いぬもあるけば・・・「カンコー!仙台」
2001年9月10日 6畳間に敷かれた蒲団の中で甘美な夢を・・・。しかし朝寝はしていられない。汗を流すためにも朝湯に行った。「大沢の湯」 大沢温泉を有名にしている露天風呂。豊沢川に面した風光明媚な風呂。7時過ぎ。そこそこ人がいた。朝の山あいを愛でつつお湯に浸かる。石垣から身を乗り出すと川面がきらきら。よい温泉。堪能した。そうそう、ここは混浴だった。
朝食はバイキング形式。朝から美味しいものを食べた。部屋に戻って、チェックアウトまでゆっくりする。座椅子に座り、肘掛に腕を乗せながら、昨日購入した光太郎記念館のパンフレットや詩集を読む。静かなひととき。贅沢な1時間を過ごした。
チェックアウトして、一路、新花巻駅に。レンタカーを返すため。無事返却後、周回バスで花巻駅に。駅周辺でおみやげチェック。今日、世話になる友人のために酒を求めた。地元の牛乳パックをチェックするのは私の拘り。
在来線で花巻から仙台に。仙台についたのは15:30。友人との待ち合わせは17時近く。宮城のお土産を購入。塩釜、榮た樓「なまどら焼」。以前、PBM仲間に会いに仙台に訪れたときに食して以来填っているお菓子。
まだ時間があるので茶店に入ろうと思った。折角ならば変わったところ。確か「GANESH」という紅茶専門店があるはず・・・私は勘違いをしていた。その店が青葉通りにあるものだと。本当は定禅寺通りだった。迷った結果、取りあえず入った喫茶店「わでぃはるふぁ」[->リンク]。店内に入って、カウンターを見た瞬間、「ここ、来たことがある・・・」と口に出してしまった。やはりPBM仲間に会いに来たときに時間潰しに入った記憶がある。確かラッシーを頼んだはずだ。突然、同窓生に会ったような不思議な気持ちでカウンターに座った。「トルコで私も考えた」の1巻があったのでそれを読みながらトルコに思いをはせてみた。
仙台駅に戻って、友人と合流。中央市場にある京都の老舗イノダコーヒーのコーヒが飲めるニューエレガンスという喫茶店を教えてもらった。仙台にこんな面白い横丁があるなんて!時を忘れそうだ。
それから、今回の仙台立ち寄りの主目的に移った。「やくみ家」という居酒屋。私が仙台に住んでいる友人を羨ましいと思わしめる店。気仙沼出身の漢に「こんなマグロは食べたことがない」と言わしめた店。さすがにそんなものは普通のときには出ない。なじみ客を集めたイベントで振舞われる一品。東京では食べられないものが口にできる。なじみ客になっている友人がほんと羨ましい。そんな訳で仙台に寄ったからには訪れないわけには行かない店なのだ。
まずは磯自慢の純米吟醸。つまみは冷奴とお造りなど適当に友人が頼んだ。冷奴は緑色だった。濃くがある。お造りの赤身には驚いた。これが赤身なのか?目で見て、自分の箸で口に運んでいるのだが、日頃食しているものと余りに違うので判断停止に陥る。カツオなどそれ以外にも唸らせられたものがあったが一々書くのは止めよう。ともかく、やはりこの店の馴染み客になりたいものだと改めて思った次第。
仙台の友人は怒っていた。DVDを購入して観た「金髪の草原」が酷いと。追加設定、演出、音楽何もかもダメ!とのこと。原作を読んだら尚更怒りがこみ上げてきたとのこと。うーむ。そこまで酷いと感じるか。もっと酷い原作改変ものを観ているので、私の採点は甘いのかもしれない。少なくとも切なさの雰囲気は醸し出せていたと思う。
彼は明日から奈良に出張らしい。今月のdanchuを取り出して、週末に京都で旨いものを喰ってくるという。湯豆腐フリークなのでそれをチェックし、イノダコーヒーを飲み、そして・・・特集にあった「丼もの」を食べるだのろう。うぐぐ。羨ましいゾ。
幸せなひとときはあっという間。気が付くとヤバイ時間。指定列車に間に合わないかも。店を出てから小走りで駅に向かう。・・・どうにか、間に合った。
東京行きの車内でこの旅を振り返り、また旅に出たいものだと思った。温泉はいいねぇ。
朝食はバイキング形式。朝から美味しいものを食べた。部屋に戻って、チェックアウトまでゆっくりする。座椅子に座り、肘掛に腕を乗せながら、昨日購入した光太郎記念館のパンフレットや詩集を読む。静かなひととき。贅沢な1時間を過ごした。
チェックアウトして、一路、新花巻駅に。レンタカーを返すため。無事返却後、周回バスで花巻駅に。駅周辺でおみやげチェック。今日、世話になる友人のために酒を求めた。地元の牛乳パックをチェックするのは私の拘り。
在来線で花巻から仙台に。仙台についたのは15:30。友人との待ち合わせは17時近く。宮城のお土産を購入。塩釜、榮た樓「なまどら焼」。以前、PBM仲間に会いに仙台に訪れたときに食して以来填っているお菓子。
まだ時間があるので茶店に入ろうと思った。折角ならば変わったところ。確か「GANESH」という紅茶専門店があるはず・・・私は勘違いをしていた。その店が青葉通りにあるものだと。本当は定禅寺通りだった。迷った結果、取りあえず入った喫茶店「わでぃはるふぁ」[->リンク]。店内に入って、カウンターを見た瞬間、「ここ、来たことがある・・・」と口に出してしまった。やはりPBM仲間に会いに来たときに時間潰しに入った記憶がある。確かラッシーを頼んだはずだ。突然、同窓生に会ったような不思議な気持ちでカウンターに座った。「トルコで私も考えた」の1巻があったのでそれを読みながらトルコに思いをはせてみた。
仙台駅に戻って、友人と合流。中央市場にある京都の老舗イノダコーヒーのコーヒが飲めるニューエレガンスという喫茶店を教えてもらった。仙台にこんな面白い横丁があるなんて!時を忘れそうだ。
それから、今回の仙台立ち寄りの主目的に移った。「やくみ家」という居酒屋。私が仙台に住んでいる友人を羨ましいと思わしめる店。気仙沼出身の漢に「こんなマグロは食べたことがない」と言わしめた店。さすがにそんなものは普通のときには出ない。なじみ客を集めたイベントで振舞われる一品。東京では食べられないものが口にできる。なじみ客になっている友人がほんと羨ましい。そんな訳で仙台に寄ったからには訪れないわけには行かない店なのだ。
まずは磯自慢の純米吟醸。つまみは冷奴とお造りなど適当に友人が頼んだ。冷奴は緑色だった。濃くがある。お造りの赤身には驚いた。これが赤身なのか?目で見て、自分の箸で口に運んでいるのだが、日頃食しているものと余りに違うので判断停止に陥る。カツオなどそれ以外にも唸らせられたものがあったが一々書くのは止めよう。ともかく、やはりこの店の馴染み客になりたいものだと改めて思った次第。
仙台の友人は怒っていた。DVDを購入して観た「金髪の草原」が酷いと。追加設定、演出、音楽何もかもダメ!とのこと。原作を読んだら尚更怒りがこみ上げてきたとのこと。うーむ。そこまで酷いと感じるか。もっと酷い原作改変ものを観ているので、私の採点は甘いのかもしれない。少なくとも切なさの雰囲気は醸し出せていたと思う。
彼は明日から奈良に出張らしい。今月のdanchuを取り出して、週末に京都で旨いものを喰ってくるという。湯豆腐フリークなのでそれをチェックし、イノダコーヒーを飲み、そして・・・特集にあった「丼もの」を食べるだのろう。うぐぐ。羨ましいゾ。
幸せなひとときはあっという間。気が付くとヤバイ時間。指定列車に間に合わないかも。店を出てから小走りで駅に向かう。・・・どうにか、間に合った。
東京行きの車内でこの旅を振り返り、また旅に出たいものだと思った。温泉はいいねぇ。
いぬもあるけば・・・「賢治と光太郎」
2001年9月9日 朝早く起きて、もう一度温泉に浸かるつもりだった。が、軽い疲労が甘美な二度寝に誘う。Zzzzz・・・・朝湯は朝寝に変わった(汗)。 朝食はバイキング形式。 当初、食後に温泉にでも行こうかと考えていたが、バスの時刻表を確認したところ、10時前にチェックアウトした方がよいことが判った。11時までいられるのだが、そうすると後の日程が厳しい。 慌てて出発の準備。 どうにかバスに間に合った。新花巻駅までの道のり、ほとんど寝ていた。
11時、新花巻駅の駅レンタカーでホンダの小型車をレンタル。周回バスはとても安いが機動性に欠ける。行き当たりばったりの私には車の方が都合が良かった。
今日の最初の目的地は宮沢賢治記念館。 宮沢賢治記念館はこの手の施設にしては素晴らしいものだった。賢治そのものが多面性を持っている人であることもあるが、それぞれの面を理解するための展示がなされている。賢治のセロなども展示してあった。
賢治の来歴に、関わりのあった人物の説明が加えられている。私が注目したのは「斎藤宗次郎」・「山室機恵子」・「タッピング夫妻」。斎藤宗次郎:花巻の新聞書籍店主。内村鑑三の高弟のクリスチャン。宮沢家と親交し、賢治とは賛美歌やレコードを楽しんだ。山室機恵子:救世軍日本初代司令官山室軍平の妻。賢治の隣家に生まれ、廃娼運動や身売娘救済が賢治に深い感銘を与えた。タッピング夫妻:明治39〜大正6年、盛岡教会で布教。賢治もトシも聖書講義をきき、英語の指導を受けた。 賢治が抱えていた宗教は日蓮宗のそれであるが、彼の作品にはキリスト教的なものを感じていた。仏教徒の彼にそれを感じるが不思議だった。この記念館で、彼の人生の初期にキリスト教のエッセンスを振りかけた人達がいたことを知った。それで、合点がいった。となれば、彼の信仰に対する考えも変わってくる。
歴史の次は、地学。子供のときに周りから「石っこ賢ちゃん」と呼ばれていた、賢治の作品には様々な鉱石が出てくる。色や風合いなどの比喩として。彼の詩的世界を理解するにはこれら鉱物に対する知識が必要だ。恥ずかしながら、私はいくつかの鉱石を賢治の想像のものだと思っていた。まさか本当にあるとは。詩は確かな知識によるものだった。ここではそれらをビデオと展示で学習できる。このビデオが優れ物だった。教育的効果の高いもので、これを見た子供は鉱物に興味を抱くのではないだろうか。てんがんせき(天河石・アマゾナイト)、くじゃくせき、たんぱくせき、月長石(ムーンストーン)、クリソコーラ(珪孔雀石)、アズライト(藍銅鉱)、クリソプレーズ(緑玉髄)、瑠璃(ラピスラズリ)、アメジズト(紫水晶)、藍晶石、玉髄、などなど・・・。天河石なんて実在する名前だと思っていなかった。
次は化学。賢治の人生で化学は大きな位置を締めている。土壌改良などの農科学も化学知識が元になっている。「過冷却」の実験の映像をここで見るとは。
特別展示では「猫の事務所」の生原稿などを展示していた。猫の事務所という物語は官僚批判、いじめに対する賢治の視点などを見て取れる。猫の事務所の実務内容を見るとどうしても外務省的な感じがする。この展示は今年初めから始まったものだが、なんとタイムリーなのだろうか。「猫の事務所は獅子によって解散されました。」長であるライオンが実状を知り、解散させてしまう。なんとタイムリーなのだろうか。 いじめ問題の寓話と考えると、解散させるしかなかったとはなんと絶望的な結果だろうか。
賢治は国柱会という日蓮宗系の宗教団体に入れ込み、住み込みを望んで上京したほど影響を受けていた。この国柱会の入会があの石原莞爾と同じだと知ったときの衝撃は…!
宮沢賢治記念館は賢治の作品を深く味わうのにとても役立つ施設だった。3時間が経過していた。昼食を取らずに次に優先順位の高い施設、高村光太郎記念館に向かった。
台風が近づいているためか、空模様が烈しく変わり続けていた。南花巻温泉郷に向かう道を少しずれた、のどかな村にそれはあった。駐車場の目の前にある売店でお昼代わりに焼き団子を食べてから、記念館に向かった。 高村光太郎はここにある高村山荘と呼ばれる粗末な小屋で晩年の7年間を過ごした。東京のアトリエは戦災で燃え、疎開先の宮沢賢治の実家の宮沢家も空襲にあった末の自給自足生活。彫刻家としての活動が出来ない状況で、書を書き、詩を作る日々。
最初に記念館を見学した。・・・宮沢賢治記念館とのギャップにクラクラする。資料は貴重なものだが、それの見せ方や保存の仕方が稚拙だ。資料に対して部屋の大きさが狭いというのもある。花巻市は観光資源としてはここを重視していなさそうだ。資料を見て判るのは、地元の人々との交流が成されていたということ。葉書の文面などから伺い知れる。がっかりしたところもあったが、ここでのみ売っているパンフレットを購入した。館の様子を踏まえると期待できなかったのだが、これは当たりだった。
帰り道に保存されている高村山荘を観た。それは余りにも粗末な小屋だった。東京で暮らしてきた老人が7年もここで暮らしたのか。文献を読んで知ってはいたが、その実際を観るとやはり驚かされる。小屋は保存のために、2重の設備で囲われている。観るだけならばあっという間だ。思いを馳せる者でないとやはり物足りないのだろう。今回は晩夏に来たわけだが、雪の積もっているときに訪れるとまた感慨深いだろう。
ネットにアクセスするために、PHSが繋がるところまで市街に近づいた。今日も花巻まつりなので、近づきすぎるとはまる。適当な茶店に入って、メールチェックした。
今日の宿は大沢温泉[->リンク]。駐車場に車を止め、坂道を下る。ここは3つの施設がある。安くて味わいのある自炊部と藁葺き屋根の菊水館、そして近代的な山水閣。今回は、奮発して山水閣の『牡丹の間』を予約していた。かつて光太郎が愛用したと伝えられる部屋。静々と案内され、引き戸を押して入る。広い玄関に驚きながら上がるとまず10畳間。記念館で見た光太郎の書「大地麗」の写しが飾られている。部屋はこれだけではない。6畳間と3畳間がある。3畳間は茶をやるのに丁度良い感じだった。10畳間続きの板間のベランダのソファーに座れば、豊沢川が見える。川向こうは木々が生い茂っている。紅葉映える時には見事な光景に違いない。ソファーに座って、和んでいると仲居さんがやってきた。ハキハキしたまだ若い人。夕食は大体20時からにしてもらった。
夕食。お酒は地酒の純米吟醸酒「宝峰 禅」(石鳥谷)。料理は豪華だった。食べきれない程の品々。献立表があるのだが、全て書くのは躊躇われる。小鉢、前菜、吸物、造り、進肴、焼物、煮物、酢の物、止椀、水菓子。関東圏の温泉宿ではちょっと考えられない豪華さだ。驚きながら頂いた。昨日買った台焼きのおちょこで酒を頂きながら。
山水閣内にある「山水の湯」に入った。豪華に見えないけれど、実は豪華という風呂。お湯もアルカリ性単純泉なので肌がツルツル。それ以外にも3つの湯があるが、全部巡る体力はなさそう。
11時、新花巻駅の駅レンタカーでホンダの小型車をレンタル。周回バスはとても安いが機動性に欠ける。行き当たりばったりの私には車の方が都合が良かった。
今日の最初の目的地は宮沢賢治記念館。 宮沢賢治記念館はこの手の施設にしては素晴らしいものだった。賢治そのものが多面性を持っている人であることもあるが、それぞれの面を理解するための展示がなされている。賢治のセロなども展示してあった。
賢治の来歴に、関わりのあった人物の説明が加えられている。私が注目したのは「斎藤宗次郎」・「山室機恵子」・「タッピング夫妻」。斎藤宗次郎:花巻の新聞書籍店主。内村鑑三の高弟のクリスチャン。宮沢家と親交し、賢治とは賛美歌やレコードを楽しんだ。山室機恵子:救世軍日本初代司令官山室軍平の妻。賢治の隣家に生まれ、廃娼運動や身売娘救済が賢治に深い感銘を与えた。タッピング夫妻:明治39〜大正6年、盛岡教会で布教。賢治もトシも聖書講義をきき、英語の指導を受けた。 賢治が抱えていた宗教は日蓮宗のそれであるが、彼の作品にはキリスト教的なものを感じていた。仏教徒の彼にそれを感じるが不思議だった。この記念館で、彼の人生の初期にキリスト教のエッセンスを振りかけた人達がいたことを知った。それで、合点がいった。となれば、彼の信仰に対する考えも変わってくる。
歴史の次は、地学。子供のときに周りから「石っこ賢ちゃん」と呼ばれていた、賢治の作品には様々な鉱石が出てくる。色や風合いなどの比喩として。彼の詩的世界を理解するにはこれら鉱物に対する知識が必要だ。恥ずかしながら、私はいくつかの鉱石を賢治の想像のものだと思っていた。まさか本当にあるとは。詩は確かな知識によるものだった。ここではそれらをビデオと展示で学習できる。このビデオが優れ物だった。教育的効果の高いもので、これを見た子供は鉱物に興味を抱くのではないだろうか。てんがんせき(天河石・アマゾナイト)、くじゃくせき、たんぱくせき、月長石(ムーンストーン)、クリソコーラ(珪孔雀石)、アズライト(藍銅鉱)、クリソプレーズ(緑玉髄)、瑠璃(ラピスラズリ)、アメジズト(紫水晶)、藍晶石、玉髄、などなど・・・。天河石なんて実在する名前だと思っていなかった。
次は化学。賢治の人生で化学は大きな位置を締めている。土壌改良などの農科学も化学知識が元になっている。「過冷却」の実験の映像をここで見るとは。
特別展示では「猫の事務所」の生原稿などを展示していた。猫の事務所という物語は官僚批判、いじめに対する賢治の視点などを見て取れる。猫の事務所の実務内容を見るとどうしても外務省的な感じがする。この展示は今年初めから始まったものだが、なんとタイムリーなのだろうか。「猫の事務所は獅子によって解散されました。」長であるライオンが実状を知り、解散させてしまう。なんとタイムリーなのだろうか。 いじめ問題の寓話と考えると、解散させるしかなかったとはなんと絶望的な結果だろうか。
賢治は国柱会という日蓮宗系の宗教団体に入れ込み、住み込みを望んで上京したほど影響を受けていた。この国柱会の入会があの石原莞爾と同じだと知ったときの衝撃は…!
宮沢賢治記念館は賢治の作品を深く味わうのにとても役立つ施設だった。3時間が経過していた。昼食を取らずに次に優先順位の高い施設、高村光太郎記念館に向かった。
台風が近づいているためか、空模様が烈しく変わり続けていた。南花巻温泉郷に向かう道を少しずれた、のどかな村にそれはあった。駐車場の目の前にある売店でお昼代わりに焼き団子を食べてから、記念館に向かった。 高村光太郎はここにある高村山荘と呼ばれる粗末な小屋で晩年の7年間を過ごした。東京のアトリエは戦災で燃え、疎開先の宮沢賢治の実家の宮沢家も空襲にあった末の自給自足生活。彫刻家としての活動が出来ない状況で、書を書き、詩を作る日々。
最初に記念館を見学した。・・・宮沢賢治記念館とのギャップにクラクラする。資料は貴重なものだが、それの見せ方や保存の仕方が稚拙だ。資料に対して部屋の大きさが狭いというのもある。花巻市は観光資源としてはここを重視していなさそうだ。資料を見て判るのは、地元の人々との交流が成されていたということ。葉書の文面などから伺い知れる。がっかりしたところもあったが、ここでのみ売っているパンフレットを購入した。館の様子を踏まえると期待できなかったのだが、これは当たりだった。
帰り道に保存されている高村山荘を観た。それは余りにも粗末な小屋だった。東京で暮らしてきた老人が7年もここで暮らしたのか。文献を読んで知ってはいたが、その実際を観るとやはり驚かされる。小屋は保存のために、2重の設備で囲われている。観るだけならばあっという間だ。思いを馳せる者でないとやはり物足りないのだろう。今回は晩夏に来たわけだが、雪の積もっているときに訪れるとまた感慨深いだろう。
ネットにアクセスするために、PHSが繋がるところまで市街に近づいた。今日も花巻まつりなので、近づきすぎるとはまる。適当な茶店に入って、メールチェックした。
今日の宿は大沢温泉[->リンク]。駐車場に車を止め、坂道を下る。ここは3つの施設がある。安くて味わいのある自炊部と藁葺き屋根の菊水館、そして近代的な山水閣。今回は、奮発して山水閣の『牡丹の間』を予約していた。かつて光太郎が愛用したと伝えられる部屋。静々と案内され、引き戸を押して入る。広い玄関に驚きながら上がるとまず10畳間。記念館で見た光太郎の書「大地麗」の写しが飾られている。部屋はこれだけではない。6畳間と3畳間がある。3畳間は茶をやるのに丁度良い感じだった。10畳間続きの板間のベランダのソファーに座れば、豊沢川が見える。川向こうは木々が生い茂っている。紅葉映える時には見事な光景に違いない。ソファーに座って、和んでいると仲居さんがやってきた。ハキハキしたまだ若い人。夕食は大体20時からにしてもらった。
夕食。お酒は地酒の純米吟醸酒「宝峰 禅」(石鳥谷)。料理は豪華だった。食べきれない程の品々。献立表があるのだが、全て書くのは躊躇われる。小鉢、前菜、吸物、造り、進肴、焼物、煮物、酢の物、止椀、水菓子。関東圏の温泉宿ではちょっと考えられない豪華さだ。驚きながら頂いた。昨日買った台焼きのおちょこで酒を頂きながら。
山水閣内にある「山水の湯」に入った。豪華に見えないけれど、実は豪華という風呂。お湯もアルカリ性単純泉なので肌がツルツル。それ以外にも3つの湯があるが、全部巡る体力はなさそう。
いぬもあるけば・・・「花巻まつり」
2001年9月8日 東京発8:52、こまち7号12号車はOraを乗せて新花巻に向かって走り出した。お弁当を食べたり、持ちこんだ本を読んだり、MD聴いたり、おしゃべりしたり。11:19に無事新花巻に到着。着いてから知った。昨日から明日まで「花巻まつり」なのだ。予定ではすぐに宿に行くつもりだったが、折角なので見物してみることにした。こちらの計画を伝えると、駅の観光案内所の・・お姉さんが色々丁寧に教えてくれた。新花巻駅から巡回バスに乗って花巻市街に出た。「上町口」というバス停を降りて、今回の旅最初のネタ発見。「ファンタ ラ・フランス」これから昼食だが、発見したからには飲むしか。賢治が贔屓にしたという蕎麦屋「やぶ屋」で昼食。鉄火巻と天ぷらそば。さすがにガイドブックにある「賢治セット」は頼むのは恥ずかしい。
食後、花巻市民体育館に向かう。お姉さんがお勧めしてくれたのだ。途中、町を練り歩いている風流山車の人達とすれ違う。味がある。余り興味が無かったのだが、これは見る価値がありそうだ。 体育館では産業まつりということで、物産展が開かれていた。決して規模が大きいものではないのだが、地元の人達が老若男女大勢訪れ、併設している模擬店も含めて祭りの一環として楽しんでいた。 宿に持ち込むための地酒がないかと探していると、花巻市内の白雲という醸造所が出展していた。店番は醸造所の跡取りらしき青年。好感を持ったので、原酒と5年物の純米古酒を購入した。他にも塩ウニの瓶詰めや鮭のアイスクリームなどネタに走った。友人への土産にニンニク一束というのを考えたが、運送時にこちらにダメージが来るので断念した。それにしても、パン屋や牛乳屋など物産展では余り見られない店が出展しているのには驚いた。そんなごった煮的なところがいい。
てくてくと坂を降り、花巻祭りの会場の通りに出た。お昼頃にバスを降りたときには人通りはほとんどなかったのに今は大勢が場所取りしている。イベント開始までまだ時間があったので、宮沢賢治の生家を見に行った。通りは露天商の準備で忙しそう。生家脇の「蔵」という小さな観光ミュージアムに入った。ここで賢治に関する情報を入手。 当時、花巻には三奇人と呼ばれた人がいた。その内の1人が法華経の賢治。耶蘇の島栄蔵(花巻バプテスト教会)と後もう1人。賢治と島とはかなり深い交流があったようだ。彼が持っていた書籍などの影響は多大だと思われる。アンデルセンの童話も彼から借りたらしい。それにしても、三奇人とは・・・当時の花巻の人達が賢治をどう見ていたかがよく分かる。気になるのはもう1人。どんな人だったのだろう。島は大丈夫だったらしく、辻説法中に絡んできた酔っぱらい2人を脇に抱えながら説法を続けていたという逸話が残っている。
15時近くになったので、会場に戻った。タクシー会社の前で立ち見。近くにいた柔和な顔つきをしたおじさんが通りかかりの人達と和やかに挨拶していた。それは普通なのだが、祭りに相応しくないスーツ姿なので気になっていた。イベントが始まって正体が判った。警察のパレード。綺麗な衣装を身に纏った楽団が演奏している。彼らの敬礼が道路脇の壇上に上がっている先程のおじさんに向けられていた。ということは・・・市長さん。余りにも和やかな雰囲気だったので判らなかった。
警察のパレードが終わり、市長さんも去ってから、鹿踊りのパレードが始まった。大通りに県内各地から鹿踊りの団体が集まって、散開して踊り出す。デデスコデンという特徴的な太鼓の音があちこちで鳴る。基本的には鹿を模した衣装を身に纏った8名が1団体。背中から生えている竿飾り(ササラというらしい)は自然の神聖さを表すものか?見ようによっては、翼のようにもオーラのようにも見える。
興味深いのは、各団体がまったく同じ踊りをする物ではないところだ。流派があるらしく、それ以外にも団体ごとに差違を持たせている。それぞれが違うので見ていて飽きない。この手の伝統芸能は往々にして飽きっぽい内容だったりするのだが、この鹿踊りは愉しめた。
続いて、子供樽神輿。「危険ですので、歩道からでて座っている人は歩道に上がって下さい」という放送が。たかが子供神輿なのに何故そんな注意をするのだろうと不思議に思っていた。神輿がやってきて判った。ただ子供達が神輿を担いで真っ直ぐ通り過ぎるだけだと思っていた。そうではなかった。神輿は通りをジグザグにうねったり、ぐるぐる回ってみたり、果ては3つの神輿でダンスしてみたり。とても子供神輿のそれとは思えない烈しいものだった。参加団体も多い。小学生で45団体、中学生で13団体。
次に風流山車のパレード。鼠王国のアレに比べたら華やかさで敵わないが、味わいがある。歴史あるものらしい。山車を引く一行の中で小太鼓を叩いている少女達が可憐だった。衣装や化粧が映えていた。残念だが、宿に行かなければならない。一部を流し見して去ることに。
対して興味を持っていなかったが、よいものを見た。諸事情で日程がこの日となったのだが、良かった。
今日の宿は新鉛温泉「愛隣館」[->リンク]。祭りのためにバスの到着が遅れ、着いたのは19時半。食事の前に温泉に行きたかったが、先に夕食を取ることにした。献立は「食前酒(ブルーベリー酒)、刺身(マグロ、ハマチ、エビ)、マグロ切り身のステーキ、フキの煮しめ、イチジクの胡麻和え、野菜スープ鍋、串物、天ぷら(エビ、茄子、ししとう、舞茸、えだ豆)、ひっつみ鍋、舞茸ごはん、胡麻豆腐の吸い物、漬け物、フルーツ類」。鍋が野菜スープだったのだが、これがあっさりしていて美味しかった。イチジクの胡麻和えもイチジクの酸味と胡麻のコクのハーモニーが良かった。ひっつみ鍋はスイトンのような郷土料理。予想以上に豪勢な献立だった。残さず食べた。食べ過ぎた(汗)。
食休みを十分取ってから、温泉に。ここは大浴場に露天風呂が併設してある。しかし露天風呂は22時まで。露天風呂は面白いことに「立ち湯」だった。ずっと立ったまま入るというもので、血行によいらしい。雨が降り出していた。近くにある誘蛾灯の青い光。そこまではいいのだが、バチバチと音がする。ちょっとすさまじ。それでも貸し切り状態だったので、湯船の中でアキレス腱を伸ばしてみたり1人遊びしながら立ち湯を楽しんだ。
深夜、ニフティのパティオ仲間主催の「オン会」に参加するために携帯端末でニフティにアクセス。しかしソフトが不安定で何度もハングアップしてしまう。いい加減、イヤになったのでアクセスを断念した。久々に名前をみた人もいたのに〜。ふてくされつつ寝る。こうして、旅の第1日目が終わった。
食後、花巻市民体育館に向かう。お姉さんがお勧めしてくれたのだ。途中、町を練り歩いている風流山車の人達とすれ違う。味がある。余り興味が無かったのだが、これは見る価値がありそうだ。 体育館では産業まつりということで、物産展が開かれていた。決して規模が大きいものではないのだが、地元の人達が老若男女大勢訪れ、併設している模擬店も含めて祭りの一環として楽しんでいた。 宿に持ち込むための地酒がないかと探していると、花巻市内の白雲という醸造所が出展していた。店番は醸造所の跡取りらしき青年。好感を持ったので、原酒と5年物の純米古酒を購入した。他にも塩ウニの瓶詰めや鮭のアイスクリームなどネタに走った。友人への土産にニンニク一束というのを考えたが、運送時にこちらにダメージが来るので断念した。それにしても、パン屋や牛乳屋など物産展では余り見られない店が出展しているのには驚いた。そんなごった煮的なところがいい。
てくてくと坂を降り、花巻祭りの会場の通りに出た。お昼頃にバスを降りたときには人通りはほとんどなかったのに今は大勢が場所取りしている。イベント開始までまだ時間があったので、宮沢賢治の生家を見に行った。通りは露天商の準備で忙しそう。生家脇の「蔵」という小さな観光ミュージアムに入った。ここで賢治に関する情報を入手。 当時、花巻には三奇人と呼ばれた人がいた。その内の1人が法華経の賢治。耶蘇の島栄蔵(花巻バプテスト教会)と後もう1人。賢治と島とはかなり深い交流があったようだ。彼が持っていた書籍などの影響は多大だと思われる。アンデルセンの童話も彼から借りたらしい。それにしても、三奇人とは・・・当時の花巻の人達が賢治をどう見ていたかがよく分かる。気になるのはもう1人。どんな人だったのだろう。島は大丈夫だったらしく、辻説法中に絡んできた酔っぱらい2人を脇に抱えながら説法を続けていたという逸話が残っている。
15時近くになったので、会場に戻った。タクシー会社の前で立ち見。近くにいた柔和な顔つきをしたおじさんが通りかかりの人達と和やかに挨拶していた。それは普通なのだが、祭りに相応しくないスーツ姿なので気になっていた。イベントが始まって正体が判った。警察のパレード。綺麗な衣装を身に纏った楽団が演奏している。彼らの敬礼が道路脇の壇上に上がっている先程のおじさんに向けられていた。ということは・・・市長さん。余りにも和やかな雰囲気だったので判らなかった。
警察のパレードが終わり、市長さんも去ってから、鹿踊りのパレードが始まった。大通りに県内各地から鹿踊りの団体が集まって、散開して踊り出す。デデスコデンという特徴的な太鼓の音があちこちで鳴る。基本的には鹿を模した衣装を身に纏った8名が1団体。背中から生えている竿飾り(ササラというらしい)は自然の神聖さを表すものか?見ようによっては、翼のようにもオーラのようにも見える。
興味深いのは、各団体がまったく同じ踊りをする物ではないところだ。流派があるらしく、それ以外にも団体ごとに差違を持たせている。それぞれが違うので見ていて飽きない。この手の伝統芸能は往々にして飽きっぽい内容だったりするのだが、この鹿踊りは愉しめた。
続いて、子供樽神輿。「危険ですので、歩道からでて座っている人は歩道に上がって下さい」という放送が。たかが子供神輿なのに何故そんな注意をするのだろうと不思議に思っていた。神輿がやってきて判った。ただ子供達が神輿を担いで真っ直ぐ通り過ぎるだけだと思っていた。そうではなかった。神輿は通りをジグザグにうねったり、ぐるぐる回ってみたり、果ては3つの神輿でダンスしてみたり。とても子供神輿のそれとは思えない烈しいものだった。参加団体も多い。小学生で45団体、中学生で13団体。
次に風流山車のパレード。鼠王国のアレに比べたら華やかさで敵わないが、味わいがある。歴史あるものらしい。山車を引く一行の中で小太鼓を叩いている少女達が可憐だった。衣装や化粧が映えていた。残念だが、宿に行かなければならない。一部を流し見して去ることに。
対して興味を持っていなかったが、よいものを見た。諸事情で日程がこの日となったのだが、良かった。
今日の宿は新鉛温泉「愛隣館」[->リンク]。祭りのためにバスの到着が遅れ、着いたのは19時半。食事の前に温泉に行きたかったが、先に夕食を取ることにした。献立は「食前酒(ブルーベリー酒)、刺身(マグロ、ハマチ、エビ)、マグロ切り身のステーキ、フキの煮しめ、イチジクの胡麻和え、野菜スープ鍋、串物、天ぷら(エビ、茄子、ししとう、舞茸、えだ豆)、ひっつみ鍋、舞茸ごはん、胡麻豆腐の吸い物、漬け物、フルーツ類」。鍋が野菜スープだったのだが、これがあっさりしていて美味しかった。イチジクの胡麻和えもイチジクの酸味と胡麻のコクのハーモニーが良かった。ひっつみ鍋はスイトンのような郷土料理。予想以上に豪勢な献立だった。残さず食べた。食べ過ぎた(汗)。
食休みを十分取ってから、温泉に。ここは大浴場に露天風呂が併設してある。しかし露天風呂は22時まで。露天風呂は面白いことに「立ち湯」だった。ずっと立ったまま入るというもので、血行によいらしい。雨が降り出していた。近くにある誘蛾灯の青い光。そこまではいいのだが、バチバチと音がする。ちょっとすさまじ。それでも貸し切り状態だったので、湯船の中でアキレス腱を伸ばしてみたり1人遊びしながら立ち湯を楽しんだ。
深夜、ニフティのパティオ仲間主催の「オン会」に参加するために携帯端末でニフティにアクセス。しかしソフトが不安定で何度もハングアップしてしまう。いい加減、イヤになったのでアクセスを断念した。久々に名前をみた人もいたのに〜。ふてくされつつ寝る。こうして、旅の第1日目が終わった。
いぬもあるけば・・・「断念」
2001年9月7日 今日はwindfallのライブだった。が、ここ数日から変だった、胃腸の調子が悪化していた。明日のこともある。今日、ここで無理をして明朝、惨いことになるのは避けたい。ギリギリの判断で、ライブを見に行くのを断念。
その反動もあってか、寄った書店で本を衝動買い。6K円〜。
『制約されざる人間』 V・E・フランクル 春秋社
『安土往還記』 辻邦生 新潮文庫
『宮沢賢治』 吉本隆明 筑摩書房
『新編 銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 新潮文庫
『注文の多い料理店』 宮沢賢治 新潮文庫
『宮沢賢治万華鏡』 天沢退二郎編 新潮文庫
『高村光太郎詩集』 伊藤信吉編 新潮文庫
フランクルの本は知らないうちに出ていたのでチェック。安土往還記は先日のゼミで先生が面白かったと言っていたのでチェック。それ以外は事前学習資料として購入。事前学習・・・でも、それらを読む時間がもう無い。しかし、折角買ったのだから・・・結局、荷物となることになる。
その反動もあってか、寄った書店で本を衝動買い。6K円〜。
『制約されざる人間』 V・E・フランクル 春秋社
『安土往還記』 辻邦生 新潮文庫
『宮沢賢治』 吉本隆明 筑摩書房
『新編 銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 新潮文庫
『注文の多い料理店』 宮沢賢治 新潮文庫
『宮沢賢治万華鏡』 天沢退二郎編 新潮文庫
『高村光太郎詩集』 伊藤信吉編 新潮文庫
フランクルの本は知らないうちに出ていたのでチェック。安土往還記は先日のゼミで先生が面白かったと言っていたのでチェック。それ以外は事前学習資料として購入。事前学習・・・でも、それらを読む時間がもう無い。しかし、折角買ったのだから・・・結局、荷物となることになる。
いぬもあるけば・・・「その日」
2001年9月6日友の誕生日。
夕方、恵比寿の東京都写真美術館ホールに掛けつけた。明日まで上映している「アリーテ姫」を再度、観るために。上映は始まっていた。 観賞終了後、サントラCDを購入。
久々に五反田から東急池上線に乗る。いつもの南武線とは乗客の雰囲気が違う。意識化された『差』は久が原駅を降りて、例の骨董屋に向かいながらも感じていた。
今日はゼミの日。先生はまず最初に全員にハガキを配る。根津美術館のDMだ。『東山御物の茶道具 −大名物・名物を中心に−』「機会があれば見に行って下さい。」 この展示の主な展示作品についてのコメントがあった。主な展示作品として上げられているもの全てが東山御物ではないという話やここに書けない話など。 そもそも東山御物は昔『東山殿御物』と言われていたらしい。足利義政を東山殿と呼んでいた。義政(東山殿)の品(御物)という言い方。それが研究者によって時代区分するための単語に意味を変えられた。義政の品ではなく、「義政の時代の品=東山文化の頃の品=東山御物」と。それが大正末期から昭和初期のこと。以前ネタにした当用漢字制定の裏話が知識としてあるので、権威ある一研究者による改変そのものには驚かなくなっている。話は更に飛ぶ。「大名物」という言葉も近代に入って作られたものらしい。円周という人が活躍した時代の品を「中興名物」とある文献で言っていた。それに対して、研究者が利休の頃の良い品を「名物」と、そしてそれ以前の良い品を「大名物」と定義した。 先生の話のネタの引き出しは閉まらない。「御物の読み方というのもまた色々定義されていてね・・・。」〈ぎょぶつ〉、〈ごもつ〉という読み方がある。使われていないが、更に〈ごもち〉という読みがある。〈ぎょぶつ〉は漢音。〈ごもち〉が呉音。〈ごもつ〉は呉音の慣用読み。仏教用語が呉音読みで入ってきたために日本人は呉音に高級なイメージを付与している。さて、そういう権威が好きな人は、もったいつけるために読みを変える。天皇家の品を特別に御物と書いて〈ごもつ〉と呼ばせ、天皇家以外の例えば将軍家の品を挿す御物を〈ぎょぶつ〉と。何だかナ〜と思うが、先生はそういう拘りも「豊かな日本人の文化」だと言う。藤原定家を「ふじわらのさだいえ」と呼ばずに「ふじわらていか」と呼ぶのと同じか。
結局、ハガキ一枚で1時間お話。続いて先生が面白いと思った本の紹介。安土桃山時代の人々の言葉を探る貴重な文献として、「日本ポルトガル辞書」を上げられた。当時、訪れた宣教師が纏めたもの。岩波書店から出ているらしい。第2版が使いやすいとのこと。これで当時の読み方や、変わる前の言葉の意味を知ることが出来る。
例えば『染付』は広辞苑に拠れば「生地に藍色の絵模様を描き、その上に無色の釉をかけて焼きつけたもの」とあるが、当時は藍色だけでなく赤や黄など様々な色で描かれたものも染付と言ったらしい。これを知っていると、「箱入りの銘に染付とあるのに藍色以外の色がある。偽物では?」という話に頭から偽物扱いせずにきちんと対応できる。 この話はおとぎ話ではありません。
それ以外にも今井宗久を主人公にしたという点で興味深い歴史小説「覇商の門」(火坂雅志:祥伝社)や信長の描写に引き込まれたという「安土往還記」(辻邦生)、そしてあの夢枕獏の「陰陽師」も面白いと紹介。まさか「陰陽師」が紹介されるとは意外だった。
長ーい前置きが終わり、スライドによる講義が始まった。最初のスライドは・・・スーパーでよく見かける刺身盛り付け用の発泡スチロールトレーだった。模様が印刷されたシールが貼られている。これは一体・・・。
今日のお題は「代用材料の問題」。日本人は代用材料を使った上で機能とは別個に元のものの『形』に拘ってきた。発泡スチロールトレーにわざわざシールを貼る感性がそれだ。現代にも残るそれは、茶道具にも観ることが出来る。天目と天目台という焼き物の茶道具がある。徳川美術館にある黄金の天目と天目台には良い品としての特徴をわざわざ追加している。釉薬の垂れ具合やろくろ痕など黄金の品ならば出来ないものが。時代を遡り、土師器にも拘りが観られる。木製の高坏を似せた土師の高坏(8世紀)が奈良県で出土している。水差という焼き物の茶道具には元になった桶の形が残っている。変わり種では魚籠の形が。
「日本人は『形』に拘る」・・・この言葉と先生が先程面白かったという小説「陰陽師」が私の頭の中でリンクした。陰陽道の『呪(しゅ)』の思想は日本人にとって最も身近な宗教的アイテム「お守り」などにも散見される。似た形のものは魂も似る。例え素材を変えても、その形を似せることにより、元の道具の魂を引き継がさせる。日本人の美意識の中に刷り込まれているのだろう。そんな妄想が閃いた。
スライド上映が終わった。戦時中、金属を供出したためにあらゆる物が焼き物で代用されたという。瀬戸の洗面器や国体優勝のメダル、服のボタンなど。各地の焼き物作家はそういうものを作っていた。そんな話をしつつ、先生が鞄から取り出したものがまた衝撃的な物だった。京都の骨董市で見つけたというそれは「信楽焼の手りゅう弾」だった。本物ではなく、模擬手りゅう弾らしい。旧日本軍の手りゅう弾はピンを抜いてから爆発するまで3秒。それを踏まえて投げる練習に使ったものだと思われる。それが信楽なのだ。風合いは確かにそれだった。
ゼミが終了し、先生がお帰りされた後、参加者の方が持ち寄った料理が余りに美味しいので酒屋で酒を買って呑む事に。ゼミに関連を持たせようと、純米吟醸「備前幻」を購入。名前買いしたのだが、当たりだった。
いぬもあるけば・・・「欠席」
2001年9月5日同期がまた退社した。その送別会が今日。顔を出したかったから、ここ2日間、かなりタイトなスケジュールで動いていた。要するに無理をしていた。順調に進むならば定時前、遅くても定時に上がれるはずだった。が、再測定や他の仕事の相談などが時間を奪っていった。結局、出張先を出たのは19時半。送別会に顔を出すのは諦めざるを得なかった。
退社の理由と今後の話は送別会に出た同期から聞くしかなさそうだ。セロ弾きを趣味とする彼には新天地で頑張ってほしい。そういえば、彼は実習合宿中も合宿所にセロを持ち込んで夜弾いていた。一日でも弾かないと、腕が鈍ってしまうと言って。あれからかなり経つが、今でも弾いているのだろうか?配属後、あまり顔を合わせることがなかったためにそれすら知らなくなっていた。
同期13名のうち、現在残っているのは7名。
いぬもあるけば・・・「月の光、皓々として」
2001年9月4日 智恵子抄、読了。
時系列で並べられていることもあって、読み進めるに来るものがある。似たような、とても大事な人との痛い別れを体験した人にとってはかなり痛い小冊子だ。そういう体験のない人は想像力の助けを借りる。どちらの受け取り方が良いかどうかは判らないが、己が内に感じる人と外に理解する人の2種類が存在するだろう。キルケゴールの作品の受け取り方と同様に。
深夜、晴れて見事な月夜となった。アスファルトに月明かりによる影が。思わず「月がとっても青いから〜♪遠回りして帰ろう〜♪」などと口ずさんでしまうほど。「独り歩きだけどね」という一人ツッコミは寒いので止めよう。
それはすっかり月の反対側までも明かりは届いて天幕は薄明るかったのですが、それに隠れるようにカペラが先頭のぎょしゃ座の五つ星たちやオリオン座の三ツ星たちがそろりそろりとやってきました。三ツ星たちは月の明かりがまぶしいのかしぱしぱと目を瞬かせながらまったく興味深そうに夜の広場の様子を探っているのでした。
時系列で並べられていることもあって、読み進めるに来るものがある。似たような、とても大事な人との痛い別れを体験した人にとってはかなり痛い小冊子だ。そういう体験のない人は想像力の助けを借りる。どちらの受け取り方が良いかどうかは判らないが、己が内に感じる人と外に理解する人の2種類が存在するだろう。キルケゴールの作品の受け取り方と同様に。
深夜、晴れて見事な月夜となった。アスファルトに月明かりによる影が。思わず「月がとっても青いから〜♪遠回りして帰ろう〜♪」などと口ずさんでしまうほど。「独り歩きだけどね」という一人ツッコミは寒いので止めよう。
それはすっかり月の反対側までも明かりは届いて天幕は薄明るかったのですが、それに隠れるようにカペラが先頭のぎょしゃ座の五つ星たちやオリオン座の三ツ星たちがそろりそろりとやってきました。三ツ星たちは月の明かりがまぶしいのかしぱしぱと目を瞬かせながらまったく興味深そうに夜の広場の様子を探っているのでした。
いぬもあるけば・・・「慣れ」
2001年9月3日 毎週那須に行くと、さすがに行き慣れる。宿泊する部屋も借りっぱなしになるので、往復の荷物も減る。問題はそれが通常だと勘違いし始めていること。出向じゃない〜。出張なんだ〜。(汗)
今日の夕食は黒磯駅近くにある中華料理店「楼蘭」。こう言ってはなんだが、とてもまともなお店。蒲田の中華料理店よりも高級感がある。決して、チャイナドレスで身を包んだウエイトレスさん達に惹かれて来店するのではない。いや、絶対。多分。恐らく・・・・・・
私の定番は「海老チリソース掛けご飯+小龍包子」。ぷちぷちした海老と肉汁溢れる小龍包子。食後にマスターの運んできた1杯のウーロン茶が締め。他のお客さんは食後すぐに帰ってしまうせいか、お茶が出ない。もしかして、お馴染みさん扱い?・・・・・・だから、出張で来ているんだって(滝汗)。
今日の夕食は黒磯駅近くにある中華料理店「楼蘭」。こう言ってはなんだが、とてもまともなお店。蒲田の中華料理店よりも高級感がある。決して、チャイナドレスで身を包んだウエイトレスさん達に惹かれて来店するのではない。いや、絶対。多分。恐らく・・・・・・
私の定番は「海老チリソース掛けご飯+小龍包子」。ぷちぷちした海老と肉汁溢れる小龍包子。食後にマスターの運んできた1杯のウーロン茶が締め。他のお客さんは食後すぐに帰ってしまうせいか、お茶が出ない。もしかして、お馴染みさん扱い?・・・・・・だから、出張で来ているんだって(滝汗)。
いぬもあるけば・・・「休息日」
2001年9月2日 一日、自室で過ごした。
9/8のぱぶりかの稲毛ワンズモールでのライブが中止になった。どうやら主催者側の事情によるらしい。前回、思いっきり時間が押したからだろうか。残念だ。というか、もしかしたら、ぱぶりかどころか、ライブイベントそのものが中止になったのかも。後味の悪い話だ。
YaeさんのCD『new Aeon』を聴いた。かなり凄いアルバムだ。ファーストアルバムでこれほどのものを出してしまうとは。ヘッドフォンで聴いて驚いた。これはお勧めだ。参加アーティストも良い味を出している。参加アーティストのファンの人にとっても嬉しいCDだと思う。Ayuoさん、沢田穣治さん、太田恵資さん、鬼怒無月さん、佐藤正治さん、岡部洋一さん・・・贅沢な布陣。それに全く負けていないのだもの。これからの活躍が楽しみだ。
9/8のぱぶりかの稲毛ワンズモールでのライブが中止になった。どうやら主催者側の事情によるらしい。前回、思いっきり時間が押したからだろうか。残念だ。というか、もしかしたら、ぱぶりかどころか、ライブイベントそのものが中止になったのかも。後味の悪い話だ。
YaeさんのCD『new Aeon』を聴いた。かなり凄いアルバムだ。ファーストアルバムでこれほどのものを出してしまうとは。ヘッドフォンで聴いて驚いた。これはお勧めだ。参加アーティストも良い味を出している。参加アーティストのファンの人にとっても嬉しいCDだと思う。Ayuoさん、沢田穣治さん、太田恵資さん、鬼怒無月さん、佐藤正治さん、岡部洋一さん・・・贅沢な布陣。それに全く負けていないのだもの。これからの活躍が楽しみだ。
いぬもあるけば・・・「蒲田巡り」
2001年9月1日 朝。昨夜の曇り空はどこに行ったやらと言うほど見事な快晴。那須岳も綺麗に映えて見える。千恵子の阿多多羅山の上の空がどのようなものか判らないが、それに近いと思われるぐらい爽快な空が広がっていた。これならば明日から高原に合宿するというマリリンさんも楽しく過ごせるのではと思いながら車中の人となった。
12時前に自室に着き、荷物を整理してからすぐに出た。蒲田の鈴文でランチのひれカツ定食を食べた後、近くの茶店に入る。二階に通された。ここは確か一見さんや団体さんは2階に通される店だったはず。それが証明された?キリマンジャロを頼んで、計画を検討し、詰めた。方針が固まったので、場所をJR蒲田駅のびゅうプラザ蒲田に移した。フリープランツアーの申し込み。仮予約しておいた宿や指定券などの手配。無事に完了。
休日に蒲田に出てきたのならばと、蒲田温泉[リンク]に行った。銭湯なのだが、温泉。久々に行ったらまた料金が上がっていた。400円。バスタオルを200円で借りて、中に入る。ここは久が原湯よりも温めの設定があるので安心して黒湯に入れる。土曜の午後であったが、入湯者は多かった。いや、土曜の午後だからか。
上がって飲むのは・・牛乳がなかったのでトマトジュースに。30分ぐらいぼーっとしていた。2階には広間の休憩場があるはずだが、そこに上がるまでもないなと受付前のソファーでだらだら。
夕食はニイハオ本店[リンク]で。少し待つだけで入れた。早めに来たからだろう。ここに来て餃子を食べないわけにはいかない。小龍包子や四川風芝海老の辛子炒めなどを注文。そしてビールも。風呂上りのビールは旨い!ビールをやっつけていると、焼餃子の登場。パクパク。それ以外ものも続々登場。
ほどよくお腹が膨れたので出ることにした。店の前では10名ほど並んでいた。ゆっくりしすぎていたかな?(汗)
京急蒲田駅前の商店街をひやかしながら、JR蒲田駅に。コージーコーナーで喫茶。ケーキセットで頼んだミルフィーユは美味しかった。
12時前に自室に着き、荷物を整理してからすぐに出た。蒲田の鈴文でランチのひれカツ定食を食べた後、近くの茶店に入る。二階に通された。ここは確か一見さんや団体さんは2階に通される店だったはず。それが証明された?キリマンジャロを頼んで、計画を検討し、詰めた。方針が固まったので、場所をJR蒲田駅のびゅうプラザ蒲田に移した。フリープランツアーの申し込み。仮予約しておいた宿や指定券などの手配。無事に完了。
休日に蒲田に出てきたのならばと、蒲田温泉[リンク]に行った。銭湯なのだが、温泉。久々に行ったらまた料金が上がっていた。400円。バスタオルを200円で借りて、中に入る。ここは久が原湯よりも温めの設定があるので安心して黒湯に入れる。土曜の午後であったが、入湯者は多かった。いや、土曜の午後だからか。
上がって飲むのは・・牛乳がなかったのでトマトジュースに。30分ぐらいぼーっとしていた。2階には広間の休憩場があるはずだが、そこに上がるまでもないなと受付前のソファーでだらだら。
夕食はニイハオ本店[リンク]で。少し待つだけで入れた。早めに来たからだろう。ここに来て餃子を食べないわけにはいかない。小龍包子や四川風芝海老の辛子炒めなどを注文。そしてビールも。風呂上りのビールは旨い!ビールをやっつけていると、焼餃子の登場。パクパク。それ以外ものも続々登場。
ほどよくお腹が膨れたので出ることにした。店の前では10名ほど並んでいた。ゆっくりしすぎていたかな?(汗)
京急蒲田駅前の商店街をひやかしながら、JR蒲田駅に。コージーコーナーで喫茶。ケーキセットで頼んだミルフィーユは美味しかった。
いぬもあるけば・・・「ホームにて」
2001年8月31日 ・・・帰れない〜、データ整理が終わらない〜。思わず、中島みゆきの歌を口ずさんでしまう気分。はふぅ(沈)。
「振り向けば空色の汽車は 今ドアが閉まりかけて
明かりともる窓の中では 帰り人が笑う
ふるさとは走り続けたホームの果て
叩き続けた窓ガラスの果て
そして手のひらに残るのは 白い煙と乗車券」
宿泊所に22時頃戻ったら、同様に帰りそびれた先輩が缶ビールを空けていた。私も缶ビールを手にする。色々話をしている内に、趣味の話になった。ゲームにお金を掛けているといったところ、TVゲームだと思われた。郵便を使ったゲームだと訂正。すると妙に合点がいった様子。ちょくちょく郵便局に行きたがる理由が判ったとのこと。確かに出張中も速達出しや郵便振替のために出掛けていた。どうやらかなり「怪しい」人物だと思われていたようだ。
PBMについて説明していると、「テーブルトークRPG(以下TRPG)なら昔、持っていた。一緒にやれる人がいなかったのでしなかったけれど。」と驚かせる一言。「なんというゲームでした?」「宇宙を船で行く・・・」「ト、トラベラー(汗)」「そう、そう!」 説明書を読んだだけで遊んだことがないのできれいなまま残っているはずとのこと。うわぁ。
でも、どうしてTRPGのシステムなど購入したのだろう。中学生がいきなり買うには高いものだったはず。理由が判った。ゲームブックの熱心なプレイヤーだったのだ。「火吹き山の魔法使い」など懐かしいタイトルが先輩の口から出てくる。まさか、こんなところに昔ゲームブックに燃えた人が居ようとは!
宴が終わった後、一人、外に出た。西の低い空、濃い雲の間のうす曇のところ。その丁度真中に丸い月があった。月光がうす雲をナンとも言えない色にしていた。一見すると只の灰色のコントラストなのだが、よく見るとそのにじみ具合は黒のサインペンのインクをペーパークロマトグラフィーで色素分離したかの様。様々な色をそこに感じてしまった。それはカメラに収められない色。「あの人にも見せてあげたい。」そう思わせる光景。自然の作り出す『美』に感じ入る一瞬。
「ふむ。これを見せるための計らいか・・・」
そう思うことにした。
「振り向けば空色の汽車は 今ドアが閉まりかけて
明かりともる窓の中では 帰り人が笑う
ふるさとは走り続けたホームの果て
叩き続けた窓ガラスの果て
そして手のひらに残るのは 白い煙と乗車券」
宿泊所に22時頃戻ったら、同様に帰りそびれた先輩が缶ビールを空けていた。私も缶ビールを手にする。色々話をしている内に、趣味の話になった。ゲームにお金を掛けているといったところ、TVゲームだと思われた。郵便を使ったゲームだと訂正。すると妙に合点がいった様子。ちょくちょく郵便局に行きたがる理由が判ったとのこと。確かに出張中も速達出しや郵便振替のために出掛けていた。どうやらかなり「怪しい」人物だと思われていたようだ。
PBMについて説明していると、「テーブルトークRPG(以下TRPG)なら昔、持っていた。一緒にやれる人がいなかったのでしなかったけれど。」と驚かせる一言。「なんというゲームでした?」「宇宙を船で行く・・・」「ト、トラベラー(汗)」「そう、そう!」 説明書を読んだだけで遊んだことがないのできれいなまま残っているはずとのこと。うわぁ。
でも、どうしてTRPGのシステムなど購入したのだろう。中学生がいきなり買うには高いものだったはず。理由が判った。ゲームブックの熱心なプレイヤーだったのだ。「火吹き山の魔法使い」など懐かしいタイトルが先輩の口から出てくる。まさか、こんなところに昔ゲームブックに燃えた人が居ようとは!
宴が終わった後、一人、外に出た。西の低い空、濃い雲の間のうす曇のところ。その丁度真中に丸い月があった。月光がうす雲をナンとも言えない色にしていた。一見すると只の灰色のコントラストなのだが、よく見るとそのにじみ具合は黒のサインペンのインクをペーパークロマトグラフィーで色素分離したかの様。様々な色をそこに感じてしまった。それはカメラに収められない色。「あの人にも見せてあげたい。」そう思わせる光景。自然の作り出す『美』に感じ入る一瞬。
「ふむ。これを見せるための計らいか・・・」
そう思うことにした。
いぬもあるけば・・・「予習」
2001年8月30日 花巻旅行を前に、まるで修学旅行の事前学習の様に書籍を購入した。
FOR BEGINNERS 宮沢賢治 現代書館
銀河鉄道の夜 宮沢賢治 宮沢賢治童話集3 講談社青い鳥文庫
智恵子抄 高村光太郎 新潮文庫
絵のない絵本 アンデルセン 新潮文庫
恥ずかしい話だが、宮沢賢治にしても高村光太郎にしてもきちんと通して読んだことがない。子供心に宮沢賢治の作品はそれほど楽しくは無かった。小学2年生のころは怪奇物をよく読み、3,4年生の頃は井伏鱒二が訳したドリトル先生物や少年探偵ブラウン(だったかな?)などの児童小説をよく読んでいた。童話を意識して選択して読んだ記憶が余りない。あらすじは知っていたが、果たしてきちんと読んでいただろうか?
智恵子抄にしても、全てを読んだことはなかった。一部引用されやすい有名な詩だけを知識として知っていたに過ぎない。アンデルセンの作品も同様。
花巻を訪れてみようと思ったのは、『“人と思想シリーズ”「高村光太郎」(清水書院)』がきっかけだった。智恵子を失った後、戦時中に戦争賛美の詩を発表したことを戦後に非難された老人光太郎が自給自足で過ごし、失ったものを『受け取り直し』た小屋を訪れたくなった。(おそらく、そこは観光地として奉られているだろうが)
『キルケゴールとアンデルセン』を読みながら、宮沢賢治に対しての関心も深まった。筆者は宮沢賢治の作品や書簡を灯火として、彼らをあぶり出している。「Ora Orade Shitori egumo」やアンデルセンの賢治によるドイツ語読みアンデルゼンなどを文字遊びすることで。OraからOratorio(礼拝堂)、オラトリオを連想してみたり、アンデルセン→アンデルゼン→「アンデルスザイン:異質の存在」と呼応一致させてみたり…。もちろん、祈りと童話の二つを体現している人物としての宮沢賢治像がそこにある。それが正しいかはともかく。
そんな訳で出張先の書店で手に入る本を買った。夜、誰もいない部屋で独り、絵のない絵本の第一夜を朗読してみた。朗読など何年ぶりだろうか?間を取ったり、強弱を付けたりはそれなりに出来るが、思った以上に口が回らない。いやはや。リンクしているけろさんが以前、童話を読み聞かせる活動に参加していると日記に書かれていたが、難しいものだねぇ。下読みをきちんとしないとサラサラと聞かせる事はできなさそう。この本は全て朗読で読もうと思った。
FOR BEGINNERS 宮沢賢治 現代書館
銀河鉄道の夜 宮沢賢治 宮沢賢治童話集3 講談社青い鳥文庫
智恵子抄 高村光太郎 新潮文庫
絵のない絵本 アンデルセン 新潮文庫
恥ずかしい話だが、宮沢賢治にしても高村光太郎にしてもきちんと通して読んだことがない。子供心に宮沢賢治の作品はそれほど楽しくは無かった。小学2年生のころは怪奇物をよく読み、3,4年生の頃は井伏鱒二が訳したドリトル先生物や少年探偵ブラウン(だったかな?)などの児童小説をよく読んでいた。童話を意識して選択して読んだ記憶が余りない。あらすじは知っていたが、果たしてきちんと読んでいただろうか?
智恵子抄にしても、全てを読んだことはなかった。一部引用されやすい有名な詩だけを知識として知っていたに過ぎない。アンデルセンの作品も同様。
花巻を訪れてみようと思ったのは、『“人と思想シリーズ”「高村光太郎」(清水書院)』がきっかけだった。智恵子を失った後、戦時中に戦争賛美の詩を発表したことを戦後に非難された老人光太郎が自給自足で過ごし、失ったものを『受け取り直し』た小屋を訪れたくなった。(おそらく、そこは観光地として奉られているだろうが)
『キルケゴールとアンデルセン』を読みながら、宮沢賢治に対しての関心も深まった。筆者は宮沢賢治の作品や書簡を灯火として、彼らをあぶり出している。「Ora Orade Shitori egumo」やアンデルセンの賢治によるドイツ語読みアンデルゼンなどを文字遊びすることで。OraからOratorio(礼拝堂)、オラトリオを連想してみたり、アンデルセン→アンデルゼン→「アンデルスザイン:異質の存在」と呼応一致させてみたり…。もちろん、祈りと童話の二つを体現している人物としての宮沢賢治像がそこにある。それが正しいかはともかく。
そんな訳で出張先の書店で手に入る本を買った。夜、誰もいない部屋で独り、絵のない絵本の第一夜を朗読してみた。朗読など何年ぶりだろうか?間を取ったり、強弱を付けたりはそれなりに出来るが、思った以上に口が回らない。いやはや。リンクしているけろさんが以前、童話を読み聞かせる活動に参加していると日記に書かれていたが、難しいものだねぇ。下読みをきちんとしないとサラサラと聞かせる事はできなさそう。この本は全て朗読で読もうと思った。
いぬもあるけば・・・「漫画が表せ得る事」
2001年8月29日 日頃、立ち読みで済ませる週刊少年サンデーを購読してみる。主流週刊少年誌4誌のうち、購読してもいいなと思う筆頭はサンデーだろうか。熱い漫画、引き込ませる漫画の掲載数が多い。
今週号は『からくりサーカス』(藤田和日郎)に魅せられた。話は現在ゾハナ病という病をまき散らす自動人形達とそれらを殲滅せんと戦い続ける者達の姿を追っている。
その中で死せんとする登場人物が語る台詞の凄さ。現代日本に於いて漫画以外の媒体で個人がこれを語らしめ、対象に伝え得るものがあるだろうか?
「人形は、変わらない…死にもしない…だが人間はちがう。」
「ああ…何て愛しいのだろう、人間という生命は。」
「いくら年を経ても、赤子のまま…はかなくたよりなくて…他人がいなければ生きてゆけないのだ。」
「愛しく思うということは、その対象が何よりも美しく見えるということだ。」
作者の思いの直球が胸に迫る。掲載紙が少年誌、建前小中学生を対象としていることを思い出せば彼が誰に何を語りたがっているかが見えてくる。ああ、そんな無粋な事を言うのは止めよう。今は少年のように、この漫画に出会えた幸運を喜び、続きをワクワクしながら待ち続けよう。待つことすら喜びであることを噛み締めながら。
今週号は『からくりサーカス』(藤田和日郎)に魅せられた。話は現在ゾハナ病という病をまき散らす自動人形達とそれらを殲滅せんと戦い続ける者達の姿を追っている。
その中で死せんとする登場人物が語る台詞の凄さ。現代日本に於いて漫画以外の媒体で個人がこれを語らしめ、対象に伝え得るものがあるだろうか?
「人形は、変わらない…死にもしない…だが人間はちがう。」
「ああ…何て愛しいのだろう、人間という生命は。」
「いくら年を経ても、赤子のまま…はかなくたよりなくて…他人がいなければ生きてゆけないのだ。」
「愛しく思うということは、その対象が何よりも美しく見えるということだ。」
作者の思いの直球が胸に迫る。掲載紙が少年誌、建前小中学生を対象としていることを思い出せば彼が誰に何を語りたがっているかが見えてくる。ああ、そんな無粋な事を言うのは止めよう。今は少年のように、この漫画に出会えた幸運を喜び、続きをワクワクしながら待ち続けよう。待つことすら喜びであることを噛み締めながら。
いぬもあるけば・・・「怯えと楽しみ」
2001年8月28日 長い出張の間の楽しみとなると、やはり飲んだり食べたりということになる。ちょくちょく来ているために、定番の店というのも出来、顔を覚えられている店も何軒かある。社有車で出かけるために、呑むことは出来ない。宿泊所に戻ってから呑むことになる。食事よりも呑みに重きを置くと、飲食店には行かないで総菜を求めてスーパーに足を伸ばす。最近の大型スーパーはタイムサービスで閉店間際には投げ売り状態になる。それを漁ってつまみにする。余裕があれば、食材を買い込んで、炊事場で軽く調理することも。
運動量が減る上に、飲んだり食べたりが続くため、気をつけないと出張している間に太ってしまう。
運動すれば良いのだが、出先にいるということで作業前倒しの気持ちが強く余裕がない。早朝の散歩などよいのだろうが。
そんな訳で、出張中は体重増加に怯えながら、呑む毎日なのである。
運動量が減る上に、飲んだり食べたりが続くため、気をつけないと出張している間に太ってしまう。
運動すれば良いのだが、出先にいるということで作業前倒しの気持ちが強く余裕がない。早朝の散歩などよいのだろうが。
そんな訳で、出張中は体重増加に怯えながら、呑む毎日なのである。
いぬもあるけば・・・「高原から高原(?)に」
2001年8月27日 5時半起床。6時20分に宿泊場所を後にし、飯山駅まで車で送って貰った。送ってくれた人以外にきちんと別れの挨拶をしていない。「りおさんを含め、皆さんによろしく!」
飯山駅は長野へ通勤通学する人が並んでいた。時刻表でダイヤを確認したりしているともう長野駅。長野新幹線に乗り換え、目指すは大宮。驚いたのは、通勤者がかなり乗り込んでいること。長野から新幹線通勤か・・・尤も宇都宮から、さらに凄いのは那須から新幹線通勤している人もいるのだがら不思議ではないか。それでも、混み具合には驚いた。車中、持ってきた1つのおにぎり、昨日の残りをパクつく。
乗り過ごさずに大宮で下車、東北新幹線上りのホームに移る。やってきた那須塩原停車の新幹線に。無事に那須塩原に到着。黒磯行きの在来線に乗り換え、駅からはタクシー。10時20分に出張先到着。
斑尾高原から4時間後、那須高原の麓にいる不思議。朝靄の中に見た、あの白樺はマボロシか・・・
飯山駅は長野へ通勤通学する人が並んでいた。時刻表でダイヤを確認したりしているともう長野駅。長野新幹線に乗り換え、目指すは大宮。驚いたのは、通勤者がかなり乗り込んでいること。長野から新幹線通勤か・・・尤も宇都宮から、さらに凄いのは那須から新幹線通勤している人もいるのだがら不思議ではないか。それでも、混み具合には驚いた。車中、持ってきた1つのおにぎり、昨日の残りをパクつく。
乗り過ごさずに大宮で下車、東北新幹線上りのホームに移る。やってきた那須塩原停車の新幹線に。無事に那須塩原に到着。黒磯行きの在来線に乗り換え、駅からはタクシー。10時20分に出張先到着。
斑尾高原から4時間後、那須高原の麓にいる不思議。朝靄の中に見た、あの白樺はマボロシか・・・
いぬもあるけば・・・「徹カラの先にあるもの」
2001年8月26日 5時に店を出ると、嫌な雲が立ちこめていた。りおさんを含めた男女4名は時間を潰すために・・・私の部屋に来ることになった。「15分、時間をくれっ!」前にも言った気のする台詞を吐く私。6時半に3名が私の部屋に入った。次のイベント発生まで2時間。2人爆睡。残りの2人はサイト巡り。寝ている男の子、妙に寝汗をかいている。気になったので、体温を計ってもらうと、7度5分。うーむ、これでは次のイベントの参加は厳しいか。りおさんもついでに計ってみると6度9分。ちょっと不安。
8時半。外に出ると大雨。こ、これでは今日のイベントは・・・と落ち込む一同。結局、微熱のあった彼はイベント不参加ということで帰宅することに。徹カラで風邪を引いてしまったのか。残念だが、無理して現地ではまったらもっと大変なことになる。大事をとっての選択。
10時。私とりおさんのイベント参加者2名は練馬駅付近にいた。迎えの車待ち。無事に合流。車中にはすでに3名いたので、身体を丸めて・・・気を失っていた。気が付くと、もう1台と合流。後部座席にいた2人が移ってくれた。ふう。再出発。たちまち意識を失う私。高速に乗ったらしいが・・・気が付いたとき、私は長野県の斑尾高原にいた。
宿泊は「マザーグースのホテル ラフォーレシャンビア」のコンドミニアム。自炊する予定だが、まともなスーパーが里にしかない。車で片道20分。そのために、携帯でもう1台と連絡を取り合い、買い物を依頼。これは大変。
買い物グループが上がってきて、合流できた。が、りおさんの体調が優れない。どうやら、今朝方計った熱は平熱の範囲を超えていたらしい。皆で温泉に行くという話は流れ、有志5人で行くことに。
目的地は馬曲温泉[リンク]。宿泊地からは、車で1時間弱。行って帰ってくれば3時間。現在時刻は17時近く。今日の夕食は遅くなりそうだ。馬曲温泉は山の中腹にあった。思った以上にお客が詰めかけていて、露天風呂は銭湯のようだった。施設併設の割に、ちきんとした洗い場がないのがちょっと気に懸かったが、眺めはよく、気持ち良かった。内風呂もあるというので、そちらも入ったがこちらは熱い。露天風呂の温度が私には丁度良かった。皆、よい気分で帰途についた。
宿泊地に戻った。りおさんは完全にダウンしている。夕食も取らないようだ。ああ、折角の温泉オフなのに。可哀想。
夕食の準備は残りの女性2人が仕切って行った。メニューは焼きそば、ポテトのピザ焼き、そしておにぎり。・・・これはもしや全て炭水化物では・・・(汗)。2人とも関西からやってきた人達だが、それが理由ではないはず・・・。
ドイツワインのアウスレーゼがあった。劇甘なのでこれは食前に飲まないと。ワイン、ビール、ジュースとまちまちだが、取りあえず乾杯。おにぎりが思った以上に美味しかった。コンビニおにぎりではない、おにぎりは久々だったことに気付く。そういえば、熱取りなどちゃんとしていたな。その辺りをきちんとできるのが、日頃料理をしているかどうかの差だろう。
TVに気を取られて、もくもくと飲み食いしていたら、関西からの男性が沈黙に耐えられなくなった。「なんで、黙って食べるん?」しまった、しまった。独り暮らしが長いと、会話を楽しみながら食事をするコツを忘れてしまう。以前から気が付いている悪い癖だ。リハビリが必要だな〜。
夕食後、施設敷地内にあるホテルのショップでおみやげ物を物色。「妙高山」の純米、それと「リンゴカレー」のレトルト。PBMの交流者さんでカレーが大好物で全国のレトルトを物色している人がいる。すでに食されているかもしれないが、贈呈しよう。ネタになる。
宿泊所に戻って、ダラダラ。溜まっている日記を書くがなかなか進まない。明日が早いので、12時頃、眠りについた。明日も休みならば一晩中遊んでいるのだが・・・。
8時半。外に出ると大雨。こ、これでは今日のイベントは・・・と落ち込む一同。結局、微熱のあった彼はイベント不参加ということで帰宅することに。徹カラで風邪を引いてしまったのか。残念だが、無理して現地ではまったらもっと大変なことになる。大事をとっての選択。
10時。私とりおさんのイベント参加者2名は練馬駅付近にいた。迎えの車待ち。無事に合流。車中にはすでに3名いたので、身体を丸めて・・・気を失っていた。気が付くと、もう1台と合流。後部座席にいた2人が移ってくれた。ふう。再出発。たちまち意識を失う私。高速に乗ったらしいが・・・気が付いたとき、私は長野県の斑尾高原にいた。
宿泊は「マザーグースのホテル ラフォーレシャンビア」のコンドミニアム。自炊する予定だが、まともなスーパーが里にしかない。車で片道20分。そのために、携帯でもう1台と連絡を取り合い、買い物を依頼。これは大変。
買い物グループが上がってきて、合流できた。が、りおさんの体調が優れない。どうやら、今朝方計った熱は平熱の範囲を超えていたらしい。皆で温泉に行くという話は流れ、有志5人で行くことに。
目的地は馬曲温泉[リンク]。宿泊地からは、車で1時間弱。行って帰ってくれば3時間。現在時刻は17時近く。今日の夕食は遅くなりそうだ。馬曲温泉は山の中腹にあった。思った以上にお客が詰めかけていて、露天風呂は銭湯のようだった。施設併設の割に、ちきんとした洗い場がないのがちょっと気に懸かったが、眺めはよく、気持ち良かった。内風呂もあるというので、そちらも入ったがこちらは熱い。露天風呂の温度が私には丁度良かった。皆、よい気分で帰途についた。
宿泊地に戻った。りおさんは完全にダウンしている。夕食も取らないようだ。ああ、折角の温泉オフなのに。可哀想。
夕食の準備は残りの女性2人が仕切って行った。メニューは焼きそば、ポテトのピザ焼き、そしておにぎり。・・・これはもしや全て炭水化物では・・・(汗)。2人とも関西からやってきた人達だが、それが理由ではないはず・・・。
ドイツワインのアウスレーゼがあった。劇甘なのでこれは食前に飲まないと。ワイン、ビール、ジュースとまちまちだが、取りあえず乾杯。おにぎりが思った以上に美味しかった。コンビニおにぎりではない、おにぎりは久々だったことに気付く。そういえば、熱取りなどちゃんとしていたな。その辺りをきちんとできるのが、日頃料理をしているかどうかの差だろう。
TVに気を取られて、もくもくと飲み食いしていたら、関西からの男性が沈黙に耐えられなくなった。「なんで、黙って食べるん?」しまった、しまった。独り暮らしが長いと、会話を楽しみながら食事をするコツを忘れてしまう。以前から気が付いている悪い癖だ。リハビリが必要だな〜。
夕食後、施設敷地内にあるホテルのショップでおみやげ物を物色。「妙高山」の純米、それと「リンゴカレー」のレトルト。PBMの交流者さんでカレーが大好物で全国のレトルトを物色している人がいる。すでに食されているかもしれないが、贈呈しよう。ネタになる。
宿泊所に戻って、ダラダラ。溜まっている日記を書くがなかなか進まない。明日が早いので、12時頃、眠りについた。明日も休みならば一晩中遊んでいるのだが・・・。
いぬもあるけば・・・「掛け持ち」
2001年8月25日 出張先をお昼過ぎに立つ。16時前に自室に戻り、足を休めるまもなく、外出。目的地は営団千代田線町屋駅を降りてすぐのムーブ町屋ホール。あふネットというバリヤフリー交流会の市民団体が主催する交流コンサート『Honey Go』にぱぶりかが参加するのだ。
町屋は初めて。会場のムーブ町屋ホールに入って驚く。かなり広い。そしてその壁沿いに張り付くように座っている観客。中央はガラガラ。うわっ。彼ら、やりにくいゾ。ぱぶりかは3バンドの内、最初の演奏。直前になって中央部に椅子が並べられたので、その最前列中央に位置する。彼らも多少はやりやすくなるし、私もよく聴ける。
今日は7曲。初めての人にも受けが言い、『みかん』を一番目に持ってきていた。新曲の『なつくさ』。どぶさんの詩的世界が展開される、とても良い曲。『駅』『Parade』などと同じ系列。曲的にはどことなく久石壌先生の作品を思い起こされる。
客層は幅広かった。爆音系の曲もあったが、アコロックのぱぶりかを受け入れてくれたようだ。
続いて、Yaeさん。加藤登紀子さんの娘さんということでどんな歌を歌うのかと思ったら、民族音楽的な歌だった。『月のささやき』という歌はぱぶりかの『駅』『Parade』と世界が被っている感じで不思議だった。気に入ってCDを買った。添付されたチラシを見て驚いた。げっ!参加ミュージシャンの布陣・・・沢田穣治@ショーロクラブ、鬼怒無月、太田恵資、岡部洋一、Ayuo、佐藤正治、吉見征樹、などなど・・・新人でこのサポートは凄い。ため息が出る。というか、よく集めたなぁと感心した。プロデューサーの腕の力か。
最後のぼんぼんおやじの演奏前に退席。聞きたかったが、次のイベントに行かなければならない。目的地は自由が丘オキャロランズ。Windfallのライブ。20時半に駆け込んだら、1ステージ目の終わりだった。宗田さんの透き通った歌声が店内に響いていた。ギネスを1パイント頼む。顔なじみと談笑。
2ステージ目。ゲストとして女性がヴォーカル&フルートで参加。アレはフラウト・トラヴェルト?続いてのゲストとして阿部さんがキルシェのサポートとして一緒に参加しているKBBの壷井さんがヴァイオリンを持って登場。いや、この場合はフィドルと言うべきか。フィドルの音が鳴ると異様に盛り上がる店内。ウェイトレスが過激に反応していた。
阿部さんの知り合いがいたことでリラックスできていたのか。今日の阿部さんの演奏はいつもよりも安定していて、とても良かった。
3ステージ目も聴きたかったが、ここでタイムアウト。休憩している阿部さんに挨拶。ここで大失敗。興奮していたのか、「今日の演奏『は』良かったです」と言ってしまった。うわ〜、普通、『も』だろう。もしくは『特に』を入れるか。「今日『は』・・・なんですね(苦笑)」阿部さんに突っ込まれてしまった(汗)。
『追っかけ1号』の責務(?)を果たして次に向かったのは新宿の居酒屋、「漁亭」。ペンギンが迎えてくれた。三重から遊びに来た、りお(ハンドル名)さん迎撃オフ。FLOVETのオフとしては久々?珍しい面子とも久々に会った。中ジョッキ1杯呑んだら、1次会終了。2次会は23時から店内にあるカラオケボックスで。そう、徹カラなのだ。半分に減った、残りの面子は歌好きばかりなこともあって、5時まで途切れることなく歌い続けた。
町屋は初めて。会場のムーブ町屋ホールに入って驚く。かなり広い。そしてその壁沿いに張り付くように座っている観客。中央はガラガラ。うわっ。彼ら、やりにくいゾ。ぱぶりかは3バンドの内、最初の演奏。直前になって中央部に椅子が並べられたので、その最前列中央に位置する。彼らも多少はやりやすくなるし、私もよく聴ける。
今日は7曲。初めての人にも受けが言い、『みかん』を一番目に持ってきていた。新曲の『なつくさ』。どぶさんの詩的世界が展開される、とても良い曲。『駅』『Parade』などと同じ系列。曲的にはどことなく久石壌先生の作品を思い起こされる。
客層は幅広かった。爆音系の曲もあったが、アコロックのぱぶりかを受け入れてくれたようだ。
続いて、Yaeさん。加藤登紀子さんの娘さんということでどんな歌を歌うのかと思ったら、民族音楽的な歌だった。『月のささやき』という歌はぱぶりかの『駅』『Parade』と世界が被っている感じで不思議だった。気に入ってCDを買った。添付されたチラシを見て驚いた。げっ!参加ミュージシャンの布陣・・・沢田穣治@ショーロクラブ、鬼怒無月、太田恵資、岡部洋一、Ayuo、佐藤正治、吉見征樹、などなど・・・新人でこのサポートは凄い。ため息が出る。というか、よく集めたなぁと感心した。プロデューサーの腕の力か。
最後のぼんぼんおやじの演奏前に退席。聞きたかったが、次のイベントに行かなければならない。目的地は自由が丘オキャロランズ。Windfallのライブ。20時半に駆け込んだら、1ステージ目の終わりだった。宗田さんの透き通った歌声が店内に響いていた。ギネスを1パイント頼む。顔なじみと談笑。
2ステージ目。ゲストとして女性がヴォーカル&フルートで参加。アレはフラウト・トラヴェルト?続いてのゲストとして阿部さんがキルシェのサポートとして一緒に参加しているKBBの壷井さんがヴァイオリンを持って登場。いや、この場合はフィドルと言うべきか。フィドルの音が鳴ると異様に盛り上がる店内。ウェイトレスが過激に反応していた。
阿部さんの知り合いがいたことでリラックスできていたのか。今日の阿部さんの演奏はいつもよりも安定していて、とても良かった。
3ステージ目も聴きたかったが、ここでタイムアウト。休憩している阿部さんに挨拶。ここで大失敗。興奮していたのか、「今日の演奏『は』良かったです」と言ってしまった。うわ〜、普通、『も』だろう。もしくは『特に』を入れるか。「今日『は』・・・なんですね(苦笑)」阿部さんに突っ込まれてしまった(汗)。
『追っかけ1号』の責務(?)を果たして次に向かったのは新宿の居酒屋、「漁亭」。ペンギンが迎えてくれた。三重から遊びに来た、りお(ハンドル名)さん迎撃オフ。FLOVETのオフとしては久々?珍しい面子とも久々に会った。中ジョッキ1杯呑んだら、1次会終了。2次会は23時から店内にあるカラオケボックスで。そう、徹カラなのだ。半分に減った、残りの面子は歌好きばかりなこともあって、5時まで途切れることなく歌い続けた。
いぬもあるけば・・・「伏線」
2001年8月24日 人生ゲームに置いて、様々な伏線が、リンクが張られている。その多くはPC本人が気付くことなく過ぎ去ってしまうことがほとんど。でも、有ることがきっかけに全てが繋がっていることに気付く瞬間もまた確実にある。そんな体験を1冊の本で体験している。
この日記のアップ初めの3/20より2日前の3/18。旅(本当はこの旅日記を書くためにここを立ち上げたのに・・・)の途中で立ち寄った札幌市立図書館でその本を見つけた。
『キルケゴールとアンデルセン』(室井光広:講談社)
厚いハードカバー。何故か土偶らしきものを手に取っている写真が表紙を飾っている。タイトルを見たとき、両者が共にデンマーク人であることは知っていたので、その観点から何か比較評論した本だと思っていた。
が、読み始めると全然違うものであることが判った。それも最初から比較評論的な本ならば、まずありえない、筆者自身の暗く陰鬱な過去の記述。『何が』書かれているのかではなく、『どのように』書かれているのか。原文つまり、デンマーク語の文法や修辞という構造に注目したり、語源に遡って単語を分析したり。デンマーク語の発音と筆者の故郷の東北弁の発音の類似など、主題の2人と関係なさそうに見える記述。一番の変なのは、そのひねくれ、解りにくい言葉遊びに堕しているような文章そのもの。
エッセーというには難解、しかし評論というには余りに私的な展開。図書館で手にした1時間の間の読んだ印象はそれだった。キルケゴールという名前に単純に反応しなければ、決して手に取らなかったろう。
5ヶ月後、たまたま立ち寄った書店で再発見した。以降、ぼちぼち読んでいた。読み進めるに従って、著者の狙いが見えてきた。そして、浮かび上がるいくつかのイメージ。どれだけの人が知っているだろう。キルケゴールとアンデルセンが一時、「神聖同盟」という名の文化サークルに所属し、それなりに親密な仲間だったということを。私は知らなかった。哲学者キルケゴールと童話作家アンデルセン。同国人であることは知っていても、交流があったことすら知らない。対極に位置していた2人。しかし・・・
少し前から、花巻へ旅行する計画を立てている。1つの目的は温泉だが、もう1つは宮沢賢治と高村光太郎の資料館で感じ取ること。それはMT13に参加している中でロールプレイに幅を持たせるためにも、やっておきたいこと。
『Ora Orade Shitori egumo』
本に現れたこれが、この単独者の言葉が、時空を超えて重層するイメージを繋ぐ。キルケゴールとアンデルセンを結びつけ、そして宮沢賢治を、高村光太郎までも結びつける。
戯れ言だらけ、言葉遊びだらけの文章。それは、敢えてはぐらかし、読み手に想像させる。最も相手を不安がらせる方法、「ほら、どうせ貴方は全て判っているのでしょう?」と曖昧に言葉を濁して想像の雪だるまを作らせる方法と同じ手順。
私はすっかりその罠に填ってしまったようだ。そして、それが心地よい。
この日記のアップ初めの3/20より2日前の3/18。旅(本当はこの旅日記を書くためにここを立ち上げたのに・・・)の途中で立ち寄った札幌市立図書館でその本を見つけた。
『キルケゴールとアンデルセン』(室井光広:講談社)
厚いハードカバー。何故か土偶らしきものを手に取っている写真が表紙を飾っている。タイトルを見たとき、両者が共にデンマーク人であることは知っていたので、その観点から何か比較評論した本だと思っていた。
が、読み始めると全然違うものであることが判った。それも最初から比較評論的な本ならば、まずありえない、筆者自身の暗く陰鬱な過去の記述。『何が』書かれているのかではなく、『どのように』書かれているのか。原文つまり、デンマーク語の文法や修辞という構造に注目したり、語源に遡って単語を分析したり。デンマーク語の発音と筆者の故郷の東北弁の発音の類似など、主題の2人と関係なさそうに見える記述。一番の変なのは、そのひねくれ、解りにくい言葉遊びに堕しているような文章そのもの。
エッセーというには難解、しかし評論というには余りに私的な展開。図書館で手にした1時間の間の読んだ印象はそれだった。キルケゴールという名前に単純に反応しなければ、決して手に取らなかったろう。
5ヶ月後、たまたま立ち寄った書店で再発見した。以降、ぼちぼち読んでいた。読み進めるに従って、著者の狙いが見えてきた。そして、浮かび上がるいくつかのイメージ。どれだけの人が知っているだろう。キルケゴールとアンデルセンが一時、「神聖同盟」という名の文化サークルに所属し、それなりに親密な仲間だったということを。私は知らなかった。哲学者キルケゴールと童話作家アンデルセン。同国人であることは知っていても、交流があったことすら知らない。対極に位置していた2人。しかし・・・
少し前から、花巻へ旅行する計画を立てている。1つの目的は温泉だが、もう1つは宮沢賢治と高村光太郎の資料館で感じ取ること。それはMT13に参加している中でロールプレイに幅を持たせるためにも、やっておきたいこと。
『Ora Orade Shitori egumo』
本に現れたこれが、この単独者の言葉が、時空を超えて重層するイメージを繋ぐ。キルケゴールとアンデルセンを結びつけ、そして宮沢賢治を、高村光太郎までも結びつける。
戯れ言だらけ、言葉遊びだらけの文章。それは、敢えてはぐらかし、読み手に想像させる。最も相手を不安がらせる方法、「ほら、どうせ貴方は全て判っているのでしょう?」と曖昧に言葉を濁して想像の雪だるまを作らせる方法と同じ手順。
私はすっかりその罠に填ってしまったようだ。そして、それが心地よい。
いぬもあるけば・・・「R.P.G.」
2001年8月23日という小説の文庫本を昨日、買った。宮部みゆきという作家の本だ。割と売れている人らしい。惹句は「初の書き下ろし文庫。現代ミステリー長編!」
久々のタイトル買い。『人生はRPGのようなのもの‥‥。』を標榜しているからには、このようなタイトルの本、チェックしないわけにはいかない。買うかはともかく。
『ネット上の疑似家族の「お父さん」が刺殺された。その3日前に絞殺された女性と遺留品が共通している。・・・』 ネット上の疑似家族・・・どこかで読んだような・・・(汗 事件の設定はそういう点で現状起こりつつあるものを先んじてネタにしている。
サクッと読んだ。・・・失敗した(沈)。これが、ミステリーなのか・・・。キャラの流用という点では自己パロディ小説と言える。作者の「模倣犯」と「クロスファイア」という小説から1人ずつ流用しているのだが、どちらも読んだことのない者にとって、2人はよく分からない通行人だ。ゲームの解説本のNPC紹介文並の説明しかない。
基本的にアイディア小説。昔のSF小説を読んでいるようだった。その人物の書かれ方といったら・・・尤も、売れている作家であることを考えると、このような薄っぺらな人物描写もネタ的な戦術なのか。それどころか、訴えたい戦略目標だったのかもしれない。
R.P.G.という単語は理解されている様で理解されていない。作者は単語の意味を理解し、さらにその辺りを了解してタイトルに付けたのだろうか?スタイリッシュだとかいう感覚で付けたとは考えたくないのだが・・・。
感想としては、「二兎追う者は・・・」といった感じか。読者を騙すことと、社会派的に訴えること。「家族」をネタにしなければもう少し「品がよく」なったろうに。
この小説の構造は小説世界だけでなく、現実世界も浸食する。著者自身、そして読者も。その浸食を前に、私は口ずさむ。
『人生はRPGのようなのもの‥‥。』
久々のタイトル買い。『人生はRPGのようなのもの‥‥。』を標榜しているからには、このようなタイトルの本、チェックしないわけにはいかない。買うかはともかく。
『ネット上の疑似家族の「お父さん」が刺殺された。その3日前に絞殺された女性と遺留品が共通している。・・・』 ネット上の疑似家族・・・どこかで読んだような・・・(汗 事件の設定はそういう点で現状起こりつつあるものを先んじてネタにしている。
サクッと読んだ。・・・失敗した(沈)。これが、ミステリーなのか・・・。キャラの流用という点では自己パロディ小説と言える。作者の「模倣犯」と「クロスファイア」という小説から1人ずつ流用しているのだが、どちらも読んだことのない者にとって、2人はよく分からない通行人だ。ゲームの解説本のNPC紹介文並の説明しかない。
基本的にアイディア小説。昔のSF小説を読んでいるようだった。その人物の書かれ方といったら・・・尤も、売れている作家であることを考えると、このような薄っぺらな人物描写もネタ的な戦術なのか。それどころか、訴えたい戦略目標だったのかもしれない。
R.P.G.という単語は理解されている様で理解されていない。作者は単語の意味を理解し、さらにその辺りを了解してタイトルに付けたのだろうか?スタイリッシュだとかいう感覚で付けたとは考えたくないのだが・・・。
感想としては、「二兎追う者は・・・」といった感じか。読者を騙すことと、社会派的に訴えること。「家族」をネタにしなければもう少し「品がよく」なったろうに。
この小説の構造は小説世界だけでなく、現実世界も浸食する。著者自身、そして読者も。その浸食を前に、私は口ずさむ。
『人生はRPGのようなのもの‥‥。』
いぬもあるけば・・・「嵐のようなもの」
2001年8月22日 台風来襲。試験場の窓枠から多少の雨漏りがあったが、実害はなかった。那須の人達は集中豪雨の記憶がまだ新しいので、台風のニュースを見ても鈍感になっている。「予想雨量は1時間で200〜300mmです」と各地の気象情報を伝えるアナウンサーのレポートに「へー、そんなものか・・・あの時の1000mmに比べれば大したことないな」と呟いている。こ、怖い(汗)。 それ以外にも、こちらの人達にとって、台風よりも気に懸かる、もしくは騒がしいものがある・・・
器材を買いにホームセンターに行き、領収書を切ってもらう。前のものがチラリと見えた。『テレビ朝日』・・・
夕食を食べにラーメン屋に寄る。駐車場に『フジ テレビジョン』と書かれているバンが停めてあった。
黒磯市文化会館の近くにあるTUTAYAで雑誌や本を購入。某A嬢による情報を元にクイック・ジャパンを購入。「太股〜!!(爆)」 デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデンという長い名前のユニットの特集。知らないユニットだなぁ〜と思いながらメンバー紹介記事を見て驚く。 巻頭の刺激的なイラストにどこか見覚えがあって、首を捻っていたら、『無限の住人』の作者、沙村広明先生のインタビュー記事。うわー。
器材を買いにホームセンターに行き、領収書を切ってもらう。前のものがチラリと見えた。『テレビ朝日』・・・
夕食を食べにラーメン屋に寄る。駐車場に『フジ テレビジョン』と書かれているバンが停めてあった。
黒磯市文化会館の近くにあるTUTAYAで雑誌や本を購入。某A嬢による情報を元にクイック・ジャパンを購入。「太股〜!!(爆)」 デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデンという長い名前のユニットの特集。知らないユニットだなぁ〜と思いながらメンバー紹介記事を見て驚く。 巻頭の刺激的なイラストにどこか見覚えがあって、首を捻っていたら、『無限の住人』の作者、沙村広明先生のインタビュー記事。うわー。