女でいてくれよ〜♪ ではなくて、封筒が来た。「土曜 西 き−35a」、以上。

 ようやく、MT13S4ディブ名簿の原稿アップ。取り纏めの蒼人さんには大変迷惑を掛けてしまった。
 原稿に「過去の参加PC」を羅列する欄がある。書き込みながら、思わず昔を振り返ってしまった。
 初めてのPBM、MT1のPC「エレイソン・グラール」。今も名づけに利用しているリーダーズ英和辞典を片手にPCの運命に相応しい単語を探していたこと。MT1のプライベート・ファイナルイベントの会場で床に臥していた三浦さんにキャラクターシートを直渡ししたこと。MT13で演じているコンバートPCの元PCが苦悩したMT3。 ・・・などなど。
 ZEROで変な形でお世話になっている、ゆうきMSにMT8Y5でお世話になっていたことを失念していたことに気が付いた。ヤバ(汗)。

 新宿駅で待ち合わせ。大学時代のサークル仲間だった、ことろんさんと仰木さんと。彼女達は既に秋葉巡りをしてきたらしく、結構疲れている感じ。混んでいる京王新線に乗り、幡ヶ谷駅で降りる。「たまははき」に案内するのが今回の私の目的。
 予約が出来ないので、混んでいたらどうしようかと思ったが、月曜日の早い時間だったこともあって空いていた。二人に合わせ、まずはビール。つまみは、親父さんにあるものを適当に出してもらうように頼んだ。山菜は余りなかった。定休日の水曜に採りに行く関係上、月曜はほとんどない状態だった。これは失敗。そろそろ山菜のシーズンも終わり。冷奴もなかったのは残念。だが、初めて来た人には必ず食べてもらうものはあったので、それを注文。それにしても、親父さん、愛想がいい。私が一人で来るときとは全然違う(苦笑い)。
 仰木さんの近状の話から始まって、家族論やこの場にいない仲間の話とどんどん話題が移って行く。だべるのが好きなこともあって、かなり長居してしまった。その間に入れ替わり立ち代わりやってくる馴染み客。私があんまり毎回挨拶を重ねるので、「みんな馴染みなんだね〜」と突っ込まれてしまった(汗)。だが、馴染み客が訪れる時に座を設定できたのは僥倖。彼女達にも気軽にこの店を利用して貰いたい。この店は女性一人でも気兼ねなしに寄ることが出来る店。東京でちょっとした事があった時に、ここで休むことができる。一人暮らしを続ける者にはそういう場所が必要だ。独り言ではなく、ヴァーチャルでもない、会話する「筋肉」を衰えさせないために。そして、もしこの店をそういう店として利用するならば、ここの馴染み客と最初から面識があれば楽だろう。
 ・・・だが、私のそういう戦略は失敗したかもしれない。「トモダチのトモダチは皆トモダチだ」というが、実際に互いにトモダチになるのは難しい。もう少しスマートに出来ればいいのだが。私が紹介するのは、店の持つサービスではない。『場』だ。その辺を伝えきれないのが行けないのだよな。アーティスト紹介が上手くいかないのもその辺に理由がありそうだ。可能性・不可能性も含めて。

 危うく、戸を開けたまま朝まで眠るところだった。睡眠不足だったことを忘れていた。
 中世にはそれなりに重要な場所だったという隣町にある親戚の家に。祖母の三回忌。子供の頃、母が入院していたときに一人でよく預けられていたので、この家と周辺には思い入れがある。おそらく、原風景の1つ。
 天台宗の坊さんが少々読経し、皆で般若心経を唱え、すぐ近くの墓地に行って線香を上げ、団子を貰って食べて法事そのものは終了。予約してある会食会場に移って、小宴会。弟や従兄弟達との座席に座りたかったが、その辺りの座席の数が合わない。まったく反対の席に着く。目の前は今日の面子の中で長老役をしている大叔父さん。坊さんとの会話をいつものように耳そばだててみると・・・どうやら古文書解読が趣味らしい。当て字ばかりの文献を読む努力の中で、当時の人々の暮らし振りを感じ取る。話を聞きながら、「何故、人は歴史に興味を持ってしまうのだろう」と考えたり。
 車の運転をする都合上、父はまったく呑まなかった。その替りに私がビールを呑むことに。元の家に戻った時にはかなり酔ってしまった。睡魔が襲う・・・。座を外して横になったが、それが却って良くなかったようだ。頭が痛くなってきた。
 実家に戻り、当初の予定では着替えてすぐに帰宅する予定だったのだが、辛くて2時間ほど横になった。起きたら、激しい寝汗。取りあえず、帰らなければと高崎線に乗り込む。上野まで殆ど寝ていた。結局、酔いが収まったのは、自室に戻ってから。
 行きは部屋に置いておけない引き出物や美術品を、帰りは実家で作った苺のジャムをお土産に。定年してから父の家庭菜園への注力はますます盛んになっているようだ。美味しい。子供の頃には家になかったもの。
 深夜までチャットでプレイングの相談をしたり、纏めた内容をアップしてみたり。ようやく寝ようとした時に、ZEROのリアルタイムイベント「陸上記録会」が今日あることを思い出した。
 これは、9時から18時まで、ほぼ1時間おきに行われる選択式のゲームが繰り返されるイベント。読者参加ゲームというゲームによく似ている。今回はゲームの選択だけでなく、PCとして速報誌に応援などを投稿できるようにしているのが新しい。投稿されたものを纏めて、NPCがDJ風にコメントをはさんでアップする。それをほぼ一時間おきにするということはスタッフもほぼ張り付きでゲームの判定作業や編集作業を行うことになる。
 最初から最後まで参加するつもりだった。出先でもAirH"ならばアクセスできるし、逆にこういうときに使わないと契約している意味がない。が、この状態で参加するのはリスクが高すぎる・・・。とりあえず圧縮睡眠してみたが、9時には起きられずに最初のゲームに参加できなかった。

 15時過ぎにに家を出る。大荷物を抱えて。会社に寄って用事を済ませてから、蒲田駅でお土産を買って車中の人に。途中、ゲームに参加しつつ、19時に前橋駅到着。ここ最近、とてもお世話になっている大切な人と会食。主の話題はPBM関係。ゆっくり話ができて良かった。そうそう、会食場所は駅近くのファミレスだったのだが、メニューに「ワサビ漬けがたっぷり載せたステーキ」の写真が。これは私に対する挑戦?受けて立とう・・・。結果、肩透かしで精神的ダメージ。取りたて美味しくも、そして不味くもなかった。これではネタにならない。あの「カレーヨーグルト」のように『素晴らしい』ものはないものか・・・(汗)。
 店を出て、空を見上げると見事な月があった。晧晧と輝いていた。ここが田舎ならば「月がとっても青いから〜♪」とか口ずさんでもう少し散歩するのだけれどね〜。

 実家に到着。割り当てられている部屋に入ると明るい。月光が差し込んでいた。外を見ると、前の神社の木々の上に月がある。風もなく、とても静か。電気を灯すのが勿体無く、ガラス戸を開けて部屋に月を招き入れた。
 島根から大井さん来訪。SF大会の調整のため。
 夕方に合流して、呑むことに。京急蒲田駅の西口改札口に3人の男性が。彼のPBM仲間らしい。蓬莱学園や鋼鉄の虹などで関わった人たちだろう。呑みよりは食事重視がいいということになり、「金春」という中華料理店に。適度に安く、美味い店。大井さんたちは青島ビールで、私は生ビールで乾杯。
 トマトと卵の炒め煮やチンゲンサイの牡蠣油炒めなどが次々に出てくる。と、大皿に焼き餃子の3つの固まりを載せたものがやってきた。水餃子を1つ頼んだはずなのにこれは一体・・・。中国から来ている店員さんの聞き違いだったことが判明。「みずぎょうざを一皿」が「みっつ、ぎょうざを一皿」と。大概のお客が焼き餃子を頼んでいるので「餃子=焼き餃子」という認識があり、それがこのようなことになったのだった。「すいぎょうざ」と言えば・・・でも「酸い餃子」が出てきたら(違)。突き返すのもなんだし、幸い男性4人なので平らげることはできる。見る見る皿の上の物体が消えて事無きを得た。
 食事中になされた会話は面白いものだった。遊演体のゲームはやっていない(Sネットは入れたくない)ので、実際にどんなことがPLレベルで行われていたか?とかどんな無茶な設定を認めさせようとした人がいたかなどは伝承レベルでしかしらないのだが、彼らはそれを体験している。大阪方面のPLさんにも詳しいということで、制服スキーなPLさんの話なども耳にしてしまった。(汗)。後は、趣味の領域の話。スタージョンの法則を確認できた。どこでもそういう人はいるのだねぇ。
 思った以上にお酒を呑まなかったので、お腹一杯になったにも関わらず、一人当たり2k円で収まった。彼らは明日も集まるらしい。私は帰省するので、今回はこれで最後。また〜。

 とあるメールのやりとりが、しょうもないほど予想通りの展開となった。
「なんだかな〜」と思ってしまった。呆れ果てるというか、それまでかと見限るというか。
憑き物が落ちてしまった気がする。うーむ。


 夜、眠ろうとしていたのだが、何気にTVを見たら、「ブレードランナー最終版」をやっていた。何回も見たことがあるのだが、最後まで見てしまった。それだけ魅力的な映画ということか。
 色々読み解いたり、考えたりすることが出来るのが一番の魅力だろう。
 「誰もがいつかは死ぬ」
 それが、人を旅立たせるきっかけになる。

 削除修正依頼があった。相手の立場に立って、削除修正した。
処理を済ませてから、心のうちにもやもやしたものがあるのに気が付いた。
それは怒りだった。依頼した当人へのではなく、当人をそう駆り立てたものに対しての。
忘れないようにしよう。
 写真部で同期だったN氏の写真展「五十嵐ノ丘」のDM。5/31まで。会場は高田馬場さかえ通りにあるギャラリーバー「26日の月」。オーナーも写真家らしく、その人と知り合うことで、ここで個展を開くことになったという。タイトルから、五十嵐浜周辺を点描した写真展であることが予想できる。卒業してからもちょくちょく撮影に出掛けていたらしい。何もない砂丘に8学部が移転して、五十嵐キャンパスが誕生した。そんな特殊な背景を持つ五十嵐浜は独特な雰囲気を持っている。彼が惹かれ続けたのも、そこにあるのかも知れない。個展は最終日かその前辺りに見に行きたいものだ。
 
 ・・・などとDMを見ながら思っていると、電話が。大井さんからだ。「オリュンポスの刃」というPBMを勧められ、お金を振り込んだのだが、そのPC登録の締め切りが今日までだった。このゲームは遊演体のPBMである蓬莱学園に参加していたPLさん達が作ったサークルが運営しているもの。近未来海洋冒険に学園物を組み合わせている。遊演体で楽しんだ人たちなので、システムもボツ有り。優秀なアクションを掛けたものは大活躍を、取るに足りないアクションしか掛けられないものは取り上げられることもない。そういう偏りを持たせて判定するらしい。世界観や設定が気に入っているので、のんびりと楽しむこともできそうだが、久々のボツ有りシステムなのでその辺も楽しみ・・・にしていたのだが、PC登録のことをすっかり忘れていた。もう23時。名前だけでも決めないと。ZEROで変わった名前を付けているPCを多く見て、ちょっと嫌になっていたので敢えて平凡な、実際にいそうな名前にしたい。考えているうちにちょっと勝ち気な性格を持たせたいと・・・いう感じで20分で作成した。120文字の設定もスキルと共にどんな過去を持つかを兼ねあわせるものにしてみた。短い文にまとめるコツはZEROで身に付いたなぁ。
 時間もないので、とりあえず登録。無事に処理されればいいが。送ってから気が付いたのだが、海洋冒険物ということと学園物ということから、「ぶるうピーター」がPC作成の際に頭の裏にあったらしい。出来たキャラは一帆とお鈴を足して2で割ったようなキャラクターになっていた。
 いつもの合宿ならば、「大広間で大宴会。倒れた者は隣の小部屋に隔離する。」ということになるのだが、今回は駆け付けたOBが少なく、女性部員が多いこともあって、呑ませるというノリは無く、日本酒は呑みたい者が呑むという大人しいものになった。酒を飲む目的が「場を盛り上げ、その雰囲気を維持させること」にあるとすると、酒無しでも場が設定できるならば飲みに拘る必要はない。実際、それほど飲まなくても花火をしたり、おしゃべりをしたりと十分楽しい時間を過ごせた。尤も、お酒についてもそれなりに味見をさせて頂いたが。
 写真部の一部有志による「健康ノート」の過去ログを読む。「部室ノート」という公的な事を記述するノートに対して、私的な呟きを書き綴るノート。一部員が部室ノートに書くのを憚られる私的なこと、その日の気分や出来事を書くために設置した。私的な呟きなので、他人には理解しがたいものが綴られていることもある。そのため、このノートに対して「訳わからん」と評価するものもいる。「慣れていない人には難しいだろうな。」と思う。書く人は安易に理解できないように書いている。理解して欲しいけど理解して欲しくない。アンビバレンツ。だから書かれているものは直接的に理解するものではなく、理解を試みる中で感じるもの。
 読み終わってから、レスを付ける。けど、如何にもOB面した事しか書けない自分がちょっと嫌。OBというペルソナを捨てて書くのは中々恐いもの。だから、さも物わかりのいいOBらしい書き込みをちょこちょこ書いてみる。この時点において、結局自ら「部外者」でしかない事を露呈させてしまう。踏み込むそぶりを見せながらも、その足を下ろせずにいる。或る意味、「訳わからん」人よりも質が悪い。
 後輩の話を聞く。なるべく分析的にならないように、断定的にならないように言葉を返す。そのためにかなり判りにくい事になってしまったかもしれない。今、判らなくてもいい、後で何かの折りにヒントになればいい。そんな感じで話し込んだ。
 気が付くと外が明るい。睡魔にヤラレタものはあちこちで寝転んでいる。このまま起きつづけてもいいけれど・・・どうしよう。30分ほど圧縮睡眠。まともに寝入ったら起きられないので、仮眠モード。
 
 合宿所の片付けも済んだ10時頃に独り撤収。新歓合宿そのもののイベントはまだ続き、お昼から現像実習などがある。それにも顔を出したかったが・・・。空を見上げれば、見事な快晴。工学部坂に出て、振り向くと松林の向こうに海が見えた。砂浜を散策するのにも後ろ髪引かれる。両方の誘惑を振りきって駅に。売店で「キャレル」を発見、購入。
 
 あさひ314号の車中で泥のように眠り、気が付くと東京駅。上野に戻って、コインロッカーに荷物を入れ、東京国立博物館に急いだ。
 特別展「雪舟」の最終日。予想通りの人込み。入場まで25分待ちだった。東京駅でドタバタしていたこともあって、列に並んだのは14時頃。つまり入場は14時半。先に観た人からの薦めに従い、音声ガイドを借りた。これでパネルを一々読まなくても済む。17時には閉館。あと2時間半の内に観て回らなければならない。完徹状態なので体力の問題もある。なるべく無駄な時間を掛けないで回りたい。
 今回の展覧会は50年に一度の規模の回顧展なのだが、雪舟の作品ばかりではない。雪舟が影響を受けたと考えられる絵師の作品も展示し、それによって時代の中の雪舟を浮かび上がらせることも意図している。逆に言えば、雪舟以外の展示物がかなりある。それらも興味深いが、数があることと混雑していることを考えると観るのにもコツがいることが判る。
 国宝や重要文化財が展示されており、海外からの里帰り品や初公開・新発見のものもあるという。が、展示の落とし穴もある。パネルを見ると、「雪舟筆」だけでなく「伝雪舟筆」というのがありそれがかなりの数に登っている。それらは雪舟が描いたと伝えられているもの。音声ガイドが解説する作品のリストに載っている「伝雪舟筆」の作品はアメリカで「発見」されたもの以外はほとんど載っていない。これは如何?とまれ、それを参考に時間配分。
 後半に最も重要な作品を展示していた。国宝「山水長巻」は見ごたえがあったし、国宝「秋冬山水図」には惹かれるものがあった。 人の頭越しに見るのはなんともすさまじきものであるけれど、最終日ともなればしかたないかとも思う。
 回顧展ということで、修行時代から晩年までの作品や弟子への書状などを見、そして解説を聞くに、独自の画風を確立するに至った画家であるが、考えていた以上に明の影響を受けていた、というか明の進んだ文化を吸収してきた者としての権威を政治的に使っていた人だったことを改めて知った。「あ〜たくし、おフランスで絵のお勉強をしてきたザマスのよっ!」と言うような感じで。ま、絵は人物で見るものではないけれどね。でもそれを実施するのはまた難しい。そんなことを考えながら、ミュージアムショップで図録や複製品などが飛ぶように売れている「風景」を見る。図録を買う気が無くなった。「秋冬山水図」冬のA4サイズポスターを1枚買って撤収。まだ寂しい壁に貼ろう。
 東京6:08発のあさひ301号。日経を隅々まで読んでいたら、もう終着駅に。自宅で朝食は済ませているので、そのまま時間潰しのために万代市民会館に。5階のフリースペースには高校生が中間試験の勉強なのか、朝から詰め掛けている。その片隅に場所をキープして、日記作成。そして送信。目の前の窓からの光景は雨。
 昼食は本町の信吉屋のラーメンにしようと思っていたのだが、万代市民会館から万代橋に向かう途中、東大通の裏道を歩いていたら気になる喫茶店があった。「茶菜庵 咲都」という名のお店。どうやら「ささいあん さと」と読ませるらしい。まだ開店して9ヶ月目。如何にも趣味の店という雰囲気。英語教室やビーズ教室のイベントを催しているらしい。今日の日替わりランチは豆づくしとか。信吉屋のラーメンも捨て難かったが、新しい店を開拓する魅力もまた捨て難い。ちょっと逡巡したが、結局ドアを開けて中に入った。カウンターの6席しかないのかと思ったら、どうやら2階に広間があるらしい。イベントはそこで行っているようだ。手製のビーズが売り物として飾られている。カウンターの奥の席に座って、ランチを頼む。さっぱりした物言いの店主が馴染み客とおしゃべりしながらトレーに料理を並べる。赤飯、インゲンのゴマ和え、ひじきと大豆の煮付け、豆と肉のエスニック風煮込み。豆づくしのランチは思った以上にヘルシーで美味しかった。
 有閑な主婦の趣味の店にしては、料理に手が込んでいる。不思議だと思ったら、店のパンフと共にあった名刺を見てちょっと納得。店名の下に、フードコーディネーターと書いてある。佐藤さんだから「さと」という名前にしたのだろうか・・・(汗)。ともかく、面白い店を見つけた。裏道を歩かなければ、おそらく見つけることはなかったろう。そのまま万代町通に出・・・て左に曲がるつもりが、目の前のたい焼き屋にフラリ・・・。2個GET!暖かいたい焼きを鞄に入れて、万代橋を渡った。
 古町モールに入ると、沢山の人出。「古町どんどん」という商店街のイベントが催されていた。商店自らが屋台を出している。お昼時でもあるので、大勢が食べていた。私も清水フードが出している屋台で牛皿を味見。すでにお腹一杯だったのだが、その先にあったドイツ料理店の屋台にボルシチが!ちょっと因縁のある料理。見過ごすことは出来ない〜。状況はフードバトルっぽくなってきたが、結局食べることに。1杯400円なのでそこそこのものだろうと思ったら、これが・・・。噛まなくてもよいぐらい良く煮込まれた肉の固まりに驚かされた。通常の営業のメニューにない、このイベントのときだけ出しているものらしい。幻のメニューという奴か。
 西堀通りのシュガーコートに着いたのは、15時頃。店主はケーキを作っていた。カウンターに座って、ケーキ作りの実演を見せてもらう(ォ。旅先で仕入れてきたというファーストフラッシュダージリンを頂く。胃が休まる〜。英国で過ごした休暇の内容を教えてもらった。友人がロンドン郊外の家を買ったらしく、そこに転がり込んで一緒にガーデニングをしていたらしい。本場の、しかも古い家の庭をいじるガーデニング・・・。ミス・マープルとか思い出して羨ましくなった。キツネが出る庭で昼間からワイン三昧と聞いてちょっとため息。
 新潟日報の人が女性向タウン誌「キャレル」を持ってきた。「オトナのための喫茶店」という特集にこの店が出ているらしい。店内とポットを傾ける店主の腕が映っている写真があった。この特集、「カフェ・ウエスト」や「ストロベリーフィールド」も載っている。購入を決定。
 ラム酒をガムシロップではなくミルクの中にいれてしまい、カップの中は蛋白質を変性させて大変な状態に。勿体無いと、二人で生のまま呑んでしまう。後から彼女の友人が訪れ、ワインまで頂いて・・・ええ、こういうのに遠慮はしませんよ〜♪
 その後、先ほどのラム酒を塗った出来立てのロールケーキをビックベンというブレンドを使ったミルクティーと共に頂く。大き目のポットだったので、お茶を合計1リットル近く飲んだ計算。
 店を辞したのは17時半。写真部の部長に宴会場に着くのが遅れることを伝え、腹ごなしのために歩く。
 関屋の早福酒食品店。日曜は休みなので、今日の内に寄りたかった。ここでしか扱っていない、「鶴の友」純米の四合瓶を1つ購入。昔、AIS社の弾銃狂奏曲というPBMのファイナルイベントにこれを1ケース(6本)持ち込んで、清酒「鶴友」関係でお世話になったマスターに配ったことを思い出す。
 いい加減、いい時間になってしまった。次のバス停までのつもりで116号線を歩いていると、ちょっとしたトラブルに。左手に公園らしきものが見えた。金鉢山公園。ほんの10m程度の小さな山がある。登ってみた。想像以上に眺めがいい。雨上がりの日本海。夕陽の光が雲間から差し込んできた。「ああ、これを見せたかったのか。」とノルンに対して呟きながら、デジカメで記録。結局、バスに乗り込んだのは有明台から。
 中門のバス停で降りて、居酒屋「半蔵」に。新入部員の自己紹介イッキはまだ終わっていなかった。今年の新入部員は人文部、それも行動科学の人が多い。我々のときはほとんど理系で、工学部所属が大部分を占めていた。女性が多いこと以外に、所属学科からも時代の移り変わりを感じるとは。それより驚いたのが、私と同期の者が他にも2名いたこと。一人は地元なので判るけれど、もう一人は大久保の写真バーで個展を開いている最中のはず(汗)。う・・・人のことは言えないか。
 会わない内に雰囲気を多少違えた者もいれば、変わらない者もいる。元気にこの場にいるならばOK。
 新入部員のイッキが終わると、在来、そしてOBの順番でイッキが行われる。飲めない人は烏龍茶だが、OBはそれなりのスピードでグラスの中のビールを消していった。
 21時過ぎに撤収。舞台はキャンパス内グラウンドの脇、海岸線から1kmほどの位置にある合宿所に。途中、部室棟の前を通ったら、新しくなっている。場所と大きさは変わらないところが妙に笑わせてくれた。
 小汚い大広間。さて、飲み直しだ。徹夜の覚悟は出来ている。雪中梅を呑ませて頂こう〜♪
 優柔不断な態度が表に出た。明日の旅行の予定をキャンセルするかどうか。財政的に無理なのではという理由で検討し始めたキャンセル案であり、行きたくないわけではない。家計簿のエクセルデータを睨みながら、スケジュール案を色々思い浮かべて検討。最後は時間切れ、「旅行決行」が優勢勝ちした。

 「キェルケゴール 憂愁と愛」。キェルケゴール研究に造詣深い著者が日本で定着している「難渋な思想を弄する実存哲学者。人間嫌いな変人」という虚像を廃したいという思いから書き記した、キェルケゴールに関する伝記的な本である。
 セーレン・キェルケゴール。彼に対しての上記のイメージは、私にはピンとこない。「難渋な思想」「人間嫌い」・・・はて?
 彼ほど、哀しいくらいロマンチックな人もいないと思う。彼の人生と思想はそのまま恋愛小説だ。元々、ミーハーな関心から彼の著作を読み出したので、特にそう思う。難解な哲学の・・・というイメージなしに読めば、主著(例えば『死に至る病』)も恋愛指南書であることが判る。冗談だと思うだろうが、彼の全ての著書は生涯唯一の恋人に対して捧げられている。そして、彼の人生もまた。しかし、現世では報われることはなかった。その悲劇性が胸を打つ。
 
 150年ほど前にそういう人生を生きた人がいた。それを知ることができるだけでも、幸福であると言える。

あるいは、いぬもあるけば・・・「幻想と現実 〜現実篇〜」

 体調不良で・・・マイッタ(苦)。

 前回、かなり臨床心理士という資格に対し、毒のあるものを書いたが、それなりに資格の必要性を理解もしている。徒に薬を使ったり、拘束したりする精神科医の姿勢に疑念を感じて異を唱えても病院システムのヒエラルキーから「たかが一心理職のくせに」と相手にされないことが往々にしてあること、また怪しい新興宗教なみのイカガワシイ診療所の存在が心理療法を貶める可能性など、臨床心理学に携わる人達が感じる辛さや歯がゆさ。「薬物療法以外にも患者にとってよい治療法があるはず。医師の資格がないので薬物は取り扱えないが、カウンセリングで患者の苦しみを癒すことができる。」ロボトミー手術や限界量の薬物で廃人同様にして隔離するよりも遥かに素晴らしい。
 が、その辛さや思いはそう単純に免罪符にはならない。治療行為そのものが持つ危険性や前提としている思想が持つ偏り・欺瞞を知ろうとしないのは、副作用を知ろうとせずに薬を処方するのと同じぐらい一人よがりだ。
 『成長』とは何か?『健康』とは何か?そして『健全な成長』とは何か?
 「健全な」という、響きの良い言葉の裏に潜む差別意識。「不健全」と括られるものを思い起こすと、それらはマイノリティなものであることに気が付く。不用意に健全さを求めることは、差別意識を植え付ける。健康ブームが不健康なものを抑圧し、抗菌ブームが「汚れ」に関わる物、人に対してヒステリックな対応を行わせているように。
 『健全な成長』・・・前回のを踏まえれて『適応、周囲に望まれる形で』と定義してみる。
 
 本の第二部では、カウンセリングの現代社会の中での位置づけと機能について検討している。
 管理者が許容する範囲内の行動選択の自由を保証した上での管理技法。「いまどこサービス」との類似性。子供や徘徊者の行動の自由を認めつつ、危険なところに行かないように監視するためのネットワーク。だが、それは何故そこに行きたいのかを理解することはできない。いや、しようとはしない。共感はしても、同意してはいけない。リスク最小の原則。進歩はあるが、進化はない。
 生涯学習社会との関連。一見、ばら色。でも、「生涯、学習し続けることを強いる社会」と読み替えるとどうか?マスコミが取り上げる生涯学習社会の姿を説明するイメージは、いつまでも若くて元気でボケ知らずな老人の映像。「よい」イメージを定義する作用の反作用は「わるい」イメージの定義。今後、老人の悩みを聞くカウンセラーが必要とされるだろう予感。
 「本当の自分探し」「癒し」などの『こころの商品化』の流れ。ファーストフードや航空会社で進められるマニュアルではない「本当の笑顔」、看護師に求められる「人を思いやるこころ」。職場で要求される『感情労働』。そして、『出会いの商品化』・・・これを資本主義の円熟というのだろうか?あらゆるものが商品となってゆく。

 改めて確認するが、この本はカウンセリングを行っている人達自身によって書かれている本である。現実を把握している人達の呟きと痛みと哀しみがここにある。そして、誠実さも。
 『自分に向かう知は、自己言及的にならざるをえない。複雑なことだし不安も覚えるが、私達は逃げることができない。こうした自己言及は息を止めて集中する苦しい思考である。だからこそ、ある意味では幸いにして、経験的にはこの自己言及はどこかで必ず停止する。だが人々が、認識を打ち切って実践を始める場所は確実に移動している。何も考えずに実践することはもうできない。勿論カウンセリングも例外ではない。認識することは疑うことであり、実践することは信じることである。私達は疑いつつ信じ、信じつつ疑うしかない。疑うことも信じることも「戦略的」と言わざるをえない状況に私達はいる。ルソーの「高潔な野人」から私達はあまりにも隔たっている。私達にできることは安易な妥協をせずに自己反省を続けることである。そして、にもかかわらず実践を止めないことである。』(石川 准)
 MT13のプレイングの締め切り日。夕方にT社のサイトにアクセスして仮のプレイングを送信してから、夜に本当のプレイングを送信・・・する予定だった。
 21時過ぎたころから、どうもおかしい。反応が鈍い。前回、23時半過ぎにサーバーが輻湊状態になって大はまししたことがあった。だが、まさかこの時間からそんなことになるはずか・・・。予想は最悪の形で当たってしまった。テレホタイムになる前の22時半にはサーバーエラー状態。プレイングは送信したけど、きちんと登録されたか確認することができない。23時過ぎにはアクセスを断念することに。おそらく全国で悲鳴を上げているPLが何人もいるだろう。T社の予想以上にオフィシャルサイトにアクセスが集中し、サーバーが落ちたのは昭かだった。メールでプレイングを送信する人や抗議する人がいるだろうから明日には何らかの救済策が出ているはず。締め切り日当日に送信するリスクを十分味わった。
 さて、そのプレイングの内容だが、どさいべ時の相談とネットの掲示板の書き込みで方針だけは前から決まっていた。S4ディブのおばあちゃんPCは今回は選択肢が少ないこともあって、割と気楽に出来た。問題は今回もM1のPCの方。リプレイを元ネタにして交流誌へ投稿する文章の方が先に完成。文章を書くために色々ネットで検索した。そして、これがプレイングの方針を決めた。
 前回の大立ち回りがあるので、今回は派手に動けない。下手に動くと仲間が迷惑する。そこで、雰囲気的に単独行動を臭わせる行動をとることにした。その次の行動のための下準備の意味合いの行動。今更、情報収集。いや、それの準備行動。今迄、何をしてきたのかと苦笑い。

 ↓の文章を改めて読んでみると、毒まみれの文章だなぁと思う。自分としては平然として対応していたつもりだったが、裏側では結構怒っていたのだと、それに引き摺られて書き上げてしまったのだということが判った。まだまだ『功夫が足りないわ』。


  口笛吹いて〜、空き地に行った〜、知らない子がやってきて〜♪

 「カウンセリング・幻想と現実 上巻 理論と社会 日本社会臨床学会編 現代書館」を読み始めている。
 これを読んで、カウンセリングに対しての知識だけは人一倍ある自分が何故実際にカウンセリングに掛かる気になれないのか、その技法と精神を日常に活かす気になれないのか判ってしまった。

 ところで、日本社会臨床学会。この名前、ちょっと考えると不思議な名前なことに気が付く。これだけでは何の学会なのか判らないからだ。何回か別の学会から分離してきた為に付けられた。意味を分かり易くするならば、「日本の、社会学の観点を持って、臨床心理学を学ぶ者の会」か。
 「『こころの専門家』とは何か?それは本当に必要なのか?」
 世の流れを見るに、「『こころ』が大切。大切に扱うためには専門家の視点が必要。」という論法から、カウンセラーの認定と配備が声だかに唱えられ、その呪文の効果は現われだしている。彼らはこれに疑問を呈する。
 『こころ』が大切という考えには心理還元主義がある。社会的な問題として捉えるものを、一個人の心理の問題に還元し矮小化させる。
 例えば、「登校拒否は登校拒否児の心理発達途中に起こる。」と定義してみる。すると、「そういう子供も適正に発達すれば問題は解決される」という論理が成り立つ。周囲はその子の適正な発達を支援しなければならないという方針が出てくる。この論法へのカウンターとして、「登校拒否の原因は個人に起因するものなのか?」というのが出てくる。更に「登校拒否は悪いことなのか?その理由は?」「登校拒否ではなく、学校制度拒否として捉えることは可能か?」など。
 「本当に必要なのか?」というのは、資格制度の問題に絡む。国によって権威付けられた資格者によって「こころ」を診断される。専門家の誕生は、それ以外の人々の立場を貶め、責任感を奪う。「政治は政治屋に任せておけばいい」というのと同じ様に。しかし、専門家が危ういのを我々は様々なニュースで知ってしまった。政治、経済、医療、外交、生産、流通、教育・・・。臨床心理士という資格が資格取得者の安定した職業と精神科医などから虐げられてきた地位の向上、そして権威を保証するためのものだとしたら、「誰のために必要なのか?」という問いの答えは・・・

 閑話休題。カウンセリングに対する違和感に話を戻す。カウンセリングという言葉を始めて知ったのは、中学生の時だったろうか?暗黒の思春期。大人に対する不信感と嫌悪感が渦巻く。信じたいけれども信じられない。そして、そういう「オトナ」に自分も変わってしまうことに対する不安。・・・など『14歳』を中心としたこの時期。
 「管理」が嫌だった。モノと扱われて管理されることが。「管理」を感じさせるものに対するセンサーの感度は高かった。そして、センサーは「カウンセリング」というものに対し、警鐘を鳴らした。胡散臭さを感じたのだ。何かに取り込まれるような。
 
 日本のカウンセリング、特に学校カウンセリングと呼ばれるものはロジャーズの来談者中心療法の思想をベースにして実施されている。これは「語る人物(問題生徒)の『成長』を信じ、その言葉を傾聴し、共感的にサポートし、自己治癒・自己成長・自己実現をはかる」というスタイル。言葉だけを見れば、素晴らしい。が、実際に出現するカウンセラーと生徒との関係は「対等に見える上下関係、相手を尊重する姿を持った、見えにくい権力関係」になっている。そして、それをカウンセラー自身が自覚していない。
 このカウンセリングが持つ「暴力性」は「自由に決めよ、但し周囲に望まれる形で」という暗黙のメッセージにある。そして、このメッセージを受け入れた人は「周囲に望まれる形で」という指示を内在化する。『自由』に振る舞う代償に。

 江戸幕府が檀家制度を作ることで庶民の精神をも管理してきた歴史との共通点。
 荒魂、和魂の思想。怒りを静めることが優先され、事の解決は放って置かれる。
 怒りを静めるとは、怒りのエネルギーの無力化。怒りを生きる力に直結するものと捉えると、怒りを否定する社会は、生きることを否定する社会とも言える。無力化された怒りを恨みという。現代日本は期せずして、平安時代と同じ精神構造の、見えない「怨恨社会」になっている。溢れ出た恨みを封印するシステム。
 
 
 「こおしてがっこうにもんだいじはひとりもいなくなりました。よかたです。」
 
  口笛吹いて〜、空き地に行った〜、知らない子はもう『居ない』〜♪

 ニフのRT仲間のピアニスト、イーグルさんのライブを観に行った。中目黒の「楽屋」というお店。
 ピアニストのイーグルさんは縁あって、ウイグルに旅をし、また現地で公演をするなどして、様々な実状をその目で見てきた。その時に知った現地の音楽もその1つ。今回のライブはウイグルの音楽をピアノでアレンジしたり、現地の楽器で奏でたりという趣向のもの。
 到着が遅れた。すでに演奏は始まっていて、1ステージ目はもう終わりかけだった。ヴァイオリンの環さんがイーグルさんがアレンジした曲を見事に演奏して見ごたえがあった。イーグルさんが叩いていたダップというタンブリンに似た打楽器は現地のものらしい。
 満員のお客はこの店の馴染み客や我々みたいなイーグルさんの友人一同だけでなく、ウイグル人の人達も。
 一部が終わった。知り合いが寄り集まる席に移動。改めて挨拶。ビールを飲みながら、手製のライブパンフを見た。薄いがものすごくしっかりしたパンフだった。ウイグルのこと、地理、文化、音楽、楽器、そして食べ物などを紹介している。音楽を聴くだけだと思っていたのでこれは意外だった。イーグルさんのこのライブに対する思い入れを感じた。
 賛助出演者名には先ほどの金関環さんだけでなく、ウメル・メメットさんという人の名がある。ラワープというウイグルの楽器の奏者。現在、芸大の院の音楽研究科の修士の人。二部では彼と共演するようだ。ウイグル人はトルコ系民族でその言語もトルコ語に似ている。「メルハバ」と似た言葉を耳にして納得。
 二部。青地に金で見事に刺繍された衣装を着たウメルさんがラワープを抱えて登場。ラワープは弦楽器で、三味線のような感じ。音も似ているが、奏法が違うので全く違う音楽が奏でられる。
 初めて見る楽器、初めて聞く音。演奏が始まると、推されてウイグルの女性がステージに出て踊り出した。彼女の手招きで、別のウイグルの男性客も出てきて自然に踊り出す。この辺が文化の違いだよなぁ。
 最後は現地の歌をピアノにアレンジしたものの独奏で終わった。それはイーグルさんが中国で公演を行った時に演奏できなかった現地の歌。地元で演奏できなかった曲を日本で演奏する。思いが、怒りがそこにあった。
 興味深く、気持ちよく、そして考えさせられる演奏を楽しませてもらった。大成功だったと思う。
 17時。品川駅の高輪口前のファーストフードのカウンターで日記を書いていた。あさみさんの知り合いの薫さんを待っていた。彼女達がまとめて取ったチケットが一枚余り、替わりに誰か行く人がいないかとあさみさんの掲示板で募集したところ、チケットを取ることを半ば諦め放棄していた私が引っかかった(汗)。
 無事に合流し、徒歩で天王洲アートスフィアまで。テレビ東京に天王洲スタジオというのがあるとは知らなかった。ちょっと迷いかけたが、無事に到着。
 無事に合流し、徒歩で天王洲アートスフィアまで。テレビ東京に天王洲スタジオというのがあるとは知らなかった。ちょっと迷いかけたが、無事に到着。ホールの開場にはまだ時間があった。全席指定なので並ぶ必要はないのだが、日本人の習性で自然に並びが出来ている。周囲を見渡すと、通りすがりのやすいさんやwindfallのライブ馴染みなど、知った顔の人が多数。我々も日本人の習性に従って並ぶことに。前の公演の感想をあさみさんの日記などから仕入れていたのだが、確かに見知った人は依然多いが、それ以外、ある意味今迄とは異なったファン層が出現しているのに気が付く。nack5でラジオのパーソナリティをしていることも大きいのだろうが、それ以上に彼女が関わっているコンテンツのファンが広く一般化しつつあることもあるのかもしれない。ゲームやアニメが更に一般的になるのと同期している気がする。

 開場。粛々と中に入る。最初、買うつもりはなかったのだが、楽譜がついていることを知ってパンフレットを購入。未購入の新CDも買ってしまった。
 18時ちょっと過ぎ、ライブが始まった。新居昭乃さんの登場。前の公演で映された映像の評判が良かったのでそれに対しても関心を持って臨んだ。
 歌も映像も期待通り。心地良いひとときを過ごした。やっぱり観に来て良かった。
 
 新居さんの歌はやさしい。でも、やさしすぎて危険だとも思う。彼女の歌を聴いて、そんな事を言う人はいないだろう。

 どさいべ後なので人が集まらないだろうと思ったら、予想通りに人が来ない「品川プライベ」。なじみの人はいるけれど、相談すべき同じディブの人がいない。用意したリプレイコピーを適当に配布して、辞した。
 大井町から渋谷経由で吉祥寺MANDA−LA2に。ソーイングマシーンが主催するライブイベント滑稽浪漫3「移り香 残り香」。タイトルが彼ららしいと思う。
 イベントのトリを飾る彼らの演奏は見事だった。「夏の嵐」「忘れじのロックンロール」など。前回、そして前にここで見たものよりもいい。他のバンドのお客も楽しんでいる。充実感があった。新曲も良いし、これからが益々楽しみだ。
 ライブ終了後、会場が打ち上げの1次会になった。MANDA−LA2でライブ後も呑むのは余りないのでちょっと落ち着かなかった。
 朝までの打ち上げに参加したかったが、下手に潰れると明日の予定に差し障る。終電で帰ることにした。ちょっともったいないことをしたかも・・・

 どさいべ@川崎に北海道からやってきた友人から貰った、さけとばを肴に晩酌。

 『癒されたい症候群 本宮輝薫 ミオシン出版』を読了。これを借りた理由は、意地悪なものだった。如何にもなタイトルにどことなくいかがわしさを感じ、正体を見極めてやろうと言う気持ちで借りた。読んでみた感想としては、意外にまともだった。10〜30代の女性を対象にしていて、決めつけや安易なところもあるが、想定していたよりはまともだ。総論は頷けるが、各論で「おや?」という感じ。1つ1つツッコミを入れながら読むといい気がする。問題を判りやすくするために誘導的な記述になっているのと、具体的な解決策を提示したいために原因を単純化しているのを把握した上で読むのがいいだろう。
 「表すこと」を怖れず、「聞くこと」を心がけることが大事。ただし、それは表面的なものではなく、自己を理解してもらうため、他者を理解するためのもの。簡単な様で、難度が高い。何故ならそれらはスキル、鍛えないと衰えてしまう技能だから。
 「寂しい」と心の中で呟く人はこのスキルが弱いか、スキルを使うことを諦めている人だと考える。それを『絶望』と呼ぶのかも知れない。
 ゼミの日。本日のテキストは、「小西家文書」。光琳の息子が養子に行った家に伝えられた資料。これらの文書には尾形光琳だけでなく、乾山による記述もある。取り上げたのはその中の「尾形光琳覚書帖」。内容に統一がなく、雑記というかメモ帳として書き記した感のある文書。古典の和歌が記されている裏に、漢方薬の調合法や顔料の調合法、刺身や赤飯の料理法、硯の蓋の寸法、十二支など・・・余りに取り留めがない。先生はこれの意味について思うところがあるようだが。
 光琳の覚書帖に乾山が色々書き記しているところに、兄弟の仲の良さを感じる。
 資料を見て、面白かったのは、、「おがた」という名字を書くに当たり、どんな漢字を当てたらよいか占っていたこと。「尾形」「小形」「緒方」などと書かれている。現在、通用している「尾形」という字は研究者が研究しやすいように固定したものだという。もっと名字の漢字に意味とか拘りがあるのかと思っていたのだが、音の方を重視している。ここから、音が同じものは繋がっている思想が読みとれないだろうか?占いでは吉を呼ぶ漢字を選ぶが、その背景には音を元にした呪の思想がある気がする。忌み言葉もここから来るのだろう。
 
 先生がお帰りになった後のおしゃべりの中、雪舟展の話題になった。19日までだが、見に行けるだろうか?話によると凄い混みようらしい。うーむ。

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