いぬもあるけば・・・「徹夜イベント+もんじゃ=ベイホール?」
2001年9月30日 気が付いたら、大広間で椅子を並べてその上で寝ていた。1時間ほど。変な寝方をしたせいか、深酒のせいか体調悪いが朝食会場に行ってお弁当を食す。限りなく戦い。どうにか攻略したがこちらの消耗も激しい。このままでは戦線が崩壊する。仕方ない。一度部屋に戻って圧縮睡眠を取ろう。部屋に戻ってバタンキュー。1時間のつもりが2時間ぐらい気を失っていたか。顔を洗って眠気を吹き払って戦線復帰。菊の間ではすでにフリートークが始まって1時間以上経過していた。この時点で荷物を持ち出し、チェックアウトを済ませている。
フリートーク後、WTRPGについて情報を集めたり、購入したり。菊の間ではMT13の質問会があったような気がするがすでに記憶から欠落している。私を見たという人もいるが、私は本当にそこにいたのだろうか?(汗)
閉会式。北海道から来た人や鹿児島から来た人、多くの人が集まったイベントも終わる。I川さんの五本締めももしかしたらこれが最後かもしれないと思うと感慨深かった。
イベント終了後、有志によって月島もんじゃオフが実行された。場所はネットで検索しておいた店の2番候補「いろは」。雨が振り出すなか、店に到着。朝まで呑んでいた私はさすがにビールを飲む気にはなれなかった。代りの飲み物はコーラ。コカコーラなんて何年ぶりに飲んだろう。もんじゃ初心者が多かったのでテケトーに焼いて食べた。焦げるまで待てずに食べてしまう私はもんじゃ初級。
店を出ると雨脚がかなり激しくなっている。地下鉄に飛びこむ。有楽町駅にでてここで解散。またね!
一人だけ横浜方面。京浜東北線の車内で立っていると、広告シールに貼られた落書きが目に留まった。「War is no The answer.」
川崎駅のコインロッカーに荷物を預けて、桜木町に。雨が激しいのでバスに乗ることにした。目的地は貯木場にある横浜ベイホール。来たのはアクアヴォーチェのライブを観て以来だ。アイスコーヒーが飲みたかったのでバス停そばのマックに入る。やられましたよ。アルバイトの娘に「おつり両手包み返し」の技を。ふ、不覚を取られた・・・。その影響か、店を出てベイホールに向かう途中、尾行されていたのに気が付かなかった。いや、あれは雨のせいだ。
ここでのイベントは「あしあと伝説」。ぱぶりかのライブがお目当てだった。すでに先行のバンドが数組演奏を終えている。彼らは5番目ということで無事間に合った。
「坂本麗衣」さん、なかなかポップでよかった。チェックしてもいいかな。その次がお待たせ「Public-A!」
彼らを追いかけつづけて、ハコの良さがわかってきた。ベイホール、素晴らしい。ルイードもよかったけど、こっちはさらに良い。メンバーもリラックスしてよいライブだった。てつやさんもいい感じにはじけていたし。デジカメで彼らの姿を取ろうとしたが失敗。敗因は電池切れ。まさかアルカリ単三、4本がもう終わるとは・・・リチウムイオンを買わないと使い物にならないな。
ぱぶりかの後のかっこいい「MAPE REEF」の歌に揺られた後、撤収。実力のあるバンド「LaVie」の演奏も聞きたかったがまた機会もあるだろう。
桜木町に移って打ち上げ。会場は・・・なんとバーミヤン。飲むというより食べる打ち上げとなった。
打ち上げ終了後、ぱぶりかメンバーやグルーピー仲間を東横線でお見送り。ぱぶりかはレコーディングに本格的に入る。当分ライブはない。グルーピー仲間と合う機会もそうないだろう。まぁ、そのうち、イベントでもやるかもね。飲み会とか。サイトがあるから寂しくはない。そこに行けば繋がれる。それは大いなる安心感。
フリートーク後、WTRPGについて情報を集めたり、購入したり。菊の間ではMT13の質問会があったような気がするがすでに記憶から欠落している。私を見たという人もいるが、私は本当にそこにいたのだろうか?(汗)
閉会式。北海道から来た人や鹿児島から来た人、多くの人が集まったイベントも終わる。I川さんの五本締めももしかしたらこれが最後かもしれないと思うと感慨深かった。
イベント終了後、有志によって月島もんじゃオフが実行された。場所はネットで検索しておいた店の2番候補「いろは」。雨が振り出すなか、店に到着。朝まで呑んでいた私はさすがにビールを飲む気にはなれなかった。代りの飲み物はコーラ。コカコーラなんて何年ぶりに飲んだろう。もんじゃ初心者が多かったのでテケトーに焼いて食べた。焦げるまで待てずに食べてしまう私はもんじゃ初級。
店を出ると雨脚がかなり激しくなっている。地下鉄に飛びこむ。有楽町駅にでてここで解散。またね!
一人だけ横浜方面。京浜東北線の車内で立っていると、広告シールに貼られた落書きが目に留まった。「War is no The answer.」
川崎駅のコインロッカーに荷物を預けて、桜木町に。雨が激しいのでバスに乗ることにした。目的地は貯木場にある横浜ベイホール。来たのはアクアヴォーチェのライブを観て以来だ。アイスコーヒーが飲みたかったのでバス停そばのマックに入る。やられましたよ。アルバイトの娘に「おつり両手包み返し」の技を。ふ、不覚を取られた・・・。その影響か、店を出てベイホールに向かう途中、尾行されていたのに気が付かなかった。いや、あれは雨のせいだ。
ここでのイベントは「あしあと伝説」。ぱぶりかのライブがお目当てだった。すでに先行のバンドが数組演奏を終えている。彼らは5番目ということで無事間に合った。
「坂本麗衣」さん、なかなかポップでよかった。チェックしてもいいかな。その次がお待たせ「Public-A!」
彼らを追いかけつづけて、ハコの良さがわかってきた。ベイホール、素晴らしい。ルイードもよかったけど、こっちはさらに良い。メンバーもリラックスしてよいライブだった。てつやさんもいい感じにはじけていたし。デジカメで彼らの姿を取ろうとしたが失敗。敗因は電池切れ。まさかアルカリ単三、4本がもう終わるとは・・・リチウムイオンを買わないと使い物にならないな。
ぱぶりかの後のかっこいい「MAPE REEF」の歌に揺られた後、撤収。実力のあるバンド「LaVie」の演奏も聞きたかったがまた機会もあるだろう。
桜木町に移って打ち上げ。会場は・・・なんとバーミヤン。飲むというより食べる打ち上げとなった。
打ち上げ終了後、ぱぶりかメンバーやグルーピー仲間を東横線でお見送り。ぱぶりかはレコーディングに本格的に入る。当分ライブはない。グルーピー仲間と合う機会もそうないだろう。まぁ、そのうち、イベントでもやるかもね。飲み会とか。サイトがあるから寂しくはない。そこに行けば繋がれる。それは大いなる安心感。
いぬもあるけば・・・「とおいべ(遠いなぁの意)」
2001年9月29日 9時半に家をでるつもりが9時半に起きた。ドタバタと荷物を纏め、出撃。JR蒲田駅の駅ビルで焼き立てシュークリーム20個、光屋で島根の地酒「天界」純米吟醸と怪しい発泡日本酒をゲット。大江戸線勝どき駅を降り、トリトンタワーを左に見ながら、今回の目的地のホテル浦島に着いた。
T社のPBM&TCG宿泊イベント「東イベ」。大広間の菊の間に行ってみたところ、まだ開会式は始まっていなかった。知り合いが集まっている辺りに席を求める。ステージ側にはマスター陣とOMCのイラストレーター陣が右翼と左翼に分かれて座っていた。スタジャンではなく、さっぱりとした身なりでイラストレーター側に座っている知人を発見。なんか不思議な気分。
開会式後、郵便&メールによるPBMのMT13とネットオンリーのPBMのWT1の説明会。WT1に参加するつもりなのでまじめに聞いた。その後、マスターを交えたフリートーク。しかし我々のマスターは夕方にならないと来ない。それでもプレイヤーだけで集まっておしゃべり。北海道からも数名。
抜け出して即売会場に顔を出してみるとイラストレーターの何人かは自分の同人誌などを持ち込んでいる。うわ、コスプレ用の制服まである。手作りのようだ。イラストに引かれ、一美さんや水上かおりさん[->リンク]の冊子などを何点か買い求めた。そしてスケッチブックにオリジナルキャラクターのイラストをお願いした。
夕方になってようやくマスター到着。初めて見るマスターは小柄で可愛い人だった。徹夜続きだったらしく、ウサギのように赤い目をしていた。が、しっかり仕事をこなす。この場合は我々お客の接待であるが。20名ちかい参加者がマスターを取り囲んで自己紹介後、感想や質問をやり取り。私は買ってきたシュークリームを皆に振る舞った。フリートークは夕食終了時間ぎりぎりまで続いた。
慌てて夕食会場に移って食事。その後、ソファーがならぶ談話エリアでダラダラ。長い間、T社のゲームに参加しているため、プレイヤーにも顔見知りが多い。ここでしか会えない人と挨拶するのもイベントの醍醐味。あぬびーさんだ。札幌からやってきている。余り姿を見掛けなかったのはフリートーク以外TCGルームに常駐していたかららしい。
その後、マスターが用意したミニゲーム企画に顔をだしたり、WT1の情報を企画者から尋ねたり。ジャンケンゲーム大会ではT社のI川さんがバトロワの制服のコスプレで登場。人集めとはいえ凄い。自費購入らしい。いつもよりもめりはりのある化粧もあって、イメージの変化に驚いた。本人は「もう若くないからきちんと化粧しないとね〜。MT2のときとかすっぴんだったなんて信じられないわ〜。」と説明。所属部署が変わるらしく、もしかしたらイベント参加はこれが最後になるかもとのこと。I川さんがいないT社イベントなんて・・・寂しくなるなぁ。
戦いの前に汗を流しておこうと部屋に。シャワーを浴びた後、髪を乾かしているときに携帯がなった。父親からだった。23時を過ぎている。何かと思ったが要領を得ない。先日抱えた諍いの種が燻りだして何だか分からないままに電話を切った。まさか、そんな事になっているとは。ならば外から掛けるとかしてくれればいいものを。だが、そのときには私は分からなかった。
夜0時過ぎ。メインイベント(?)の酒盛りが始まった。主催者側から0時まで会場での飲酒は禁止されていた。それが解禁となったのだ。各々呑みたい、呑ませたい酒を持ちよる。北は北海道、南は鹿児島。いろいろなお酒が集まった。残念ながらイベントに参加できないプレイヤーさんから差し入れが届いている。函館ワインや岡山のママカリなど。マスターの音頭で乾杯。マスターは禁酒令が出ているためお酒を飲めない。それでもしばらく皆と付き合ってくれた。
マスターが辞した後、呑みは本格化した。酒は大量にあった。つまみも十分にある。戦いは長期戦になった。呑みだけではない。会場はお茶会をしている人たち、PBMの過去を振り返り未来を問うている人たち、果てはコスプレに興じる人たちなど様々人たちがいた。深夜の分科会。以前交流していた人が「なぜ私が〜」といいながら軽いゴスロリワンピースを着ていた。似合っていたからいいじゃない〜。可愛いじゃないですか〜。酔っていたこともあってか、まんざらでもなかった様子。他にコスプレしていた人達などがポーズをつけて急遽撮影会の一幕も。このとき、3時を過ぎていたか。
我々の分科会には二人の酒豪がいた。嗜む程度の私にはついていくのがやっと。二人とも女性というのがすさまじい。二人とも余り顔にでない。一人は行動がアクティブになっているので酔っているのが分かるがもう一人は顔色も言動もほとんど通常と変わらない。更に一日や二日の徹夜は全く平気と来ている。その様子は以前のイベントでも見ていたが、一緒に呑んでその凄さを再確認した。
気が付くと大広間のドア越しに見える窓が明るかった。6時を過ぎていた。予想通りの展開だ。問題はまだ口も開けていない酒瓶がテーブルの上に多数あること。これを開けるのは無謀だろう。戦いは終結を迎えようとしていた。
騒ぎつかれたので、ちょっと休むつもりで椅子を並べ、横になった。それが私の敗因。
T社のPBM&TCG宿泊イベント「東イベ」。大広間の菊の間に行ってみたところ、まだ開会式は始まっていなかった。知り合いが集まっている辺りに席を求める。ステージ側にはマスター陣とOMCのイラストレーター陣が右翼と左翼に分かれて座っていた。スタジャンではなく、さっぱりとした身なりでイラストレーター側に座っている知人を発見。なんか不思議な気分。
開会式後、郵便&メールによるPBMのMT13とネットオンリーのPBMのWT1の説明会。WT1に参加するつもりなのでまじめに聞いた。その後、マスターを交えたフリートーク。しかし我々のマスターは夕方にならないと来ない。それでもプレイヤーだけで集まっておしゃべり。北海道からも数名。
抜け出して即売会場に顔を出してみるとイラストレーターの何人かは自分の同人誌などを持ち込んでいる。うわ、コスプレ用の制服まである。手作りのようだ。イラストに引かれ、一美さんや水上かおりさん[->リンク]の冊子などを何点か買い求めた。そしてスケッチブックにオリジナルキャラクターのイラストをお願いした。
夕方になってようやくマスター到着。初めて見るマスターは小柄で可愛い人だった。徹夜続きだったらしく、ウサギのように赤い目をしていた。が、しっかり仕事をこなす。この場合は我々お客の接待であるが。20名ちかい参加者がマスターを取り囲んで自己紹介後、感想や質問をやり取り。私は買ってきたシュークリームを皆に振る舞った。フリートークは夕食終了時間ぎりぎりまで続いた。
慌てて夕食会場に移って食事。その後、ソファーがならぶ談話エリアでダラダラ。長い間、T社のゲームに参加しているため、プレイヤーにも顔見知りが多い。ここでしか会えない人と挨拶するのもイベントの醍醐味。あぬびーさんだ。札幌からやってきている。余り姿を見掛けなかったのはフリートーク以外TCGルームに常駐していたかららしい。
その後、マスターが用意したミニゲーム企画に顔をだしたり、WT1の情報を企画者から尋ねたり。ジャンケンゲーム大会ではT社のI川さんがバトロワの制服のコスプレで登場。人集めとはいえ凄い。自費購入らしい。いつもよりもめりはりのある化粧もあって、イメージの変化に驚いた。本人は「もう若くないからきちんと化粧しないとね〜。MT2のときとかすっぴんだったなんて信じられないわ〜。」と説明。所属部署が変わるらしく、もしかしたらイベント参加はこれが最後になるかもとのこと。I川さんがいないT社イベントなんて・・・寂しくなるなぁ。
戦いの前に汗を流しておこうと部屋に。シャワーを浴びた後、髪を乾かしているときに携帯がなった。父親からだった。23時を過ぎている。何かと思ったが要領を得ない。先日抱えた諍いの種が燻りだして何だか分からないままに電話を切った。まさか、そんな事になっているとは。ならば外から掛けるとかしてくれればいいものを。だが、そのときには私は分からなかった。
夜0時過ぎ。メインイベント(?)の酒盛りが始まった。主催者側から0時まで会場での飲酒は禁止されていた。それが解禁となったのだ。各々呑みたい、呑ませたい酒を持ちよる。北は北海道、南は鹿児島。いろいろなお酒が集まった。残念ながらイベントに参加できないプレイヤーさんから差し入れが届いている。函館ワインや岡山のママカリなど。マスターの音頭で乾杯。マスターは禁酒令が出ているためお酒を飲めない。それでもしばらく皆と付き合ってくれた。
マスターが辞した後、呑みは本格化した。酒は大量にあった。つまみも十分にある。戦いは長期戦になった。呑みだけではない。会場はお茶会をしている人たち、PBMの過去を振り返り未来を問うている人たち、果てはコスプレに興じる人たちなど様々人たちがいた。深夜の分科会。以前交流していた人が「なぜ私が〜」といいながら軽いゴスロリワンピースを着ていた。似合っていたからいいじゃない〜。可愛いじゃないですか〜。酔っていたこともあってか、まんざらでもなかった様子。他にコスプレしていた人達などがポーズをつけて急遽撮影会の一幕も。このとき、3時を過ぎていたか。
我々の分科会には二人の酒豪がいた。嗜む程度の私にはついていくのがやっと。二人とも女性というのがすさまじい。二人とも余り顔にでない。一人は行動がアクティブになっているので酔っているのが分かるがもう一人は顔色も言動もほとんど通常と変わらない。更に一日や二日の徹夜は全く平気と来ている。その様子は以前のイベントでも見ていたが、一緒に呑んでその凄さを再確認した。
気が付くと大広間のドア越しに見える窓が明るかった。6時を過ぎていた。予想通りの展開だ。問題はまだ口も開けていない酒瓶がテーブルの上に多数あること。これを開けるのは無謀だろう。戦いは終結を迎えようとしていた。
騒ぎつかれたので、ちょっと休むつもりで椅子を並べ、横になった。それが私の敗因。
いぬもあるけば・・・「デジカメ購入」
2001年9月28日 高画素の品を買ってもすぐに新品が出る。それならば画素数がほどほどで遊び心を満足させるものがいいだろうと、ヨドバシカメラ新宿東口店でカシオのQV−2900UXを購入した。32倍ズームと回転レンズは面白い撮影ができそう。ほとんどこの機能だけで選んだ。
そのまま四谷駅に。駅から歩いて上智大を越えたところにあるアイリッシュパブ『The Morrigan’s IRISH PUB』。今年4月に出来たばかりで、内装も凝っている。入って最初に感じたのはボックスが多くて居酒屋的なところがあるなぁってところ。実際、若い人たちがあまりアイリッシュパブというのを意識しないで利用している感じだった。で、ここに来た目的は「windfall」のライブ。追っかけ仲間が占めているテーブルの席にお邪魔した。その席は格子を介してアコーディオンの阿部さんのすぐそば。かぶりつき席だ〜(^-^;; 近すぎることもあってか、阿部さんも緊張してた・・・みたい。いつものアコーディオン「ヴィクトリア」ちゃん以外にアコーディオン「リリー」ちゃんも演奏に参加。フランス生まれのどこかオシャレな感じの音。
初めて入るアイリッシュパブではフィッシュ&チップスを頼むことにしている。ここの店のはちょっと油切れが悪かった。ギネス1パイントとキルケニー1/2パイント。キルケニーはどうも私の口には合わないようだ。
最初のステージは聞き逃したけれど、残りのステージは楽しむことができた。全てのステージが終わってからもいろいろとおしゃべり。尽きない会話に時を忘れて・・・ちょっとヤバイかもと思いながら店を出て駅に向かった。神田駅で京浜東北線に乗り換え。蒲田着の最終だった。フッ、川崎まで、そして自室まで歩いたさ〜。1時間ぐらいかな。
そのまま四谷駅に。駅から歩いて上智大を越えたところにあるアイリッシュパブ『The Morrigan’s IRISH PUB』。今年4月に出来たばかりで、内装も凝っている。入って最初に感じたのはボックスが多くて居酒屋的なところがあるなぁってところ。実際、若い人たちがあまりアイリッシュパブというのを意識しないで利用している感じだった。で、ここに来た目的は「windfall」のライブ。追っかけ仲間が占めているテーブルの席にお邪魔した。その席は格子を介してアコーディオンの阿部さんのすぐそば。かぶりつき席だ〜(^-^;; 近すぎることもあってか、阿部さんも緊張してた・・・みたい。いつものアコーディオン「ヴィクトリア」ちゃん以外にアコーディオン「リリー」ちゃんも演奏に参加。フランス生まれのどこかオシャレな感じの音。
初めて入るアイリッシュパブではフィッシュ&チップスを頼むことにしている。ここの店のはちょっと油切れが悪かった。ギネス1パイントとキルケニー1/2パイント。キルケニーはどうも私の口には合わないようだ。
最初のステージは聞き逃したけれど、残りのステージは楽しむことができた。全てのステージが終わってからもいろいろとおしゃべり。尽きない会話に時を忘れて・・・ちょっとヤバイかもと思いながら店を出て駅に向かった。神田駅で京浜東北線に乗り換え。蒲田着の最終だった。フッ、川崎まで、そして自室まで歩いたさ〜。1時間ぐらいかな。
いぬもあるけば・・・「デジカメ検討」
2001年9月27日 焼き増しの写真を受け取りにヨドバシカメラに。リバーサルも上がっていたので、受け取って確認。うーむ。どうにか見られるのは2,3枚ぐらいか。後は何を見せたいのか、写したいのかが弱いので駄目。旅先で撮ったものだけにただの記録写真でしかない。ダイレクトプリントする甲斐はちょっとないなぁ。
週末のイベントに持って行けたらいいかもとデジカメ売り場をうろつく。今まで購入対象としてデジカメを見ていなかったので仕様チェックのカタログ君モードになっている自分。画素数がどうした、ズームは何倍?、マクロ機能はどこまで使えるなどなど・・・。結局、そういうものをチェックしているだけで閉店時間。うーむ、画素数で攻めるか、それ以外で攻めるか。デジカメもパソコンと同様に陳腐化が激しいので買うタイミングが難しい。特に絶対必要というものでないだけに。今回はイベントが迫っているから買う気になっているだけ。この機会に買わなければまた当分買わないだろう自分。
5万円以上の400万画素のものと、5万円以下の多機能タイプ。心は揺れる〜。カシオのデジカメが怪しくて惹かれている。遊ぶならこれかな。それぐらいで検討を保留した。明日、また考えよう。
週末のイベントに持って行けたらいいかもとデジカメ売り場をうろつく。今まで購入対象としてデジカメを見ていなかったので仕様チェックのカタログ君モードになっている自分。画素数がどうした、ズームは何倍?、マクロ機能はどこまで使えるなどなど・・・。結局、そういうものをチェックしているだけで閉店時間。うーむ、画素数で攻めるか、それ以外で攻めるか。デジカメもパソコンと同様に陳腐化が激しいので買うタイミングが難しい。特に絶対必要というものでないだけに。今回はイベントが迫っているから買う気になっているだけ。この機会に買わなければまた当分買わないだろう自分。
5万円以上の400万画素のものと、5万円以下の多機能タイプ。心は揺れる〜。カシオのデジカメが怪しくて惹かれている。遊ぶならこれかな。それぐらいで検討を保留した。明日、また考えよう。
いぬもあるけば・・・「ハンノウ」
2001年9月26日 久々に飯能に出張。橋を渡って河原をみていると、河川敷のグランドで赤いキャップを被った小学生達が虫網を振っている。どうやらトンボを捕まえているようだ。うーん、いいねぇ。ほのぼのとした雰囲気。
雰囲気はともかく、目的地への乗り換えのタイミングが悪くて到着が予定よりも1時間近く遅れてしまった。作業そのものは2時間程度で終わったのだが、現場で行われていた測定作業の様子がおかしい。測定名の略号が意味をなさないような設定で測定している。へ?私が依頼したもの?尚更、変だ。この略号ならば・・・と設定を修正してもらった。関連部署に確認したところ、それで大丈夫。測定のマニュアルには取り付けそのものは抜けていて、数値などの変更のみが書かれていた。物理的意味が伝わっていないことの怖さを実感。いつもの人と違ったためで、以前のものはきちんと測定していたようだ。良かった(滝汗)。 でも、もし私がここにたまたま居なければ・・・明日来ることになったのかもしれない。今日、来たのは一石二鳥だった。
夕方、橋を駅に向かって歩いていくと駅方面から歩いてくるおじさん達とすれ違う。いいなぁ。定時上がりでしっかり帰れるのだなぁ。家で夜食じゃなくて夕食を食べる・・・か。
飯能を出た時間が中途半端だったために、帰社することに。帰社したら、さすがにメールチェックだけで帰る訳にもいかないのでずるずると作業。ちょっと失敗したかも。朝のうちは「今日は酒かコーヒーのどっちを飲みに行こうかしらん」と悩んでいたのに〜。
雰囲気はともかく、目的地への乗り換えのタイミングが悪くて到着が予定よりも1時間近く遅れてしまった。作業そのものは2時間程度で終わったのだが、現場で行われていた測定作業の様子がおかしい。測定名の略号が意味をなさないような設定で測定している。へ?私が依頼したもの?尚更、変だ。この略号ならば・・・と設定を修正してもらった。関連部署に確認したところ、それで大丈夫。測定のマニュアルには取り付けそのものは抜けていて、数値などの変更のみが書かれていた。物理的意味が伝わっていないことの怖さを実感。いつもの人と違ったためで、以前のものはきちんと測定していたようだ。良かった(滝汗)。 でも、もし私がここにたまたま居なければ・・・明日来ることになったのかもしれない。今日、来たのは一石二鳥だった。
夕方、橋を駅に向かって歩いていくと駅方面から歩いてくるおじさん達とすれ違う。いいなぁ。定時上がりでしっかり帰れるのだなぁ。家で夜食じゃなくて夕食を食べる・・・か。
飯能を出た時間が中途半端だったために、帰社することに。帰社したら、さすがにメールチェックだけで帰る訳にもいかないのでずるずると作業。ちょっと失敗したかも。朝のうちは「今日は酒かコーヒーのどっちを飲みに行こうかしらん」と悩んでいたのに〜。
いぬもあるけば・・・「月光」
2001年9月25日 週末にあるイベントで知人に渡す写真を焼き増しするために、ヨドバシカメラ川崎店に。それだけではなく、リバーサルや取り溜めて放っておいたモノクロなどを出した。うーむ、こんなことならもっと早く現像に出しておくのだった。画質悪くなっているだろうな<モノクロ
ついでに店内を冷やかしてみた。いつもは余り寄らない写真洋品の棚。を?月光の全紙バライタ紙があるな。押えで買っておくか・・・と、エクストラの2号を購入。気まぐれで3号が無いか聞いてみたら新宿店にあるとのこと。取り寄せをお願いした。さて、買ってしまったからには焼かないと。問題はその前に撮らなきゃならないってことだよなぁ。10月中になんとかしますかぁ〜(汗)
ついでに店内を冷やかしてみた。いつもは余り寄らない写真洋品の棚。を?月光の全紙バライタ紙があるな。押えで買っておくか・・・と、エクストラの2号を購入。気まぐれで3号が無いか聞いてみたら新宿店にあるとのこと。取り寄せをお願いした。さて、買ってしまったからには焼かないと。問題はその前に撮らなきゃならないってことだよなぁ。10月中になんとかしますかぁ〜(汗)
いぬもあるけば・・・「耳に歌、腰に痛み」
2001年9月24日 深夜、ちょっとしたはずみで腰にダメージ。刺すような痛み。耐えられない程度ではないのだが、これが元で腰に弱点ができることを恐れた。ヘルニアとかそういうものではなさそうなので、休日ではあるが一日安静にしていた。見たい映画、見逃しつづけている映画がたくさんあるのに〜(涙)
仕方ないので、昨夜、HMV渋谷店で衝動買いしたCDを聞いていた。うーむ。fra−foa、凄いな。歌詞がなんとも・・・迫るものがある。青少年の歌。アオク、イタイ。
仕方ないので、昨夜、HMV渋谷店で衝動買いしたCDを聞いていた。うーむ。fra−foa、凄いな。歌詞がなんとも・・・迫るものがある。青少年の歌。アオク、イタイ。
いぬもあるけば・・・「温泉と散策とライブ」
2001年9月23日 余裕を持って家を出たのだが、地図などを買い求めていたら集合時間を遅れてしまった。途中、別の企画の「BBQオフ」に参加する知人に行けないことを伝えて欲しいと連絡。ようやく恵比寿駅に着いた。合流後、日比谷線に乗って六本木まで。大江戸線の乗り換える。そして目的地の麻布十番に到着。昨日の3人と先輩のKさんを含めた5人で十番商店街をぶらつく。ぶらつくにはよい商店街だと思う。タイヤキ屋さんやお蕎麦屋さんや色々ある。お昼は更級蕎麦を・・・と思っていたのだが、思った以上に混んでいた。そこで蕎麦ではなく、鰻を頂くことに。「やつめや」という鰻屋に入った。お彼岸ということもあって、家族連れが多い。それも老人の姿が。フム、柔らかくて美味しいということかと判断。5人全員、うな茶を注文。一部、「真昼間っからビールを飲みたいゾ同盟」がビールを注文。頂く。今更の名刺交換なぞしてうな茶の到着を待った。到着した鰻は確かに柔らかく、美味しく頂いた。 腹ごなしに商店街をまらぶらついて、メインイベントである「麻布十番温泉」に。まさかいきなり階段を登るとは思わなかった。値段は1280円。うーむ、ちと高い。ロッカーの鍵を借りて、浴室に向かった。浴室は思ったよりも小さかった。男湯は湯船が1つ、スチームサウナが1つだった。蒲田温泉と同じ黒いお湯。地下から汲んだのを薪で炊いているらしい。割と熱めのお湯。久が原湯ほど熱くはないが。早々に上がって、休憩場を兼ねている宴会場で休む。疲れが溜まっている面々はマッサージ器に群がっていた。宴会場には近所のご老人方が集まっていた。皆、顔なじみらしい。すると皆、舞台に上がった。カラオケでもやるのかと思ったら・・・流れてきた曲は東京音頭。お、踊ってる・・・。飛び入りの人も混ざって結構盛り上がっていた。
ほどよく休憩を取った後、散歩がてらに氷川神社詣で。暗闇坂を登る途中、怪しい看板を眼にした。「MAD」・・・いや、「MAID」。周囲は大使館など外国の方が多数すんでいる。そのためのメイド派遣業「東京メイドサービス」の看板だった。メイドスキーな友人の顔が浮かんだ。
パキスタン大使館の前に警官が一人。先輩は「あの盾、薄いけど大丈夫なのかいな」と不穏当な発言。しばらくしてアルゼンチン大使館前の氷川神社に到着。・・・神社なんだよねぇ。意外なものが奉られていた。掛けられている絵馬を見た。うーむ、なぜ火川神社の絵馬が・・・(爆)。 人気のない、静かな場所だった。
イタリアンレストランAVANTIが無いかと探す先輩と私。あるはずのないものを探すのも一興。坂を下りると「国際家畜病院」と看板のある古い一軒家が。「国際鬼畜病院」と読み違えたのはバツグンに秘密ダ! さらに降りると大韓民国大使館。多数の警官が警備していた。パキスタン大使館と比べると監視体制が全然違う。ちょっと驚いた。
麻布十番駅で皆と別れて原宿駅へ。渋谷AXまでの道のりはストリートパフォーマンスの連続だった。音楽だけじゃなくてコントに人だかりができているのが意外だった。
渋谷AX、「fra−foa」というバンドのライブ。自分でチケットを購入したのだが、実は一度も歌を聴いたことが無い。複数の知人から薦められたので興味を持ってチケットを確保したという塩梅。開場前、かなりの人だかり。コインロッカーに荷物を預けようとしたが小銭がないことに気付いた。これは失敗だった。
フロアに入る。割りと早い方だったので前の方に位置した。始めてみるのだもの、メンバーの顔とか見てみたい。周りは声高に自分の持っている情報や前回のライブのことを語っている人達。お喋りというよりひけらかし。うーむ、同人誌即売会場を往復するバスの中のようだ。結局、総オタク化しているのよね。差は対象に対する世間の眼だけ。
開演時間が過ぎても一向にメンバーは現れない。混みだす客席。「始まったら、前に突っ込もうぜ。どうせ・・・」「ダイブして気に食わないあの前の奴に失敗した振りしてエルボーかまそうか・・・」男性客のモラルの高さにメンバーが哀れになってくる。それとも、盛りあがれば何でもいいのか?いいのか。ともかく、まだファン層も若くて薄いことを実感。
ようやく開演。最初の曲は「真昼の秘密」。大変だった。後ろから突っ込んでくる。しまった。こんなハードなノリだとは。聞くというより暴れに来ているようだった。群集の中、大荷物を降ろすわけにもいかず、ひたすら持っていた。こういう曲とノリが続くとしたら・・・私は戦線を離脱するしかないな。そう思った。
3曲目だろうか、急にメロウな歌に変わった。観客もそれに合せて収まっていく。これからが、ボーカルのちさ子さんの凄さの発現だった。その詩はガラスの刃。発するものも聞くもの切り刻む。それをシャーマニックに歌う現代の巫女。ポストエヴァ世代のシンクロは会場を大きなうねりと化す。確かに凄い。この私が左手で荷物を持ちながらも右手を上げてしまうほど。拳ではなく彼女に差し伸べるように手のひらを上に向けて、「何か」を捧げる。<続く>
ほどよく休憩を取った後、散歩がてらに氷川神社詣で。暗闇坂を登る途中、怪しい看板を眼にした。「MAD」・・・いや、「MAID」。周囲は大使館など外国の方が多数すんでいる。そのためのメイド派遣業「東京メイドサービス」の看板だった。メイドスキーな友人の顔が浮かんだ。
パキスタン大使館の前に警官が一人。先輩は「あの盾、薄いけど大丈夫なのかいな」と不穏当な発言。しばらくしてアルゼンチン大使館前の氷川神社に到着。・・・神社なんだよねぇ。意外なものが奉られていた。掛けられている絵馬を見た。うーむ、なぜ火川神社の絵馬が・・・(爆)。 人気のない、静かな場所だった。
イタリアンレストランAVANTIが無いかと探す先輩と私。あるはずのないものを探すのも一興。坂を下りると「国際家畜病院」と看板のある古い一軒家が。「国際鬼畜病院」と読み違えたのはバツグンに秘密ダ! さらに降りると大韓民国大使館。多数の警官が警備していた。パキスタン大使館と比べると監視体制が全然違う。ちょっと驚いた。
麻布十番駅で皆と別れて原宿駅へ。渋谷AXまでの道のりはストリートパフォーマンスの連続だった。音楽だけじゃなくてコントに人だかりができているのが意外だった。
渋谷AX、「fra−foa」というバンドのライブ。自分でチケットを購入したのだが、実は一度も歌を聴いたことが無い。複数の知人から薦められたので興味を持ってチケットを確保したという塩梅。開場前、かなりの人だかり。コインロッカーに荷物を預けようとしたが小銭がないことに気付いた。これは失敗だった。
フロアに入る。割りと早い方だったので前の方に位置した。始めてみるのだもの、メンバーの顔とか見てみたい。周りは声高に自分の持っている情報や前回のライブのことを語っている人達。お喋りというよりひけらかし。うーむ、同人誌即売会場を往復するバスの中のようだ。結局、総オタク化しているのよね。差は対象に対する世間の眼だけ。
開演時間が過ぎても一向にメンバーは現れない。混みだす客席。「始まったら、前に突っ込もうぜ。どうせ・・・」「ダイブして気に食わないあの前の奴に失敗した振りしてエルボーかまそうか・・・」男性客のモラルの高さにメンバーが哀れになってくる。それとも、盛りあがれば何でもいいのか?いいのか。ともかく、まだファン層も若くて薄いことを実感。
ようやく開演。最初の曲は「真昼の秘密」。大変だった。後ろから突っ込んでくる。しまった。こんなハードなノリだとは。聞くというより暴れに来ているようだった。群集の中、大荷物を降ろすわけにもいかず、ひたすら持っていた。こういう曲とノリが続くとしたら・・・私は戦線を離脱するしかないな。そう思った。
3曲目だろうか、急にメロウな歌に変わった。観客もそれに合せて収まっていく。これからが、ボーカルのちさ子さんの凄さの発現だった。その詩はガラスの刃。発するものも聞くもの切り刻む。それをシャーマニックに歌う現代の巫女。ポストエヴァ世代のシンクロは会場を大きなうねりと化す。確かに凄い。この私が左手で荷物を持ちながらも右手を上げてしまうほど。拳ではなく彼女に差し伸べるように手のひらを上に向けて、「何か」を捧げる。<続く>
いぬもあるけば・・・「とりあえず」
2001年9月22日朝、爽やかな日差しで目が覚める。はて?結構呑んだはずなのに、二日酔いもない。焼酎メインだったのが良かったのか。朝風呂に漬かった後、撤収準備をし、そして爽やかな青空を眺めながら那須塩原駅に。駅は三連休を那須高原で過ごすのだろう人々で溢れていた。 暇つぶしに週刊少年ジャンプを購入。それとおみやげのクッキーを。
一度、自室に帰って荷物を置いた後、すぐさま越谷へ。オフ会自体はすでに始まっているが私の目的は途中の喫茶にある。そもそもこのオフ会、アーケードの格闘ゲームファンのオフ会なので、PBMゲーマーでしかない私は適応外の物。。合流のために越谷駅そばの「ファンタジア」というゲーセンに行ったが、関係者の姿が見えない。仕方がないので近くの喫茶店で日記でも書くことにした。ロイヤルミルクティーを注文。出てきた物は・・・大椀に注がれたものだった。絶句してウェイトレスに「こ、これはどうやって飲むのですか?」と尋ねてしまった。ティースプーンですくって飲むのはちょっと・・・。途方に暮れながら飲んでいると「**さぁ〜ん、なんでいるのぉ!?」という声が。合流予定のOさんだった。はて?私も店内を探していないことを確認していたのだが・・・。なんとこの喫茶店、貸し切ることのできる会議室があった。うーむ、先程から侮りがたいことばかり。荷物とお茶を持って、会議室に移動。挨拶をした後、ここでの趣向である全員ビックパフェを食す企画に移った。量はそれほどでもないが、妙に身体が冷える。嵩よりも寒さが戦いのポイントだった。それでも全員が食べきっていた。男性がほとんどを占めていたことを考えると見事なものかと。持っていたおみやげを配ったり、福岡から来襲した方からのを頂いたりしながらおしゃべり。PS2を持っていない私がFF×の***な小説は書けないと思うのですが〜?え、買え・・・ですか?(沈)。
会場を先程のゲーセンに戻してメンバーはGGXやVFに興じた。私は次の飲みの場所を探すために検索作業をしたり、寒いというOさんの上掛け現地調達に付き合ったり。そうそう怪しい写真撮影ゲームをやってみた。非常に怪しくてよろしい。でも、余り遊ぶ人はいないのでは。もう一ひねりすれば面白いゲームになるのだがなぁ。プリクラ的要素を入れるとか。 地下ではKさんがメンバーと格ゲーを楽しんでいた。VFのニューバージョンは初めて見た。綺麗なものであることよ。オフ会幹事のあじさんが駆け回っていた。よく気が利く、よい人だ。彼女の配慮によって滞り無くオフ会が進んだ。もちろんほとんどがゲームサークル仲間だということもあるだろうが。
その後、皆で夕食。未成年者がほとんどだったので、飲みは無しだったが隠れて1人ビールを注文する私。はっ!幹事のチェックしてますよ〜の視線が(汗。夕食後、越谷駅で解散。幹事のあじさんに皆でお礼を行って改札口に入った。
Kさん、Oさん、Uさん、そして私というどこかの島のときの一行は日暮里駅を降りた。彼女達はここのビジネスホテルを予約していた。日暮里・・・確か『あの店』があるはず・・・。「むぁかせて!いい店があるから!」と彼女達がチェックインしている間に店を確認しに出た。以前、PBM仲間と飲んだ「ヒゲ一」という乙な居酒屋で飲んだ記憶があった。ちょうど、この道沿いのはず。すぐに見つかる・・・ことはなかった。「何故〜っ!(汗)」私の悲鳴がこだまする。仕方がない。新しめの店があるのでそこにしよう。「まちださんのおうち」かぁ、この店名のセンスはどうだろうか(汗。不安に駆られながら、『とりあえず』4人入れるか店内に入って確認しようとした。・・・この引き戸、この間取り、どこかで見たことがある・・・。もしや・・・「ヒゲ一」が潰れて違う店になったのか・・・。『取りあえず』4人座れそうだったので、ホテルに引き返して3人を呼んだ。座敷に上がって席に着く。改めて、あの店の間取りだなぁと思う。内装を明るめにしているので感じが違っているが。
早速注文。3人は浦霞を注文。私は最初は東京の酒、澤之井。肴を注文。メニューに『とりあえず』はなかった。コロッケとか肉じゃがとか・・・え?ないの?注文する度に「もう無いです」との返事。それならば何があるの?と尋ねて、ある物を注文。肉豆腐、煮豚、秋刀魚の塩焼き、水餃子など。辛いものが多かったので辛い物がダメなUさんにはきつかったか?(汗。
23時近くまで飲んだ。・・・といっても1時間程度だが。気になったので精算時に女将さんに聞いてみた。前にヒゲ一という店があったはずだが・・・。ヒゲ一はこの夏に閉め、この店を新装開店したのだという。ヒゲ一のときからの者がいるので、あの店のメニューも出来るという。ならば、あの『とりあえず』も是非〜!!
この店を教えてくれた友人もまだ新装開店の情報を得ていないようだ。もし知ったら黙っているはずがないからだ。個人的に今日最大のネタとなった。
ホテル前で3人と別れ、日暮里駅に。もうイベントは発生しないと思ったら山手線ホームで酔ったおじさんに声を掛けられる。「これは船橋にはいくのかのぅ?」手には上野駅からのキップが。すでに23時を過ぎている。間に合うのだろうか?話を聞くと明日の朝、用事があるので今夜のうちに帰らなければならないという。最悪、タクシーを使うとのこと。船橋ならば少なくとも、常磐線ではないだろう。総武線だ。となると・・・秋葉原まで戻るのが正解か。それで行けるところまで行って貰おう。取りあえず、おじさんと一緒に山手線に乗った。「また泊まると家族にバカにされるんだよ〜」「シャチョウなんでね。朝から用事があってネェ〜」 ホームを降りたら、階段を上るようにと指示。幸い、ドアの近くの階段は千葉方面への階段だった。終電に乗れたはず。最も起きたら千葉というオチかもしれないが。
いぬもあるけば・・・「打ち上げ」
2001年9月21日 昨夜は大変だった。その分、今日はスムーズにスケジュールが進んだ。不具合について説明した後に、試験の様子を見てもらい、そして別の試験設備を見て貰う。トラブルの発生もなく無事に終了した。
夜。試験はまだ終わっていなかったが立ち会いが無事済んだということで、器材屋さんも含めた試験班で軽い打ち上げ。先日述べた気もする中華料理屋で飲食。テケトーに頼んで、テケトーに食べ、テケトーにビールや焼酎を呑む。
背広組が黒磯駅へ消えた後に、呑み足りないということで近場の居酒屋に。お腹一杯なのでまたもや焼酎をテケトーに呑む。
2次会も済んだことだし、これで帰れるかと思いきや、もう一件行こうという親父さんに引きずられる様に一行はバーに飛び込む。うわ、ここでも焼酎だ(汗。お姉さんがテケトーに作ってくれたソーダ割をテケトーに・・・呑んでいたっけ?お姉さんのエロいバカっぷりは妙に演技臭い。先輩は大いに楽しんでいたようだが、私は心の中で「大変だねぇ」と呟いていた。それはもしかしたら大変失礼なことなのかも知れない。
夜。試験はまだ終わっていなかったが立ち会いが無事済んだということで、器材屋さんも含めた試験班で軽い打ち上げ。先日述べた気もする中華料理屋で飲食。テケトーに頼んで、テケトーに食べ、テケトーにビールや焼酎を呑む。
背広組が黒磯駅へ消えた後に、呑み足りないということで近場の居酒屋に。お腹一杯なのでまたもや焼酎をテケトーに呑む。
2次会も済んだことだし、これで帰れるかと思いきや、もう一件行こうという親父さんに引きずられる様に一行はバーに飛び込む。うわ、ここでも焼酎だ(汗。お姉さんがテケトーに作ってくれたソーダ割をテケトーに・・・呑んでいたっけ?お姉さんのエロいバカっぷりは妙に演技臭い。先輩は大いに楽しんでいたようだが、私は心の中で「大変だねぇ」と呟いていた。それはもしかしたら大変失礼なことなのかも知れない。
いぬもあるけば・・・「ハマリ」
2001年9月20日 PAS社の「フロレンティア」のアクションを速達出しして出張先に向かった。新幹線の中、お弁当を食べながら思う。「危険度1のオージービーフがこれから持てはやされることになるのか知らん。」
今日は試験中の測定作業の手伝い。簡単な作業のはず・・・が、不具合原因追究に追われることに。ようやくある程度目処が着いた頃、試験そのもののの設定が遅れていてスケジュール遅れが発生していた。そちらの手伝い。填った(汗)。
翌日が客先立ち会いということで、準備作業は夕食後も続いた。全てが終わったのは深夜2時手前。そんな状態でも睡眠前に缶ビールを手にして本を読もうとする。そのまま寝るのはなんか味気ない。とはいえ、30分もしないうちに意識を失っていた。
今日は試験中の測定作業の手伝い。簡単な作業のはず・・・が、不具合原因追究に追われることに。ようやくある程度目処が着いた頃、試験そのもののの設定が遅れていてスケジュール遅れが発生していた。そちらの手伝い。填った(汗)。
翌日が客先立ち会いということで、準備作業は夕食後も続いた。全てが終わったのは深夜2時手前。そんな状態でも睡眠前に缶ビールを手にして本を読もうとする。そのまま寝るのはなんか味気ない。とはいえ、30分もしないうちに意識を失っていた。
いぬもあるけば・・・「二つのイケナイ」
2001年9月19日行けそうで行けなかったライヴ。行こうとして行けなかったライヴ。
昨日、立て続けの会議故にぱぶりかのてつやさん主宰(?)のバンド、「tv.orange」のライヴを観に行くことができなかった。元々、会議が長くなりそうであったので、そうなる事態は予想されていた。
そして今日、ぱぶりかグルーピーの内の二人が参加するバンドの初めてライヴ。彼らがどな音を聞かせるのか興味があった。朝の時点では聞きに行けるはずだった。しかし、行っている作業が思った以上に手間が掛かった。明日、出張ということもあり、今日のうちに仕上げなければならない。結局、会社を出たのは23時過ぎ。ライヴどころか、打ち上げも終わっていても不思議ではない時間だった。
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いぬもあるけば・・・「夢に起こされる」
2001年9月18日哀しい夢を見た。
何で哀しいのか・・・それがとても美しく綺麗だったから。
何で哀しいのか・・・それがとても美しく残酷だったから。
何で哀しいのか・・・それがとても美しい破滅だったから。
何が哀しいのか・・・それが彼らの運命だったから。
何が哀しいのか・・・それでも彼らはとても幸せだったのだ。
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いぬもあるけば・・・「イラスト受領」
2001年9月17日 依頼したイラストが確認したところアップされていた。
現在、主に参加しているPBM運営会社のT社が郵便だけでなくインターネットに主軸を移したゲームを始めようとしている。すでに同業他社がこの新しい海原に乗り出している。海図などない。そのために、遭難したゲームもすでにある。
T社は決して順調とは言いがたい運営ではあるが、どうにか生き残ってきた。現在はPBMだけでなくTCG(トレーディングカードゲーム)を発売し、こちらに力を入れつつある。
そんなT社が企画するゲームは学園物の退魔物[リンク]。魔法を使える学生が放課後に魔を滅するという設定はペーパーブックでよくある設定で、そういう小説を読んだことのある人やそういうアニメを見たことのある人には馴染みのあるものだ。無難といえば無難な世界観。T社が他社とはちょっと違うのは、それだけではない別のビジネスモデルを展開していることだ。OMC(オーダーメイドCOM)[リンク]というサービスがそれだ。
今のところ、基本的にはここのPBMで設定した自分のキャラクターに対してのサービスが展開されている。イラストでは作家のオリジナルを依頼することもできるようになっている。オリジナルが気楽にやり取りされるとき、このサービスの展開は大きなものとなるだろう。
で、現在はどうかというと・・・こんな感じのイラスト[リンク]が作成される。自分でキャラのイラストが描けないけれどイラストが欲しいという人にとって中々なサービスかもしれない。後はそれが対価に見合うかどうかという判断だけだ。参加イラストレーターは趣味レベルの人からすでに何年もプロとしてやっている漫画家など様々。
私?発注者の私としてはとても満足している。イラストから得たイメージによって、更にロールをプレイしやすくなる。それは束縛であるとともに翼でもある。お礼のメールを書かないと・・・。
P.S.情報提供として意識的にサイトアドレスをアップしています。自分が訪れてたところしかアップしていませんが、アクセスに際してはウイルスなどにお気をつけ下さい。
現在、主に参加しているPBM運営会社のT社が郵便だけでなくインターネットに主軸を移したゲームを始めようとしている。すでに同業他社がこの新しい海原に乗り出している。海図などない。そのために、遭難したゲームもすでにある。
T社は決して順調とは言いがたい運営ではあるが、どうにか生き残ってきた。現在はPBMだけでなくTCG(トレーディングカードゲーム)を発売し、こちらに力を入れつつある。
そんなT社が企画するゲームは学園物の退魔物[リンク]。魔法を使える学生が放課後に魔を滅するという設定はペーパーブックでよくある設定で、そういう小説を読んだことのある人やそういうアニメを見たことのある人には馴染みのあるものだ。無難といえば無難な世界観。T社が他社とはちょっと違うのは、それだけではない別のビジネスモデルを展開していることだ。OMC(オーダーメイドCOM)[リンク]というサービスがそれだ。
今のところ、基本的にはここのPBMで設定した自分のキャラクターに対してのサービスが展開されている。イラストでは作家のオリジナルを依頼することもできるようになっている。オリジナルが気楽にやり取りされるとき、このサービスの展開は大きなものとなるだろう。
で、現在はどうかというと・・・こんな感じのイラスト[リンク]が作成される。自分でキャラのイラストが描けないけれどイラストが欲しいという人にとって中々なサービスかもしれない。後はそれが対価に見合うかどうかという判断だけだ。参加イラストレーターは趣味レベルの人からすでに何年もプロとしてやっている漫画家など様々。
私?発注者の私としてはとても満足している。イラストから得たイメージによって、更にロールをプレイしやすくなる。それは束縛であるとともに翼でもある。お礼のメールを書かないと・・・。
P.S.情報提供として意識的にサイトアドレスをアップしています。自分が訪れてたところしかアップしていませんが、アクセスに際してはウイルスなどにお気をつけ下さい。
いぬもあるけば・・・「1粒で2度美味しい」
2001年9月16日そういうライブを観た。「LIVE SUMMIT」というイベント。メンタルが少し振れていて、行くかどうか迷っていた時に携帯が鳴った。友人から「今、高田馬場なんだが・・・」 なんと会場前からだった。うーむ。まさかこう来るか。タイミングの良さに感嘆しながら会場のclub phaseに向かった。
会場は・・思った以上に空いていた。信じられないことだが。並べられた椅子の後ろに陣取っていると、知人を発見。席を取ってくれていた。逆に言えば、取れるほど空いていた。
1番目のステージは奥井亜紀さん。このライブはインターネット中継されていることもあって、全国にいるだろうディスプレイ越しの観客に挨拶。主にマキシシングルからの選曲。最後に初めての会場で必ず歌うというアベ・マリアを。
次は渡野辺というユニット。渡辺さんと野辺さんの2人で渡野辺。男くさい、直接的で力強い歌詞と唄。なかなか。
そして、最後は・・・なんと野田幹子さん。まさかライブハウスで歌う野田さんの姿を拝見できるとは!情報を知ったときは驚いた。 入れ替え中に映像を流していたスクリーンが上がると野田さんが登場。あのお店で拝見したのとはまた違った野田さんがそこにいた。綺麗でしたね〜。それにしても、ステージで歌う野田さんの生唄が聞けるとは・・・。
野田さんも久々にこういうところで歌うので緊張しているらしい。それをほぐすためになのか・・・ワインで喉を湿らせながら歌うことに(笑)。 自己紹介として、デビュー曲の「太陽・神様・少年」をアコースティックアレンジで。そしてアルバム「カノン」から。アンコールに対して、用意してなかったということで、キッチンビーナスを1番だけ。それも戸惑いながら・・・「歌詞、忘れたら作っちゃうか・・(笑)」という感じで。
ライブ終了後、亜紀さんデザインのTシャツを購入。濃いファンはその場で着替えていた。凄い。彼等はそのままオフ会になだれ込むのだろう。だが、私は明日が平日であることもあるので控えた。ぐー、参加したかったな。
そうそう、「亜紀さんを聞きに、野田さんを観に」きたという友人も満足していた。ライブで聞くのは初めてということで、期待半分で訪れたらしいのだが、訪れた選択は間違っていなかったよう。それを聞いて、私も嬉しかった。
会場は・・思った以上に空いていた。信じられないことだが。並べられた椅子の後ろに陣取っていると、知人を発見。席を取ってくれていた。逆に言えば、取れるほど空いていた。
1番目のステージは奥井亜紀さん。このライブはインターネット中継されていることもあって、全国にいるだろうディスプレイ越しの観客に挨拶。主にマキシシングルからの選曲。最後に初めての会場で必ず歌うというアベ・マリアを。
次は渡野辺というユニット。渡辺さんと野辺さんの2人で渡野辺。男くさい、直接的で力強い歌詞と唄。なかなか。
そして、最後は・・・なんと野田幹子さん。まさかライブハウスで歌う野田さんの姿を拝見できるとは!情報を知ったときは驚いた。 入れ替え中に映像を流していたスクリーンが上がると野田さんが登場。あのお店で拝見したのとはまた違った野田さんがそこにいた。綺麗でしたね〜。それにしても、ステージで歌う野田さんの生唄が聞けるとは・・・。
野田さんも久々にこういうところで歌うので緊張しているらしい。それをほぐすためになのか・・・ワインで喉を湿らせながら歌うことに(笑)。 自己紹介として、デビュー曲の「太陽・神様・少年」をアコースティックアレンジで。そしてアルバム「カノン」から。アンコールに対して、用意してなかったということで、キッチンビーナスを1番だけ。それも戸惑いながら・・・「歌詞、忘れたら作っちゃうか・・(笑)」という感じで。
ライブ終了後、亜紀さんデザインのTシャツを購入。濃いファンはその場で着替えていた。凄い。彼等はそのままオフ会になだれ込むのだろう。だが、私は明日が平日であることもあるので控えた。ぐー、参加したかったな。
そうそう、「亜紀さんを聞きに、野田さんを観に」きたという友人も満足していた。ライブで聞くのは初めてということで、期待半分で訪れたらしいのだが、訪れた選択は間違っていなかったよう。それを聞いて、私も嬉しかった。
いぬもあるけば・・・「寄せ鍋」
2001年9月15日 先日、たまははきで知り合った知人から電話があった。馴染み客の一人N氏の再就職祝いで、鍋をたまははきでやるのだが来るか?という問い合わせだった。最近、店に顔を出していない。行くよ!と返事をした。
そして、今日。幡ヶ谷駅を降りて、6号商店街を少し歩いて会場であるたまははきに到着した。看板の電気が切れていたので少し不安だった。が、中に入るといつもの主人と奥さんがそれぞれぶっきらぼうに「なんだ、来たのか」、笑顔で「まぁ、久々!」と迎えてくれた。
テーブルが付けられて、そこを馴染みのメンバー15名ほどが取り囲んでいた。テーブルの上には大きくて深い土鍋がガスコンロの上に鎮座して・・いやグツグツと煮込み中だった。会が始まってから1時間経っていた。すでに皆盛りあがっていた。
鍋の具はシャモと茄子とそれ以外。味付けは奥さん手製の味噌。鶏のシャモはともかく、茄子が具の主役とはなかなか珍しい。独り、茄子が苦手な友人の顔を思い出しながら早速頂いた。鱒をほぐし入れたお握りと氷魚の焼いたものなど差し入れの肴があった。どの品も旨い。酒も進むというもの。
近状報告やら趣味の話をした。ショーロ・クラブファンが何人かいたのでそちらの情報収集も。私より後からやってきた女性は私が行けなかった「ねこカル」のライブに行ったらしい。前回のいたからね〜。ほとらぴからっについてA嬢のサイトで話を聞いていたのでそれも含めて尋ねた。やっぱり良かったようだ。ぐふぅ。
貸切だと聞いたので、YaeさんのCDを掛けさせてもらった。結構知っている人がいることに驚いた。さすが。
楽しい晩だった。会話も食事も、そして何より場の雰囲気が。祝い、祝われる。いつまでもこんなことができたらいい。
胸の内にある針の傷みをチクリと感じながら店内を、皆の顔を見ていた。
そして、今日。幡ヶ谷駅を降りて、6号商店街を少し歩いて会場であるたまははきに到着した。看板の電気が切れていたので少し不安だった。が、中に入るといつもの主人と奥さんがそれぞれぶっきらぼうに「なんだ、来たのか」、笑顔で「まぁ、久々!」と迎えてくれた。
テーブルが付けられて、そこを馴染みのメンバー15名ほどが取り囲んでいた。テーブルの上には大きくて深い土鍋がガスコンロの上に鎮座して・・いやグツグツと煮込み中だった。会が始まってから1時間経っていた。すでに皆盛りあがっていた。
鍋の具はシャモと茄子とそれ以外。味付けは奥さん手製の味噌。鶏のシャモはともかく、茄子が具の主役とはなかなか珍しい。独り、茄子が苦手な友人の顔を思い出しながら早速頂いた。鱒をほぐし入れたお握りと氷魚の焼いたものなど差し入れの肴があった。どの品も旨い。酒も進むというもの。
近状報告やら趣味の話をした。ショーロ・クラブファンが何人かいたのでそちらの情報収集も。私より後からやってきた女性は私が行けなかった「ねこカル」のライブに行ったらしい。前回のいたからね〜。ほとらぴからっについてA嬢のサイトで話を聞いていたのでそれも含めて尋ねた。やっぱり良かったようだ。ぐふぅ。
貸切だと聞いたので、YaeさんのCDを掛けさせてもらった。結構知っている人がいることに驚いた。さすが。
楽しい晩だった。会話も食事も、そして何より場の雰囲気が。祝い、祝われる。いつまでもこんなことができたらいい。
胸の内にある針の傷みをチクリと感じながら店内を、皆の顔を見ていた。
いぬもあるけば・・・「場違い?」
2001年9月14日 先日Star Pine’s Cafeで行われたライブでチェックした「空色のひつじ」のワンマンライブが新宿ミノトール2で行われた。会場は見当が付いていたので迷うことはなかった。問題はどんなハコなのかということだった。実際はライブレストランといった感じか。La-mamaに行くようなラフな格好で駆け付けたのは失敗だった。いやはや、1ドリンク制ならぬ1ディッシュ制とは。飲みに備えて軽く食べてきたのにな〜。仕方ないので生ハムのビザを頼んだ。2人で来たなら丁度いいのだけれどね<ピザ。
食べ終わる頃にステージが始まった。「空色のひつじ」はヴォーカル、ピアノ、ヴァイオリン、そしてユーフォニウムの4人ユニット。独特の世界が奏じ、演じられた。ぐるぐる。切なさをフレーバーに、優しく歌い上げるヴォーカルの名取さん。マスカラが途中で外れかけたのはご愛嬌。2部構成だったので直せたからね〜。メロディラインはもしかしたら懐かしいものかもしれない。ああ、みんなの歌にあったような。ということは、フォーク系ニューミュージックの流れか。音の重なりが心地よい。ユーフォニウムが引き締めてくれる。ピアノとヴァイオリンを旨く繋いでいる。私のツボに入る小洒落た音楽だった。
ライブ後、ピアノの磯村さんのソロアルバムを購入。フォーレのパヴァーヌが収録されているのをチラシで知っていた。どんなアレンジなのか興味があったのだ。
残念だったのはライブ後の雰囲気が・・・。まぁ、以前の古楽器アンサンブルのときも演奏後はこんな感じだったからなぁ。こういう、打ち上げの雰囲気は難しいものだと感じた。ライブの一見さんに取っては居場所がないし、そんな人が下手にボーッと居るとなにか出待ちか何かをしているみたいだし。私以外にも所作を迷いあぐねている人が何人かいた。このままここに居ても居心地が悪いので撤収した。店にしても、追加オーダーをしない者はいて欲しくないだろう。
余韻を味わえる雰囲気が欲しいと思うのは・・・贅沢なのだろうな。
食べ終わる頃にステージが始まった。「空色のひつじ」はヴォーカル、ピアノ、ヴァイオリン、そしてユーフォニウムの4人ユニット。独特の世界が奏じ、演じられた。ぐるぐる。切なさをフレーバーに、優しく歌い上げるヴォーカルの名取さん。マスカラが途中で外れかけたのはご愛嬌。2部構成だったので直せたからね〜。メロディラインはもしかしたら懐かしいものかもしれない。ああ、みんなの歌にあったような。ということは、フォーク系ニューミュージックの流れか。音の重なりが心地よい。ユーフォニウムが引き締めてくれる。ピアノとヴァイオリンを旨く繋いでいる。私のツボに入る小洒落た音楽だった。
ライブ後、ピアノの磯村さんのソロアルバムを購入。フォーレのパヴァーヌが収録されているのをチラシで知っていた。どんなアレンジなのか興味があったのだ。
残念だったのはライブ後の雰囲気が・・・。まぁ、以前の古楽器アンサンブルのときも演奏後はこんな感じだったからなぁ。こういう、打ち上げの雰囲気は難しいものだと感じた。ライブの一見さんに取っては居場所がないし、そんな人が下手にボーッと居るとなにか出待ちか何かをしているみたいだし。私以外にも所作を迷いあぐねている人が何人かいた。このままここに居ても居心地が悪いので撤収した。店にしても、追加オーダーをしない者はいて欲しくないだろう。
余韻を味わえる雰囲気が欲しいと思うのは・・・贅沢なのだろうな。
いぬもあるけば・・・「便り」
2001年9月13日 ショーロ・クラブからのDMとダリエファンクラブからのペーパーが届いた。
ショーロ・クラブは9/19にニューアルバム「マリチマ」を発売する。それに伴い、12月にマルコス・スザーノと共に大阪と東京でライブを行うらしい。12/5 大阪 ザ・フェニックスホール。12/6 東京 草月ホール。両方とも平日かぁ。でも東京公演は行ってみようかな。出張がありませんように。
ダリエファンクラブからはFCイベントのお知らせ。10/21に奥多摩の銘酒「澤乃井」の醸造見学及び名水で作った豆腐のミニ会席料理を頂くというイベント。似たようなオフ会を企画していただけに「やられた〜」と思った。会員以外の人の参加もOKらしい。いっそのこと・・・(^-^;
テロに関して、ネット上でも様々な反応が起きている。意見の表明。祈り。以前のものだが、それを連想させる書きこみの自粛や削除。その繊細な反応は尊重されるべきだろう。何故なら、今は直接の当事者以外の者は弔意を表すことしか出来ないのだから。痛いと思うのは痛みを想像できるから。想像力がある限り、取り戻せるはず、やり直せるはず、道を違えないはず。どうか・・・。
ショーロ・クラブは9/19にニューアルバム「マリチマ」を発売する。それに伴い、12月にマルコス・スザーノと共に大阪と東京でライブを行うらしい。12/5 大阪 ザ・フェニックスホール。12/6 東京 草月ホール。両方とも平日かぁ。でも東京公演は行ってみようかな。出張がありませんように。
ダリエファンクラブからはFCイベントのお知らせ。10/21に奥多摩の銘酒「澤乃井」の醸造見学及び名水で作った豆腐のミニ会席料理を頂くというイベント。似たようなオフ会を企画していただけに「やられた〜」と思った。会員以外の人の参加もOKらしい。いっそのこと・・・(^-^;
テロに関して、ネット上でも様々な反応が起きている。意見の表明。祈り。以前のものだが、それを連想させる書きこみの自粛や削除。その繊細な反応は尊重されるべきだろう。何故なら、今は直接の当事者以外の者は弔意を表すことしか出来ないのだから。痛いと思うのは痛みを想像できるから。想像力がある限り、取り戻せるはず、やり直せるはず、道を違えないはず。どうか・・・。
いぬもあるけば・・・「僕たちの将来」
2001年9月12日 段ボール箱の中から、就職活動時代に読んだ本を発掘した。
「アルビン・トフラーの戦争と平和」 A・トフラー、H・トフラー 92年
原題「WAR AND PEACE IN THE POST−MODERN AGE」
もう随分昔の本だ。しかし、残念ながらここに示されていることは古くはない。
テロ関連のニュースの脇で日本国内の狂牛病騒ぎの兆しが伝えられる。役人を信じられなくなった民人はヒステリックに振る舞うだろう。何が真実なのか考えることもなく。真実は1つ。『日本人の死亡率は100%』であること。
まずは狂牛病について、自分で調べるのも一興だろう。ネットでは親切な情報提供者がたくさんいる。[リンク] それらがどれだけ正しいことなのか、保証はない。マスコミ情報と同じぐらい?天気予報をいつも100%信じる人はどれだけいるだろうか?そういうことだ。
何を脅えているのだろう。何を怖れているのだろう。本当に「死」を怖れているのだろうか?「死」そのものではなくおぞましい老後を、無惨な死に様を怖れているのではないだろうか?本当は「生」を怖れているのかも知れない。
また、記憶の底から中島みゆきの歌声が浮かび上がってくる。
『青の濃すぎるTVの中では
まことしやかに暑い国の戦争が語られる
僕は 見知らぬ海の向うの話よりも
この切れないステーキに腹を立てる』
「アルビン・トフラーの戦争と平和」 A・トフラー、H・トフラー 92年
原題「WAR AND PEACE IN THE POST−MODERN AGE」
もう随分昔の本だ。しかし、残念ながらここに示されていることは古くはない。
テロ関連のニュースの脇で日本国内の狂牛病騒ぎの兆しが伝えられる。役人を信じられなくなった民人はヒステリックに振る舞うだろう。何が真実なのか考えることもなく。真実は1つ。『日本人の死亡率は100%』であること。
まずは狂牛病について、自分で調べるのも一興だろう。ネットでは親切な情報提供者がたくさんいる。[リンク] それらがどれだけ正しいことなのか、保証はない。マスコミ情報と同じぐらい?天気予報をいつも100%信じる人はどれだけいるだろうか?そういうことだ。
何を脅えているのだろう。何を怖れているのだろう。本当に「死」を怖れているのだろうか?「死」そのものではなくおぞましい老後を、無惨な死に様を怖れているのではないだろうか?本当は「生」を怖れているのかも知れない。
また、記憶の底から中島みゆきの歌声が浮かび上がってくる。
『青の濃すぎるTVの中では
まことしやかに暑い国の戦争が語られる
僕は 見知らぬ海の向うの話よりも
この切れないステーキに腹を立てる』
いぬもあるけば・・・「リアル タイム、イマジナリー タイム」
2001年9月11日 帰宅時間は22時過ぎだった。
いつもの様にTVを点け、ニュース番組をやっているTV朝日にチャンネルを合わせた。ディスプレイには・・・不思議なものが映っていた。煙を吹いている高層ビル。
「・・・あれ?まだ映画をやってるのかな?」
その疑問は最悪の形で否定された。
目の前の画像が信じられなかった。こんな映像が現実のものであるはずがない。テロでこんなことが成功するはずがない。航空機2機が時間を置かずにあんな小さな目標に自ら突っ込むなんて。当てようとして当てられるはずがない。しかし、そのあり得ない光景が目の前のモニター上で何回も何回もリプレイされていた。それはセンスの最悪なVJの映像の様に。
PBM仲間が集まるチャットサイトに行きながら、TVのモニターをチェックし続ける。次々入ってくる生の情報。今、現在起きていることがモニター越しに伝えられる。デジャ・ビュ。この感覚は前にも感じた。あれは湾岸戦争か。現実感が浸食される。大変な事、とんでも無い事、悲惨な事。
己が仮想の映像に如何に慣れているかを思い知る。テロの映像を見ても、それを一旦仮想映像として受け止めている回路が出来上がっている。モニターを通して大事な人の死に様を見たときに私はどう感じるだろうか?仮想の映像だと受け止めてしまわないだろうか?
決定的瞬間の映像が繰り返される事で陳腐化されてゆく。唯一の出来事も事件として客観視されることで人々は客体として受け入れる。・・・他人事として受け入れる。そう受け取ってしまうことの哀しみ。そう受け入れざるを得ない哀しみ。そうやって生きて来た。そうやって生きて行く。
新たな情報が飛び込む度にショックを受けている仲間の様子がチャットを通して感じられた。と、同時に全世界でこのように回線を通じて、事件を語り合っている人達がいることが想像され・・・。想像は時に危険だ。戻ってこれなくなる。深淵を覗いたものが帰れなくなるように。怖れる者である私は、今はただ『エポケー』するしかない。
いつもの様にTVを点け、ニュース番組をやっているTV朝日にチャンネルを合わせた。ディスプレイには・・・不思議なものが映っていた。煙を吹いている高層ビル。
「・・・あれ?まだ映画をやってるのかな?」
その疑問は最悪の形で否定された。
目の前の画像が信じられなかった。こんな映像が現実のものであるはずがない。テロでこんなことが成功するはずがない。航空機2機が時間を置かずにあんな小さな目標に自ら突っ込むなんて。当てようとして当てられるはずがない。しかし、そのあり得ない光景が目の前のモニター上で何回も何回もリプレイされていた。それはセンスの最悪なVJの映像の様に。
PBM仲間が集まるチャットサイトに行きながら、TVのモニターをチェックし続ける。次々入ってくる生の情報。今、現在起きていることがモニター越しに伝えられる。デジャ・ビュ。この感覚は前にも感じた。あれは湾岸戦争か。現実感が浸食される。大変な事、とんでも無い事、悲惨な事。
己が仮想の映像に如何に慣れているかを思い知る。テロの映像を見ても、それを一旦仮想映像として受け止めている回路が出来上がっている。モニターを通して大事な人の死に様を見たときに私はどう感じるだろうか?仮想の映像だと受け止めてしまわないだろうか?
決定的瞬間の映像が繰り返される事で陳腐化されてゆく。唯一の出来事も事件として客観視されることで人々は客体として受け入れる。・・・他人事として受け入れる。そう受け取ってしまうことの哀しみ。そう受け入れざるを得ない哀しみ。そうやって生きて来た。そうやって生きて行く。
新たな情報が飛び込む度にショックを受けている仲間の様子がチャットを通して感じられた。と、同時に全世界でこのように回線を通じて、事件を語り合っている人達がいることが想像され・・・。想像は時に危険だ。戻ってこれなくなる。深淵を覗いたものが帰れなくなるように。怖れる者である私は、今はただ『エポケー』するしかない。