丈夫だろうかと心配だった。
最初の歌声はかなり硬いものだった。やはり、喉の調子が悪いのか・・と思ったが段々良くなってくる。実は「武蔵野青年浪漫フォーク」を標榜する彼ら故、このハコも何回か演奏したことがあるのかと思っていたのだが、マンダラ2はどうやら今回が初めてだったらしい。つまり緊張していたってこと・・・。それは他のメンバーにもあったようだ。全体的に硬かった気がしていた。「天窓」でやっていたときはもっとノリが良かった。ベースの宇野さんは割と相変わらずだったけど。そういえば、宇野さんは今回、ウッドベースとハイハットだけでなく、ピアノも演奏していた。まだ引き出しはありそうだ。
2〜3歳ぐらいの女の子が、テーブルの上に乗ったりして楽しんでいる様子が微笑ましかった。対バン目当てで来ている団体さんの娘さんがヴォーカル真ん前で寝ている様子が苦笑ましかった。
最初はどうなることかと思ったが、途中から良い感じになって愉しめた。
対バンはベテラン奏者によるユニット。どこかで見たことのある人達。バンドリーダーのベーシスト、どこかで見たことあるよ〜。でも、思い出せない。絶対、一度ステージを見ているはずなのだが・・・。
彼らが奏しているフュージョン系インストゥルメンタルのライブにこれほど多彩なお客が詰めかけるとは思わなかった。意外だ。いや、客層から想像していたライブではなかったので。
ソーイングマシーンと対バンは方向性がかなり違った。ソーイングマシーンを聞きに来ていた私にとって、対バンの演奏はレベルが高いことを認識することが出来ても、聞き続けるのはちと辛かった。ソーイングマシーンの演奏時間が40分ぐらいに対し、彼らの演奏時間は倍だった。お陰でするつもりがなかったのに何回か意識が飛んでしまった。
ライブ終了後、ハコの前でダラダラお話。ペチカというグループのメンバーが見に来ていた。7/24にMANDALA2でライブをするらしい。アコギ、ベース、ドラムに、フィドル、マンドリンなどを加えたアコースティックな編成という話から、かなり気になる。・・・うっ、残念ながらこの日は浜田山ちびっこ祭りの日だ。「ぱぶりか」が今回も出演する、トンデモイベント。掛け持ちして駆け付けるというのもなぁ。ぐふぅ。
ライブといば、7/2に斎藤ネコストリングカルテット(通称ネコカル)のライブがMANDALA2であることを知って、思わず買ってしまった。秋葉原に買い出しに出掛ける用があるのだが、そのまま吉祥寺に向かうことになりそうだ。
こうやってチェック対象が、人の輪が広がってゆく。1つ立てたフラグが、次々イベント発生を呼び込んでゆく・・・
その後、誘われるままに打ち上げに参加。場所はぱぶりかの打ち上げでもお馴染みの魚民。混んでいるから2時間限定と個室に通されるところもデジャビュを感じる。気にしないで、呑む、話す、呑む、話・・・。今日のライブの感想を言ったり、バンド名の意味するところを聞いたり。
そして、またやってしまった。「あ゛、終電、もうない・・・」3秒悩む。次の瞬間、気を取り直してグラスを手に取った。何、終電が行ってしまっても、始発が来る。ほんの4、5時間後に。
とはいえ、全員が始発まで残るつもりでいた訳ではない。終電が間に合う人達は帰って行く。気が付くと、残ったのはソーイングマシーンのメンバーとさつきさんと私だけ。う゛ーむ。この展開もデジャビュを感じるゾ。き、気にしない、気にしない。打ち上げに参加して朝までなんてよくある事、よくある事(大汗)。
しばらく呑んでいるとラストオーダーの声。限定時間が過ぎたということらしい。個室を出るから、そのまま居ても良いかを交渉したが、さすがバイトくん、素晴らしい融通のつき具合。ダメだった。
仕方ないので別の店を探す。すぐ近くに朝までやっている居酒屋発見。なだれ込んで、飲み直す。さつきさんがメンバーの凄い表情を激写してしまうなどイベント発生。色々話をしたりして、気がつくと5:30。時が経つのが早すぎる・・・。
店を出ると・・・驚くほど明るかった。気分的には8時ぐらい。うーん、なんだか。
早朝の中央線に乗って帰宅。どうにか乗り過ごすことはなかったが、車中、ほとんど意識を失っていた。
いぬもあるけば・・・「1粒で・・・」
2001年6月28日 ぱぶりか関係で知った2つのバンドが偶々同じハコでライブをするという話を聴いた。どちらも見に行きたいと思っていたバンドだったので、行けるように努力した。
場所は渋谷エッグサイト。見たいバンドは「サザンハリケーン」と「高速スパム」。20時ちょっと前に会場に着いた。
丁度、サザンハリケーンの1曲目だった。このバンドの魅力はそのパフォーマンス、その場限りの危うさというかヤバさにあると思う。ヴォーカルの梅沢さんの何かに憑かれたような、先の見えない展開に惹き付けられる。そこに彼らの「ロック」があるような気がする。そういう点において彼らはライブ志向のバンドだろう。
しかし、今回のライブではそういう部分はかなり押さえられていた。意識して押さえているのか、それとも別の要因か。見に来ていたてつやさんも感じ取っていたようだ。彼女の場合、ステージに立つ側でもあるので私よりももっとそういうのは敏感だ。彼らのチラシの文章「これが魂のロック・・・云々」。前はそんな大げさな表現を受け入れさせるパワーというか「何か」がある演奏だったのだが、今日は少し虚しい。
ライブ終了後の話で試行錯誤していると言っていたから、今回は意識して暴走を押さえていたようだ。暴走をコントロールすることで、ライブを演出することが可能になる。逆に言えば、演出することによって、暴走の力を殺してしまう。ストリートでは前のようなノリになってしまうこともあるという。いつかストリートでの彼らを見てみよう。それまで判断保留ということで。
次のバンドは・・・なんと言ったらいいか・・・「空回り」している感のあるバンドだった。まとまりがないというか、分裂的というか・・。それが魅力になるまで達していない中途半端さが痛々しい。
最後が、「高速スパム」。見るまで私は個人ユニットだと思っていたが、実際はバンドだった。名前から連想される、鋭さというかキレというかグルグル感(何だそれは?!)が思ったより感じられなかったのが残念。バンドとしての完成度は割と高かったと思う。
場所は渋谷エッグサイト。見たいバンドは「サザンハリケーン」と「高速スパム」。20時ちょっと前に会場に着いた。
丁度、サザンハリケーンの1曲目だった。このバンドの魅力はそのパフォーマンス、その場限りの危うさというかヤバさにあると思う。ヴォーカルの梅沢さんの何かに憑かれたような、先の見えない展開に惹き付けられる。そこに彼らの「ロック」があるような気がする。そういう点において彼らはライブ志向のバンドだろう。
しかし、今回のライブではそういう部分はかなり押さえられていた。意識して押さえているのか、それとも別の要因か。見に来ていたてつやさんも感じ取っていたようだ。彼女の場合、ステージに立つ側でもあるので私よりももっとそういうのは敏感だ。彼らのチラシの文章「これが魂のロック・・・云々」。前はそんな大げさな表現を受け入れさせるパワーというか「何か」がある演奏だったのだが、今日は少し虚しい。
ライブ終了後の話で試行錯誤していると言っていたから、今回は意識して暴走を押さえていたようだ。暴走をコントロールすることで、ライブを演出することが可能になる。逆に言えば、演出することによって、暴走の力を殺してしまう。ストリートでは前のようなノリになってしまうこともあるという。いつかストリートでの彼らを見てみよう。それまで判断保留ということで。
次のバンドは・・・なんと言ったらいいか・・・「空回り」している感のあるバンドだった。まとまりがないというか、分裂的というか・・。それが魅力になるまで達していない中途半端さが痛々しい。
最後が、「高速スパム」。見るまで私は個人ユニットだと思っていたが、実際はバンドだった。名前から連想される、鋭さというかキレというかグルグル感(何だそれは?!)が思ったより感じられなかったのが残念。バンドとしての完成度は割と高かったと思う。
いぬもあるけば・・・「う、羨ましい〜っ!」
2001年6月27日 日蝕ツアーから帰ってきた友人達から、ツアーの様子を伝えるメールが届きだした。詳細はいつかあるだろう報告会という名の飲み会で明らかになるだろうが、すでに届いているメールだけでももう十分なほど凄いツアーだったことが判る。
ケープポイントでの記念写真がメールで送られている状況で「うーむ、滅多にない機会を逃したかも」と思ったが、その後の話を聞いて地団駄踏んでしまった。
やはりザンビアは快晴で皆既日蝕を見るのに絶好だったようだ。ダイヤモンドリングは言うに及ばず、360度広がる夕焼けの光景(その凄さはなかなか理解してもらえないのであるが)、黒い太陽、そして白く輝くコロナ。皆、完璧だったようだ。それだけでない、今回最初のダイヤモンドリングの輝きを捨てて、地表のシャドウバンドの観測を行っている。観測だけでももう十分。
帰ってきてから送られた画像にはペンギンの群や可愛いライオンの子供が。怪しいのはきっちりスーツ姿で決めている3人。必要最低限の荷物しか持っていかない主義の彼らに何があったのか?不思議に思っていたら、後の報告で真相が明らかになった。
それは帰り、南アフリカ共和国への帰途。行きは飛行機の乗り継ぎにサファリをバスでという道のりだったのだが、帰りはなんと超豪華な列車旅。日本円で1泊10数万って・・・。どうやらオリエント急行のアフリカ版といったものらしい。シャワー付き、冷蔵庫付きのゆったりした個室。冷蔵庫にあるシャンパンなど飲み放題。「2両に一人ずつ“執事”が付いている」という文の意味が判らない。つまり彼らのスーツ姿はその豪華列車に乗るためのものだったのだ。おそらくは「乗り込んですぐに食堂車に行き、そこで食事もしくはパーティを楽しんでいる間にゆっくりと列車が発車する」という世界。車両の最後尾には昼にはアフリカの自然が、夜には南十字星を初めとした星空がまるで銀河鉄道に乗っているが如く楽しめる展望車があったという。星空を愛でながら語り合う・・・。
ふぅ、彼らのメールの内容をこうしてまとめているのが虚しくなってくるッス。先立つものがなかったけど、行けばよかったかなぁ・・・(涙)。
ケープポイントでの記念写真がメールで送られている状況で「うーむ、滅多にない機会を逃したかも」と思ったが、その後の話を聞いて地団駄踏んでしまった。
やはりザンビアは快晴で皆既日蝕を見るのに絶好だったようだ。ダイヤモンドリングは言うに及ばず、360度広がる夕焼けの光景(その凄さはなかなか理解してもらえないのであるが)、黒い太陽、そして白く輝くコロナ。皆、完璧だったようだ。それだけでない、今回最初のダイヤモンドリングの輝きを捨てて、地表のシャドウバンドの観測を行っている。観測だけでももう十分。
帰ってきてから送られた画像にはペンギンの群や可愛いライオンの子供が。怪しいのはきっちりスーツ姿で決めている3人。必要最低限の荷物しか持っていかない主義の彼らに何があったのか?不思議に思っていたら、後の報告で真相が明らかになった。
それは帰り、南アフリカ共和国への帰途。行きは飛行機の乗り継ぎにサファリをバスでという道のりだったのだが、帰りはなんと超豪華な列車旅。日本円で1泊10数万って・・・。どうやらオリエント急行のアフリカ版といったものらしい。シャワー付き、冷蔵庫付きのゆったりした個室。冷蔵庫にあるシャンパンなど飲み放題。「2両に一人ずつ“執事”が付いている」という文の意味が判らない。つまり彼らのスーツ姿はその豪華列車に乗るためのものだったのだ。おそらくは「乗り込んですぐに食堂車に行き、そこで食事もしくはパーティを楽しんでいる間にゆっくりと列車が発車する」という世界。車両の最後尾には昼にはアフリカの自然が、夜には南十字星を初めとした星空がまるで銀河鉄道に乗っているが如く楽しめる展望車があったという。星空を愛でながら語り合う・・・。
ふぅ、彼らのメールの内容をこうしてまとめているのが虚しくなってくるッス。先立つものがなかったけど、行けばよかったかなぁ・・・(涙)。
いぬもあるけば・・・「タダ券」
2001年6月26日 先日、ぴあから無料ライブの招待券が送られてきた。
「おめでとうございます この度は、弊社の読者プレゼントへご応募いただき、誠に有り難うございます。厳選なる抽選の結果、貴方様の当選が決定いたしましたので、・・・」 あの・・応募していないんですけど(苦笑)。
どこかの怪しい士商法の勧誘の手口みたいだ。恐らくザバダックが関係するマグネットが営業としてばらまいたのだろう。チケットにはしっかり「満員の際にはお断りすることがあります」と書かれている。ばらまいた枚数全員は来ないだろうし、来た場合はこの1文で切り捨てることができる。 ザバファン仲間のBBSでも、チケットが送られてきたと話題になっていた。
送られてきたチケットはマグネットがプッシュしている林邦洋さんが出演する、ぴあ主催のライブイベント「ぴあデビューレビュー」。彼以外にもCOATZ、newton circusというバンドが対バンとして出演するらしい。林さんの演奏はザバダックのライブのオープニングアクトとして聴いたことが一度ある。「若い」歌だったことを記憶している。
最近、注目されつつある様子。おそらく前よりも歌もこなれてきたり、新曲も出たりしているのだろう。
折角なので、見に行くことにした。会場である渋谷ON AIR WESTに20時頃に到着、最初のバンド「newton circus」の演奏はすでに終わっていて、林邦洋さんの歌が受け付けをしているときに聞こえてきた。中に入ると、大勢の観客がいた。学生が多いようだ。また後から続々と入ってくる。
林さんを見て最初に思ったのは「前よりもルックス、良くなっているんじゃないか?」だった(失礼)。オープニングアクトのときは期待の新人ということもあって、かなり野暮ったいイメージがあった。今はそれがない。全国、インストアライブで回ったりしている実績が出てきているのだろうか。何気なく聴かせるのではなく、きちんと聴かせる歌になりつつあるようだ。若い吉良さんがロックに力をいれているような感じ。詩の内容も若いし、歌い方もフォークとロックの間にあるような感じ。
聴きながら、周りのお客を観察してみると、皆きちんと聴いている。「こういう歌も受け入れられているんだ」と驚いた。多少、マニアックというかヒットチャートを賑わしているメロディラインとは異なる歌なので、正直余り売れていないのではと考えていた。少々、いやかなり見くびっていたようだ。 個人的に嫌いではない歌を歌っている。頑張ってほしいと思ったし、この雰囲気からもう少しすればブレイクする、少なくとも一定の場を確保するのではないかと思った。「ザバダックよりもメジャーになってしまうのか・・・」歌を聴きながら、そういう考えが浮かんで苦笑してしまった。
次のバンドの「COATZ」。これもちゃんと聴かせるバンドだった。キャッチーな歌をいくつか持っている。そう遠くないうちに色々なところでバンド名を目にするのではないだろうか?歌を聴きながら、「80年代はアルフィー、90年代はB’z、そして00年代はCが頭文字のバンドが何かをやらかす・・・とかだったら面白いな」などという妄想に耽っていた自分。
突然、送りつけられたチケットだったが面白い演奏を聴くことができたと思う。知り合いに合わなかったことからすると、私以外にはザバダックファンの人は余り来なかったようだが。営業って大変だね〜。
「おめでとうございます この度は、弊社の読者プレゼントへご応募いただき、誠に有り難うございます。厳選なる抽選の結果、貴方様の当選が決定いたしましたので、・・・」 あの・・応募していないんですけど(苦笑)。
どこかの怪しい士商法の勧誘の手口みたいだ。恐らくザバダックが関係するマグネットが営業としてばらまいたのだろう。チケットにはしっかり「満員の際にはお断りすることがあります」と書かれている。ばらまいた枚数全員は来ないだろうし、来た場合はこの1文で切り捨てることができる。 ザバファン仲間のBBSでも、チケットが送られてきたと話題になっていた。
送られてきたチケットはマグネットがプッシュしている林邦洋さんが出演する、ぴあ主催のライブイベント「ぴあデビューレビュー」。彼以外にもCOATZ、newton circusというバンドが対バンとして出演するらしい。林さんの演奏はザバダックのライブのオープニングアクトとして聴いたことが一度ある。「若い」歌だったことを記憶している。
最近、注目されつつある様子。おそらく前よりも歌もこなれてきたり、新曲も出たりしているのだろう。
折角なので、見に行くことにした。会場である渋谷ON AIR WESTに20時頃に到着、最初のバンド「newton circus」の演奏はすでに終わっていて、林邦洋さんの歌が受け付けをしているときに聞こえてきた。中に入ると、大勢の観客がいた。学生が多いようだ。また後から続々と入ってくる。
林さんを見て最初に思ったのは「前よりもルックス、良くなっているんじゃないか?」だった(失礼)。オープニングアクトのときは期待の新人ということもあって、かなり野暮ったいイメージがあった。今はそれがない。全国、インストアライブで回ったりしている実績が出てきているのだろうか。何気なく聴かせるのではなく、きちんと聴かせる歌になりつつあるようだ。若い吉良さんがロックに力をいれているような感じ。詩の内容も若いし、歌い方もフォークとロックの間にあるような感じ。
聴きながら、周りのお客を観察してみると、皆きちんと聴いている。「こういう歌も受け入れられているんだ」と驚いた。多少、マニアックというかヒットチャートを賑わしているメロディラインとは異なる歌なので、正直余り売れていないのではと考えていた。少々、いやかなり見くびっていたようだ。 個人的に嫌いではない歌を歌っている。頑張ってほしいと思ったし、この雰囲気からもう少しすればブレイクする、少なくとも一定の場を確保するのではないかと思った。「ザバダックよりもメジャーになってしまうのか・・・」歌を聴きながら、そういう考えが浮かんで苦笑してしまった。
次のバンドの「COATZ」。これもちゃんと聴かせるバンドだった。キャッチーな歌をいくつか持っている。そう遠くないうちに色々なところでバンド名を目にするのではないだろうか?歌を聴きながら、「80年代はアルフィー、90年代はB’z、そして00年代はCが頭文字のバンドが何かをやらかす・・・とかだったら面白いな」などという妄想に耽っていた自分。
突然、送りつけられたチケットだったが面白い演奏を聴くことができたと思う。知り合いに合わなかったことからすると、私以外にはザバダックファンの人は余り来なかったようだが。営業って大変だね〜。
いぬもあるけば・・・「Pure Soul」
2001年6月25日 祖母の命日。
出張は空調のトラブルでめちゃくちゃ寒かったことなどを除けば順調だった。スムーズに帰宅する・・はずだった。駅を降り、自室への道のりにある八百屋で野菜を買おうと思って足を停めた瞬間。カチッ・・・ガチャッという音。何だろ?足元を見つつ、左腕が軽くなっているのに気付く。側溝に腕時計が落ちていた。
ガ〜ッ!慌てて格子状の金蓋を引き上げ、手を延ばす。金蓋はぬめっていた。幸い、水は浅く、穴も深くなかったためにすぐに取り出すことができた。脇の水道で時計を軽くすすいで拭く。耐水5気圧ものなので、浸水はしていない。ただ落下時の衝撃で針が止まっていた。ネジを回してみると動き出す。どうやら大事に至らなかったようだ。しかし、流石に野菜を買う気がなくなり、真っ直ぐ自室にもどった。
この機械式スケルトン腕時計には思い入れがある。とはいえ値段的にも対したものではない。どんなメーカーで作られたのか。ENICARというメーカーが本当にスイスにあるのだろうか?それすら疑わしくなるような時計専門量販店で購入したもの。社会人になるのに際して購入した。その購入資金が祖母からの、祖父の戦死遺族年金から出された祝い金であること。そういう意味で、この時計は私にとって形見に近い。
酒を飲みながら、TVを適当に見ていた。6月も終わりとなると最終回になるドラマも多い。日テレ系のドラマ「ピュアソウル」を見ていた。設定を知ったときは余りにコテコテだったので、敬遠していたドラマだ。淡々と話が進んで行く。 先程の出来事のせい?酒のせい?どちらかの、もしくは複合によって変異意識状態になったのか・・・。ドラマを見ながら考えや思いが浮かび上がる。
愛する人を失うことと、愛する人を愛していたことを忘れてしまうこと。どちらが哀しいだろうか?
それが鍵となって、パタパタパタと記憶とイメージのページが勝手に捲られてゆく。
パタパタパタ・・牛山茂さん演じるチャーリー・ゴードンの姿が思い浮かんだ。「アルジャーノンに花束を」という小説は主人公の「日記」を通して話が進む。これに対し、「アルジャーノンに花束を」という劇は主人公以外の人々の視線も混ぜ合わせる。
知性の発達したチャーリーを愛したアリス・キニアンの目を通して、物語を読む。妹ノーマの目を通して、物語を読む。このとき、アリスは浩介、ノーマはひまわりそしてチャーリーは薫に重なる。
完全に知性が後退しきってしまった後、愛したチャーリーが養護学校の生徒として教師アニスの目の前に再び現れる。アニスが愛したチャーリーはいない。語らい、触れ合った記憶を彼が未だ持っているのか?あるとしてもその記憶を認識できないならば失われてしまったのと同じ。アニスはただ一人、そのときの思いを胸に抱え、教師として彼に接しなければならない。かつてどれほど愛しあっていたとしても、もう彼はアニスの思いに答えることは二度とできないのだ。
ノーマにとっての兄は今や知性が後退する前にであった立派な兄しかいない。研究で多忙で合いにくることができないけれど、大金を送ってくれた。立派な兄のお陰でこれから幸せになれる・・・。昔のサイテ−な兄が、元に戻ってしまった兄が彼女の心に占める場所はない。
浩介:「お母さんは天国にいるんだよ・・・」
パタパタパタ・・榛野なな恵の「Papa told me」で最も好きなエピソード「スノー フレイク」が思い浮かんでしまった。亡き妻を想う信吉の独白が思い出されて胸がつまる。
高い遠い所から 空の彼方から
誰かの手が 雪をふらす
白い手が
白く 優しく あたたかく なつかしい手が
君が―――
君はそこにいる 僕はここにいる
つまり それだけの違いだ
そして僕は ここにいる僕は
君のかわりに 君の夢や望みを
かなえることが きっとできる
遠く高く はるか彼方から
優しい手が・・・
パタパタパタ・・命掛けて守るという誓い。しかし守るべき人は今はいない。残されたのは内なる誓いのみ。
様々なイメージが連想によって立ち現れてきた。そして、酔いに任せて、大人気無いことになっている私がいた。ダサ〜(苦笑)
出張は空調のトラブルでめちゃくちゃ寒かったことなどを除けば順調だった。スムーズに帰宅する・・はずだった。駅を降り、自室への道のりにある八百屋で野菜を買おうと思って足を停めた瞬間。カチッ・・・ガチャッという音。何だろ?足元を見つつ、左腕が軽くなっているのに気付く。側溝に腕時計が落ちていた。
ガ〜ッ!慌てて格子状の金蓋を引き上げ、手を延ばす。金蓋はぬめっていた。幸い、水は浅く、穴も深くなかったためにすぐに取り出すことができた。脇の水道で時計を軽くすすいで拭く。耐水5気圧ものなので、浸水はしていない。ただ落下時の衝撃で針が止まっていた。ネジを回してみると動き出す。どうやら大事に至らなかったようだ。しかし、流石に野菜を買う気がなくなり、真っ直ぐ自室にもどった。
この機械式スケルトン腕時計には思い入れがある。とはいえ値段的にも対したものではない。どんなメーカーで作られたのか。ENICARというメーカーが本当にスイスにあるのだろうか?それすら疑わしくなるような時計専門量販店で購入したもの。社会人になるのに際して購入した。その購入資金が祖母からの、祖父の戦死遺族年金から出された祝い金であること。そういう意味で、この時計は私にとって形見に近い。
酒を飲みながら、TVを適当に見ていた。6月も終わりとなると最終回になるドラマも多い。日テレ系のドラマ「ピュアソウル」を見ていた。設定を知ったときは余りにコテコテだったので、敬遠していたドラマだ。淡々と話が進んで行く。 先程の出来事のせい?酒のせい?どちらかの、もしくは複合によって変異意識状態になったのか・・・。ドラマを見ながら考えや思いが浮かび上がる。
愛する人を失うことと、愛する人を愛していたことを忘れてしまうこと。どちらが哀しいだろうか?
それが鍵となって、パタパタパタと記憶とイメージのページが勝手に捲られてゆく。
パタパタパタ・・牛山茂さん演じるチャーリー・ゴードンの姿が思い浮かんだ。「アルジャーノンに花束を」という小説は主人公の「日記」を通して話が進む。これに対し、「アルジャーノンに花束を」という劇は主人公以外の人々の視線も混ぜ合わせる。
知性の発達したチャーリーを愛したアリス・キニアンの目を通して、物語を読む。妹ノーマの目を通して、物語を読む。このとき、アリスは浩介、ノーマはひまわりそしてチャーリーは薫に重なる。
完全に知性が後退しきってしまった後、愛したチャーリーが養護学校の生徒として教師アニスの目の前に再び現れる。アニスが愛したチャーリーはいない。語らい、触れ合った記憶を彼が未だ持っているのか?あるとしてもその記憶を認識できないならば失われてしまったのと同じ。アニスはただ一人、そのときの思いを胸に抱え、教師として彼に接しなければならない。かつてどれほど愛しあっていたとしても、もう彼はアニスの思いに答えることは二度とできないのだ。
ノーマにとっての兄は今や知性が後退する前にであった立派な兄しかいない。研究で多忙で合いにくることができないけれど、大金を送ってくれた。立派な兄のお陰でこれから幸せになれる・・・。昔のサイテ−な兄が、元に戻ってしまった兄が彼女の心に占める場所はない。
浩介:「お母さんは天国にいるんだよ・・・」
パタパタパタ・・榛野なな恵の「Papa told me」で最も好きなエピソード「スノー フレイク」が思い浮かんでしまった。亡き妻を想う信吉の独白が思い出されて胸がつまる。
高い遠い所から 空の彼方から
誰かの手が 雪をふらす
白い手が
白く 優しく あたたかく なつかしい手が
君が―――
君はそこにいる 僕はここにいる
つまり それだけの違いだ
そして僕は ここにいる僕は
君のかわりに 君の夢や望みを
かなえることが きっとできる
遠く高く はるか彼方から
優しい手が・・・
パタパタパタ・・命掛けて守るという誓い。しかし守るべき人は今はいない。残されたのは内なる誓いのみ。
様々なイメージが連想によって立ち現れてきた。そして、酔いに任せて、大人気無いことになっている私がいた。ダサ〜(苦笑)
いぬもあるけば・・・「祖母の贈り物」
2001年6月24日 部屋に帰り着いたのが25時。寝たら始発に間に合う自信がない。寝過ごさないために、PBM関係のチャットに朝まで。実家付近の人が有明に向かうために早起きしていた。ふっ、すれ違いデスネ。
日帰りの予定なので、着替えを持たずに出発。車中で日記原稿を書くつもりが、意識を失ってばかり。
実家に着くと、新しい飼い犬「ポンタ」が迎えてくれた。まだモコモコした子犬。大人しくて人懐こい・・・番犬にはならないな。初めましての挨拶としてナデナデ。
少し休んでから叔父の家に向かった。祖母の一周忌の法要のため。それほど離れていない隣町。曇りなので暑くないのが助かる。喪服なので晴れたら大変だ。
法要が始まるまでの間、弟と久々に会話した。
これほどちゃんと話をしたのは何年ぶりだろう。弟も東京に住んでいて別に遠い訳ではない。それどころか、デザイナーとして働いている編集部が今は初台に戻ってきている。馴染みの居酒屋は隣駅の幡ヶ谷。雑誌編集は大変とはいえ、ある意味、今まで一緒に呑みに行っていない方が不思議。男同士の兄弟だとこんな感じなのだろう。
会話は専らこちらがあちらの近況を聴くような感じだった。驚いたのは弟がパラグライダーを始めたこと。普通のパラグライダーとは違う、エンジン付きのものでモーターパラグライダーとかパワードパラグライダー(なんかカッコイイ響き〜)と呼ばれているものなのだが。仕事で出会った人に誘われて、一日体験コースをやってみたという。私がやっていたときのものとどう違うのか興味津々。
午前中は立ち上げ練習をし、午後にはインストラクターとタンデムで空中散歩を楽しむというものらしい。タンデムすることで、いきなりかなりの高度まで行ける。ドキドキの体験だったのでは。話を聞いて、初めて地面から足が離れた瞬間や、高々度飛行のことなどを思い出した。
連れてもらった人が誰か知って驚いた。げ、マジっすか?さすがゲーム系雑誌。その話にも驚いたが、会場にいたというハイレベルな自称お医者さんの話。めちゃくちゃ上手いそうだ。で、その正体・・・パラシュート部隊。エリート中のエリートじゃない!何故、遊びまでもパラグライダーなんか?いつも降りるばかりだから、好きに上がりたくなったとか。高々度まで一気に上がり、上昇気流に乗せられながら昼寝をしているという。気持ちいいだろうなぁ。
風に乗る。対空速度が0になると、音が止む。静かな世界。ダイビングが色彩と生命賑やかな海の世界を覗く行為ならば、グライディングは光と風が織りなす静寂の世界に漂う行為。いいねぇ。
法事は無事終わり、私と弟は東京方面に電車で一緒に帰ることに。1ボックスを占拠した。お互い一人で帰るつもりだったために色々用意していたのだが、この状況で一人遊びに興じるのも変。なんとなくずっとおしゃべりしていた。互いの高校受験や高校生活の話やその後の日々のこと、弟が大プッシュしているギャグ漫画(ヒント:ガンプラ世代)の裏話など。この一日でここ何年分の会話をしたことだろう。
気が付くと赤羽駅。弟は乗り換え。「そのうち、幡ヶ谷で呑もう」そう声を掛けて別れた。
日帰りの予定なので、着替えを持たずに出発。車中で日記原稿を書くつもりが、意識を失ってばかり。
実家に着くと、新しい飼い犬「ポンタ」が迎えてくれた。まだモコモコした子犬。大人しくて人懐こい・・・番犬にはならないな。初めましての挨拶としてナデナデ。
少し休んでから叔父の家に向かった。祖母の一周忌の法要のため。それほど離れていない隣町。曇りなので暑くないのが助かる。喪服なので晴れたら大変だ。
法要が始まるまでの間、弟と久々に会話した。
これほどちゃんと話をしたのは何年ぶりだろう。弟も東京に住んでいて別に遠い訳ではない。それどころか、デザイナーとして働いている編集部が今は初台に戻ってきている。馴染みの居酒屋は隣駅の幡ヶ谷。雑誌編集は大変とはいえ、ある意味、今まで一緒に呑みに行っていない方が不思議。男同士の兄弟だとこんな感じなのだろう。
会話は専らこちらがあちらの近況を聴くような感じだった。驚いたのは弟がパラグライダーを始めたこと。普通のパラグライダーとは違う、エンジン付きのものでモーターパラグライダーとかパワードパラグライダー(なんかカッコイイ響き〜)と呼ばれているものなのだが。仕事で出会った人に誘われて、一日体験コースをやってみたという。私がやっていたときのものとどう違うのか興味津々。
午前中は立ち上げ練習をし、午後にはインストラクターとタンデムで空中散歩を楽しむというものらしい。タンデムすることで、いきなりかなりの高度まで行ける。ドキドキの体験だったのでは。話を聞いて、初めて地面から足が離れた瞬間や、高々度飛行のことなどを思い出した。
連れてもらった人が誰か知って驚いた。げ、マジっすか?さすがゲーム系雑誌。その話にも驚いたが、会場にいたというハイレベルな自称お医者さんの話。めちゃくちゃ上手いそうだ。で、その正体・・・パラシュート部隊。エリート中のエリートじゃない!何故、遊びまでもパラグライダーなんか?いつも降りるばかりだから、好きに上がりたくなったとか。高々度まで一気に上がり、上昇気流に乗せられながら昼寝をしているという。気持ちいいだろうなぁ。
風に乗る。対空速度が0になると、音が止む。静かな世界。ダイビングが色彩と生命賑やかな海の世界を覗く行為ならば、グライディングは光と風が織りなす静寂の世界に漂う行為。いいねぇ。
法事は無事終わり、私と弟は東京方面に電車で一緒に帰ることに。1ボックスを占拠した。お互い一人で帰るつもりだったために色々用意していたのだが、この状況で一人遊びに興じるのも変。なんとなくずっとおしゃべりしていた。互いの高校受験や高校生活の話やその後の日々のこと、弟が大プッシュしているギャグ漫画(ヒント:ガンプラ世代)の裏話など。この一日でここ何年分の会話をしたことだろう。
気が付くと赤羽駅。弟は乗り換え。「そのうち、幡ヶ谷で呑もう」そう声を掛けて別れた。
いぬもあるけば・・・「新じゃが」
2001年6月23日 映画を見に行くつもりが、映画のような夢を見ていた(汗)。夕方の催し物に一緒に行く人からの電話が終演のベル。待ち合わせの打ち合わせをすれば頭も醒めてくる。
で、夕方。待ち合わせ場所は携帯が繋がらない場所だった。え?AUは大丈夫だって?207だからかなぁ。新宿駅西口で使えないのはヤバイだろ。
ヨドバシカメラにちょっと寄った後、駅に向かう途中で携帯が鳴る。親からだ。今日中に帰省するのか、それとも明日の早朝なのかの問い合わせ。多分に当日早朝に帰ると言っておいたのだが、今日中に帰ってくると思っていたようだ。始発に乗れば間に合うはずと伝える。
どうにか無事に話が済み、会場である幡ヶ谷の居酒屋に向かう。今日の趣向はこういうもの。
> 居酒屋ライヴ第42弾の目玉は、川越の百姓 吉澤重造氏の登場です。
>日本有機農研、大地を守る会を通じて20数年にわたってお付き合い願
>い、店での冬野菜は全て彼に頼っています。彼の作った新ジャガを味
>わいながらのトークライヴ、ご期待ください。
ここのライヴはよく見に行っているが、トークライヴは初めて見る。どんな展開になるのやら。音楽ライブでないので、お客はお馴染みさんばかり。
私の実家は農家ではないが家の前の本格的な家庭菜園で色々野菜を作っている。それに周囲に兼業農家が多いので農業そのものには馴染み深い。しかし、田植えなどの実作業にはほとんど関わったことがない。機会はあったと思うが、逃げていた。
小学生のとき、読んだ「複合汚染」(有吉佐和子:著)の知識を丸飲みして、農業を営んでいる伯母に「無農薬・有機農業に何故しないのか?」と吹っかけたことがある。農業の実体を知らない、無知で生意気な子供がそこにいた。他人の言葉で吹っかけたところで、説得力などあるわけがない。子供の戯言として処理された。まだまともに聴いてくれただけ、伯母はよい人だったと思う。
今でこそ減農薬野菜や有機野菜に関しては一定の市場があるが、当時は画一した市場しかなかった。人も農作物も画一化の流れにあった。一農家が文化的な生活を営もうとするとき、リスクを考えれば流れに乗るしかない。農産物も商品だ。売れなければやって行けない。
政治が民衆のレベルに即したものとなるのと同様、国内農産物も消費者のレベルに即する。(社会学的に言えば、農産物の個性化は消費者の個性化・国民の個性化に即しているのだろう。)
商品評価パラメータが外観(見栄えと流通性)だけだった時代では、もはや栄養などどうでもいい。まして減農薬・有機などは市場にとっては一部の農家の、言葉通りの、負のイメージの「拘っているだけ」のものでしかなかった。
「沈黙の春」などの書籍や市民活動が「農薬と化学肥料」を使い続ける自転車農業からの離脱を徐々に促していった。80年代から90年代にかけての消費者の「余裕」が後押ししたと考えられる。そして「自然を大切に」「自然にやさしい」という呪言の力。
まあ、そんな個人的な思いがトークライブを見に行くに際してあった。
お話はお酒を交えながら、ざっくばらんに始まった。ジャガイモについてはたまたま前日深夜のNHKの再放送「北海道スペシャル」で詳しく説明していた番組を見ていた。予習?
関東という土地でジャガイモ農家をやる苦労。雨の降るタイミングや土の状態(肥えすぎ)を考えると決して楽な商売ではないらしい。農家故に、生物学的本質主義的な発言がどうしても多くなる。本質主義に偏ることを注意すれば、話の対象を人に照らし合わせて聴くことで、ジャガイモを上手く育てるコツや失敗談などは得るものが多い。「育てる」という行為には共通するものがあるだろう。また「発達」という点でも。
「じっくりと育たないと・・・。急激に育ったものは水っぽくてスカスカだ。」 「タイミング良く枯らさないとイモに栄養が行かず、丈が延びる方に栄養が消費されてしまう」 「栄養が有り過ぎだと、却ってダメになってしまう」などなど。
なーんて、堅っ苦しいことは置いといて。話の間に出された茹でジャガイモや揚げジャガイモの美味しかったこと。まだ土のついているジャガイモがお土産。
そのまま帰るのもなんなので、新宿で飲み直す。冷えたシュタインヘイガーとボウモア12年。楽しく、落ち着いたひととき。
帰りの山手線。品川方面(内回り)はそれほどではないが、池袋方面(外回り)はものすごい人だかり。大丈夫かなぁ。新宿に遊びにくる山手線利用客は外回りの人が多いのだろう。内回りは途中に渋谷などがあるので遊び場としては分散されているのだろう。そんなことをホームで考えていた。
で、夕方。待ち合わせ場所は携帯が繋がらない場所だった。え?AUは大丈夫だって?207だからかなぁ。新宿駅西口で使えないのはヤバイだろ。
ヨドバシカメラにちょっと寄った後、駅に向かう途中で携帯が鳴る。親からだ。今日中に帰省するのか、それとも明日の早朝なのかの問い合わせ。多分に当日早朝に帰ると言っておいたのだが、今日中に帰ってくると思っていたようだ。始発に乗れば間に合うはずと伝える。
どうにか無事に話が済み、会場である幡ヶ谷の居酒屋に向かう。今日の趣向はこういうもの。
> 居酒屋ライヴ第42弾の目玉は、川越の百姓 吉澤重造氏の登場です。
>日本有機農研、大地を守る会を通じて20数年にわたってお付き合い願
>い、店での冬野菜は全て彼に頼っています。彼の作った新ジャガを味
>わいながらのトークライヴ、ご期待ください。
ここのライヴはよく見に行っているが、トークライヴは初めて見る。どんな展開になるのやら。音楽ライブでないので、お客はお馴染みさんばかり。
私の実家は農家ではないが家の前の本格的な家庭菜園で色々野菜を作っている。それに周囲に兼業農家が多いので農業そのものには馴染み深い。しかし、田植えなどの実作業にはほとんど関わったことがない。機会はあったと思うが、逃げていた。
小学生のとき、読んだ「複合汚染」(有吉佐和子:著)の知識を丸飲みして、農業を営んでいる伯母に「無農薬・有機農業に何故しないのか?」と吹っかけたことがある。農業の実体を知らない、無知で生意気な子供がそこにいた。他人の言葉で吹っかけたところで、説得力などあるわけがない。子供の戯言として処理された。まだまともに聴いてくれただけ、伯母はよい人だったと思う。
今でこそ減農薬野菜や有機野菜に関しては一定の市場があるが、当時は画一した市場しかなかった。人も農作物も画一化の流れにあった。一農家が文化的な生活を営もうとするとき、リスクを考えれば流れに乗るしかない。農産物も商品だ。売れなければやって行けない。
政治が民衆のレベルに即したものとなるのと同様、国内農産物も消費者のレベルに即する。(社会学的に言えば、農産物の個性化は消費者の個性化・国民の個性化に即しているのだろう。)
商品評価パラメータが外観(見栄えと流通性)だけだった時代では、もはや栄養などどうでもいい。まして減農薬・有機などは市場にとっては一部の農家の、言葉通りの、負のイメージの「拘っているだけ」のものでしかなかった。
「沈黙の春」などの書籍や市民活動が「農薬と化学肥料」を使い続ける自転車農業からの離脱を徐々に促していった。80年代から90年代にかけての消費者の「余裕」が後押ししたと考えられる。そして「自然を大切に」「自然にやさしい」という呪言の力。
まあ、そんな個人的な思いがトークライブを見に行くに際してあった。
お話はお酒を交えながら、ざっくばらんに始まった。ジャガイモについてはたまたま前日深夜のNHKの再放送「北海道スペシャル」で詳しく説明していた番組を見ていた。予習?
関東という土地でジャガイモ農家をやる苦労。雨の降るタイミングや土の状態(肥えすぎ)を考えると決して楽な商売ではないらしい。農家故に、生物学的本質主義的な発言がどうしても多くなる。本質主義に偏ることを注意すれば、話の対象を人に照らし合わせて聴くことで、ジャガイモを上手く育てるコツや失敗談などは得るものが多い。「育てる」という行為には共通するものがあるだろう。また「発達」という点でも。
「じっくりと育たないと・・・。急激に育ったものは水っぽくてスカスカだ。」 「タイミング良く枯らさないとイモに栄養が行かず、丈が延びる方に栄養が消費されてしまう」 「栄養が有り過ぎだと、却ってダメになってしまう」などなど。
なーんて、堅っ苦しいことは置いといて。話の間に出された茹でジャガイモや揚げジャガイモの美味しかったこと。まだ土のついているジャガイモがお土産。
そのまま帰るのもなんなので、新宿で飲み直す。冷えたシュタインヘイガーとボウモア12年。楽しく、落ち着いたひととき。
帰りの山手線。品川方面(内回り)はそれほどではないが、池袋方面(外回り)はものすごい人だかり。大丈夫かなぁ。新宿に遊びにくる山手線利用客は外回りの人が多いのだろう。内回りは途中に渋谷などがあるので遊び場としては分散されているのだろう。そんなことをホームで考えていた。