いぬもあるけば・・・「電縁」
2001年8月21日 無事に起きることができた。
東京駅で駅弁と日経を購入。駅弁は例のアレのチキン照り焼き弁当。なかなか美味しい。保温機に入っていたらしく、ほの暖かい。これも、なかなか美味しい。
日経の一面の特集「技術創世記」のサブタイトルは『ケータイ“電縁”家族』。ケータイが疎遠になりつつある家族の絆を確かめている事例の紹介。ケータイによって離れていても繋がっていることを確認できる・・・。気軽にメールをやりとりすることで、家族の脆い求心力を高めようという話。 それは、相互監視体制に繋がる可能性も孕んでいるのだが・・・。
それよりも面白い話があった。一度も会ったことのない7人が、それぞれの居場所を一日三回、互いのケータイに自動配信する試み。被験者は会話をしたこともなく、顔を見たこともないけれど、「常につながっている」という感覚が生じ、家族のような一体感が生じつつあったという。この様に形成される繋がりを、記事では新しい絆として血縁、地縁ならぬ『電縁』という名称で定義している。(ネーミングセンスの酷さは取りあえず置いておこう)
偶然により始まり、アクセスビリティによって関係維持が保証されるこの絆をマボロシと喝破するのは容易い。問題はそう言い放ったところで、それを求める人を抑えることはできないところにある。それを求めている人、すがる人は増えているのだ。哀しいのは、現状ではまだそれは代替品でしかないこと。喉の渇きに対し、海の水を飲むようなもの・・・とは言い過ぎか。
『電縁』の良い点/悪い点は共に『束縛がない』という所にある。匿名性故の敷居の低さ。接続者の意志でいつでも繋げられ、また切ることができる。バーチャルな関係。「それがどこが悪いのか?本人の自己責任で好きなときに好きな関係を作れるんだから、いいじゃないか・・・」
だが実際は、それは『関係のコンビニ化』であり、『人間関係のファーストフード/ジャンクフード化』に堕してしまう。。腹が減ったから、手近のものを取りあえず喰う。その場しのぎで餓えを満たす。餓えはとりあえず収まるだろう。
「だが、そんな食事を一生続けられるのか?ホンモノじゃなきゃダメなんじゃないか?」
「いいじゃんか。そもそも、ホンモノってなんだよ?じゃあ、血縁や地縁はホンモノなのかよ?そいつらはマボロシじゃ、本当にねぇのかよ?今、餓えてんだ。喰わねぇと死んじまうんだよ、心が。」
東京駅で駅弁と日経を購入。駅弁は例のアレのチキン照り焼き弁当。なかなか美味しい。保温機に入っていたらしく、ほの暖かい。これも、なかなか美味しい。
日経の一面の特集「技術創世記」のサブタイトルは『ケータイ“電縁”家族』。ケータイが疎遠になりつつある家族の絆を確かめている事例の紹介。ケータイによって離れていても繋がっていることを確認できる・・・。気軽にメールをやりとりすることで、家族の脆い求心力を高めようという話。 それは、相互監視体制に繋がる可能性も孕んでいるのだが・・・。
それよりも面白い話があった。一度も会ったことのない7人が、それぞれの居場所を一日三回、互いのケータイに自動配信する試み。被験者は会話をしたこともなく、顔を見たこともないけれど、「常につながっている」という感覚が生じ、家族のような一体感が生じつつあったという。この様に形成される繋がりを、記事では新しい絆として血縁、地縁ならぬ『電縁』という名称で定義している。(ネーミングセンスの酷さは取りあえず置いておこう)
偶然により始まり、アクセスビリティによって関係維持が保証されるこの絆をマボロシと喝破するのは容易い。問題はそう言い放ったところで、それを求める人を抑えることはできないところにある。それを求めている人、すがる人は増えているのだ。哀しいのは、現状ではまだそれは代替品でしかないこと。喉の渇きに対し、海の水を飲むようなもの・・・とは言い過ぎか。
『電縁』の良い点/悪い点は共に『束縛がない』という所にある。匿名性故の敷居の低さ。接続者の意志でいつでも繋げられ、また切ることができる。バーチャルな関係。「それがどこが悪いのか?本人の自己責任で好きなときに好きな関係を作れるんだから、いいじゃないか・・・」
だが実際は、それは『関係のコンビニ化』であり、『人間関係のファーストフード/ジャンクフード化』に堕してしまう。。腹が減ったから、手近のものを取りあえず喰う。その場しのぎで餓えを満たす。餓えはとりあえず収まるだろう。
「だが、そんな食事を一生続けられるのか?ホンモノじゃなきゃダメなんじゃないか?」
「いいじゃんか。そもそも、ホンモノってなんだよ?じゃあ、血縁や地縁はホンモノなのかよ?そいつらはマボロシじゃ、本当にねぇのかよ?今、餓えてんだ。喰わねぇと死んじまうんだよ、心が。」
いぬもあるけば・・・「無理の代償」
2001年8月20日 昨日の暴食が効いたのか、それとも疲れが出たのか、体調がすこぶる悪い。夏風邪引きかけといったところ。風邪を引いたりして体力が減ると、それを回復させようとするのか睡魔が勝手に/自動的に立ち現れる。問題はそれが勤務中にも関わらずという点だ。デスクワークをしていると急に意識を失いかける。ヤバヤバ(汗。
出張準備で荷物を纏めたり、プレゼン用データの整理を依頼したり。仕事が終わったら、よぜばいいのに昨日の日記を書き出して・・・結局、夜更かし。でも、こういうものは思い出が冷めないうちに、情報が生きているうちに書き上げ、アップしないと失われてしまうものだからねぇ。情報は生物/生物だから・・・
出張準備で荷物を纏めたり、プレゼン用データの整理を依頼したり。仕事が終わったら、よぜばいいのに昨日の日記を書き出して・・・結局、夜更かし。でも、こういうものは思い出が冷めないうちに、情報が生きているうちに書き上げ、アップしないと失われてしまうものだからねぇ。情報は生物/生物だから・・・
いぬもあるけば・・・「ライブ+索敵=原画展?」
2001年8月19日 横浜マリンタワー前広場に着いたのは14:45ごろ。先程、演奏が終わったばかりらしく混雑していた。リハーサルを始める奥華子さん。曇りだったことと、15時ということもあって、前回のときのような厳しい暑さはない。リハーサルの数小節の歌い出しを聞くに調子は良さそうだ。準備が終わり、ライブ開始。演奏曲数は6つ。新曲1つ。野外ライブ後に目の前の山下公園で佇んでいたときに感じたことを歌にしたものでまだタイトル未定。このイベントによって生まれたというのがいい。
歌を聴きながら、辺りを見回すのが好きだ。私の視界はドキュメンタリーのカメラとなって、音楽に足をとめる人、休日の家族の1シーンを切り取る。山下公園は実に平和だ。まるで全世界が平和だと錯覚するほどに。
ライブ終了後、小腹が空いたので、マリンタワー横の「味奈登庵 マリンタワー店」に入る。「もりそば マリンタワー盛り 500円」というメニューが目に入った。普通で300円。大盛りで400円。果たしてマリンタワー盛りの実体は?興味を持ったら頼まずには居られない。軽く食べるつもりが気が付くとマリンタワー盛りを注文していた。そのとき、その後の展開を予想していたら・・・。
私が受け取ったのは、マリンタワーというよりも山盛り、それも富士山という奴。ザルに載せられるだけ載せてみましたといった景観。これで1へぎ分あるんじゃないか?
カウンターに座ってひたすら喰う。あの餓豚伝の如く。店内の大型TVでは24時間TVの研ナオコのマラソンの中継が映っている。ガンバレ、研ナオコ。俺も頑張る。
・・・戦い済んで、日が暮れて・・・
真っ白に燃え尽きた漢が1人、「か、勝った」と口走りながらフラフラと夕闇迫る山下公園を彷徨ってゐた。それは優雅な散歩というものでは無かった。ただ、ただひたすらに腹ごなし、食休みとしてのそれだった。
「こんな平和で幸福な風景にあの『ひかわまる』が現れるのか・・・クスクス」
漢には次の戦いが待っていた。昨夜、同志数名に告知していた。スタジアムは横浜カレーミュージアム。歩いて行けばお腹も減るだろうと考えた。しかし会場についても未だ胃は自己主張している。そこで有隣堂本店に入った。1階を見回るに、購買意欲を刺激する本は・・・なかった。仕方ないので3階にでも行こうかと階段を探した。すると白地にピンク字の大きなポスターが目に入った。地下の有隣堂ギャラリーの催し物のポスターだった。「なになに?原画展?」時刻は19時半。もう終わっているだろうと思ったら、土日は20時までやっているらしい。30分ある。「どうせ大したものでないのだろうからすぐに見終わるだろう。」と階段を降りていった。降りたのは偶々だったのだ。
その展示は『白泉社「ララ」創刊25周年記念「ララ25☆25サマーフェスティバル」』だった。有隣堂のサイト[リンク]によると・・・
>場所は有隣堂イセザキ町本店ギャラリー、期間は8月13日(月)〜22日(水)の10日間、時間は平日が10時〜18時で土日のみ20時まで。イベント内容は「ララ」の現役作家約30名による原画展示(150点〜200点)また「遙かなる時空の中で 2」特設コーナーも有り。 目玉商品として、イベント会場限定の原画展図録やテレカの販売があります!
出展作家と出展数をメモしながら見た。以下に記す。作家名(敬称略)(出展数):津田雅美(7)、清水玲子(7)、森生まさみ(7)、杜真琴(2)、六本木綾(3)、田中メカ(7)、なかじ有紀(8)、平井摩利(7)、マツモトトモ(7)、成田美名子(7)、渡辺祥智(7)、筑波さくら(7)、ひかわきょうこ(7)、樹なつみ(8)、樋野まつり(5)、橘裕(3)、麻生みこと(2)、藤川佳世(2)、米沢りか(2)、柳原望(2)、緑川ゆき(3)、ささだあすか(1)、葉鳥ビスコ(1)、草川為(1)、卯月かがや(1)宇野亜由美(4)、にざかな(4)、水野十子(44) 以上。水野十子さんの点数が多いのは『遙かなる時空の中で』(コーエーのネオロマンスゲームらしい)関係であるための様だ。
まともに見るだけで30分はあっという間に過ぎてしまった。こんな規模の大きな原画展だとは・・・。これほどの作家数と点数の原画展はあまりないのでは。*年前、岩崎つばさ先生のサイトで拝見した高河ゆん先生[->リンク]の書き込みで知って出掛けたクリムゾンの原画展「なるしまゆり・高河ゆん原画展in松戸」[->リンク]も割と沢山あった気がしていたが、いやはや。
ララ創刊号なども展示してあった。いやはや、時代を感じさせる。イラストとして見て驚いたのは、成田美名子先生の作品。なかじ有紀先生のも見応えあり。凄いね〜。お金払っても見学者来るよな〜。現役の漫画家の技術を見ることができるのだもの。ひかわきょうこ先生の80年代の原画が展示されているならば、わかつきめぐみ先生の原画とかあっても〜などとない物ねだり。帰りがけにネタとして、記念イラストカード集を買う漢1人ありき。ガフッ。
さて、いよいよ本番。どうみてもゲーセン+パチンコ屋にしかみえないビルに入って、通されたカレーミュージアム。係員の話すことなど耳に入らずに目指すは「スパイスの秘境」。友と約束したのだ。冥土スキーな友に、取材してくると。しかし、索敵するにはカレーを食べなければならない。あの薬草が欲しい・・・。蕎麦が私にそう思わせる。ここの売りはチキンカレーらしい。半盛りというのがあるらしい。大の男が頼むのはちょっと・・・だが、それにしよう。そう、思って食券販売機の前に立った。えっ?限定1日100食の夏限定カレー、まだ売ってるの?期間限定・・・それに弱い。気が付くと「茄マ子テ(なますて)カレー」の食券を持ってカウンターに座っていた。まあ、いい。カレーを食べに来た訳ではないから(ォ。状況は目視による索敵ステイタス。うーむ。調査報告書は別記しよう。ここに書くものではない。茶髪かぁ。
そうそう、入場券のカレーだが、緩いルーの湖に浮かぶ茄子は思った以上に酸味があった。さっぱりしている。が、ライスが進まない。期待していた味の深みが、ライスを口に運ばせるものが余り感じられない。・・・戦闘開始10分。同じ頃に入った他の客は牛丼屋のように食べたらすぐに出ていってしまう。ファストフードだな。自分たちは客というよりも・・・。
なんて考えが浮かぶがスプーンは動かない。すでにルーは尽きた。白いライスだけが皿に残っている。「認めたくないものだな。・・・」とあの有名な台詞が浮かんだ。「ま、負けた」まさか、こんな店で負けるとは。だが、フリーサービスの福神漬けで食べる気力もない。敗者は消え去るのみ。勝者もだが。
外食先で食べ残しというのをほとんどしたことがない。知人がこの日記を読んだら、驚愕するだろう。紙ナプキンで皿に残されたライスを隠して、席を立った。食べることが目的でなかったとはいえ、この結果はあんまりだ。失意のまま、帰途に。
・・・まだ、制服すべき場所がここにはある。私は帰ってくるだろう。捲土重来。
歌を聴きながら、辺りを見回すのが好きだ。私の視界はドキュメンタリーのカメラとなって、音楽に足をとめる人、休日の家族の1シーンを切り取る。山下公園は実に平和だ。まるで全世界が平和だと錯覚するほどに。
ライブ終了後、小腹が空いたので、マリンタワー横の「味奈登庵 マリンタワー店」に入る。「もりそば マリンタワー盛り 500円」というメニューが目に入った。普通で300円。大盛りで400円。果たしてマリンタワー盛りの実体は?興味を持ったら頼まずには居られない。軽く食べるつもりが気が付くとマリンタワー盛りを注文していた。そのとき、その後の展開を予想していたら・・・。
私が受け取ったのは、マリンタワーというよりも山盛り、それも富士山という奴。ザルに載せられるだけ載せてみましたといった景観。これで1へぎ分あるんじゃないか?
カウンターに座ってひたすら喰う。あの餓豚伝の如く。店内の大型TVでは24時間TVの研ナオコのマラソンの中継が映っている。ガンバレ、研ナオコ。俺も頑張る。
・・・戦い済んで、日が暮れて・・・
真っ白に燃え尽きた漢が1人、「か、勝った」と口走りながらフラフラと夕闇迫る山下公園を彷徨ってゐた。それは優雅な散歩というものでは無かった。ただ、ただひたすらに腹ごなし、食休みとしてのそれだった。
「こんな平和で幸福な風景にあの『ひかわまる』が現れるのか・・・クスクス」
漢には次の戦いが待っていた。昨夜、同志数名に告知していた。スタジアムは横浜カレーミュージアム。歩いて行けばお腹も減るだろうと考えた。しかし会場についても未だ胃は自己主張している。そこで有隣堂本店に入った。1階を見回るに、購買意欲を刺激する本は・・・なかった。仕方ないので3階にでも行こうかと階段を探した。すると白地にピンク字の大きなポスターが目に入った。地下の有隣堂ギャラリーの催し物のポスターだった。「なになに?原画展?」時刻は19時半。もう終わっているだろうと思ったら、土日は20時までやっているらしい。30分ある。「どうせ大したものでないのだろうからすぐに見終わるだろう。」と階段を降りていった。降りたのは偶々だったのだ。
その展示は『白泉社「ララ」創刊25周年記念「ララ25☆25サマーフェスティバル」』だった。有隣堂のサイト[リンク]によると・・・
>場所は有隣堂イセザキ町本店ギャラリー、期間は8月13日(月)〜22日(水)の10日間、時間は平日が10時〜18時で土日のみ20時まで。イベント内容は「ララ」の現役作家約30名による原画展示(150点〜200点)また「遙かなる時空の中で 2」特設コーナーも有り。 目玉商品として、イベント会場限定の原画展図録やテレカの販売があります!
出展作家と出展数をメモしながら見た。以下に記す。作家名(敬称略)(出展数):津田雅美(7)、清水玲子(7)、森生まさみ(7)、杜真琴(2)、六本木綾(3)、田中メカ(7)、なかじ有紀(8)、平井摩利(7)、マツモトトモ(7)、成田美名子(7)、渡辺祥智(7)、筑波さくら(7)、ひかわきょうこ(7)、樹なつみ(8)、樋野まつり(5)、橘裕(3)、麻生みこと(2)、藤川佳世(2)、米沢りか(2)、柳原望(2)、緑川ゆき(3)、ささだあすか(1)、葉鳥ビスコ(1)、草川為(1)、卯月かがや(1)宇野亜由美(4)、にざかな(4)、水野十子(44) 以上。水野十子さんの点数が多いのは『遙かなる時空の中で』(コーエーのネオロマンスゲームらしい)関係であるための様だ。
まともに見るだけで30分はあっという間に過ぎてしまった。こんな規模の大きな原画展だとは・・・。これほどの作家数と点数の原画展はあまりないのでは。*年前、岩崎つばさ先生のサイトで拝見した高河ゆん先生[->リンク]の書き込みで知って出掛けたクリムゾンの原画展「なるしまゆり・高河ゆん原画展in松戸」[->リンク]も割と沢山あった気がしていたが、いやはや。
ララ創刊号なども展示してあった。いやはや、時代を感じさせる。イラストとして見て驚いたのは、成田美名子先生の作品。なかじ有紀先生のも見応えあり。凄いね〜。お金払っても見学者来るよな〜。現役の漫画家の技術を見ることができるのだもの。ひかわきょうこ先生の80年代の原画が展示されているならば、わかつきめぐみ先生の原画とかあっても〜などとない物ねだり。帰りがけにネタとして、記念イラストカード集を買う漢1人ありき。ガフッ。
さて、いよいよ本番。どうみてもゲーセン+パチンコ屋にしかみえないビルに入って、通されたカレーミュージアム。係員の話すことなど耳に入らずに目指すは「スパイスの秘境」。友と約束したのだ。冥土スキーな友に、取材してくると。しかし、索敵するにはカレーを食べなければならない。あの薬草が欲しい・・・。蕎麦が私にそう思わせる。ここの売りはチキンカレーらしい。半盛りというのがあるらしい。大の男が頼むのはちょっと・・・だが、それにしよう。そう、思って食券販売機の前に立った。えっ?限定1日100食の夏限定カレー、まだ売ってるの?期間限定・・・それに弱い。気が付くと「茄マ子テ(なますて)カレー」の食券を持ってカウンターに座っていた。まあ、いい。カレーを食べに来た訳ではないから(ォ。状況は目視による索敵ステイタス。うーむ。調査報告書は別記しよう。ここに書くものではない。茶髪かぁ。
そうそう、入場券のカレーだが、緩いルーの湖に浮かぶ茄子は思った以上に酸味があった。さっぱりしている。が、ライスが進まない。期待していた味の深みが、ライスを口に運ばせるものが余り感じられない。・・・戦闘開始10分。同じ頃に入った他の客は牛丼屋のように食べたらすぐに出ていってしまう。ファストフードだな。自分たちは客というよりも・・・。
なんて考えが浮かぶがスプーンは動かない。すでにルーは尽きた。白いライスだけが皿に残っている。「認めたくないものだな。・・・」とあの有名な台詞が浮かんだ。「ま、負けた」まさか、こんな店で負けるとは。だが、フリーサービスの福神漬けで食べる気力もない。敗者は消え去るのみ。勝者もだが。
外食先で食べ残しというのをほとんどしたことがない。知人がこの日記を読んだら、驚愕するだろう。紙ナプキンで皿に残されたライスを隠して、席を立った。食べることが目的でなかったとはいえ、この結果はあんまりだ。失意のまま、帰途に。
・・・まだ、制服すべき場所がここにはある。私は帰ってくるだろう。捲土重来。
いぬもあるけば・・・「目的忘れ」
2001年8月18日 話し合いをするために、新宿の居酒屋「樽一」に。それがいつのまにか単なる呑みに終わっていたのは帰りの山手線に一人乗り込んだ後だった・・・<つづく>
いぬもあるけば・・・「はがきと手紙」
2001年8月16日 出勤日。職場に一枚の暑中見舞いが届いた。
ニフティの芸術フォーラムのシスオペさんからだ。「このところ、ご無沙汰なのに・・・」と恐縮する。
帰宅して郵便受けを見ると手紙があった。
可愛い封筒。PBMの交流者さんからかな?と宛名をよく見ると『***様 遊茶会』とある。「えっ!」と声を洩らして、ドキドキしながら封を開けた。今回の新刊を買っていただいた、村松健さんのファンの方からだった。<つづく>
ニフティの芸術フォーラムのシスオペさんからだ。「このところ、ご無沙汰なのに・・・」と恐縮する。
帰宅して郵便受けを見ると手紙があった。
可愛い封筒。PBMの交流者さんからかな?と宛名をよく見ると『***様 遊茶会』とある。「えっ!」と声を洩らして、ドキドキしながら封を開けた。今回の新刊を買っていただいた、村松健さんのファンの方からだった。<つづく>
いぬもあるけば・・・「終戦記念日、解放記念日・・・そして誕生日」
2001年8月15日 今日はそういう日だ。私にとって特別な日である、8月15日。
それゆえ、人一倍この日の意味を、平和と戦争について考えざるを得ない。一種の呪のようなもの。その呪は名前においても発動されている・・・
それゆえ、人一倍この日の意味を、平和と戦争について考えざるを得ない。一種の呪のようなもの。その呪は名前においても発動されている・・・
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いぬもあるけば・・・「帰省・・のようなもの」
2001年8月14日 日記やメールなど書かなければならないものをやっつけていたら、15時。ヤバイ。まだ参加するかどうか迷いがあるが、とりあえず冬コミ参加費を振り込みに行かないと。
無事、振り込みした帰りに昼食を買おうとパン屋に入った・・・がそこは和洋菓子も作っているちょっと変わったお店だった。調理パンと、お土産用として一口マロンパイの箱詰めを買った。塩大福をおまけにつけてくれたところがいかにも地元の店らしくて好感度アップ。
18時ごろに自室を出て、在来線で前橋に。21時過ぎなのでタクシーで帰るつもりと電話したところ、父が迎えに来てくれた。夜も遅いので、ポン太と遊ぶのは断念。明日の朝だね。起きられれば(汗)。
夕食というか、呑み。久々なので、父に口を着けたそばからコップにビールを足される。帰りによったスーパーで買った刺身や惣菜がツマミ。母は待ち疲れもあって、体を横にして休みながらTVを見ている。弟は仕事で今回帰省できないらしい。静かな団欒・・のようなもの。
TVのチャンネルはNHK。ドラマ「少年たち」の再放送が始まった。確か、劇団キャラメルボックスの人が主人公を演じていると耳にしたことがある。見たことがなかった。だらだらと見ていたら・・・面白いじゃん、これ。主人公の爽やかな熱血振りがよい感じ。家裁の調査官か。脚本が凝っていて面白い。ちょっと詰め込み過ぎなところがあるが、主人公の内的動機が描写されるのは珍しい。何故、調査官をしている?
「(彼らを)救っているんじゃない。(彼らに)救われているんだ!」
無事、振り込みした帰りに昼食を買おうとパン屋に入った・・・がそこは和洋菓子も作っているちょっと変わったお店だった。調理パンと、お土産用として一口マロンパイの箱詰めを買った。塩大福をおまけにつけてくれたところがいかにも地元の店らしくて好感度アップ。
18時ごろに自室を出て、在来線で前橋に。21時過ぎなのでタクシーで帰るつもりと電話したところ、父が迎えに来てくれた。夜も遅いので、ポン太と遊ぶのは断念。明日の朝だね。起きられれば(汗)。
夕食というか、呑み。久々なので、父に口を着けたそばからコップにビールを足される。帰りによったスーパーで買った刺身や惣菜がツマミ。母は待ち疲れもあって、体を横にして休みながらTVを見ている。弟は仕事で今回帰省できないらしい。静かな団欒・・のようなもの。
TVのチャンネルはNHK。ドラマ「少年たち」の再放送が始まった。確か、劇団キャラメルボックスの人が主人公を演じていると耳にしたことがある。見たことがなかった。だらだらと見ていたら・・・面白いじゃん、これ。主人公の爽やかな熱血振りがよい感じ。家裁の調査官か。脚本が凝っていて面白い。ちょっと詰め込み過ぎなところがあるが、主人公の内的動機が描写されるのは珍しい。何故、調査官をしている?
「(彼らを)救っているんじゃない。(彼らに)救われているんだ!」
いぬもあるけば・・・「更新」
2001年8月13日 今更の住民票変更と免許更新をしに鶴見駅を降りた。さくさくと行い、20分のビデオを見て免許更新終了。これで一ヶ月後にゴールドカードが届くはず。ちゃんと送ってね、警察OBの方々。
吉祥寺のStar Pine’s Cafeに行くのは久々。「詩百の木48」というイベント。2番目に会場に入り、一番前でかつグランドピアノの設置場所から検討した位置に座した。オープニングアクトは広島からやってきた村山よしろうさん。アコギとブルースハープの弾き語り。全くの新人ではないようだ。しっかり歌っていて好感が持てる。次のNAOさんは・・・若かった。内輪受けのMCやアンコールはまるで学芸会。まあ、それだけ知り合いがたくさん駆けつけたみたいなのだが。
そして、奥華子さん。NAOさんの演奏が終わり、NAOさんと関係者のおしゃべりで客席がざわつく中、登場。椅子に座ったとおもったら、リコーダー(おそらくソプラニーノ)を吹きだす。リコーダーによる前奏が終わり、ピアノを弾き、歌い出してようやく客席のざわめきが静まってきた。ふぅ。レベル低いな<今日の客
「月光」、「Ta.la.la.」、「君のためならできること」。3曲歌い終わったとき、会場は奥華子のライブ会場になっていた。今日のMCはなかなか衝撃的。初めて作った歌、小学4年生時に犬のために造った犬の散歩歌「シンゲンとハッケン」を披露。本人迷いながらの披露だったが、聞いた方もどうしましょうという、子供らしい歌詞の歌だった。しかも最初の曲がマイナーコード。 歌詞が「子供らしい」ものだったので披露には勇気が必要だったはず。緊張のあまり披露してしまった・・・というものらしい。
そんなMCの後に、「二人の約束」あらため「楔」を演奏。歌い込み方は前回の方が良かったかな。続いて「自由のカメ」。最後のMCはライブのお知らせと今日のライブの感想として「一期一会」というか、この場に居合わせた人達の縁、先ほどまで別々の場所にいたのに、今、ここに集っているという「不思議」。ぶるうピーターの人生の軌跡の交差の不思議さだなと受け取り直した。 最後は「その手」でお仕舞い。
音楽的には前と比べ、プラスマイナス0で70点というところか。会場に合わせた化粧が映えていた。
次のアーティストはkumakoさん。福岡出身の人らしい。「いちばんBlues」という曲は福岡の「村一番」という居酒屋から取ったとのこと。よく行っていた思い出深い店らしい。最初はちょっと合わないと思ったけれど、後半は楽しめた。
最後は空色のひつじ[リンク]。グループ名をどこかで眼にしたことがあるのだが思い出せなかった。一曲目の「空色のひつじ 1」から掴まれた。以降の演奏曲は次のとおり。「南の月」、「ロマンス中毒」、「みんな転勤のせいだ」、「さくら」、「水に近い涙」、「くずれてゆく」そして「空色のひつじ 2」。ヴォーカルの名取友美さんはもちろん、ヴァイオリンのまどかまるこさんの堂に入った演奏が良かった。追っかけは美人ピアニストの磯村由紀子さん目当てが多かったようだ。彼女は最近ピアノソロアルバムを出したらしい。チラシを見るとフォーレのパヴァーヌが納められている。この曲はまどかまるこさんもヴァイオリンで参加しているらしい。欲しかったが会場では売り切れていた。次の機会かな。
ライブ終了後、即販に奥さんが居たが、声を掛けるのを失敗。だめだなぁ。
吉祥寺のStar Pine’s Cafeに行くのは久々。「詩百の木48」というイベント。2番目に会場に入り、一番前でかつグランドピアノの設置場所から検討した位置に座した。オープニングアクトは広島からやってきた村山よしろうさん。アコギとブルースハープの弾き語り。全くの新人ではないようだ。しっかり歌っていて好感が持てる。次のNAOさんは・・・若かった。内輪受けのMCやアンコールはまるで学芸会。まあ、それだけ知り合いがたくさん駆けつけたみたいなのだが。
そして、奥華子さん。NAOさんの演奏が終わり、NAOさんと関係者のおしゃべりで客席がざわつく中、登場。椅子に座ったとおもったら、リコーダー(おそらくソプラニーノ)を吹きだす。リコーダーによる前奏が終わり、ピアノを弾き、歌い出してようやく客席のざわめきが静まってきた。ふぅ。レベル低いな<今日の客
「月光」、「Ta.la.la.」、「君のためならできること」。3曲歌い終わったとき、会場は奥華子のライブ会場になっていた。今日のMCはなかなか衝撃的。初めて作った歌、小学4年生時に犬のために造った犬の散歩歌「シンゲンとハッケン」を披露。本人迷いながらの披露だったが、聞いた方もどうしましょうという、子供らしい歌詞の歌だった。しかも最初の曲がマイナーコード。 歌詞が「子供らしい」ものだったので披露には勇気が必要だったはず。緊張のあまり披露してしまった・・・というものらしい。
そんなMCの後に、「二人の約束」あらため「楔」を演奏。歌い込み方は前回の方が良かったかな。続いて「自由のカメ」。最後のMCはライブのお知らせと今日のライブの感想として「一期一会」というか、この場に居合わせた人達の縁、先ほどまで別々の場所にいたのに、今、ここに集っているという「不思議」。ぶるうピーターの人生の軌跡の交差の不思議さだなと受け取り直した。 最後は「その手」でお仕舞い。
音楽的には前と比べ、プラスマイナス0で70点というところか。会場に合わせた化粧が映えていた。
次のアーティストはkumakoさん。福岡出身の人らしい。「いちばんBlues」という曲は福岡の「村一番」という居酒屋から取ったとのこと。よく行っていた思い出深い店らしい。最初はちょっと合わないと思ったけれど、後半は楽しめた。
最後は空色のひつじ[リンク]。グループ名をどこかで眼にしたことがあるのだが思い出せなかった。一曲目の「空色のひつじ 1」から掴まれた。以降の演奏曲は次のとおり。「南の月」、「ロマンス中毒」、「みんな転勤のせいだ」、「さくら」、「水に近い涙」、「くずれてゆく」そして「空色のひつじ 2」。ヴォーカルの名取友美さんはもちろん、ヴァイオリンのまどかまるこさんの堂に入った演奏が良かった。追っかけは美人ピアニストの磯村由紀子さん目当てが多かったようだ。彼女は最近ピアノソロアルバムを出したらしい。チラシを見るとフォーレのパヴァーヌが納められている。この曲はまどかまるこさんもヴァイオリンで参加しているらしい。欲しかったが会場では売り切れていた。次の機会かな。
ライブ終了後、即販に奥さんが居たが、声を掛けるのを失敗。だめだなぁ。
いぬもあるけば・・・「夏の祭典-3」
2001年8月12日 今日は先日手伝って頂いた先輩の創作(少女)系サークルのお手伝いということでサークル入場。が、すでに準備は終わっていた。変わりに後輩の創作小説系サークルで製本の手伝い。それも私が手伝える分が終わったため、西館でガンパレードマーチ本を出している知り合いの所に挨拶に。今日は最終日ということもあって、人出が多い。往復しただけで疲れてしまった。ザバダックファンの後輩のサークルに挨拶。新刊を購入。今回は横浜カレーミュージアム特集。なるほど!私もカレーミュージアムに「観に」行きたくなった(爆)。「スパイスの秘境」かぁ〜。
今日も久々の人ばかりだったので撤収後の食事まで一緒に居たかったのだが断念し、15時過ぎにビックサイトを後にした。学生のときの掛け持ちコンパを思いだし、ちょっと・・・いや、かなりブルー。
人は最初の人ではなく、最後の人を重く思う。最初からいて途中で別れてしまった者よりも、遅れて現れて最後までいた者の方が印象深い。判っている・・・。それ故、辛い。
新橋からエアポート成田に乗り、40分。稲毛駅に着いた。一旦、東口に出て、酒屋をチェックする。ここは友人が教えてくれた酒屋だ。酒屋そのものよりも同じビルにある居酒屋とバーなのだが。居酒屋の電話番号を控えてから、「あやめ台団地経由草野車庫行き」のバスに乗った。と、知り合いの顔が。挨拶してそばの席に。20分ほど揺られて、「ワンズモール、鬼怒川ゴム前」を降りた。ワンズモールはどうやら最近流行りの屋内商業施設のようだ。
マックスコーヒー以外に怪しい飲み物はないかと、ダイエー千葉長沼店で探索。なかった。代わりに「オーガニックビール」なるものを入手。これとツマミになるたこ焼きを買って、店を出た。
「彼らはどこにいるんだろう?」合流した知り合い達と彼ら「ぱぶりか」を探した。ワンズモールの屋上にいるのだろうか?なんと、ぱぶりかはここでライブをやる予定だった。いきなり営業?と怪しんだ。浜田山ちびっこまつりのアレを見ている私にとって、十分真実味のある話。そんな疑問を抱えつつ、ワンズモールに入った。すると目の前、エスカレータ前のアトリウムに設置されているステージで男性二人が歌っている。ここが会場だった。
あまり飲んでいい場所ではなさそうだが、我々はプシュッとビールを開けた。3人で座れる場所を探しながら、歌を聞いていると、目の前にどこかでみた男がアイス片手にうろついている。「何故、いるの?」と驚いているどぶさんだった。どぶさんに連れられて、ぱぶりかメンバーと合流。どうやら思いっきり押しているらしい。彼らはトリなのだが、演奏時間が半分にされてしまったそうだ。わざわざここまでレンタカー借りてやってきてそれとは・・・。それから、かんぞうさんとトイざラス店内で怪しいものを発見したりして時間を潰す。
ようやく彼らの演奏が始まったのは、予定より1時間以上遅れた19時近く。19時半には店内に音を響かせるのは禁止という話だった。条件は厳しかったが、彼らは久々の野外ライブっぽい雰囲気を楽しんでいた。最初の歌「みかん」で道行く人の足をかなり止め、その後も見物する人が増えて行った・・・らしい。私はステージ前で彼らを見ていたので判らない。てつやさん曰く、「だんだん人が増えて行くのが嬉しかった」とのこと。気負いもそれほどなく、よい演奏だった気がする。
イベントが終了してから、このイベントの正体を知った。千葉アーチスト委員会主催の「新世紀・市制施行80周年 長沼音楽祭2001 夏休み音楽祭」というものの一環らしい。後援に千葉市文化振興財団というちゃんとした(?)ものだった。そういえば対バンのハッピイバンド、ドデカホーンズ、maccoiそしてそねそねくらぶ。皆、妙に個性的なユニットばかりだった。そういうイベントだったのに4曲だけとは寂しいねと言っていたら、9/8にまたやることに。もしかして、ワンマン?8月のスケジュールを見るに、14:00と16:00の2ステージの様子。うーむ、こういう展開か・・・。
稲毛駅前のとり屋一億という地元チェーン居酒屋で打ち上げ。とり専門かと思ったら、魚もある・・というか充実していた。酔鯨の純米吟醸が置いてあったのに驚いた。わりと良心的な値段で。日本酒呑み連盟(ほとんどてつやさんと私)で頂いた。鶏も魚もチェーン店とは思えない味。参加者全員、満足。
レンタカーのバンに乗るぱぶりか一行(もちろん運転手役のぴざさんは一滴も呑まなかった)と別れ、3人は車中の人に。ちょっと怪しい話題で盛り上がったら、道中はあっという間。
今日も久々の人ばかりだったので撤収後の食事まで一緒に居たかったのだが断念し、15時過ぎにビックサイトを後にした。学生のときの掛け持ちコンパを思いだし、ちょっと・・・いや、かなりブルー。
人は最初の人ではなく、最後の人を重く思う。最初からいて途中で別れてしまった者よりも、遅れて現れて最後までいた者の方が印象深い。判っている・・・。それ故、辛い。
新橋からエアポート成田に乗り、40分。稲毛駅に着いた。一旦、東口に出て、酒屋をチェックする。ここは友人が教えてくれた酒屋だ。酒屋そのものよりも同じビルにある居酒屋とバーなのだが。居酒屋の電話番号を控えてから、「あやめ台団地経由草野車庫行き」のバスに乗った。と、知り合いの顔が。挨拶してそばの席に。20分ほど揺られて、「ワンズモール、鬼怒川ゴム前」を降りた。ワンズモールはどうやら最近流行りの屋内商業施設のようだ。
マックスコーヒー以外に怪しい飲み物はないかと、ダイエー千葉長沼店で探索。なかった。代わりに「オーガニックビール」なるものを入手。これとツマミになるたこ焼きを買って、店を出た。
「彼らはどこにいるんだろう?」合流した知り合い達と彼ら「ぱぶりか」を探した。ワンズモールの屋上にいるのだろうか?なんと、ぱぶりかはここでライブをやる予定だった。いきなり営業?と怪しんだ。浜田山ちびっこまつりのアレを見ている私にとって、十分真実味のある話。そんな疑問を抱えつつ、ワンズモールに入った。すると目の前、エスカレータ前のアトリウムに設置されているステージで男性二人が歌っている。ここが会場だった。
あまり飲んでいい場所ではなさそうだが、我々はプシュッとビールを開けた。3人で座れる場所を探しながら、歌を聞いていると、目の前にどこかでみた男がアイス片手にうろついている。「何故、いるの?」と驚いているどぶさんだった。どぶさんに連れられて、ぱぶりかメンバーと合流。どうやら思いっきり押しているらしい。彼らはトリなのだが、演奏時間が半分にされてしまったそうだ。わざわざここまでレンタカー借りてやってきてそれとは・・・。それから、かんぞうさんとトイざラス店内で怪しいものを発見したりして時間を潰す。
ようやく彼らの演奏が始まったのは、予定より1時間以上遅れた19時近く。19時半には店内に音を響かせるのは禁止という話だった。条件は厳しかったが、彼らは久々の野外ライブっぽい雰囲気を楽しんでいた。最初の歌「みかん」で道行く人の足をかなり止め、その後も見物する人が増えて行った・・・らしい。私はステージ前で彼らを見ていたので判らない。てつやさん曰く、「だんだん人が増えて行くのが嬉しかった」とのこと。気負いもそれほどなく、よい演奏だった気がする。
イベントが終了してから、このイベントの正体を知った。千葉アーチスト委員会主催の「新世紀・市制施行80周年 長沼音楽祭2001 夏休み音楽祭」というものの一環らしい。後援に千葉市文化振興財団というちゃんとした(?)ものだった。そういえば対バンのハッピイバンド、ドデカホーンズ、maccoiそしてそねそねくらぶ。皆、妙に個性的なユニットばかりだった。そういうイベントだったのに4曲だけとは寂しいねと言っていたら、9/8にまたやることに。もしかして、ワンマン?8月のスケジュールを見るに、14:00と16:00の2ステージの様子。うーむ、こういう展開か・・・。
稲毛駅前のとり屋一億という地元チェーン居酒屋で打ち上げ。とり専門かと思ったら、魚もある・・というか充実していた。酔鯨の純米吟醸が置いてあったのに驚いた。わりと良心的な値段で。日本酒呑み連盟(ほとんどてつやさんと私)で頂いた。鶏も魚もチェーン店とは思えない味。参加者全員、満足。
レンタカーのバンに乗るぱぶりか一行(もちろん運転手役のぴざさんは一滴も呑まなかった)と別れ、3人は車中の人に。ちょっと怪しい話題で盛り上がったら、道中はあっという間。
いぬもあるけば・・・「夏の祭典-2」
2001年8月11日 2日目は後輩のサークルに遊びに出掛けた。東京湾岸花火の開催日であるため。台場あたりでは場所取りのビニルシートが隙間無く敷いてあった。
後輩のサークルに辿り着き、挨拶。MLでやりとりしているので、それほど離れている気がしないが、それでも会うのは久しぶり。出張先のおみやげ、ベビースターラーメンの「栃木・宇都宮の餃子」味せんべいを配る。買った自分が驚くほど、いかにも・・・な味。味が濃いので飲み物がないとちょっとキツイ。でも、話のネタにはこういうのもいいよね。1時間ほど居て、お別れした。
その後、別口のPBM仲間と合流。花火を見ることに。よく見える場所は行きの情景から場所取りが大変だし、帰りにもの凄く混むだろうことが予想された。そこで、打ち上げ会場から離れた青海の「夢の大橋」から、しかもゆりかもめが混む前に撤収するという計画で動くことにした。
取りあえず、青海に移動し、食事を取ることに。・・・しまった、ヴィーナスフォートしか食事を取れる場所がない(汗)。はぢめてヴィーナスフォートに〜。3Dダンジョンとして考えるとなかなか面白い所だった。「女神転生」をやってる気分・・にはならないが。「木蘭」という中華料理店で食事をした。達人セットという余りな名前に不安を感じていたが、よい意味で裏切られた。目を引くメニューではないが、個々の品がしっかりと作ってあった。美味しい。マーボドウフは久々に好み味のものを食べた気がする。どことなく、あの「老広東」の味に似ているような気がした。別の機会でヴィーナスフォートを訪れたときに再訪したいと思う。
「夢の大橋」といっても判る人は余りいないのではないか。私も最初、判らなかった。大観覧車の側の橋だと言われ、ゆりかもめから見て、初めて了解した。訪れてみると、散歩するのに相応しい歩行者用の橋だった。幅があるので橋そのものが公園の様。適当な場所を見繕って座り、打ち上げを待った。
携帯が鳴った。出てみると、ニフティの某フォーラムのRT仲間から。彼女達も花火見物に出ていた。私達とは反対側、浜松町付近で陣を張っているらしい。去年は一緒に晴海で見たのだが、今年はお互い離れた所からの見物。「離れているけれど、一緒に楽しもうね〜!」
打ち上げが始まった。風の状態は割と良く、煙がうまく流れてくれた。が、曇っている。5寸玉のスターマインなどは雲の下で弾けるため、全部愉しめるのだが、たまに上がる尺玉は厳しい。大きな玉はそれだけ高く上げるために雲と同じ高さ、最悪、雲の中で弾けてしまう。そのため、上半分が隠れてしまったり、酷いと雲が光って見えるという状態になる。最初のうちはそれほど雲の多くなかったのだが、次第に低く垂れ込めて来て尺玉を覆うようになってしまった。それはすでに花火ではなく、オーロラの様。「おおっ!赤いオーロラだ〜!!(爆)」 3〜5秒ほど遅れて、尺玉特有の音が聞こえる。流石に音は変わらない。尺玉の音はいいねぇ。見る方は早々に諦めて、音を楽しんだ。
20時過ぎ、まだ打ち上げは続いていたが撤収した。そのおかげでゆりかもめもあまり混んでいない。21時にはJR新橋駅にいた。翌日も早朝から頑張る仲間とお別れ。浜松町からはどう見えたのだろうと、連絡を試みたが繋がらない。撤収で填っているのか、呑みになだれ込んでいるのだろう。次回はきちんと観覧券を入手したよい場所で見たいものだと思いながら、帰路に着いた。
後輩のサークルに辿り着き、挨拶。MLでやりとりしているので、それほど離れている気がしないが、それでも会うのは久しぶり。出張先のおみやげ、ベビースターラーメンの「栃木・宇都宮の餃子」味せんべいを配る。買った自分が驚くほど、いかにも・・・な味。味が濃いので飲み物がないとちょっとキツイ。でも、話のネタにはこういうのもいいよね。1時間ほど居て、お別れした。
その後、別口のPBM仲間と合流。花火を見ることに。よく見える場所は行きの情景から場所取りが大変だし、帰りにもの凄く混むだろうことが予想された。そこで、打ち上げ会場から離れた青海の「夢の大橋」から、しかもゆりかもめが混む前に撤収するという計画で動くことにした。
取りあえず、青海に移動し、食事を取ることに。・・・しまった、ヴィーナスフォートしか食事を取れる場所がない(汗)。はぢめてヴィーナスフォートに〜。3Dダンジョンとして考えるとなかなか面白い所だった。「女神転生」をやってる気分・・にはならないが。「木蘭」という中華料理店で食事をした。達人セットという余りな名前に不安を感じていたが、よい意味で裏切られた。目を引くメニューではないが、個々の品がしっかりと作ってあった。美味しい。マーボドウフは久々に好み味のものを食べた気がする。どことなく、あの「老広東」の味に似ているような気がした。別の機会でヴィーナスフォートを訪れたときに再訪したいと思う。
「夢の大橋」といっても判る人は余りいないのではないか。私も最初、判らなかった。大観覧車の側の橋だと言われ、ゆりかもめから見て、初めて了解した。訪れてみると、散歩するのに相応しい歩行者用の橋だった。幅があるので橋そのものが公園の様。適当な場所を見繕って座り、打ち上げを待った。
携帯が鳴った。出てみると、ニフティの某フォーラムのRT仲間から。彼女達も花火見物に出ていた。私達とは反対側、浜松町付近で陣を張っているらしい。去年は一緒に晴海で見たのだが、今年はお互い離れた所からの見物。「離れているけれど、一緒に楽しもうね〜!」
打ち上げが始まった。風の状態は割と良く、煙がうまく流れてくれた。が、曇っている。5寸玉のスターマインなどは雲の下で弾けるため、全部愉しめるのだが、たまに上がる尺玉は厳しい。大きな玉はそれだけ高く上げるために雲と同じ高さ、最悪、雲の中で弾けてしまう。そのため、上半分が隠れてしまったり、酷いと雲が光って見えるという状態になる。最初のうちはそれほど雲の多くなかったのだが、次第に低く垂れ込めて来て尺玉を覆うようになってしまった。それはすでに花火ではなく、オーロラの様。「おおっ!赤いオーロラだ〜!!(爆)」 3〜5秒ほど遅れて、尺玉特有の音が聞こえる。流石に音は変わらない。尺玉の音はいいねぇ。見る方は早々に諦めて、音を楽しんだ。
20時過ぎ、まだ打ち上げは続いていたが撤収した。そのおかげでゆりかもめもあまり混んでいない。21時にはJR新橋駅にいた。翌日も早朝から頑張る仲間とお別れ。浜松町からはどう見えたのだろうと、連絡を試みたが繋がらない。撤収で填っているのか、呑みになだれ込んでいるのだろう。次回はきちんと観覧券を入手したよい場所で見たいものだと思いながら、帰路に着いた。
いぬもあるけば・・・「夏の祭典-1」
2001年8月10日 ど、どうにか形にしました。といっても、自ら書いた文章は半分以下。ネットにアップされている情報を加工して纏めてみたり、すでに入手不可能なテキストを資料的価値から(心苦しく思いながらも)掲載してみたり。
私のサークルの活動は一貫して「自分の気に入っているアーティストの紹介」を目的としている。それも他のサークルが手を付けないマイナー/インディーズな人たちを。
情報化社会は様々なものを情報化し、それの入手を可能にした。我々はなんでも知ることができるし、その選択は自由だ。だが、本当だろうか? 本当は急激に膨張した情報の海を前にして、立ちすくんでいるのではないだろうか?いや、それですらないのかも知れない。最も安易なメディアから送られる「命令電波」に従って、内的ニーズが形成され、その電気刺激によって、口に注がれたものを咀嚼しているだけなのかもしれない。
そんな閑話は休題するとして、よい音楽を発しているのに知られていないアーティストは余りに多い。彼らの音楽を知ってもらうことは表現者と鑑賞者にとって為になるのではないだろうか?そんな思い上がりから、お節介なサークル活動を行っている。
で、本日が当日。冊子の出来は・・・今回も(涙)。伝えたいものをどうにか書いているという点でかろうじて60点だろうか(30点という話も)。ちびすけを飼っている先輩が「通りすがりに」朝からサークルの椅子に座して、売り子を手伝ってくれた。ちびすけは実家のお母さんに預かってもらっているそうだ。何とか用意が済んで、開場時間。
右隣は今回原稿を落とした菅野ようこディスコグラフィーのサークルさん。菅野ようこMLに入っているが全く発言していないので、よそよそしい挨拶に。左隣はZabadakディスコグラフィーを出している大井(ハンドルネーム)さんのサークル「玄武プロジェクト」。彼と隣になれたのはありがたい。編成スタッフに感謝。彼は今回、ざば歌友の会発行の「Zabadak歌詞本」を委託販売として、ひっさげてきた。同人誌なのだが、きちんとJASRACに申請許可を取った凄い本。「自分たちが歌うのに歌詞をコピーするのは気が引ける、しかし歌詞集は個々に欲しい」という願いが産んだ。売り上げの一部はJASRACを通して著作権者の元に、それ以外の最終利益は公共団体に寄付。この仁義の切り方は半端じゃない。アーティストとファンの幸福な関係。そういうアーティストのファンであることを誇りに思う。そしてアーティストがそれに対して作品を、アーティスト活動を通して答えてくれることを願う。
さて肝心の私のサークルの方だが、左右のお客さんを団扇で扇いで関心をもってもらうという姑息な作戦に出てみたが・・・喜ばれるだけ〜(汗)。
今回取り上げたのは、ぱぶりか、ダリエさん、TAMTAM、奥井亜紀さん、村松健、カズン、ソーイングマシーン、そして奥華子さん。カタログに書いたアーティストについての近状やオフィシャルサイトのアドレスなどの情報をまとめた・・・というかそれだけ(汗)。自らネットで検索したり情報を集めている人にとっては情報価値はかなり低いだろう。しかし、普及してきたとはいえ、全ての人がネットに気軽にアクセスしているわけではないし、活動停止していたアーティスト、例えば奥井亜紀さんの活動再開をかつてのファン全てが知っているわけでもない。
コミックマーケットには1つの神話がある。「そは日本の同人誌即売会では最も多種のジャンルが存する処。こになければ、他にもない。」この神話は強力だ。ジャンルを先端技術やキーデバイスなどに置き換えれば、どれだけ強力か理解されよう。コミケがコミケたりえているのはこの神話のおかげだ。この神話を背景にマイナージャンルサークルはサークル参加し、この神話を背景に一般参加者は望みのジャンルが無いか検索する。
今回のサークル参加に対し、複雑な思いがあった。「サークル参加する意味はあるのだろうか?」私が初めてサークル参加したときにはまだこれほどインターネットは普及していなかった。マスコミ媒体やFC以外の情報を得ることは難しく、ファン同士の横の繋がりも希薄だった。そのような状況下では僅かな情報や交流も大きな価値を持つ。しかし、今やIT時代、FC会報よりも詳しい公式サイト、ファンサイトによる交流や活動の拡大と状況は大きく変わってしまった。情報と交流を主に置くサークルは、個人サイトで活動を続けた方がよいのでは?そういう疑念が参加当日になっても離れなかった。そういう事から、今日の来訪者の様子によっては次回からサークル参加を諦めようかと思っていた。 左右のサークルに比べれば立ち止まる人すらほとんどいなかったが、ファン仲間が顔を出してくれた。Darieファンの吉成綾加(ペンネーム)[リンク]さん。「ライブ会場でお会いできなくて残念。次のFCイベントで〜」 TAMTAMファンのN村さん。「では、次はライブ会場で〜!」
カタログを見て来てくれた人が数名。奥井亜紀さんのファン。インターネット環境を全ての人が持っているわけではないことを再確認した。こちらの手持ちの情報、特に昨日、8/9に赤坂でライブを行ったことを伝えた時には動揺を隠せない感じだった。Maxi CDが出ていることも知らなかった様子。活動再開に飛び上がらんばかりの喜び様だった。 種ともこという名前に引っかかって尋ねてきた人。名前をドコかで見たことが・・・というので、最近はガラサキというアニメのテーマソングを歌ってましたよと教えると合点がいった様子。他にもトーキングドラムをアクセサリーに持っていた男性に、TAMTAMというユニットがセネガルのミュージシャンと9/8に渋谷クロコダイルでライブをする話をしてみたり、あれこれあった。
合間を見て、電源無し系ゲームサークル方面に挨拶に出かけた。まずは、このダイアリーノートで相互お気に入りでお世話になっている柚羽さんのサークルにご挨拶。ゴシック・ロリィタな服装だったのですぐ判った(^-^; 突然の挨拶に相当驚かれたようだ。・・・確かに怪しいか(汗)。帰りがけにPBMサークルを覗くと、週刊DIRASを作ってくれた彼が居た。挨拶の舌の根も乾かないうちに「あ、DIRASさんなら、買いますよね〜」といそいそ鞄の中を探っている。なんだろ?出てきたのは「V20 特集:カン・ユー −無能な上司」。ガンダムのトリビュートマガジン、G20のボトムズ版・・というパロディ本。しかもよりによってカン・ユーとは・・・。「・・・買った。いくら?(爆)」
PBMサークルは隔離されていた(苦笑)。顔見知りの人に挨拶した返事が、「頑張っているね〜(ニヤリ)」とは。・・・もしや、この日記、バレてる?(大汗)
東館から逃げ帰り、遊びにきたPBM仲間と話をしたりしているうちに、閉場時間になった。いそいそと片付け、お手伝いしてくれた先輩と大井さんにお礼と挨拶をした後、PBM中間と新橋に移動。睡眠不足のため、タクシーで派手に船を漕いでいたらしい<自分。 新橋モダン食堂という名前の居酒屋(?)で軽く・・食べた後、駅前の茶店で談笑。PBM業界に対して、それなりに濃い話が交わされた。
私のサークルの活動は一貫して「自分の気に入っているアーティストの紹介」を目的としている。それも他のサークルが手を付けないマイナー/インディーズな人たちを。
情報化社会は様々なものを情報化し、それの入手を可能にした。我々はなんでも知ることができるし、その選択は自由だ。だが、本当だろうか? 本当は急激に膨張した情報の海を前にして、立ちすくんでいるのではないだろうか?いや、それですらないのかも知れない。最も安易なメディアから送られる「命令電波」に従って、内的ニーズが形成され、その電気刺激によって、口に注がれたものを咀嚼しているだけなのかもしれない。
そんな閑話は休題するとして、よい音楽を発しているのに知られていないアーティストは余りに多い。彼らの音楽を知ってもらうことは表現者と鑑賞者にとって為になるのではないだろうか?そんな思い上がりから、お節介なサークル活動を行っている。
で、本日が当日。冊子の出来は・・・今回も(涙)。伝えたいものをどうにか書いているという点でかろうじて60点だろうか(30点という話も)。ちびすけを飼っている先輩が「通りすがりに」朝からサークルの椅子に座して、売り子を手伝ってくれた。ちびすけは実家のお母さんに預かってもらっているそうだ。何とか用意が済んで、開場時間。
右隣は今回原稿を落とした菅野ようこディスコグラフィーのサークルさん。菅野ようこMLに入っているが全く発言していないので、よそよそしい挨拶に。左隣はZabadakディスコグラフィーを出している大井(ハンドルネーム)さんのサークル「玄武プロジェクト」。彼と隣になれたのはありがたい。編成スタッフに感謝。彼は今回、ざば歌友の会発行の「Zabadak歌詞本」を委託販売として、ひっさげてきた。同人誌なのだが、きちんとJASRACに申請許可を取った凄い本。「自分たちが歌うのに歌詞をコピーするのは気が引ける、しかし歌詞集は個々に欲しい」という願いが産んだ。売り上げの一部はJASRACを通して著作権者の元に、それ以外の最終利益は公共団体に寄付。この仁義の切り方は半端じゃない。アーティストとファンの幸福な関係。そういうアーティストのファンであることを誇りに思う。そしてアーティストがそれに対して作品を、アーティスト活動を通して答えてくれることを願う。
さて肝心の私のサークルの方だが、左右のお客さんを団扇で扇いで関心をもってもらうという姑息な作戦に出てみたが・・・喜ばれるだけ〜(汗)。
今回取り上げたのは、ぱぶりか、ダリエさん、TAMTAM、奥井亜紀さん、村松健、カズン、ソーイングマシーン、そして奥華子さん。カタログに書いたアーティストについての近状やオフィシャルサイトのアドレスなどの情報をまとめた・・・というかそれだけ(汗)。自らネットで検索したり情報を集めている人にとっては情報価値はかなり低いだろう。しかし、普及してきたとはいえ、全ての人がネットに気軽にアクセスしているわけではないし、活動停止していたアーティスト、例えば奥井亜紀さんの活動再開をかつてのファン全てが知っているわけでもない。
コミックマーケットには1つの神話がある。「そは日本の同人誌即売会では最も多種のジャンルが存する処。こになければ、他にもない。」この神話は強力だ。ジャンルを先端技術やキーデバイスなどに置き換えれば、どれだけ強力か理解されよう。コミケがコミケたりえているのはこの神話のおかげだ。この神話を背景にマイナージャンルサークルはサークル参加し、この神話を背景に一般参加者は望みのジャンルが無いか検索する。
今回のサークル参加に対し、複雑な思いがあった。「サークル参加する意味はあるのだろうか?」私が初めてサークル参加したときにはまだこれほどインターネットは普及していなかった。マスコミ媒体やFC以外の情報を得ることは難しく、ファン同士の横の繋がりも希薄だった。そのような状況下では僅かな情報や交流も大きな価値を持つ。しかし、今やIT時代、FC会報よりも詳しい公式サイト、ファンサイトによる交流や活動の拡大と状況は大きく変わってしまった。情報と交流を主に置くサークルは、個人サイトで活動を続けた方がよいのでは?そういう疑念が参加当日になっても離れなかった。そういう事から、今日の来訪者の様子によっては次回からサークル参加を諦めようかと思っていた。 左右のサークルに比べれば立ち止まる人すらほとんどいなかったが、ファン仲間が顔を出してくれた。Darieファンの吉成綾加(ペンネーム)[リンク]さん。「ライブ会場でお会いできなくて残念。次のFCイベントで〜」 TAMTAMファンのN村さん。「では、次はライブ会場で〜!」
カタログを見て来てくれた人が数名。奥井亜紀さんのファン。インターネット環境を全ての人が持っているわけではないことを再確認した。こちらの手持ちの情報、特に昨日、8/9に赤坂でライブを行ったことを伝えた時には動揺を隠せない感じだった。Maxi CDが出ていることも知らなかった様子。活動再開に飛び上がらんばかりの喜び様だった。 種ともこという名前に引っかかって尋ねてきた人。名前をドコかで見たことが・・・というので、最近はガラサキというアニメのテーマソングを歌ってましたよと教えると合点がいった様子。他にもトーキングドラムをアクセサリーに持っていた男性に、TAMTAMというユニットがセネガルのミュージシャンと9/8に渋谷クロコダイルでライブをする話をしてみたり、あれこれあった。
合間を見て、電源無し系ゲームサークル方面に挨拶に出かけた。まずは、このダイアリーノートで相互お気に入りでお世話になっている柚羽さんのサークルにご挨拶。ゴシック・ロリィタな服装だったのですぐ判った(^-^; 突然の挨拶に相当驚かれたようだ。・・・確かに怪しいか(汗)。帰りがけにPBMサークルを覗くと、週刊DIRASを作ってくれた彼が居た。挨拶の舌の根も乾かないうちに「あ、DIRASさんなら、買いますよね〜」といそいそ鞄の中を探っている。なんだろ?出てきたのは「V20 特集:カン・ユー −無能な上司」。ガンダムのトリビュートマガジン、G20のボトムズ版・・というパロディ本。しかもよりによってカン・ユーとは・・・。「・・・買った。いくら?(爆)」
PBMサークルは隔離されていた(苦笑)。顔見知りの人に挨拶した返事が、「頑張っているね〜(ニヤリ)」とは。・・・もしや、この日記、バレてる?(大汗)
東館から逃げ帰り、遊びにきたPBM仲間と話をしたりしているうちに、閉場時間になった。いそいそと片付け、お手伝いしてくれた先輩と大井さんにお礼と挨拶をした後、PBM中間と新橋に移動。睡眠不足のため、タクシーで派手に船を漕いでいたらしい<自分。 新橋モダン食堂という名前の居酒屋(?)で軽く・・食べた後、駅前の茶店で談笑。PBM業界に対して、それなりに濃い話が交わされた。
いぬもあるけば・・・「この小さき/愛すべきもの」
2001年8月9日 締め切り前日、原稿を終わらせなければならない状態になってから書きたいことがわらわらと出てくる。今更〜!
最低限書かなければならない項目を上げて、画面を埋めてゆく、埋めてゆく・・・
こう、殺伐とした気分になると、気分転換をしたくなる。ぱぶりかのサイトでは、tetsuyaさんたちがデジカメで撮った画像を掲示板にアップしていて、さながら子猫の飼育日記のような状態にある。ちっちゃな手足をパタパタさせている感じの子猫の画像を見ていると、気分が丸くなってくる〜。
最近、ちっちゃなものを飼う知り合いが増えている気がする。それも自ら求めてではなく、「出会ってしまった・・」という運命的(?)なきっかけによって。私をザバダックに填めた、つまり今の音楽生活に至らしめたきっかけをつくった大学時代の先輩の家に変わったお客がホームスティしている。[->リンク]
近所の人が拾ったのを見殺しにできないので飼うことになったようだ。「見慣れない生き物で、イメージがよくないので誤解されている動物」、「今は片割れが亡くなってしまったが、最初は2匹いた」などという事から、私は紫堂恭子先生の「グランローヴァ物語」のデジとダジを連想してしまった。
一人立ちをするのはいつだろうか。それまで、この可愛いコウモリの子供が元気にいてほしいと、ネットを介して祈っているこのごろなのある。
最低限書かなければならない項目を上げて、画面を埋めてゆく、埋めてゆく・・・
こう、殺伐とした気分になると、気分転換をしたくなる。ぱぶりかのサイトでは、tetsuyaさんたちがデジカメで撮った画像を掲示板にアップしていて、さながら子猫の飼育日記のような状態にある。ちっちゃな手足をパタパタさせている感じの子猫の画像を見ていると、気分が丸くなってくる〜。
最近、ちっちゃなものを飼う知り合いが増えている気がする。それも自ら求めてではなく、「出会ってしまった・・」という運命的(?)なきっかけによって。私をザバダックに填めた、つまり今の音楽生活に至らしめたきっかけをつくった大学時代の先輩の家に変わったお客がホームスティしている。[->リンク]
近所の人が拾ったのを見殺しにできないので飼うことになったようだ。「見慣れない生き物で、イメージがよくないので誤解されている動物」、「今は片割れが亡くなってしまったが、最初は2匹いた」などという事から、私は紫堂恭子先生の「グランローヴァ物語」のデジとダジを連想してしまった。
一人立ちをするのはいつだろうか。それまで、この可愛いコウモリの子供が元気にいてほしいと、ネットを介して祈っているこのごろなのある。
いぬもあるけば・・・「拘束中」
2001年8月8日 今日、帰れる予定が帰れなくなった。かなりヤバイ。何がヤバイって、原稿作成が。
8/10の5時までにプリントアウト出来ていなければ、どうにもならない。そんな状況なのに、トラブル続きで帰れない。
最も肝心の日に休めなくなる可能性もある。今回のイベント参加は色々な意味で綱渡り状態だ。
うーん、「看板に偽り」ありになりそうだなぁ。(8/10 西か-43a「遊茶会」) せめて現在の情報だけでも纏めよう。ライブレポートはこの日記のテキストをカット&ペーストするしかなかろう。
「後悔、役立たず」とはよく言ったもの。少しでも書き連ねよう。ぐふっ・・・
8/10の5時までにプリントアウト出来ていなければ、どうにもならない。そんな状況なのに、トラブル続きで帰れない。
最も肝心の日に休めなくなる可能性もある。今回のイベント参加は色々な意味で綱渡り状態だ。
うーん、「看板に偽り」ありになりそうだなぁ。(8/10 西か-43a「遊茶会」) せめて現在の情報だけでも纏めよう。ライブレポートはこの日記のテキストをカット&ペーストするしかなかろう。
「後悔、役立たず」とはよく言ったもの。少しでも書き連ねよう。ぐふっ・・・
いぬもあるけば・・・「駅弁」
2001年8月7日 会社に寄ってから、東京駅に向かった。駅で朝食を求めたところ、この間ニュースになっていたNREのオーベントーシリーズを売っていた。有機米にこだわり、それ以外の素材も厳選したお弁当。問題になったのは有機米。改正JAS法の基づいて有機認定された有機米の大量発注を計画したところ、日本ではなくアメリカに求めるしかなかったという曰くがあった。JRで販売されるお弁当に輸入米を使うなんて!と日本の農業団体が大騒ぎした。が、どうだろう?NREは美味しい物、安全なものを求めただけなのだ。その期待に日本の農業が答えられなかったということだ。インタビューによれば、日本で求めるものがあれば購入を検討したが、対抗が無かったという。
農業団体は安全な有機米を作ることを農家に指導すべきなのだ。資本主義は市場が全てなのならば、マーケティングに注力し、消費者のニーズにあった農作物を提供しなければならない。怠った者達は市場から駆逐される。
例えば、遺伝子組み替え大豆があれだけ大騒ぎになるならば、「安全」は大きな利点になる。有機=安全ではない。寄生虫の問題などあって、決して簡単に出来るものではない。そういう「危険」をアピールした上で「安全」を歌えば、抗菌ブームと同じように対抗商品を追い落とすことができるだろう。それが健全な経営か、長期的に良いことかどうかはともかく。
それに、騒ぐ相手を間違えている。こんな小さな所に対して敏感になっていること自体、敵を判っていない証拠だ。叩くならば子供達から米飯の習慣を取り上げようとする巨大ハンバーガーショップだろう。子供達の味蕾/未来はジャンクフードに慣れさせられている。後10年したら、米食は20年前のパン食のように珍しいものになるかもしれない。
牛丼屋があるじゃないかという意見があるかもしれないが、300円以下で出している米は日本産なのだろうか?安くて味の良い米を求めるならば・・・。「コシヒカリ使用」=日本産ではないことを考えれば、コンビニ弁当だって怪しい。
などとくだらないことを考えなくても、NREのオーベントーシリーズは売れて行くだろう。私が買ったミニ牛すき焼き弁当(330円)の味がそれを教えてくれる。値段に驚くし、味に驚く。倍、3倍の値段の他の弁当を買うのがバカらしくなる。価格帯が同じコンビニ弁当もこの味には圧倒されるのではないだろうか?となれば、ゆくゆくはコンビニでもこのような弁当を採用する可能性があるだろう。消費者は残酷なのだ。
このお弁当はJR東京駅、上野駅の主要弁当売店もしくは東京近郊JR主要駅のサンディーヌエクスプレス等で求めることができる。
農業団体は安全な有機米を作ることを農家に指導すべきなのだ。資本主義は市場が全てなのならば、マーケティングに注力し、消費者のニーズにあった農作物を提供しなければならない。怠った者達は市場から駆逐される。
例えば、遺伝子組み替え大豆があれだけ大騒ぎになるならば、「安全」は大きな利点になる。有機=安全ではない。寄生虫の問題などあって、決して簡単に出来るものではない。そういう「危険」をアピールした上で「安全」を歌えば、抗菌ブームと同じように対抗商品を追い落とすことができるだろう。それが健全な経営か、長期的に良いことかどうかはともかく。
それに、騒ぐ相手を間違えている。こんな小さな所に対して敏感になっていること自体、敵を判っていない証拠だ。叩くならば子供達から米飯の習慣を取り上げようとする巨大ハンバーガーショップだろう。子供達の味蕾/未来はジャンクフードに慣れさせられている。後10年したら、米食は20年前のパン食のように珍しいものになるかもしれない。
牛丼屋があるじゃないかという意見があるかもしれないが、300円以下で出している米は日本産なのだろうか?安くて味の良い米を求めるならば・・・。「コシヒカリ使用」=日本産ではないことを考えれば、コンビニ弁当だって怪しい。
などとくだらないことを考えなくても、NREのオーベントーシリーズは売れて行くだろう。私が買ったミニ牛すき焼き弁当(330円)の味がそれを教えてくれる。値段に驚くし、味に驚く。倍、3倍の値段の他の弁当を買うのがバカらしくなる。価格帯が同じコンビニ弁当もこの味には圧倒されるのではないだろうか?となれば、ゆくゆくはコンビニでもこのような弁当を採用する可能性があるだろう。消費者は残酷なのだ。
このお弁当はJR東京駅、上野駅の主要弁当売店もしくは東京近郊JR主要駅のサンディーヌエクスプレス等で求めることができる。
いぬもあるけば・・・「休みボケする暇なし」
2001年8月6日 栄養ドリンクが効いたのか、思ったほど疲れがなかった。調子に乗って会社に行く前に同じ栄養ドリンクを購入。これで完璧でありますっ!
会社では本日締め切りの提案書や連絡書、及び明日からの出張準備などやるべき事が山の様にあった。未読のメールも山の様。
と、大学時代の友人からのメールを発見。8/4に市川の花火大会を見に行ったらしい。デジカメで撮影した動画(AVI)ファイル!こんな物も送れるようになったのだよね〜。
ヒィヒィいいながら全ての作業を終えた。休みボケしている暇もない。が、客先へFAXが送れない。何度やっても。どうやら客先のFAXの電源が落ちているようだ。今日中に、締め切り厳守との話だったのに。仕方ないので、事情をメールで連絡。明日の朝、また送り直すことにした。23時過ぎ。ふぅ。
会社では本日締め切りの提案書や連絡書、及び明日からの出張準備などやるべき事が山の様にあった。未読のメールも山の様。
と、大学時代の友人からのメールを発見。8/4に市川の花火大会を見に行ったらしい。デジカメで撮影した動画(AVI)ファイル!こんな物も送れるようになったのだよね〜。
ヒィヒィいいながら全ての作業を終えた。休みボケしている暇もない。が、客先へFAXが送れない。何度やっても。どうやら客先のFAXの電源が落ちているようだ。今日中に、締め切り厳守との話だったのに。仕方ないので、事情をメールで連絡。明日の朝、また送り直すことにした。23時過ぎ。ふぅ。
いぬもあるけば・・・「粟島旅行(3)」
2001年8月5日 Oさんの携帯が鳴っている。アラームだ。だが本人が止めるようすがない。どうしたのかと顔を上げると…寝入っている!隣部屋を気遣って、Oさんを起こして止めて貰う。ふーっ!では、寝直そう…じゃなくて(汗)。他の2人は動き出した。仕方ない、ひりひりする箇所を気遣いながら、朝食会場へ。当初の予定では今日もワッパ煮が1人に1つ付いてくるはずだった。美味しいがちょっとボリュームがありすぎる。そこで、2人で1つに変えて貰った。ワッパ煮の小盛り、これぞ「コワッパ煮(当社比1/2)」(違)。 これ以外にも目玉焼き、キクの花の和え物、岩ノリの甘煮、オクラ、刺身、焼きシャケ、昆布の炒め物、グレープフルーツ・・・と盛り沢山なのだ。
どうにか戦いに勝利し、部屋に戻って着替え、及び撤収の準備をする。今日は宿から近いところで遊ぶ予定。釜谷にいる間、荷物を預かってもらい、シャワーを貸してもらえるようにお願いして置いた。
10時過ぎに岩浜の海水浴場に向かった。すでに先客がいたが、みな海水浴というよりも、シュノーケリングで何かを探している様子。見回すと辺りには焦げ目のあるサザエの貝殻あちこちに…。Oさんがビーチパラソルを借りてきた。今日は浜で待機しているUさんのため、日焼けに苦しむ我々のため。
岩浜の岩肌は藻が茂っていて、滑りやすく、余り快適ではなかった。この辺りではなく、もっと違うところだったら違ったろうが、どちらしにても鋭い岩肌歩き用の装備を持ってきていなかった我々は無理ができなかった。藻が茂っているということから判るように透明度もそれほどよくはない。気が削がれてしまった。小舟を停泊させている辺りは魚を追いかけることが出来たが…。結局、予定より早めに撤収した。別れてシャワーを浴び、着替えてから、昼食を食べに近くの食堂に出掛けた。丁度お昼ごろだったので、混んでいた。その混み具合が観光地っぽくてよい感じ。岩ノリそばを食した。岩ノリそばは、岩ノリが思った以上に歯ごたえがあって、それが食していて楽しい。休みモードのOさん、夕方には運転が待っているがその前に〜と生ビールを呑む同志を探していた。岩舟港から運転が待っているKさんには悪いが、その話、乗った!昼間から生ビールを呑んでる2人。休日だね〜っ!
宿の親父さんとの約束の時間まで港周辺を散歩していた。港内の方が、先程の岩浜よりも綺麗なんですが〜。魚も沢山いるし。泳いでいる人もいる。飛び込みが楽しそう。こっちで遊べば良かったなとちょっと後悔。
ワゴンに揺られて内浦港へ。1時間ほど時間がある。お土産を買う3人はお店へ。携帯が繋がる場所に来たので、私は荷物の見張り役をしながらネットにアクセス。
帰りも高速船「あすか」。遊び疲れでやはり船内一眠り。15時半に岩船港に着いた。
空いた一升びんを購入した酒屋に持っていく。10円ナリ。茨城に帰るUさんのために新潟駅に向かうことに。途中、「新潟ビール園」に寄って、ビールとツマミなどを購入。Uさんと私だけ頂く。新潟駅までの道のりは新潟競馬場から出てくる車などで渋滞気味だった。どうにか駅につく。Uさんとはここでお別れ。次に会えるのは、11日かな?
マンガ専門学校という怪しい建物の脇を通ったりして、一路長岡へ。無事に到着。荷物をOさんの車に移し、Kさんにお礼とお別れを言った後、高崎を目指す。道中、Oさんに奥華子さんの歌を聴かせる。割と気に入って貰えたようだ。関越自動車道は妙に事故車が目立ったが、大きな渋滞もなく高崎に着いた。 Oさんにもお礼とお別れの挨拶。次に会えるのは12日?
翌日からタイトなスケジュールだったので、疲れを残さないために新幹線を使う予定だった。キップを買う目の前で東京行きが出発してしまった。次の列車に乗るには30分近くも待たなければならない・・・気が付くと普通乗車券を持って、駅蕎麦を食べている男が1人(汗)。上野行きの車中でネットに繋いでサイト巡り。落としたテキストを読み終わったら、かなりの所まで進んでいた。
尻手駅前のコンビニで滅多に買わない栄養ドリンクを購入。ヒリヒリする部分が不安ではあったが、取りあえず何事もなく無事に帰ってこれた。充実した休みを過ごしたことに満足感〜!こうして、男1女3構成のお気楽でちょっと奇妙な旅行が終わった。楽しい思い出を残して…。
……が、物語はそれで終わらせてくれなかった。
満足感に浸りながら、ドアを開けようとする。開かない…。「?!…きちんと鍵を回したのに……ハッ!!」 そう、元々鍵が掛かっていなかった。4日間、鍵が掛かっていないまま放置していたってこと?……ズーン(滝汗)。
どうにか戦いに勝利し、部屋に戻って着替え、及び撤収の準備をする。今日は宿から近いところで遊ぶ予定。釜谷にいる間、荷物を預かってもらい、シャワーを貸してもらえるようにお願いして置いた。
10時過ぎに岩浜の海水浴場に向かった。すでに先客がいたが、みな海水浴というよりも、シュノーケリングで何かを探している様子。見回すと辺りには焦げ目のあるサザエの貝殻あちこちに…。Oさんがビーチパラソルを借りてきた。今日は浜で待機しているUさんのため、日焼けに苦しむ我々のため。
岩浜の岩肌は藻が茂っていて、滑りやすく、余り快適ではなかった。この辺りではなく、もっと違うところだったら違ったろうが、どちらしにても鋭い岩肌歩き用の装備を持ってきていなかった我々は無理ができなかった。藻が茂っているということから判るように透明度もそれほどよくはない。気が削がれてしまった。小舟を停泊させている辺りは魚を追いかけることが出来たが…。結局、予定より早めに撤収した。別れてシャワーを浴び、着替えてから、昼食を食べに近くの食堂に出掛けた。丁度お昼ごろだったので、混んでいた。その混み具合が観光地っぽくてよい感じ。岩ノリそばを食した。岩ノリそばは、岩ノリが思った以上に歯ごたえがあって、それが食していて楽しい。休みモードのOさん、夕方には運転が待っているがその前に〜と生ビールを呑む同志を探していた。岩舟港から運転が待っているKさんには悪いが、その話、乗った!昼間から生ビールを呑んでる2人。休日だね〜っ!
宿の親父さんとの約束の時間まで港周辺を散歩していた。港内の方が、先程の岩浜よりも綺麗なんですが〜。魚も沢山いるし。泳いでいる人もいる。飛び込みが楽しそう。こっちで遊べば良かったなとちょっと後悔。
ワゴンに揺られて内浦港へ。1時間ほど時間がある。お土産を買う3人はお店へ。携帯が繋がる場所に来たので、私は荷物の見張り役をしながらネットにアクセス。
帰りも高速船「あすか」。遊び疲れでやはり船内一眠り。15時半に岩船港に着いた。
空いた一升びんを購入した酒屋に持っていく。10円ナリ。茨城に帰るUさんのために新潟駅に向かうことに。途中、「新潟ビール園」に寄って、ビールとツマミなどを購入。Uさんと私だけ頂く。新潟駅までの道のりは新潟競馬場から出てくる車などで渋滞気味だった。どうにか駅につく。Uさんとはここでお別れ。次に会えるのは、11日かな?
マンガ専門学校という怪しい建物の脇を通ったりして、一路長岡へ。無事に到着。荷物をOさんの車に移し、Kさんにお礼とお別れを言った後、高崎を目指す。道中、Oさんに奥華子さんの歌を聴かせる。割と気に入って貰えたようだ。関越自動車道は妙に事故車が目立ったが、大きな渋滞もなく高崎に着いた。 Oさんにもお礼とお別れの挨拶。次に会えるのは12日?
翌日からタイトなスケジュールだったので、疲れを残さないために新幹線を使う予定だった。キップを買う目の前で東京行きが出発してしまった。次の列車に乗るには30分近くも待たなければならない・・・気が付くと普通乗車券を持って、駅蕎麦を食べている男が1人(汗)。上野行きの車中でネットに繋いでサイト巡り。落としたテキストを読み終わったら、かなりの所まで進んでいた。
尻手駅前のコンビニで滅多に買わない栄養ドリンクを購入。ヒリヒリする部分が不安ではあったが、取りあえず何事もなく無事に帰ってこれた。充実した休みを過ごしたことに満足感〜!こうして、男1女3構成のお気楽でちょっと奇妙な旅行が終わった。楽しい思い出を残して…。
……が、物語はそれで終わらせてくれなかった。
満足感に浸りながら、ドアを開けようとする。開かない…。「?!…きちんと鍵を回したのに……ハッ!!」 そう、元々鍵が掛かっていなかった。4日間、鍵が掛かっていないまま放置していたってこと?……ズーン(滝汗)。
いぬもあるけば・・・「粟島旅行(2)」
2001年8月4日 朝七時、朝食は海に面した広場が食堂となる。名物「ワッパ煮」がここで作られる。「ワッパ煮」とは木の曲げ物に魚と水と味噌、薬味にネギを入れて置いて、そこに熱せられた石を入れたもの。熱せられた石によってたちまちワッパの中の水が沸騰する。そういう荒々しい漁師の料理だ。魚はマダイにカワハギ。これ以外にお膳がつく。天草からの自家製ところてん(美味しかった)、つるむらさきのお浸し、ハム、生野菜、卵焼き、蛸刺し(歯ごたえ宜し)、焼きトビ(トビウオ)、あらめ(海草)、そして自家製メロン(あまり熟してはいなかった)。・・・朝からなんともボリュームのある食事。尤もこれから海水浴するには丁度いいだろう。
民宿で先に水着に着替えてから、10時頃に宿の親父さんに内浦海水浴場まで送って貰った。黒、緑、赤、青の海水浴客、参上!こちらの海水浴場は砂浜なので普通のノリで愉しめる。釜谷の方は岩浜。一ヶ所で違う浜が愉しめることになる。
泳ぎの得意なKさんは早速周囲を探索。まともな海水浴は久々な私は泳ぐというよりも浮き輪を使ってダラダラプカプカ浮いていた。海水は想像以上に綺麗で、海水浴場として設定している範囲でも透明度の高さから水中観察を楽しむ事が出来た。Oさんはかなりご機嫌だった。その辺りで魚を数種類観察できるのだから、別の岩場などではもの凄く綺麗なものや楽しいものが見られるだろう。Uさんは、日差しに負けたのか、気が付くと着替えていて、水着を干しながら浜辺で座していた。
休憩時に持ってきたパーコレーター一式でコーヒーを沸かし、皆に振る舞った。わざわざ持ってきたのだ。嵩張るにも関わらず。その分の代償は大きかったけど。
そんなこんなでお昼過ぎまで浜で遊んだ。気が付くと腕や肩が真っ赤。日焼け止めを借りたり、買ってきた日焼けローションをダバダバ付けていたので大丈夫だと思っていたのだが・・・。どうやら、夏の浜辺の日差しの強さをなめていたようだ。
シャワーを浴びる代わりに、内浦港近くにある漁火温泉を訪れることにした。私が来たときには無かったと思う。水着にTシャツ姿で、トテトテ歩く。10分後の13時半に到着。集合時間を14時にして解散。温泉の泉質を確認しないまま、湯船に浸かる。妙にヌルッとした感じ。弱アルカリ性高張性低温泉という文字を見ていたので、アルカリ性のものなのだろう。顔を洗った。しょっぱい!!というか、塩水よりも重い・・・そう海水のような・・・。温泉は限りなく海水と同じ成分「ナトリウム・カルシウム−塩化物温泉」だった。海水浴から上がって、また海水浴している〜♪暖まりますな〜。 ゆっくり浸かっていたら、集合時間を過ぎてしまった。休憩場で牛乳を腰に手を当てて呑む「湯上がりの儀式」を済ませた後、遅めの昼食をするために食堂を探しに出た。
昨日から魚づくしで、ちょっと肉も食べたくなった私とUさんはチャーシューがあるという理由でラーメンを食した。そうそう、休日モードなのでビールも忘れずに。昼間っから飲むと休日であることを感じる。
釜谷までの観光船で呑むために缶ビールを求める。観光船は観光というにはかなり烈しかった。岬ちかくになると結構揺れ、波しぶきが虹をつくる。1眼レフを片手にしていた私は、波しぶきがカメラに掛かるのを怖れて撮影を中止した。元々乗り物酔いしやすいKさんは酔いのためというより揺れそのものが苦手だったらしく、船の手すりをしっかり握って動けない状態。私は、短い距離だが電車通勤しているおかげで手すりに掴まらなくても体勢を維持できた。何かのアトラクションだと考えて揺れを楽しんでいた。釜谷港に着いた。Kさんはヘロヘロ。「明日、内浦には車で送ってもらいましょう。絶対に〜!」と。
部屋に戻って、腰を下ろす。思った以上に日焼けが烈しいことが判った。腕や太股にクーリングスプレーの冷たい液を当てる度にピクッと身体を振るわす私。Oさんも焼きに来たとはいえ、考えていた以上に焼いてしまったらしい。あちらは肩中心。すでに焼いていて耐性が出来ているKさんと懸命にも早々に着替えたUさんはダメージがないようだ。以後、Oさんと2人で何かにつけ、「ヒーッ」と悲鳴を上げ続けることになる。
隣の男性の団体客が五月蠅く、襖の隙間から入ってくる煙草の煙に全員負けたこともあって、夕食までの間、釜谷港周辺を散歩した。浜辺で1人遊んでいる少女に声を掛けてみたり、フナムシと鬼ごっこしてみたり。公園でブランコを発見して、それに乗って遊ぶOさんとUさん。「流石に昔みたいに飛べはしないなぁ〜」 日本海に沈む夕陽を見たかったが、宿の人に連絡していないので戻ることにした。夕食の時間が近づいていた。
今日は混むので、最悪の場合、宿泊部屋で食事を取ることになると脅かされていた。が、昨日と同じ宴会場で取ることになった。そこでは隣部屋の団体さんが大盛り上がりしていた。体育会系のノリで簡単なゲームをして、呑ませあっていた。昨日、可能だった会話が彼らの騒ぎ声で聞き取れない。・・・黙々と食べる妙に静かな食事になってしまった。メニューは昨日の順番だと、上は焼きアジ、クマザサの子の梅酢漬け、ソイの煮付け、ムラサキガイ、グレープフルーツ。中はタイの刺身、?、山アスパラ、スイカ。手前はエゴ練り、漬け物、蛸の子の煮物。一団が去ってから、ようやくまともに会話をしたり、呑んだりがはじまった。昨日の辛口が合わなかったUさんのために宿で出される甘口をもう1本付けた。
食事が終わる頃、先程のお隣さんたちが宴会場に荷物をもって移動してきた。どうやら部屋を交代したようだ。隣部屋に人はいるが、彼らほど騒がないしチェーンスモーカーでもないだろう。ほっとした。
夕食後、持参した花火をするために港に出た。広場を離れ、人気のない通りでやることにした。買ってきたのは設置型と手持ち型。設置型を次々点火。一瞬辺りが照らされる。割と綺麗〜。火種のロウソクが尽きるまでに全ての手持ち型を終えようと焦って、火を点ける。ようやくメインイベントの線香花火を迎えたとき、ロウソクはもうわずかしかなかった。追い打ちを掛けるように強く吹きだす風。線香花火の玉が出来て火花が散り出すと、風に揺られて玉が落ちてしまう。場所を移動しても同じ。結局、まともに火花を楽しむことが出来なかった。ショボン・・・。
寂しく部屋に戻った。内浦地区は通じるが、釜谷地区は携帯も圏外の場所であるため、ネットを繋ぐことも出来ない。ジンジンと火照る日焼け部分を冷やしながら、布団に寝転がりながら飲み会となる。昨日4合ぐらいやっつけたのであと6合ほど、腰を据えて呑めば呑みきる。よい酒なので翌朝残らないのは今朝に判っている。おしゃべりの種は尽きない。杯を重ねて2時間以上掛けて空瓶を作った。勝利であります! (問題は呑みすぎたこともあって、おしゃべりの内容を余り覚えていないこと。うーむ(汗)) 明日の計画も話し終わり、そのまま各人思い思いに夢の世界に旅立っていった。
民宿で先に水着に着替えてから、10時頃に宿の親父さんに内浦海水浴場まで送って貰った。黒、緑、赤、青の海水浴客、参上!こちらの海水浴場は砂浜なので普通のノリで愉しめる。釜谷の方は岩浜。一ヶ所で違う浜が愉しめることになる。
泳ぎの得意なKさんは早速周囲を探索。まともな海水浴は久々な私は泳ぐというよりも浮き輪を使ってダラダラプカプカ浮いていた。海水は想像以上に綺麗で、海水浴場として設定している範囲でも透明度の高さから水中観察を楽しむ事が出来た。Oさんはかなりご機嫌だった。その辺りで魚を数種類観察できるのだから、別の岩場などではもの凄く綺麗なものや楽しいものが見られるだろう。Uさんは、日差しに負けたのか、気が付くと着替えていて、水着を干しながら浜辺で座していた。
休憩時に持ってきたパーコレーター一式でコーヒーを沸かし、皆に振る舞った。わざわざ持ってきたのだ。嵩張るにも関わらず。その分の代償は大きかったけど。
そんなこんなでお昼過ぎまで浜で遊んだ。気が付くと腕や肩が真っ赤。日焼け止めを借りたり、買ってきた日焼けローションをダバダバ付けていたので大丈夫だと思っていたのだが・・・。どうやら、夏の浜辺の日差しの強さをなめていたようだ。
シャワーを浴びる代わりに、内浦港近くにある漁火温泉を訪れることにした。私が来たときには無かったと思う。水着にTシャツ姿で、トテトテ歩く。10分後の13時半に到着。集合時間を14時にして解散。温泉の泉質を確認しないまま、湯船に浸かる。妙にヌルッとした感じ。弱アルカリ性高張性低温泉という文字を見ていたので、アルカリ性のものなのだろう。顔を洗った。しょっぱい!!というか、塩水よりも重い・・・そう海水のような・・・。温泉は限りなく海水と同じ成分「ナトリウム・カルシウム−塩化物温泉」だった。海水浴から上がって、また海水浴している〜♪暖まりますな〜。 ゆっくり浸かっていたら、集合時間を過ぎてしまった。休憩場で牛乳を腰に手を当てて呑む「湯上がりの儀式」を済ませた後、遅めの昼食をするために食堂を探しに出た。
昨日から魚づくしで、ちょっと肉も食べたくなった私とUさんはチャーシューがあるという理由でラーメンを食した。そうそう、休日モードなのでビールも忘れずに。昼間っから飲むと休日であることを感じる。
釜谷までの観光船で呑むために缶ビールを求める。観光船は観光というにはかなり烈しかった。岬ちかくになると結構揺れ、波しぶきが虹をつくる。1眼レフを片手にしていた私は、波しぶきがカメラに掛かるのを怖れて撮影を中止した。元々乗り物酔いしやすいKさんは酔いのためというより揺れそのものが苦手だったらしく、船の手すりをしっかり握って動けない状態。私は、短い距離だが電車通勤しているおかげで手すりに掴まらなくても体勢を維持できた。何かのアトラクションだと考えて揺れを楽しんでいた。釜谷港に着いた。Kさんはヘロヘロ。「明日、内浦には車で送ってもらいましょう。絶対に〜!」と。
部屋に戻って、腰を下ろす。思った以上に日焼けが烈しいことが判った。腕や太股にクーリングスプレーの冷たい液を当てる度にピクッと身体を振るわす私。Oさんも焼きに来たとはいえ、考えていた以上に焼いてしまったらしい。あちらは肩中心。すでに焼いていて耐性が出来ているKさんと懸命にも早々に着替えたUさんはダメージがないようだ。以後、Oさんと2人で何かにつけ、「ヒーッ」と悲鳴を上げ続けることになる。
隣の男性の団体客が五月蠅く、襖の隙間から入ってくる煙草の煙に全員負けたこともあって、夕食までの間、釜谷港周辺を散歩した。浜辺で1人遊んでいる少女に声を掛けてみたり、フナムシと鬼ごっこしてみたり。公園でブランコを発見して、それに乗って遊ぶOさんとUさん。「流石に昔みたいに飛べはしないなぁ〜」 日本海に沈む夕陽を見たかったが、宿の人に連絡していないので戻ることにした。夕食の時間が近づいていた。
今日は混むので、最悪の場合、宿泊部屋で食事を取ることになると脅かされていた。が、昨日と同じ宴会場で取ることになった。そこでは隣部屋の団体さんが大盛り上がりしていた。体育会系のノリで簡単なゲームをして、呑ませあっていた。昨日、可能だった会話が彼らの騒ぎ声で聞き取れない。・・・黙々と食べる妙に静かな食事になってしまった。メニューは昨日の順番だと、上は焼きアジ、クマザサの子の梅酢漬け、ソイの煮付け、ムラサキガイ、グレープフルーツ。中はタイの刺身、?、山アスパラ、スイカ。手前はエゴ練り、漬け物、蛸の子の煮物。一団が去ってから、ようやくまともに会話をしたり、呑んだりがはじまった。昨日の辛口が合わなかったUさんのために宿で出される甘口をもう1本付けた。
食事が終わる頃、先程のお隣さんたちが宴会場に荷物をもって移動してきた。どうやら部屋を交代したようだ。隣部屋に人はいるが、彼らほど騒がないしチェーンスモーカーでもないだろう。ほっとした。
夕食後、持参した花火をするために港に出た。広場を離れ、人気のない通りでやることにした。買ってきたのは設置型と手持ち型。設置型を次々点火。一瞬辺りが照らされる。割と綺麗〜。火種のロウソクが尽きるまでに全ての手持ち型を終えようと焦って、火を点ける。ようやくメインイベントの線香花火を迎えたとき、ロウソクはもうわずかしかなかった。追い打ちを掛けるように強く吹きだす風。線香花火の玉が出来て火花が散り出すと、風に揺られて玉が落ちてしまう。場所を移動しても同じ。結局、まともに火花を楽しむことが出来なかった。ショボン・・・。
寂しく部屋に戻った。内浦地区は通じるが、釜谷地区は携帯も圏外の場所であるため、ネットを繋ぐことも出来ない。ジンジンと火照る日焼け部分を冷やしながら、布団に寝転がりながら飲み会となる。昨日4合ぐらいやっつけたのであと6合ほど、腰を据えて呑めば呑みきる。よい酒なので翌朝残らないのは今朝に判っている。おしゃべりの種は尽きない。杯を重ねて2時間以上掛けて空瓶を作った。勝利であります! (問題は呑みすぎたこともあって、おしゃべりの内容を余り覚えていないこと。うーむ(汗)) 明日の計画も話し終わり、そのまま各人思い思いに夢の世界に旅立っていった。
いぬもあるけば・・・「粟島旅行(1)」
2001年8月3日 「粟島」・・・新潟県には2つ島がある。1つは佐渡島、そして粟島だ。この粟島に*年ぶり二度目の渡島。昨日、長岡花火を見た4名による、2泊3日の旅・・・。
朝、お昼過ぎまで仕事のある寝場所提供者のKさんを3名で見送った後、へぎそばで名高い小嶋屋で遅めの朝食を取った。朝からへぎ・・というのにも非常に惹かれたが、その後の事を考えると余りに無謀なので断念。セットメニューを注文。朝食後、ジャスコで足りない物を購入。乗り物酔い、サンオイル、熱いものも大丈夫な紙コップなどなど。部屋に戻って旅支度。Kさんの車に荷物と人を詰めて、出発。粟島汽船の乗り場のある岩船港へ。道中、私の「誤読/見間違い回路」が正常(?)に働いていることを確認。寝不足故の意識消失を数度。岩船港手前の酒屋で「北雪 鬼ごろし」の一升瓶を購入。二晩あれば呑みきるだろう。それにしても煽り文句が凄いラベルだ。全国でもトップレベルの超辛口って一体・・・。
高速船「あすか」に乗り込む。港を出て暫くすると、夕べの疲れと睡眠不足が重なったために爆睡。(個人的に)あっと言う間に到着した。
内浦港にはお世話になる民宿「大滝」の親父さんがマイクロバスで出迎えてくれた。てっきりワゴンだと思っていたので驚いた。今回泊まるのは東海岸の内浦地区ではなく、西海岸の釜谷地区。そこまで行く途中に内浦のキャンプ場や海水浴場への道を発見。前回の来訪を思い出した。学生時代、貧乏探検部員がここでキャンプサイトを1週間以上張り続けていた。合宿というような集団行動とは縁のない部なので、行きたいものが各自行きたいときにサイトに訪れ、好きなことをしていた。ひたすらボーッとしていたり、海水浴していたり、酒を呑んだり、***や***を海中から「拾って」胃の中に処分したり・・・。来たことは確かだが、詳細な記憶はほとんど消えていた。が、ここにきて改めて「来たこと」そのものについての確信は深まった。
宿に着き、4名は割と広い部屋に案内された。今日は平日なので混んでいないが、明日以降は満室だという。部屋で荷物を展開したりしてデロデロしていると、夕食の時間となった。
島ということもあって、料理は付近の海で取れる海産物と山菜そして民宿自家製の野菜や果物を使ったもの。膳は左手奥から右にマダイのお頭の焼き物、鯛の吸い物、サザエ、グレープフルーツ。中段右から左にマダイとブリの刺身、海そうめんという高級な海草の料理(素麺みたいに食す)、枝豆、お煮しめ。手前左から右にきんぴら、たくあんと蕪の梅酢付け、山アスパラ。
ビールで乾杯し、海と山の幸を堪能する。この豪勢さを考えると安いね〜<宿代
食事後に風呂に入ろうとしたところアクシデント。宿の人に21時ぐらいまで入れると聞いていたのだが、どうやら20時までだったようだ。風呂は2つあるのだが、入ろうとした風呂は民宿の家族が入っていた。仕方がないので、もう1つの風呂が空いてから烏の行水。
部屋に戻って、飲み直し。「こんなこともあろうかと」買ってきておいといた鮭とばをツマミに鬼ごろしを呑む。Uさんは日本酒は甘口が良いらしく、これは口に合わなかったようだ。Oさんは気に入ってくれた。私は気にせずマイペースで呑んでいた。持って帰るときに一升瓶が空き瓶になっていることが私の勝利条件。
調子よく呑んでいたせいか「**回路」の動作が活発化・・・というか暴走しだした。思いついたネタを口走ってしまう。源氏物語とさよなら銀河鉄道999とペケをバックボーンに・・・純愛物が出来ないか?かなり周囲に影響を与える発言だったようだ。
明日の予定を相談する。明日は内浦の海水浴場に行くことにした。やりたいことは沢山あるが、まずは海水浴だ。
酒も廻ってきた。色々話し合いつつ、寝入った。
朝、お昼過ぎまで仕事のある寝場所提供者のKさんを3名で見送った後、へぎそばで名高い小嶋屋で遅めの朝食を取った。朝からへぎ・・というのにも非常に惹かれたが、その後の事を考えると余りに無謀なので断念。セットメニューを注文。朝食後、ジャスコで足りない物を購入。乗り物酔い、サンオイル、熱いものも大丈夫な紙コップなどなど。部屋に戻って旅支度。Kさんの車に荷物と人を詰めて、出発。粟島汽船の乗り場のある岩船港へ。道中、私の「誤読/見間違い回路」が正常(?)に働いていることを確認。寝不足故の意識消失を数度。岩船港手前の酒屋で「北雪 鬼ごろし」の一升瓶を購入。二晩あれば呑みきるだろう。それにしても煽り文句が凄いラベルだ。全国でもトップレベルの超辛口って一体・・・。
高速船「あすか」に乗り込む。港を出て暫くすると、夕べの疲れと睡眠不足が重なったために爆睡。(個人的に)あっと言う間に到着した。
内浦港にはお世話になる民宿「大滝」の親父さんがマイクロバスで出迎えてくれた。てっきりワゴンだと思っていたので驚いた。今回泊まるのは東海岸の内浦地区ではなく、西海岸の釜谷地区。そこまで行く途中に内浦のキャンプ場や海水浴場への道を発見。前回の来訪を思い出した。学生時代、貧乏探検部員がここでキャンプサイトを1週間以上張り続けていた。合宿というような集団行動とは縁のない部なので、行きたいものが各自行きたいときにサイトに訪れ、好きなことをしていた。ひたすらボーッとしていたり、海水浴していたり、酒を呑んだり、***や***を海中から「拾って」胃の中に処分したり・・・。来たことは確かだが、詳細な記憶はほとんど消えていた。が、ここにきて改めて「来たこと」そのものについての確信は深まった。
宿に着き、4名は割と広い部屋に案内された。今日は平日なので混んでいないが、明日以降は満室だという。部屋で荷物を展開したりしてデロデロしていると、夕食の時間となった。
島ということもあって、料理は付近の海で取れる海産物と山菜そして民宿自家製の野菜や果物を使ったもの。膳は左手奥から右にマダイのお頭の焼き物、鯛の吸い物、サザエ、グレープフルーツ。中段右から左にマダイとブリの刺身、海そうめんという高級な海草の料理(素麺みたいに食す)、枝豆、お煮しめ。手前左から右にきんぴら、たくあんと蕪の梅酢付け、山アスパラ。
ビールで乾杯し、海と山の幸を堪能する。この豪勢さを考えると安いね〜<宿代
食事後に風呂に入ろうとしたところアクシデント。宿の人に21時ぐらいまで入れると聞いていたのだが、どうやら20時までだったようだ。風呂は2つあるのだが、入ろうとした風呂は民宿の家族が入っていた。仕方がないので、もう1つの風呂が空いてから烏の行水。
部屋に戻って、飲み直し。「こんなこともあろうかと」買ってきておいといた鮭とばをツマミに鬼ごろしを呑む。Uさんは日本酒は甘口が良いらしく、これは口に合わなかったようだ。Oさんは気に入ってくれた。私は気にせずマイペースで呑んでいた。持って帰るときに一升瓶が空き瓶になっていることが私の勝利条件。
調子よく呑んでいたせいか「**回路」の動作が活発化・・・というか暴走しだした。思いついたネタを口走ってしまう。源氏物語とさよなら銀河鉄道999とペケをバックボーンに・・・純愛物が出来ないか?かなり周囲に影響を与える発言だったようだ。
明日の予定を相談する。明日は内浦の海水浴場に行くことにした。やりたいことは沢山あるが、まずは海水浴だ。
酒も廻ってきた。色々話し合いつつ、寝入った。
いぬもあるけば・・・「10号(尺玉)早打ち95連発」
2001年8月2日 ここ最近、「米百俵」で知られるようになった長岡。その長岡で行われる花火大会は全国屈指の規模の花火大会だ。
先日のライブからの帰宅後、徹夜で旅行の準備(膨大な荷物)をし、高崎まで車中で爆睡した。どうにか無事に友人二人と合流し、Oさん(ハンドル名)の車で長岡に。長岡で現地の友人Kさん(ハンドル名)と合流。総勢、4名で信濃川河川敷に陣地を取った。打ち上げ開始は19時半。陣取りは16時。3時間以上ある。見事な快晴。日差しは烈しい。しまった。日差し対策を忘れていた・・・。ほとんど日焼けしていない私にとって、炎天下の場所取りは戦いそのものだった。平地ではなく、河川敷の斜面にビニールシートを敷いたため、油断すると下に下がってくる(苦笑)。OさんとUさん(ハンドル名)の買い出し部隊が大手大橋を渡ったところにあるジャスコまで出掛けてからも私ともう1人でずり落ちるシートを引き上げつつ時が経つのを待った。空を見上げると白い雲。こんなふうに雲を眺めるのも久々だなと、贅沢な時の過ごし方を堪能。
19:30。信濃川に流された精霊流しのロウソクの炎がはっきり見えてきたころ、「ナイアガラ大スターマイン」で花火大会の幕が上がった。その大きな幕は大手大橋に広がった。つづいていきなり10号(尺玉)21発。やるな、郵便局。その次もベスビアス火山の様というベスビアス大スターマインなど、尺玉が当たり前という超豪勢な打ち上げ。ただ、今年は打ち上げそのものは少々手際が良くない感じだった。「10号(尺玉)20発・20号(二尺玉)2発二段打」では二尺玉の1発が地表近くで開き、半円状に展開した。限りなく事故に近いのでは・・・。他にも「やばいだろ〜、それは・・・」というものが。
「ベスビアス超大型スターマイン」など呆れ返るほどの玉数が打ち上げられた。これでもか、これでもかと。地表攻撃のりゅう弾斉射はこうやるんだという感じ。「街が消滅するほどの斉射」というのがどういうのか判った気がする。このまま終わらないのではと不安になるほど。そんなものが1日目で10回以上あるのだ。
「メッセージ花火」という企画があった。名前からしてちょっとイヤンな予感。最初は男性が女性に宛てての花火。打ち上げ前のメッセージが放送で読み上げられると、あまりの痒さに「やーめーてーくーれー!」と悶える私。その次は天に召された故人に宛てて。こういう個人的なものが花火大会にある。個人で打ち上げることも多い新潟県の花火大会らしい光景だ。
長生橋のナイアガラが終わって、いよいよ目玉の1つ、「正三尺玉」だ。三尺ということは打ち上げる花火の玉は1mほど。余りに大きいので他の花火の打ち上げ会場とは違い、観覧場所からも離れている。そのため、目視上の大きさは近距離の尺玉と比べて三倍凄いという分けでもないのだが、それが炸裂したときに生じる音と衝撃は全く別のものだ。大振り故に開いた形がそれほど整っていないのが玉に傷ではある。
もう1つの目玉「ワイド三連尺玉95発」。前に見たときも数えようとしたのだが、なかなか難しい。連続で尺玉が上がるので炸裂音が重なって判らなくなることもある。それにしても尺玉95発とは冗談のような企画だ。
最後にまた正三尺玉を打ち上げ、花火師によるデザイン花火で長岡花火大会の一日目が終わった。やっぱり凄いねぇ。
混雑する市内を脱出し、広域農道という立派な農道を走って、Kさんのアパートに辿り着く。コンビニで買い出しして呑み直し。ここでFF×の画像を見せて貰った。なるほど、アーロンとティーダというキャラは覚えた。「**回路」が発動しかけたが、発言せず。
宿主含めた3名が眠りについてからも、私は日記原稿を書くためにずるずると起き続けていた。
先日のライブからの帰宅後、徹夜で旅行の準備(膨大な荷物)をし、高崎まで車中で爆睡した。どうにか無事に友人二人と合流し、Oさん(ハンドル名)の車で長岡に。長岡で現地の友人Kさん(ハンドル名)と合流。総勢、4名で信濃川河川敷に陣地を取った。打ち上げ開始は19時半。陣取りは16時。3時間以上ある。見事な快晴。日差しは烈しい。しまった。日差し対策を忘れていた・・・。ほとんど日焼けしていない私にとって、炎天下の場所取りは戦いそのものだった。平地ではなく、河川敷の斜面にビニールシートを敷いたため、油断すると下に下がってくる(苦笑)。OさんとUさん(ハンドル名)の買い出し部隊が大手大橋を渡ったところにあるジャスコまで出掛けてからも私ともう1人でずり落ちるシートを引き上げつつ時が経つのを待った。空を見上げると白い雲。こんなふうに雲を眺めるのも久々だなと、贅沢な時の過ごし方を堪能。
19:30。信濃川に流された精霊流しのロウソクの炎がはっきり見えてきたころ、「ナイアガラ大スターマイン」で花火大会の幕が上がった。その大きな幕は大手大橋に広がった。つづいていきなり10号(尺玉)21発。やるな、郵便局。その次もベスビアス火山の様というベスビアス大スターマインなど、尺玉が当たり前という超豪勢な打ち上げ。ただ、今年は打ち上げそのものは少々手際が良くない感じだった。「10号(尺玉)20発・20号(二尺玉)2発二段打」では二尺玉の1発が地表近くで開き、半円状に展開した。限りなく事故に近いのでは・・・。他にも「やばいだろ〜、それは・・・」というものが。
「ベスビアス超大型スターマイン」など呆れ返るほどの玉数が打ち上げられた。これでもか、これでもかと。地表攻撃のりゅう弾斉射はこうやるんだという感じ。「街が消滅するほどの斉射」というのがどういうのか判った気がする。このまま終わらないのではと不安になるほど。そんなものが1日目で10回以上あるのだ。
「メッセージ花火」という企画があった。名前からしてちょっとイヤンな予感。最初は男性が女性に宛てての花火。打ち上げ前のメッセージが放送で読み上げられると、あまりの痒さに「やーめーてーくーれー!」と悶える私。その次は天に召された故人に宛てて。こういう個人的なものが花火大会にある。個人で打ち上げることも多い新潟県の花火大会らしい光景だ。
長生橋のナイアガラが終わって、いよいよ目玉の1つ、「正三尺玉」だ。三尺ということは打ち上げる花火の玉は1mほど。余りに大きいので他の花火の打ち上げ会場とは違い、観覧場所からも離れている。そのため、目視上の大きさは近距離の尺玉と比べて三倍凄いという分けでもないのだが、それが炸裂したときに生じる音と衝撃は全く別のものだ。大振り故に開いた形がそれほど整っていないのが玉に傷ではある。
もう1つの目玉「ワイド三連尺玉95発」。前に見たときも数えようとしたのだが、なかなか難しい。連続で尺玉が上がるので炸裂音が重なって判らなくなることもある。それにしても尺玉95発とは冗談のような企画だ。
最後にまた正三尺玉を打ち上げ、花火師によるデザイン花火で長岡花火大会の一日目が終わった。やっぱり凄いねぇ。
混雑する市内を脱出し、広域農道という立派な農道を走って、Kさんのアパートに辿り着く。コンビニで買い出しして呑み直し。ここでFF×の画像を見せて貰った。なるほど、アーロンとティーダというキャラは覚えた。「**回路」が発動しかけたが、発言せず。
宿主含めた3名が眠りについてからも、私は日記原稿を書くためにずるずると起き続けていた。