1つのプロジェクトが終わり、そのプロジェクトチームが解散してメンバーの一部が私の所属するグループに加わることになった。割り勘制の壮行会が開かれた。加わるメンバーの人数が元のグループ員数からすると参加費をチャラにするには多いので割り勘制となり、それなので「歓迎会」と言えなくなった・・・という次第。
昨日のプレヴューでメタメタだった私は指摘事項を修正する作業に追われて、遅刻しての参加となった。
いや、皆さん健啖で・・・料理はほとんど無かった(苦笑)。さすがにそれではお金が取れないと幹事が数品追加してくれた。昨日から今日に掛けての仕事のことで煤けた気分になっていたので、逆にヘラヘラと状況をすんなり受け入れてひたすら酒を飲んでいた。
その気分を引きずっていたため、二次会の誘いを断って帰宅。うーむ、ちょっと弱弱な選択をしてしまったか。
12月の出張先の立ち入り申請書に必要な証明写真を撮るため、久々にスーツを着た。自動証明写真機なんてどこにでもあるのだが、実際どこにあるのか探すとなると思い出せない。ヨドバシカメラにはあるだろうと、京急川崎店に寄って撮影した。
自動証明写真機なんて大した性能ではないだろうと高を括っていたが、なかなかどうして。下手に写真屋で取ってもらうよりも気に入ったものが取れる。なぜだろうと考えた。理由は好きなだけ時間を掛けて撮影に臨むことができるからではないだろうか。マジックミラーで自分の髪型や表情をチェックしながら撮影できる。最終的にどう写るのか予想できる。
カメラマンに撮ってもらう時はいざ撮影となると髪型など細かなチャックをやり直すなんてことはし難い。鏡を見ているときは気に入った状態でもいざ、撮影となると何かの表紙で崩れてしまったりすることがある。カメラマンにはそれが崩れなのか分からないからそのまま撮影されてしまう。好きなだけ取り直すことができる余裕があればいいが、普通は1度のチャンスで出来たものを証明写真として使うことになるだろう。
撮影直前までどう写るかに手を加えられる。この差が器材の性能と関わりなく、満足度の差となる気がする。「被写体」として客体の立場にいるのでなく主体、造語としては「主写体」として撮影に関わるのだ。これはゲームの楽しさと共通するものだ。RPGは楽しませてもらうものではなく、楽しむもの。人生は・・・

友人が書き上げてたいトルコの皆既日食旅行記が仲間内のサイトにアップされた。見に行ったのは1999年のこと。なんか随分昔のような気がするのは激動の時代に生きているからだろうか?当時の様子を振り替えると鉄塔の上から下を覗いたときに感じる立ち眩みの感覚が生じる。
でも、旅行記を読むとつい昨日のような気がするのが不思議だ。絨毯屋で看板娘になっていた少女やシヴァスでひまわりの種をくれた少年はどうしているのだろうか・・・
 PAS社のPBMのアクションが未提出だったことに気付いた。とっくに締め切りは過ぎている。遅刻ということで、今月はゲームに参加できない。連続ドラマの最終回手前の1話を見逃した気分。ゲーム参加費が無駄になったことよりも、継続的に参加できなかったことの方が痛い。
 WTはイラストとリプレイがアップされた。うわっ。来るものがあるな。
 新幹線内での暇つぶしとして買っておいた雑誌「pen」。表紙の「厳選 美味い日本酒。」という惹句に惹かれて購入した。大して期待していなかったのだが、なかなかどうして。40ページ以上の特集はかなりしっかりした内容だった。紹介された日本酒は山同敦子というフリーライターによる選なのだが、最近流行のものが網羅されている。田酒、十四代、浦霞、神亀、磯自慢、〆張鶴、菊姫、天狗舞など。驚いたのは鶴の友の別選が燗上がりする酒として紹介されていたこと。面白いのは紹介されている酒のほとんどが純米酒であるのに、鶴の友は本醸造の別選が紹介されていること。燗上がりといってもその方向が違うということなのだろう。
 始発に乗るつもりが〜!10時過ぎに川崎アゼリアのチケットショップで回数券を買っている私。日帰りで新潟に行く。無謀であることを知りつつ、強行。どうにか新幹線に乗り込んだのだが・・・結局、内野駅に着いたのは16時半。
 真っ直ぐ目的地に向かわないで、酒屋に寄り道。鶴の友の純米と別選を購入。内野に来たら買わなければ。
内野駅にある「鶴の友」の大きな看板をデジカメで撮影。樋木酒造の裏道沿いに山口の先輩が昔、借りていた貸し家がある。その後、W氏が住んでいたりと曰くのある家だ。今は誰が住んでいるのだろうか。柿の木だけが変わらない。裏道から樋木酒造内にある大木が見事に紅葉しているのを観る。夕陽に照らされて輝いていた。輝く紅葉や将棋道場など撮影。
 そんな寄り道をしてようやくキャンパスに到着。教養棟は取り壊しが始まっていた。昨日の大雨の影響で学祭は分散開催となって模擬店周辺は妙に寂しい。ともかく写真部の模擬店にたどり着く。「1杯ください」「はぁい、これで完売で〜す!」へ?なにぃ?OB会をドタキャンしたので今日は是が非でも駆けつけようと思っていたのに・・・模擬店は目の前で終了。私がキムチ雑煮を食べ終わったときに。その後、教育棟2Fで行っている写真展を覗いた。面白いのもあれば、突っ込みが足りないのも。とりあえずアンケートにいろいろ書いておいた。「心に棚を持て」の格言通りに自分の事は棚に置いて・・・(汗)。
 部室に移って撤収完了を待つ。オンボロ部室は私が入学した当時から変わらないオンボロ振り。学祭の主役の新入部員が余った食材を分け合っている。ダンボール1箱分ある。同期のOBと先に打ち上げ会場の居酒屋「一文銭」に移動する。何故か我々の代のOBが3人も居る。不思議だ(苦笑)
 変わらぬ鳥つくね鍋を味わう。まぁ、酒はほどほど。注がれるままに。打ち上げ代は全て新入部員が稼いでくれたもの。我々はご相伴に預かっているだけ。2次会は・・・「マシーの店」。仕方ないのだ。他に2次会として使える店がないのだから。朝までやっている飲み屋はここぐらいしか。そういうことで、「マシーの店」。・・・呑んでました。何を話していたろう。幸い、今年は学祭中にトラブルが発生しなかったから、真剣に話すようなこともなかった。楽しい呑みで終わった。
 気が付かれたと思うが、すでに終電はない。1次会の途中でそれは確定していた。ギャラリー猫街に「鶴の友」を持って駆けつける計画は同期の友人が打ち上げ会場にいることに寄って、流れた。そういえば、この友人は恩人で・・・という話を2次会でしたなぁ。あの修論発表一週間前の交通事故。無事なのが信じられないような事故の後始末に駆け付けてくれた。
 ホテルなど取っていない・・・というか最初から泊まるつもりのない友人と私は部室で朝を待つことにした。・・ら、部室のドアが開いている。そして入り口付近で誰かが座っている。あ、怪しい。一体・・・。部員だった。どうやら1次会で潰れたらしく、どうにか一人で部室まできたのだが・・・ということらしい。ドアを開けていたため寒気に曝されている。部室に寄ってよかった。このまま朝を迎えていたらどうなっていたか。吐き気は収まっているというか、もう吐くものはないようだ。友人の車に乗せて、部員本人の部屋に連れて行くことに。久々に入る2の町迷路。いや、改めて本当に迷路だよなぁ。アパートに到着し、部屋の前まで連れていった。ここまできたら、大丈夫だろう。
 その後、吉野屋に行って朝食を食し、新潟駅で始発を待った。それにしても、寒い。これは次に徹夜しに来るときにはきちんと防備しておかないと行けないな。
 改札がようやく始まり、友人と改札口で別れた。彼は個人的な撮影行を行うらしい。よい写真を撮ってくれ。
 10時過ぎに病院に向かった。駐車場が閉鎖されているようなので、徒歩で。小学生時分の同級生の家の前を通るときに「○○ちゃんは自分で家を建てて、もう子供が小学生でね〜!」と母が地元情報を教えてくれる。滅多に帰省しないし、帰省しても車社会故にあまり近所の人とも会う事がない。それゆえ、小中学校時代の友人とはほぼ完全に疎遠になってしまった。旅行者的感覚、異邦人的感覚を抱いてしまうのはそれがためかもしれない。故郷は近くて遠い。
 父の容体は良さそうだ。これならば今日一日居る必要もないだろう。皇太子の視察も気になるが、それを待っていたら1日潰れてしまう。それにしても昨日はあれほど良い天気だったのに。良すぎたからか、今日はどんより曇っている。予定ではリハビリ施設の公園を歩いて観ていただく予定だが、雨だったら病院の屋上からの視察のみだという。屋上に赤い絨毯が用意されているという話も聞いた。患者さん達も看護婦さん達も滅多にないイベントなので少々浮き足立っていた。
 少々迷ったが結局、去ることにした。今から東京に帰れば、別の用を済ます事が出来る。挨拶をして辞した。病院をでようとすると、県警の腕章をつけた人や記者、そして歓迎のための旗をもっている人がそこら中にいた。バラバラバラとヘリのプロペラの音。この心臓血管センターには急患輸送用のヘリポートがある。どうやらそこに輸送用ヘリコプターが着陸しようとしているようだ。皆がそれを見上げている。その様子を見ながら、後ろを見やることなく進む。首都高を逆走しているような、妙な気分。
 コミュニティバスという中央前橋駅と前橋駅を結ぶバスに乗ってみた。ネタになるかなと。車内はこぎれいな木製ベンチが設置してありなかなか面白い。これがそのうち周回バスになるようだ。使える公共交通手段は高齢下社会対策でもあり、地元商店街の活性化対策でもある。今までなかったのがオカシイ。車社会は確かに便利だが、一旦運転できない身の上になったら悲惨だ。

 JR東日本の土日フリーキップが前売り制であることを知ってショック! ダメージを抱え込みながら高崎線に乗り、赤羽で降りて、西日暮里に。地下鉄千代田線に乗り換え、千駄木駅下車。雨の谷中。目的地はこの日記書き始め一番最初の日に行ったギャラリー猫街。「谷中寺町縁起考」、町田久美さんと美濃瓢吾さん二人展。来週行けるかどうか判らないので訪れておきたかった。町田さんの新作の何点かに心惹かれる。『うさまん』にはヤラレタ・・・。リトグラフが欲しい。絵葉書になったら周りに配りまわる自分が見える。町田さんに尋ねると、これに反応したのは私だけらしい。他の人はまるでそれが無いもののように振る舞っていたという。確かにこの可愛さはエアポケットだ。どんなコメントをするかで、その人が判ってしまう。
 展示は1階だけでなく2階にもあった。住宅を改造したギャラリーなので狭い階段を上がる事になる。そこは素敵な空間だった。4畳半畳敷きの部屋が2つと広い板の間がある。板の間は1階と同じような展示がされている。畳敷きの部屋は小物とかをさりげなくおいてある。私が惹かれたのは障子。それも破れたところを繕っているところ。なんと、補修の紙が猫の切り絵なのだ。そこらに破れがある障子はそこらに猫の姿がある障子に変わっている。この切り絵も切り絵作家さんによるものらしい。余りに心惹かれたので町田さんにこれをデジカメで撮影してもよいか尋ねてしまった。大丈夫らしいので撮影。うーむ。こうなると破れすら楽しくなってしまう。面白いなぁ。
 明日、ここでパーティと称した大宴会が開かれるらしい。誘われたのだが・・・もし駆けつけられれば来たいと答えた。なんでもアーティスト仲間が仮装したりしてのどんちゃん騒ぎとか。うわー、面白そう。吉祥寺で行われているイベントが終わってから駆けつける人もいるから夜遅くても大丈夫・・・。行きたいー!が、厳しいなぁ。
 ギャラリーを出て、そのまま帰るのも味気ないので喫茶店「乱歩」に寄る。カウンターに座り、ブレンドを頼む。私の好みの濃さなのが嬉しい。PDAを取り出して、日記の文章作成。2時間が過ぎた。そんな雨の谷中。
 帰宅してTVをつけるとマキアヴェリについての番組をやっていた。塩野七生とたけしの対談は日本ではかなり危険なものに映るだろう。果たして彼らの意見を視聴者はどう受け取るだろうか。また『うさまん』みたいになかったかの様に振る舞うのだろうか。
 有休を取って、帰省。前橋駅に降り立つ。平日昼間。改めてここが県庁所在地なのかしらんと思ってしまう。ここまで閑散としていると逆にそれが趣になる。日本でなく、ヨーロッパの1地方都市だと考えれば悪くない。妄想回路を起動して、数キロ離れた私鉄の駅まで歩いてみた。人通りのない繁華街には「国民文化祭」の幕が横断していた。車社会が発達してしまい過ぎて、利便性の良い大規模駐車場を持たない繁華街は急速に寂れてしまった。出身者としてはなんとも寂しいことだが、旅行者としての視点を設定すればそれさえも趣に変わってしまう。上毛電鉄の中央前橋駅の変貌に驚いた。まさかガラス張りとは・・・。その明るさに開き直り的なものを感じた。その意気や良し。
 車窓から風景が視点が旅行者モードになっているためか新鮮に映る。朔太郎が読んだ広瀬川。決して大きくもない、見栄えもそんなに良いとは思えなかった川も水面を煌かせる秋の日差しの魔力のお陰でとても魅力的に映る。ああ、女性的な川なのだなと思う。それ以外にも惹かれる光景に気付かされた。
 県立心臓血管センター駅に降り立つ。周囲は子供の頃遊んだ場所。しばし見渡した後に、直接、県立心臓血管センター[リンク]に向かい、父の入院している部屋に。父は4人部屋の入り口側のベッドで横になっていた。元気そうで安心。体力的にも問題なさそうだ。手術の時間が押していて、しばらく待たなければならない事を知る。
 病室から秋の日差しに照らされた赤城山の素晴らしい姿が見える。これほど見事な光景は故郷を離れて以来、見られなかったものだ。父や母や他の患者さんと話をしている間もしばしばその光景に見とれていた。
 病室には他にも3名の患者さんが入院していた。症状としては父よりも悪く、冠動脈のバイパス手術など大きな手術を受けた人も居る。が、皆さん陽気なのに軽い驚きを感じた。以前見舞った内科系の病室では部屋の雰囲気はもっと湿った感じだった。それがなかった。それよりも皆、明日のことを話題にしていた。なんでも、明日、皇太子が病院併設のリハビリ施設を視察に訪れられるらしい。最初、冗談だと思っていたがどうやら本当らしい。国民文化祭の開会式に出席するついでに寄られるという話。うーむ。
 16時近くになってようやく手術のための着替えなど準備が始まった。そして父はICUに運ばれていった。母と私はICU入り口近くの待合所で待つ事にした。事前に説明のあった「経皮的冠動脈形成術とステント留置」。詰まりかけている冠動脈をバルーンカテーテルで広げ、さらに金属管をかませることで太さを固定するという手術。崩れたトンネルの補修工事のようなもの。おそらく2時間以上掛かるのではと思っていた。一昨日の検査が1時間ぐらい掛かったというので。
 雑誌を読みながら待っていると、病室側の待合室にいた伯母が「あれ、まだここにいたの?もう、病室に戻ってるよ」と驚いた感じで報せてくれた。なぜ?まだ1時間しか経っていないのに? 半信半疑のまま病室に、とはいっても先ほどの4人部屋ではなく個室に。確かに父がいた。部分麻酔で手術を行ったため、私達を軽い笑顔で迎えた。待ちぼうけを食っていた私は変な気分に。
 その後、担当医の伊藤先生が手術経過の説明と止血作業に訪れた。術中、多少不整脈が観察されたため、様子見のためにしばらく点滴を続けるという。早ければ明後日にも退院という話だったがそういう訳にはいかなそうだ。先生は小柄で知性的な女性。心臓外科手術は時に何時間も掛かるハードな作業だ。父に対する止血作業も30分以上大腿部の動脈を圧迫し続けるハードなもの。感嘆した。
 作業は終わったが完全に止血できたわけではない。術後6時間、安静にしなければならない。18時に手術が終わったのだから24時まで足を動かせない。眠ると動いてしまうので眠るわけにもいかない。そこで母と私は24時まで付き添った。
 帰宅時、駐車場にはパトカーの姿が、明日のための警備だ。おそらく交代でずっと警備しつづけるのだろう。うちの車以外1台も止まっていない駐車場を後にした。

 定時に脱出し、池上線に乗って久々に久が原駅に降りた。今日はゼミの日。骨董屋「青花堂」に昨日のお土産の「ゆかり」を預け、先生が来ないうちに月謝を払った。まだ1時間近く時間がある。丸い月を正面に見ながら通りを歩いて、これまた久々の喫茶店「世比亜」に寄った。お客がいないのでマスターは雑誌を読んでいた。「よう、久しぶり。」人懐っこい笑顔。いつものキリマンジャロと小腹が空いていたのでトーストを頼んだ。話題はヘラブナ釣りと写真。いくら放流しているとはいえ、年に4,5回しか行かないのに1日に20匹も釣れるものだろうか?凝り性で割と短気なマスターらしい話だ。同様の凝り性は他の趣味、例えば写真にも発揮されていた。あっという間にゼミの時間。ここにも「ゆかり」を置いて、席を立った。
 先月、急な会議でドタキャンしてしまった先生は謝りの印として現在芸大美術館で開催されている「デザインの風」展の招待券を束で持ってきていた。土曜日に上野をうろついていてポスターは何度も見かけていた。デザイン展なのでそれほど興味がなかったのだが、過去、そして現在使われている生活品のデザインを展示してると聞いて興味を持った。キッコーマンのガラスの醤油差しのデザインや三越の包装紙のデザインという感じで具体的かつ馴染み深いものが展示されているらしい。話によると、毎日限定リトグラフを刷って販売しているとか。30年後、お宝になるかもね。
 今日の講義は博物館学関係参考書の中でもフィクションやノンフィクションの紹介が最初だった。配られたプリントにミステリー小説の「偽りの名画:アーロン・エルキンズ著」や「症状A:多島斗志之著」があるのはともかく、「ギャラリー フェイク:細野不二彦著」と漫画まで乗っているとは・・・(苦笑)。
 続いてスライドで8月に訪れたメトロポリタン美術館を紹介。テロ前のニューヨーク。月曜日の美術館の様子は中々見られないものだ。「だってお休みですもの。」 ある富豪の未亡人の寄付で賄われている豪華なフラワーアレンジメントを換えている場面とか。
 何故、休日に美術館を訪れたかというと、2003年秋に行われる「オリベ展」の打ち合わせのためだったらしい。普通の見学者が見る事の出来ない映像が!日本の美術品を扱う表具屋さんがいるのは畳の間。メトロポリタンミュージアムに畳・・・。
 驚いたのは4つも食堂があるということ。1)見学者が利用する食堂 2)地下にある職員用食堂 3)学芸員や上級職員が利用する食堂(イタリア料理) そして4)超VIP用。パトロンである評議員やスポンサー用のレストラン。内装が違う。本物の富豪でなければ利用できない。アメリカも階級社会であることを再認識。
 観光として利用するにあたってのメトロポリタン美術館、お勧めの場所がルーフガーデンだと言う。いつか遊びに行くときには是非。今、安いからチャンスだよなぁ。<ニューヨーク観光 ホテル代もテロ前より3分の1ぐらいに下がっているっていうし。片道2万円って本当なのだろうか?12月の出張がなければなぁ。
 最後のスライドはニューヨークの裏千家センター。ニューヨークに行く予定の人へのサービス。

 ゼミ終了後、もちよりの料理で食事会。。残念ながら、「これからまた仕事」と先生は大して召し上がらずにお帰りになられてしまった。近くの酒屋からお酒を購入。今日のお酒は東京都北区にある小山酒造の「丸眞正宗」の純米酒。なかなかさっぱりしている。料理は保温鍋で運ばれたおでんが出物。これを持ってこられた方はいつも美味しい料理を持ってきてくれる。漬物もツマミとして最高。お酒が進んでしまった。
 来月のゼミは出張があるから来れない。残念だ。
 説明もとりあえず無事済んだ。メイチカの金券ショップで新幹線の回数券を買い、キヨスクでお土産を買う。定番のおせんべい「ゆかり」とちょっと怪しい「きしめんパイ」。ゆかりは歯ごたえの塩気の強いえびせん。手頃な値段で数があるので、大所帯に対してのお土産に便利だったりする。きしめんパイ以外にも面白いお土産があったのだが、そんなに買っても仕方ない。定番と遊びが2:1の割合。
 新幹線ホームの立ち食いきしめんを食べたかったが、ホームにすでに新横浜で停まるつばさが来ていたので断念。きしめん食べるために1時間近く帰宅を遅らせたくはなかった。
 新幹線内でネットにアクセス・・・は出来なかった。昨日、慌てていたのだろう。自室に携帯を忘れていた。実家からの急報や上司からの連絡があるかもしれなく、気が付いたときにはかなり焦った。幸い、忘れたことを激しく後悔させることは起きていない。新幹線内でアクセスが出来ない程度で済んだ。
 徹夜作業。修正箇所がそれなりにあるのと、どうせだから奇麗に作り直そうということで作業が増えているため。夕方にはコピーした差し替え部分を抱えて名古屋に行かなければならない。尤も、一旦自室によって着替えてからだが。

 昨夜の携帯には参った。以前から時折胸の痛みを感じていた父が一人で検診を受けにいったところ、その場で即入院が決まり、着の身着のままベッドまで拉致されてしまったという。以前から狭心症の気があったが、投薬だけで済むだろうと父は思っていたらしい。布団を干してから買い物ついでの気持ちで行って、入院という顛末はかなりショックだったらしい。対して、その病歴から家庭医学本並みの医学知識を持っている母は診察前から入院ということもありえるだろうと予想していて、出先から最悪駆けつけられるような準備をしていたという。この違いって・・・。
 明日、冠動脈にカテーテルを入れて診察するらしい。明日・・・出張当日。幸い弟が立ち会えるという。カテーテル診察そのものに大きな危険はないだろうから、明日は任せよう。その後、手術ということになるならば、駆けつけよう。

 JR名古屋駅から地下鉄に乗り換え、伏見駅に到着。改札口を出てから、間違った改札口から出た事に気が付く。営業所に近い出口に繋がっていない。仕方がなく10番出口から地上に出たが・・・うにゅ、周囲に見覚えがない。掲示されている地図で現在地を確認することができて、営業所に無事に到着した。差し替え作業を終えて、ホテルに。実家に電話して母と連絡を取ったところ現状問題ないとのこと。検査だから明日も大丈夫だろう。一応、カテーテル検査前に誓約書を書かされるらしいが。
 資料の内容チェックミーティングが20時近くまで掛かった。予定では明日に名古屋に前泊し、明後日に再説明。
 机に戻って、鞄に入れておいた携帯を確認。着信記録がある。誰からだろうと番号を確認したところ、実家から。この間のこともある。ただの事務連絡ならいいけれど、あの騒ぎがまた二転三転したとかいいうのではないだろうな。
 嫌な予感を抱きながら、社外に食事に出るついでに実家に電話した。話し中だ。ヤバイ。実家では滅多に電話を使わないことを踏まえると何かが起きて連絡を取っていると考えた方がいい。リダイヤルしても繋がらない。10分ぐらい後にようやく繋がった。
 電話に出たのは母だった。良かった。まずは一安心。となると単なる事務連絡かな・・・と胸をなで下ろしてノーガードになったところにストレートが決まった。
 「実は、お父さんが入院してね・・・」
 ・・・なにぃ?!
 昨日は二日分遊んだ。その前借り1日分を返す形で休日出勤。客先再確認用資料の作成。

 休日出勤の良いところはくだらない外線が掛かってこないこと。「投資のお誘い」などの営業的電話。業種にもよるけれど、業務中にそういう電話が掛かってきたところでまともな応答できるものではない。受け手とはいえ、どう考えたって業務とは関係ない個人的な電話だ。そっけない対応をせざるを得ない。
 ダメな営業は去り際が汚い。見込みがなさそうだと判ると、唐突に切る。客の立場をロールプレイしたことのない証拠だ。似たような対応を同業他社も含めて数回されたら、全ての勧誘電話を無視するようになるし、取り次ぎもしなくなる。電話というのがどれだけ失礼な道具か判っていないのだろう。同様の理由で自分の素性を名乗らない「○○さん、いらっしゃいますか?」も取り次ぎ時にフィルタリングしている。

 遅刻せずに上野に到着。私より遥か遠方からやってくる人より遅れる訳には行かない。といってもギリギリだったけど。 KさんとUさんそして私の3人がそろったので移動。もう一人のメンバーAさんはお昼に合流予定。
 『秋の上野展覧会2001』と称した3館特別共通券を買って、まずは『聖徳太子展』が開かれている東京都美術館に。1部の展示は中々良かった。2部の展示は・・・うーむ(沈)。太子信仰はある意味、日本仏教の歪みの姿でもあるわけで・・・。というか、仏教の「日本教」化、なんでも神様にしてしまう。外国文化を自己流にアレンジして取り入れてしまう日本人の特性を如実に表した・・・ごにょごにょ。
 展示物の1つに現代のセンスに通じるイラストのような走り書きがあった。曼荼羅などの配置を伝えるものだったが、これが意外で興味深かったなんて言えない。おみやげは十七条憲法のマウスパッド。
 最初の1館で結構疲れた。Aさんと合流して昼食を食べる予定だが、合流前に上野動物園近くのジェラート屋さんでジェラートを購入。ブルーベリーとモンブランの組み合わせは・・・。
 国立科学博物館のクジラの前でAさんと合流。科博の食堂で『肉食セット』を注文した。次に来たときは『草食セット』にしよう〜♪
 まずは特別展の『日本人はるかな旅展』。NHKが番組制作しているものとリンクした展示。黒曜石は奇麗だねぇ。展示内容は番組を幾つか見ていたこともあって、大体了解している。それよりも気になったのは、こういう展示に書かれるにしてはちょっとダークで、微かに毒が感じられる解説文。普通の学芸員はこんな文章を書かないだろう。文章を書いた人に興味を持った。「何か・・・こう、黒いね。表現が・・・」と言いながらKさんと一緒にニヤリと口元を綻ばせる私。
 ここの展示物で最も驚かされたものは・・・別に日本人の意外な旅路を示唆するような展示の趣向にあったものでもなんでもない、アクセサリーの1つだった。それは・・・どうみても『吉田○車』がデザインしたとしか思えない顔つきのお守り・・・いや、魔除けか・・・だった(爆)。アレを見るためだけでも行く価値が・・・あるかもしれない。我々4人全てが「そうとしか見えない」と意見を一にした。他にも何かの漫画で見かけたようなデザインを施した壷など・・・主催者とは別の観点で驚かせる展示物があった。いやはや、面白かった。
 科博の一般展示は参加型のものが多く、面白い。童心に帰る〜。私が理系に進んだのも、こういう面白い科学との出会いがあったからだよなぁ。 もっと遊びたかったが次の展示物に行かねばならないという思いがあって、中途半端に切り上げた。これも邪念か。Uさんの盛り上がりに確かに負けていたわけだ。ぐふぅ。 ミュージアムショップでトリケラトプスとプテラノドンのぬいぐるみを購入。プテラノドンはKさんとお揃い〜(違)。 科博を出て次の目的地に。ヒールが合わないのか、Aさんが不自然な歩き方をしている。「かなり歩いているから傷めたのかな?」と心配して尋ねたところ、どうやら上野に来る前に足を軽く捻ったらしい。うーむ、それで歩き回るのは大変だったのでは。
 最後の展覧会場は東京国立博物館の平成館。特別展「美術の中のこどもたち」。実は3館の中で一番期待していなかった。が、やられた。入っていきなり横山大観の「無我」。それ以外にも岸田劉生の「麗子像」など重文や国宝が並べられて見ごたえがあり過ぎる。2時間弱で見る展字数ではなかった。教科書で見たことのある作品が多くあるのに、他の2館に比べて人手が極端に少ない。アレをみるなら・・・ごにょごにょ。
 展示は「こどもの世界」、「成長する子供」、「親の願い」そして「聖なる子供」とテーマ分けされていた。180点近い展示物に(まだ見終わらないのか!と)圧倒されていたのだが、「親の願い」のコーナーでやられた。幼子を亡くした親が在りし日の姿を書かせたものや遺品を地蔵菩薩の中に収めたもの、江戸時代、死期を悟った童女が書いた辞世の書。拙い字で書かれるは、「お父さん、お酒を控えて体を大事にしてね」 どんな思いで書いたのだろう。どんな思いでこれを読んだろう。フランクルの言う『態度価値』がここにある。 当時、この辞世の書に感銘を受けた書家や絵師を含む大勢が彼女に寄せた追悼の作品がまとめられている。それが29巻もあるというのだ。江戸の人々の精神的な高さを、彼らが『判っていた』ことを知ることのできる資料だ。
 一群の展示を見ていて、不意に先日の葬儀を思い出した。いや、実際はあのお父さんの「・・・ありがとうございました。」が思い出された。ガツンと来た。他の3人が先に進んでいて、側にいなくてよかった。
 その後、駆け足で見て、閉館時間ギリギリに展示室を出た。足が疲れたので椅子に座る。もたれかけ〜。外をでるともう夕暮れ。3人ともう少し一緒にいたかったが、別の約束があったので別れた。くーっ!
 京浜東北線に飛び乗り、石川町に。天文部OB会が・・・というか友人のフィアンセのお披露目会が中華街の梅蘭という店で開かれるのだ。上海蟹が待っている。いや、久々に合う面子が待って・・・はいなかったな。最初の乾杯には今一歩間に合わなかった。友人のフィアンセは気さくそうな女性だった。よい人と縁があったなと喜ぶ。子連れで参加したWさん夫婦の娘さんの美晴ちゃんとずっと遊んでいた。いや〜、可愛いねぇ。無敵モードの笑顔は視線のあった大人の顔を綻ばさせる。やはり笑顔がいいね。いつまでもああいう笑顔を浮かべられますように。 食も進むし、話題もはずむ。楽しいOB会だった。
 オキャロランズ@自由が丘に駆けつける。Windfallのライブ。この前より空いている。ギネス1パイントをオーダーして、顔見知りに挨拶。他の知り合いはというと、彼女が指差した一団がそうだった。以前とテーブルの配置が異なっていて、大テーブルがステージに対して横に置かれている。それに座っている一団は観客というより審査員の様。これでは阿部さん達も演奏しづらいのではと苦笑した。
 2ステージ目が終わってから私もそのテーブルの端に座した。すると先ほどの彼女が店員さんと盛り上がっている。どうやら紙細工をしているようだ。骸骨のパーツがコピーされた紙を骨の縁に沿ってきっている。どうやらポーズを取らせて固定したものをハロウィン用の飾りにするらしい。改めて周囲を見回すと、そうやって出来た骸骨や別の作りの魔女などが飾られている。
 テーブルに居る一団も次のステージが始まるまで手持ちぶさたであることに気が付いた。コピーはまだたくさんありそうだ・・・。我々もはさみやステップラー片手に参戦した。私ははさみで切り取るのを担当。ひたすら切りまくる。テーブルはいきなり作業机となり、我々の頭の中では「できるかな」のテーマが鳴り響きだす。何のためにここに来たのか失念しかけている一同。一心不乱に骸骨オブジェを量産していた。
 その勢いはとどまることを知らず、次のステージが始まっても・・・(汗)。演奏に、はさみでシャキシャキと音を合せるものがここに一人。Windfallの皆さん、苦笑いしながら演奏。
 全ての演奏が終わっても、まだコピーは残っている。そのまま作業は続き。全てを切り、組立て終えたときには私はそろそろ帰らなければならないような時間になっていた。
 楽しかったッス。とっても。でも・・・これで良かったのだろうか(汗)。
 学園物であるWT1で、学生会の会長選挙が行われる。NPC1名を含めて10名が立候補した。ゲーム主催者は豪気なことに、会長に学生会の企画者としての権限を与えようとしている。今後予定されているイベントに対して少なからぬ影響を与える権利と責任を1参加者に提供しようというのだ。面白い。一種のシグオペのようなもの。ゲーム主催者と参加者の垂直関係だけでなく、水平関係の参加者同士に運営を任せようという心意気や良し。だが逆に言えば、選挙で選ばれるべきはゲーム世界だけでなく現実世界でもやる気と実力のあるPLの演じるPCでなければならない。しかし、ゲーム世界で用意してるのはPCレベルの情報のみ。PCの裏にいるPLを知る情報は見当たらない。
 そこで、私は自分のPCに新聞部員として会長立候補者に対して公開質問状を送付し、その回答をクラブ掲示板にアップした。かなりイヂワルな質問。「問い」に対してどのように対するか。そこにPCの、そしてPLの熱意や人格が表れる。PCの円熟度やPLのロールプレイ能力なども読もうとすれば可能なもの。公案とまでは行かないが心理テストもどきなものになっている。素直に答えるのも良し、裏を読み取って答えるのも良し。
 以下にその質問の一部を示す。

公平を期すため、1つの質問に対し回答は100文字以内。無回答は「回答不能・未回答」として扱う。

Q7:貴方の性格はイヌ系?ネコ系?
Q8:宇宙人はいると思いますか?
Q9:死語の世界はあると思いますか?
Q10:宇宙の果ては何色ですか?
Q11:彼氏/彼女はいますか?
Q12:好きな食べ物は?
Q13:一押しの小説/漫画は?
Q14:今までの人生で一番嬉しかった事は?
Q15:今までの人生で一番怒った事は?
Q16:今までの人生で一番悲しかった事は?
Q17:今までの人生で一番楽しかった事は?
Q18:今までついた嘘で一番後悔しているものは?
Q19:今まで流した涙で一番悔しいものは?
Q20:弱肉強食は仕方ないと思いますか?
Q21:どんな大人になりたいですか?
Q22:毎日、楽しいですか?

 名鉄の東名古屋港駅という駅を利用した。なんでも一日数回しか電車が来ない駅らしい。説明終了後、社有車に乗ることも出来たが、発車時間に間に合うので名鉄を利用することにした。
 一日に2回というのは通勤用の駅であるためらしい。駅のホームには大勢の人が待っていた。半無人駅であるため、きちんとした発券場や改札がない。隣の大江駅からやってきた駅員からポータブル発券機で発券されたキップを購入。大江駅までの僅かな旅を楽しんだ。
 明日、朝一番に客先に入らなければならないために、名古屋に前泊した。
ぎりぎりまで資料を作成してから出発したので、到着は21時過ぎ。軽くどこかで食事を取る気にならなかったので、コンビニで買い物。名古屋らしいものを探すが、余りない。牛乳のそれほど地域性のあるものではなかった。コンビニはそういうものなのかとあきらめかけたところ、素がき屋の味噌煮込みうどんのカップ麺があった。をー!これは名古屋らしいゾ。購入し、ビジネスホテルの狭い部屋で食した。
 また辛いメールを受け取った。レスを付けられない。
 先日、山口から葬儀にやってきた先輩。任せられる人がいないこともあって、以前から面倒を見ているコウモリを連れてきていた。お披露目して、私も自分の手の上に乗せてその愛らしさを確認した。
 そのちびすけ、帰宅時の空港で入れておいた小箱から出そうとしたところ、冷たくなっていたと。
余りにもあっけない死。私達が手のひらに乗せたりしたことが、可愛がりがストレスになったのだろうか?
 野生動物にとって死は身近なもので、生き続けることだけでも大変なことを痛感させられた。いや、本当は人間もそうなのだ。それに気付かないだけなのだ。目を背けているだけなのだ。

 今日はダリエさんのFC『ダリエガーデン』のイベント開催日。企画は奥多摩散策。集合時間よりも早く行って、パーコレーターで入れたコーヒーを楽しもうと思い、南武線に乗車した。・・・ハッ、気がつくと列車は逆方向に走っていた。ここ数日の疲れが出たのか、車中で気を失って立川に着いたのに気がつかなかったようだ。慌てて降りて、立川方向の列車に乗り直す。コーヒーどころじゃない、遅刻かも(大汗)。幸い早めに出た為に遅刻にならずにすんだ。しかし、確認していたのと青梅線のダイヤが違っていたので沢井駅についてマネージャーさんの顔を見るまでビクビクものだった。
 今日の趣向は東京銘酒「澤之井」の澤井酒造の見学と多摩川に面した割烹での会食。まずは全員、醸造見学に。私はここの醸造見学は二度目。かつて草の根BBS「謎ネット23」で行われたオフ会。そのときと違っていた。予約制でかつ、おみやげの小瓶もない。年月の流れを感じる。案内でも前にはなかった古酒を寝かせる棚があった。あの頃、古酒なんて聞いたことなかったものなぁ。見学後の試飲は純米酒る生酒と火入れした酒の呑み比べ。面白い。鮮烈さ以外にも差があるので、好みが分かれるのがよく判った。それから、川辺に売店に。名水もここで飲める。用意した水筒に詰めた。試飲所があるのでここで銘柄『梵』を試飲。猪口持ち帰りならば一杯500円近くでも安いかな。一升一万円なのだから。やはり旨い。この酒が東京の酒を馬鹿にしていた私を懲らしめた酒。あのとき、口にした後の第一声は「ごめんなさい」だったっけ。せっかくだから、ダリエさんやマネージャーさんにも味を見てもらった。
 多摩川沿いの遊歩道を歩く。大勢がカヌーを楽しんでいる。この近くに住んでアウトドアを満喫する生活も悪くないよなぁ。道すがら、即売しているおばちゃんからヤツガシラと梅干しを買った。この遊歩道、気に入った。紅葉の時にまた来たいなぁ。
 目的地の会席料理旅館『河鹿園』に到着。とても雰囲気のある旅館だった。通されたのは玄関入ってすぐの趣のある座敷。思い思いに席に着いた。私は窓を背にしたダリエさんの隣の席。後ろを振り返ると、河原や向こう岸の様子が一望出来る。
 女将さんや女中さんが料理は配り、お食事会が始まる。まずは皆に配られた食前酒で乾杯。料理は見た目も繊細で美しい、もちろんお味も。久々にこういう料理を食すなぁ。美味しいものを食べると美味しいお酒を呑みたくなるもの。桧で造られた徳利(?)。蓋に筋が入っていて、蓋を押さえながら注ぐ。ダリエさんにお酌したり、お酌してもらったり。FCイベントなのでファンサービス満点なのだが、それでも感無量。すぐそばを流れる水音が心地よいBGM。
 食事の間、順繰りに参加者の自己紹介。大勢の参加を予想していたのだが、実際は10数名。ムーンライダーズからダリエさんを知ったという人が多いということから参加者の平均年齢が(^-^; 全員の自己紹介が終わると丁度良い時間。
 旅館の駐車場で集合写真を撮って解散。終始穏やかなイベントだった。沸かそうと思って持ってきたパーコレーター一式の重さなんて、気にならないくらい(苦笑)。

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