いぬもあるけば・・・「学芸員のための・・・」
2002年4月18日 今月のゼミも有用な話があった。今日は「学芸員のための文章読本」という印刷物が配られた。以前、図録を作る際に文章表現や英訳に気を遣ったという話を伺っていた。それをもう少し詳しく解説したのが、今回の話。学芸員の文章に対する気遣いに、考えれば当たり前だが、驚いた。
テキストは「1.なぜ悪文になるか」と悪文が生まれる条件を4つ挙げている。a:あいまい(ぼかし)表現から b:論旨が不明瞭なため c:読者対象の設定が不十分なため d:口語と文章後が混じるため の4つ。これらはよく指摘されることだが、それぞれが発生する理由がなるほどと思わせる。対して、「2.わかりやすい文章とは」として、6つのポイントが挙げられている。
私がニヤリとさせられたのは、「3.英訳の原則」の一番最初の項。「a:日本の美術を理解させたい(困難だが翻訳可能である)という前提に立つこと。」 これが原則の一番最初に位置することの意味。英訳という作戦の戦略を述べている。「・・・の原則」とかいうものだと大概、手順やこつなどが羅列しただけのものが多いことを考えると、面白い。
英訳の戦術には「翻訳用の日本文の作成」が挙げられている。具体的には日本語の「推定」の表現の整理であり、それは根拠の明確化に繋がる。英語の「論理」における推定には幾つか段階がある。だが、それが辞書にきちんと記載されているとは限らない。「to assume」、「to conjecture」、「to deduce」、「to infer」、「to presume」、「to speculate」、「to suppose」、「to be thought」、「to be condidered」・・・
日本語のあいまいな文章の例:「この消息の書写年時はわからないが、若年・壮年のころではない。また晩年でもないと考えられる」
では、いつなのだろうか?この文章を元に、単純な消去法が示す答えは幼年のころとなる。実際にはこの文章は藤原定家消息を解説した文章。
ここ最近、口語までも汚染している「的」という言葉が日本語で使われるようになった由来も多分にト学会の研究対象になる話だ。高田宏:著『本のある生活』によると・・・まさか駄洒落だったとは。英文を和訳する際に、苦し紛れに使ったごまかしの用法だったという。[system]を組織と訳せたが、[systematic]が上手く訳せない。[tic]の音は「的」の音に似ている。ならば、組織的と訳したらどうか・・・。
「俺的には〜」「あたし的には〜」という口語に訳の判らない客観性の雰囲気を漂わせた権威振りを感じる理由もここにあるのかもしれない。自分を形容詞にするというのは、分かり易い「ジコチュウ」ではないだろうか?
この項目の最後は、よい文章が書けるようになるための訓練法についてだった。それは、ちょっと意外な方法だった。気付いている人は受験や就職活動の小作文を書く訓練として実践しているだろう。それは・・・
これだけでは焼き物のゼミとしてはあんまりなので、スライドの上映があった。伝えられる人格から作品を判断してはいけないというお話。具体的には贋作の話。「佐野乾山」という贋作騒動があった。佐野乾山の品のスライドを観た。これだけ派手な贋作騒動の後には乾山の贋作はもう出ないと思ったら、現在も作成する試みは続いているらしい。「・・・、源氏物語などを題材に・・・」とトラップを仕掛けた文章が発表された数年後、源氏物語を題材とした品が『発見』された。だが、それまで1つも源氏物語を題材にした品などなかったという。このタイミングは一体・・・。贋作を作ろうとする輩は絶えてはいない。そして、それが流通する市場も・・・
テキストは「1.なぜ悪文になるか」と悪文が生まれる条件を4つ挙げている。a:あいまい(ぼかし)表現から b:論旨が不明瞭なため c:読者対象の設定が不十分なため d:口語と文章後が混じるため の4つ。これらはよく指摘されることだが、それぞれが発生する理由がなるほどと思わせる。対して、「2.わかりやすい文章とは」として、6つのポイントが挙げられている。
私がニヤリとさせられたのは、「3.英訳の原則」の一番最初の項。「a:日本の美術を理解させたい(困難だが翻訳可能である)という前提に立つこと。」 これが原則の一番最初に位置することの意味。英訳という作戦の戦略を述べている。「・・・の原則」とかいうものだと大概、手順やこつなどが羅列しただけのものが多いことを考えると、面白い。
英訳の戦術には「翻訳用の日本文の作成」が挙げられている。具体的には日本語の「推定」の表現の整理であり、それは根拠の明確化に繋がる。英語の「論理」における推定には幾つか段階がある。だが、それが辞書にきちんと記載されているとは限らない。「to assume」、「to conjecture」、「to deduce」、「to infer」、「to presume」、「to speculate」、「to suppose」、「to be thought」、「to be condidered」・・・
日本語のあいまいな文章の例:「この消息の書写年時はわからないが、若年・壮年のころではない。また晩年でもないと考えられる」
では、いつなのだろうか?この文章を元に、単純な消去法が示す答えは幼年のころとなる。実際にはこの文章は藤原定家消息を解説した文章。
ここ最近、口語までも汚染している「的」という言葉が日本語で使われるようになった由来も多分にト学会の研究対象になる話だ。高田宏:著『本のある生活』によると・・・まさか駄洒落だったとは。英文を和訳する際に、苦し紛れに使ったごまかしの用法だったという。[system]を組織と訳せたが、[systematic]が上手く訳せない。[tic]の音は「的」の音に似ている。ならば、組織的と訳したらどうか・・・。
「俺的には〜」「あたし的には〜」という口語に訳の判らない客観性の雰囲気を漂わせた権威振りを感じる理由もここにあるのかもしれない。自分を形容詞にするというのは、分かり易い「ジコチュウ」ではないだろうか?
この項目の最後は、よい文章が書けるようになるための訓練法についてだった。それは、ちょっと意外な方法だった。気付いている人は受験や就職活動の小作文を書く訓練として実践しているだろう。それは・・・
これだけでは焼き物のゼミとしてはあんまりなので、スライドの上映があった。伝えられる人格から作品を判断してはいけないというお話。具体的には贋作の話。「佐野乾山」という贋作騒動があった。佐野乾山の品のスライドを観た。これだけ派手な贋作騒動の後には乾山の贋作はもう出ないと思ったら、現在も作成する試みは続いているらしい。「・・・、源氏物語などを題材に・・・」とトラップを仕掛けた文章が発表された数年後、源氏物語を題材とした品が『発見』された。だが、それまで1つも源氏物語を題材にした品などなかったという。このタイミングは一体・・・。贋作を作ろうとする輩は絶えてはいない。そして、それが流通する市場も・・・
いぬもあるけば・・・「メディアの重み」
2002年4月17日 新人歓迎会。通常、滅多に職場の人と呑みに行かないので、こういう場は職場内の人と他愛無い話をする貴重な機会となっている。なので2次会も参加。蒲田西口のすきずきという居酒屋に。地酒の種類が豊富なので、変わった日本酒を呑みたいときににはよい店。
後輩に誘われて、コンビニに寄った時にちょっと目を通したAERAに載っていた話に考えさせられた。テレビ朝日のある番組で「本当は人類は月に行っていない」という話に想像以上に反響があったという。3つほど疑わしいと思える映像を出して、それを元にアメリカの陰謀によるでっち上げという結論に到達する。ネタとしては随分前から使われてるものだし、それを元にした映画まで作られていたと記憶している。とはいえ、それは受け手もネタとして了承しているものだったはずだ。問題は、現在このネタに「納得してしまう」人が多いという話だ。実際は、AERAという雑誌の、ときに統計学を無視した針小棒大性を考えると大した人数ではないのかも知れないが、インタビューを読むとマジで信じている人はいるようだ。
この話には背後にとてつもなく大きな問題があると感じるが、それについて考えるのは別の機会にしよう。
私が気にしたのはこのネタを提供した娯楽TV番組の関係者のコメントだ。「娯楽番組とて提供したので、信じる信じないとかは知ったことではない。ちなみに私は信じてないが。」という内容。
別にいいけどね。ただ、同じメディアが「メディア規制3法案」は危険だと同じ口では言ってくれるなと言いたい。この法案が提出された背景と構造は全く同じだ。彼らの「法で規制しなくとも自助努力で良質な報道を行える」という言葉の重みが一気に軽くなった。
後輩に誘われて、コンビニに寄った時にちょっと目を通したAERAに載っていた話に考えさせられた。テレビ朝日のある番組で「本当は人類は月に行っていない」という話に想像以上に反響があったという。3つほど疑わしいと思える映像を出して、それを元にアメリカの陰謀によるでっち上げという結論に到達する。ネタとしては随分前から使われてるものだし、それを元にした映画まで作られていたと記憶している。とはいえ、それは受け手もネタとして了承しているものだったはずだ。問題は、現在このネタに「納得してしまう」人が多いという話だ。実際は、AERAという雑誌の、ときに統計学を無視した針小棒大性を考えると大した人数ではないのかも知れないが、インタビューを読むとマジで信じている人はいるようだ。
この話には背後にとてつもなく大きな問題があると感じるが、それについて考えるのは別の機会にしよう。
私が気にしたのはこのネタを提供した娯楽TV番組の関係者のコメントだ。「娯楽番組とて提供したので、信じる信じないとかは知ったことではない。ちなみに私は信じてないが。」という内容。
別にいいけどね。ただ、同じメディアが「メディア規制3法案」は危険だと同じ口では言ってくれるなと言いたい。この法案が提出された背景と構造は全く同じだ。彼らの「法で規制しなくとも自助努力で良質な報道を行える」という言葉の重みが一気に軽くなった。
いぬもあるけば・・・「人の形をしたもの」
2002年4月16日 また夢を見た。
第3夢 ハードウェアとソフトウェア
人間を「ハードウェアとソフトウェアの綜合」と捉えたとき、ソフトウェアは何だろう。
仕草。対人関係の作り方、対応。生き方。・・・
そんな事を考えていたら、あるドラマが見えた。遠い未来。昔の人が出来た事が出来なくなっている。それは知識を元にするものではなく、態度として表出されるもの。ドラマでは過去からタイムトリップしてきた平凡な男が見事に危機を回避する。彼にとっては当たり前のことをしただけで。
このドラマは藤子・F・不二雄の「みきおとミキオ」と同じ構造と展開になっている。漫画では失われたのは計算力だったが、夢では仕草や態度などだった。共に未来の設定になっているが、この話は本当に未来の話なのだろうか?現実では起こり得ない話なのだろうか?
夜、ちびっツのアニメを見ながら考えた。
このアニメでは「パソコン」が人型という設定で話が進んでいる。パソコンというとコンピュータのイメージが強くなるが、実際のそれはアンドロイド、つまりロボットだ。
さて、現在のロボット技術の発達は目覚ましく、人型ロボット(アンドロイド)が実用レベルまで到達するのもそう遠い未来ではないだろうと期待させられる。
日本において、ロボットの開発は今後ますます加速されると考えている。その理由は新たな産業を形作るという産業、経済を土台にした話だけではない。高齢化・少子化などの社会現象も足りない労働力を補うものとして必要とするだろう。現に、介護ロボットの研究が進んでいる。
そういう公共の場で活躍する以外の、つまり個人向けアンドロイドの将来像を考えてみる。VHSビデオやネットの普及を考えると・・・あのちびっツの「パソコン」のようなアンドロイドが実際に消費者がお金を出すものの先駆けになる可能性が高い。
愛玩アンドロイドや被介護アンドロイド。既にアイボなどが提案しているペットロボットの発展型。
日本人はそういうものに対して、心理的な敷居は低い気がする。アトムやドラえもんなどのアニメやコミックに幼児から接していれば、ロボットに人間を投影することができる。1つの石や一本の木に神を見る日本の精神風土なら、ロボットにココロを見ることも可能だろうし、見てしまうだろう。それはロボットがあくまでもモノだから。異質なモノも取り込んで、自己の構成物にしてしまう志向ゆえに・・・
第3夢 ハードウェアとソフトウェア
人間を「ハードウェアとソフトウェアの綜合」と捉えたとき、ソフトウェアは何だろう。
仕草。対人関係の作り方、対応。生き方。・・・
そんな事を考えていたら、あるドラマが見えた。遠い未来。昔の人が出来た事が出来なくなっている。それは知識を元にするものではなく、態度として表出されるもの。ドラマでは過去からタイムトリップしてきた平凡な男が見事に危機を回避する。彼にとっては当たり前のことをしただけで。
このドラマは藤子・F・不二雄の「みきおとミキオ」と同じ構造と展開になっている。漫画では失われたのは計算力だったが、夢では仕草や態度などだった。共に未来の設定になっているが、この話は本当に未来の話なのだろうか?現実では起こり得ない話なのだろうか?
夜、ちびっツのアニメを見ながら考えた。
このアニメでは「パソコン」が人型という設定で話が進んでいる。パソコンというとコンピュータのイメージが強くなるが、実際のそれはアンドロイド、つまりロボットだ。
さて、現在のロボット技術の発達は目覚ましく、人型ロボット(アンドロイド)が実用レベルまで到達するのもそう遠い未来ではないだろうと期待させられる。
日本において、ロボットの開発は今後ますます加速されると考えている。その理由は新たな産業を形作るという産業、経済を土台にした話だけではない。高齢化・少子化などの社会現象も足りない労働力を補うものとして必要とするだろう。現に、介護ロボットの研究が進んでいる。
そういう公共の場で活躍する以外の、つまり個人向けアンドロイドの将来像を考えてみる。VHSビデオやネットの普及を考えると・・・あのちびっツの「パソコン」のようなアンドロイドが実際に消費者がお金を出すものの先駆けになる可能性が高い。
愛玩アンドロイドや被介護アンドロイド。既にアイボなどが提案しているペットロボットの発展型。
日本人はそういうものに対して、心理的な敷居は低い気がする。アトムやドラえもんなどのアニメやコミックに幼児から接していれば、ロボットに人間を投影することができる。1つの石や一本の木に神を見る日本の精神風土なら、ロボットにココロを見ることも可能だろうし、見てしまうだろう。それはロボットがあくまでもモノだから。異質なモノも取り込んで、自己の構成物にしてしまう志向ゆえに・・・
いぬもあるけば・・・「まるでドラマのような」
2002年4月15日 一昨日届いた一通のメール。私が精神的に少々不安定な様子を察知しての励ましだった。
ありがとう。とても嬉しい。
WT1のクラブ発表会申請の締め切りだったので、企画の概要と参加メンバー表を送信した。メンバーの調整がまだ出来ていないため、推測を含んだものになっている。トラブルが生じなければいいのだが・・・。
ようやく送信し終えてからチャットに参加していると久々な人が入ってきた。風邪をこじらせたこともあったようだが、それ以外にトラブルが色々あったらしい。中でも大変なのが交通事故にあった友人の話。
通勤途中でダンプに轢かれたのだという。ダンプに轢かれた・・・ならば、亡くなったのかと思ったが幸い一命を取り留めたという。ただ問題があった。
ベッドの上で意識を取り戻し、喜んだ母親が話しかけたのに対して一言。
「あなた、誰?」
頭を打ったショックで記憶喪失になってしまったらしい。流石に母親の事は思い出したのだろうが、結局小学生までの記憶しかないのだという。
小説やドラマではよくあることだが、現実にはそうない事だと思っていたので驚いた。聞いたことのある記憶障害は長期記憶を作ることができないので前の日の事を覚えていない人の話。
本人も辛いだろうが、周囲の人はもっと大変だろう。早く回復されますように。
ありがとう。とても嬉しい。
WT1のクラブ発表会申請の締め切りだったので、企画の概要と参加メンバー表を送信した。メンバーの調整がまだ出来ていないため、推測を含んだものになっている。トラブルが生じなければいいのだが・・・。
ようやく送信し終えてからチャットに参加していると久々な人が入ってきた。風邪をこじらせたこともあったようだが、それ以外にトラブルが色々あったらしい。中でも大変なのが交通事故にあった友人の話。
通勤途中でダンプに轢かれたのだという。ダンプに轢かれた・・・ならば、亡くなったのかと思ったが幸い一命を取り留めたという。ただ問題があった。
ベッドの上で意識を取り戻し、喜んだ母親が話しかけたのに対して一言。
「あなた、誰?」
頭を打ったショックで記憶喪失になってしまったらしい。流石に母親の事は思い出したのだろうが、結局小学生までの記憶しかないのだという。
小説やドラマではよくあることだが、現実にはそうない事だと思っていたので驚いた。聞いたことのある記憶障害は長期記憶を作ることができないので前の日の事を覚えていない人の話。
本人も辛いだろうが、周囲の人はもっと大変だろう。早く回復されますように。
いぬもあるけば・・・「CROW」
2002年4月14日出掛ける直前に電話があった。保険会社から。担当が変わるとか何かかと思ったら・・・苦笑。全くジャンルが違うのですが〜。
電車で一駅。クラブチッタ川崎。近づくと入場の列が出来ていた。呼び出している入場番号は丁度私の整理番号直前。いいタイミングだ。観客層が、私が思っていたのと違っていた。いや、私が違っていたのだった。ロビーで会場限定発売のCDを購入後、会場に入る。オフィシャルサイトのBBSでダリエさんが、このイベントではサラウンドシステムにも力を入れているので良い位置で聞いて欲しいという話があったため、後ろよりであるがほぼ中央の位置に立った。観客の殆どが女性客だった。それが何を意味するかというと・・・女性の頭の高さで構成される水平面から完全に頭一つ突き出た状態。大海原の中の孤島のような・・・。お陰でステージはよく見えた。
「CROW」というのはドラマーの上領亘さんがプロデュースしているユニット。『Surround Space Perception Vol.2』は「TWIN DRUMS&VOCAL SESSION」というサブタイトル通り、ヴォーカルにダリエさんと遠藤遼一(ENDS)、ツインドラムは上領さんとyukihiro(L_Arc_En_Ciel)。これにCROWメンバーの音効+キーボード担当とVJ担当が加わって、ハイレベルなステージが展開された。
同じ会場で行った、UFOナイトでも味わったが、ツインドラムは心地良い。音楽と映像の融合、それはサラウンドシステムも含めて、高いところに到達していた。
ダリエさんの登場。その姿は月の女神か。発せられるのは疑似言語だったり、エフェクターをばしばし掛けていたりで歌声というより別の楽器といった感じだった。ダリエさんを知っていてもこれだけ驚かされるのだから、初めて観た人には強烈な印象を与えたろう。
遠藤遼一さんのステージは前のダリエさんのとの対比もあって、強烈に男性を感じさせるものになっていた。男の私がカッコイイと思うほど。また周囲の女性の多くがドラマーの言動に敏感に反応していた。何故にそんなにと思ったら、どうやらyukihiroさんのファンだったようだ。女性客が多い理由がようやく見えてきた。
あっという間のステージだった。スタンディングなのに、こうも時間が短く感じられるとは。アンコールでダリエさん再登場。先程と衣装を変えて。現界に戻ってきた感じ。
上領さんのしっかりとしたMCに好感を持った。メンバーが去る時、上領さんとyukihiroさんが肩を組んだ瞬間に黄色い声がこだましたのだが、それってやっぱり・・・(苦笑)。
次回も今回のメンバーと同じか、似た面子で行うらしい。先行予約、しようかしらん。
いぬもあるけば・・・「出ずっ張り」
2002年4月13日 休日にしては珍しく昼前に家を出た。蒲田駅でお土産と「都区内パス」という名前に変わったJRのフリーキップを買い、有楽町に。京橋口を出、ニューキャッスルというお店で辛いライスの「蒲田」を注文。予想していたよりも辛かった。
道すがら、ギャラリー朋という画廊で行われている「新世紀の人物日本画へ」という展示を見た。芸大を出たばかりの若手3名による展示。確かにまだ「若い」絵だ。これからどう熟成されるのか。
奥野ビルに着いた。この老ビルには各階にギャラリーがある。5階にまっすぐ行こうと思ったが、4階の「Ecru+HM」というギャラリーの真木弘姫さんの陶器展を覗いてしまった。手捻りの造形に惹かれて。心が本来の目的である、綺朔ちいこさんの個展を鑑賞するモードになっていたのだろう。注器に「女性」を感じた。男性作家の作品だと思ったら、作家は女性だという。ひろきと読むので男性だと思っていた。6K円は予定外だが、一番最初に惹かれた注器を購入。
先日は駆け足だったので改めてちいこさんの個展を鑑賞。この前と違うのは天気。晴れているので窓を開放している。そのために部屋に吊るされた無数の赤いリボンがコンセプトそのままに「吹き流し」状態で風に吹かれている。いや、リボンによって風が視覚化されている。風洞実験のアレみたいなものだ。前はドギツイと思っていたが、今日はいいのではないかと思った。自分の部屋もこういうインタレーションを施したら面白いのではとまで思った。このインタレーションを担当した、拘束さんに「こういうインタレーションを施したカフェがあると面白いですね。」と声を掛けると近々そういうものを開く試みがあるという。行ってみたいなぁ。ちいこさんの許可を得て、作品をデジカメで撮影した。自分のHPがあれば、そこで紹介できるのだが・・・。
今日は最終日ということもあって私以外にも次々鑑賞客が訪れていた。ビリケンの可愛さを身に付けている男性や谷中散策をして喫茶店「乱歩゜」でマスターに紹介されたといって訪れた石狩市の女性。和服を纏った美女が現われた。ちいこさんが小さい悲鳴を上げる。どうやら前にモデルになって欲しいと強引にナンパした人だという。仕種1つ1つが絵になる不思議な妖艶さがある。こんな人が実在するのかと驚いた。ギャラリーのオーナーが記念写真をとカメラを向けたところ、お願いされたわけでもなく自らきちんとポーズをして視線を向けている。撮られ慣れている。この人は一体・・・。ちいこさんとの会話に耳をそばだててようやく見えてきた。「SMスナイパーの編集長と一緒に・・・」どうやらSM系のイベントに出演したりしている人らしい。
谷中のギャラリー猫町。松風さんの個展を観に再訪。2階に上がって、障子に貼られたキリエを撮影。なんと、肉球展で飾られていた肉球ソファーが置いてある。やっぱり絶妙な座り心地だにゃぁ。
1階に降りて、松風さん達とおしゃべりしていると2名の猫アーティストが訪問。おしゃべりの輪に。一人は前橋の人。典型的な上州の女性だなぁと思う。この会話のテンションの高さは一種方言のようなものだったのかと思った。
おしゃべりの中で、ギャラリー猫町がTV番組の取材を受けたという話を聞いた。旅番組で谷中散策の一部として取材されたらしい。レポーターは今をときめく氷川きよし。放映予定は4/30 19:00。TV朝日系の「旅の香り」という番組らしい。ほんの少ししかでないだろうが、チェックしよう。
二人が去った後に実演の一部を見せてもらった。慣れればなんでもないのだろうが、きちんと切り絵になる原画を起こして、それを切ることでできるのをみると不思議な気分になる。印画紙の現像に立ち会ったような。
チケットを忘れたことに気付き、一旦自室に戻ってから、渋谷7th floorに。種ともこさんのライブ。着いたら丁度最初の歌を歌っていた。MCで風邪が治らなくて絶不調だと言っていた。最初は声に危うさがあったが次第に調子を上げていた気がする。私的には大満足。なぜなら、「花」と「HOME SWEET HOME」と新曲が聞けたから。ここ最近の種さんの一番の名曲だと思っている「花」は最近のライブでは割と定番らしいので歌うのは予想していた。だが、まさか「HOME SWEET HOME」が聞けるとは。この歌を初めて聞いたとき、「種さん、こんな歌を歌うようになったのか…」と驚いた。恋だ、愛だとかと違う、哀しい歌。MCで歌がTVで観た話を元に作られたと聞き、そういう方面にもアンテナを向けた日々を過ごしているのだなと改めて認識した。
ライブ終了後、種ともこMLのメンバーと木曽路という居酒屋で呑んだ。一番安い飲み放題コース。どこかで見たことがある、ちょっと癖のあるアルバイト。しばらくして踊り込んできた結婚式三次会という感じの集団。
4月の渋谷の夜は学生の新歓コンパでいつもより余計に人が多い。
道すがら、ギャラリー朋という画廊で行われている「新世紀の人物日本画へ」という展示を見た。芸大を出たばかりの若手3名による展示。確かにまだ「若い」絵だ。これからどう熟成されるのか。
奥野ビルに着いた。この老ビルには各階にギャラリーがある。5階にまっすぐ行こうと思ったが、4階の「Ecru+HM」というギャラリーの真木弘姫さんの陶器展を覗いてしまった。手捻りの造形に惹かれて。心が本来の目的である、綺朔ちいこさんの個展を鑑賞するモードになっていたのだろう。注器に「女性」を感じた。男性作家の作品だと思ったら、作家は女性だという。ひろきと読むので男性だと思っていた。6K円は予定外だが、一番最初に惹かれた注器を購入。
先日は駆け足だったので改めてちいこさんの個展を鑑賞。この前と違うのは天気。晴れているので窓を開放している。そのために部屋に吊るされた無数の赤いリボンがコンセプトそのままに「吹き流し」状態で風に吹かれている。いや、リボンによって風が視覚化されている。風洞実験のアレみたいなものだ。前はドギツイと思っていたが、今日はいいのではないかと思った。自分の部屋もこういうインタレーションを施したら面白いのではとまで思った。このインタレーションを担当した、拘束さんに「こういうインタレーションを施したカフェがあると面白いですね。」と声を掛けると近々そういうものを開く試みがあるという。行ってみたいなぁ。ちいこさんの許可を得て、作品をデジカメで撮影した。自分のHPがあれば、そこで紹介できるのだが・・・。
今日は最終日ということもあって私以外にも次々鑑賞客が訪れていた。ビリケンの可愛さを身に付けている男性や谷中散策をして喫茶店「乱歩゜」でマスターに紹介されたといって訪れた石狩市の女性。和服を纏った美女が現われた。ちいこさんが小さい悲鳴を上げる。どうやら前にモデルになって欲しいと強引にナンパした人だという。仕種1つ1つが絵になる不思議な妖艶さがある。こんな人が実在するのかと驚いた。ギャラリーのオーナーが記念写真をとカメラを向けたところ、お願いされたわけでもなく自らきちんとポーズをして視線を向けている。撮られ慣れている。この人は一体・・・。ちいこさんとの会話に耳をそばだててようやく見えてきた。「SMスナイパーの編集長と一緒に・・・」どうやらSM系のイベントに出演したりしている人らしい。
谷中のギャラリー猫町。松風さんの個展を観に再訪。2階に上がって、障子に貼られたキリエを撮影。なんと、肉球展で飾られていた肉球ソファーが置いてある。やっぱり絶妙な座り心地だにゃぁ。
1階に降りて、松風さん達とおしゃべりしていると2名の猫アーティストが訪問。おしゃべりの輪に。一人は前橋の人。典型的な上州の女性だなぁと思う。この会話のテンションの高さは一種方言のようなものだったのかと思った。
おしゃべりの中で、ギャラリー猫町がTV番組の取材を受けたという話を聞いた。旅番組で谷中散策の一部として取材されたらしい。レポーターは今をときめく氷川きよし。放映予定は4/30 19:00。TV朝日系の「旅の香り」という番組らしい。ほんの少ししかでないだろうが、チェックしよう。
二人が去った後に実演の一部を見せてもらった。慣れればなんでもないのだろうが、きちんと切り絵になる原画を起こして、それを切ることでできるのをみると不思議な気分になる。印画紙の現像に立ち会ったような。
チケットを忘れたことに気付き、一旦自室に戻ってから、渋谷7th floorに。種ともこさんのライブ。着いたら丁度最初の歌を歌っていた。MCで風邪が治らなくて絶不調だと言っていた。最初は声に危うさがあったが次第に調子を上げていた気がする。私的には大満足。なぜなら、「花」と「HOME SWEET HOME」と新曲が聞けたから。ここ最近の種さんの一番の名曲だと思っている「花」は最近のライブでは割と定番らしいので歌うのは予想していた。だが、まさか「HOME SWEET HOME」が聞けるとは。この歌を初めて聞いたとき、「種さん、こんな歌を歌うようになったのか…」と驚いた。恋だ、愛だとかと違う、哀しい歌。MCで歌がTVで観た話を元に作られたと聞き、そういう方面にもアンテナを向けた日々を過ごしているのだなと改めて認識した。
ライブ終了後、種ともこMLのメンバーと木曽路という居酒屋で呑んだ。一番安い飲み放題コース。どこかで見たことがある、ちょっと癖のあるアルバイト。しばらくして踊り込んできた結婚式三次会という感じの集団。
4月の渋谷の夜は学生の新歓コンパでいつもより余計に人が多い。
いぬもあるけば・・・「タケノコづくし」
2002年4月12日 会社を出る直前に大井さんから電話があった。何事かと出ると、先ほどまで蒲田にいたとのこと。何故? 見たいライブかイベントでもあったのだろうか? 話を聞くと、それもあったが主の目的は打ち合わせらしい。夕方の電話で連絡が付けば食事にでも誘うつもりだったという。残念だが、次の機会だなぁ。
久々にたまははきに。昼間、たまハイクのお知らせメールが来たので、それより前に寄りたいと思ったから。
カウンターに座ると珍しく、「○○、ご飯でも食え」と言ってくれる。はて? タケノコの炊き込みご飯があるのだという。旬ものだ。そういえば、突き出しはタケノコの薄皮の煮付け。薄味で美味しい。もちろん、炊き込みご飯をお願いした。壁に張られている時期もののメニューを見ると、「若竹煮」がある。これを頼んだら、タケノコづくしだ〜! ということで注文。純米酒をちびちびやりながら頂く。
カウンターには馴染み客が。酒を片手に本を読んでいる人もいる。豆腐の好みの話。健脚な老人の話。厚木から桜木町まで歩いてのみに来るというのは凄いねぇ。
終電が近づいたので撤収。2時間弱、店に居て2K円。帰りがけに、酒粕を一袋もらった。鶴の友の酒粕だ。近いうちに粕汁でも作ろう。
久々にたまははきに。昼間、たまハイクのお知らせメールが来たので、それより前に寄りたいと思ったから。
カウンターに座ると珍しく、「○○、ご飯でも食え」と言ってくれる。はて? タケノコの炊き込みご飯があるのだという。旬ものだ。そういえば、突き出しはタケノコの薄皮の煮付け。薄味で美味しい。もちろん、炊き込みご飯をお願いした。壁に張られている時期もののメニューを見ると、「若竹煮」がある。これを頼んだら、タケノコづくしだ〜! ということで注文。純米酒をちびちびやりながら頂く。
カウンターには馴染み客が。酒を片手に本を読んでいる人もいる。豆腐の好みの話。健脚な老人の話。厚木から桜木町まで歩いてのみに来るというのは凄いねぇ。
終電が近づいたので撤収。2時間弱、店に居て2K円。帰りがけに、酒粕を一袋もらった。鶴の友の酒粕だ。近いうちに粕汁でも作ろう。
いぬもあるけば・・・「断念」
2002年4月11日 通勤30分の間にMDを聞いている。昔ダビングしたMDを聞いてみたら、坂本真綾の「DIVE」だった。
メロディラインが好きで聴いていた。そのため、逆に歌詞を聞き流していた。今回、久々に聞き、歌詞を把握して衝撃を受けた。
うーむ。只の恋愛の歌だと思っていたら・・・色々な場面が想定できる歌。少し寂しいけれど、どこか暖かくなる諦念が前向きなのは、視線が未来にあるからだろう。頑張った過去を受け入れ、心は未来に。
午後になって急に体調が悪くなった。油断して体を冷やしたのが悪かったようだ。
今日はwindfallのライブがある。行きたかったが、かなりヤバイので断念した。真っ直ぐ自室に向かう帰路が恨めしい。
もしかしたらと思ったら予想通り、自室に帰ってからは特に問題は起こらなかった。なんだかなぁ・・・。
睡眠時間が不規則で、かつ不足しているために体力が落ちているのだろう。今日ぐらいは・・・早く寝るとしますか。
メロディラインが好きで聴いていた。そのため、逆に歌詞を聞き流していた。今回、久々に聞き、歌詞を把握して衝撃を受けた。
うーむ。只の恋愛の歌だと思っていたら・・・色々な場面が想定できる歌。少し寂しいけれど、どこか暖かくなる諦念が前向きなのは、視線が未来にあるからだろう。頑張った過去を受け入れ、心は未来に。
午後になって急に体調が悪くなった。油断して体を冷やしたのが悪かったようだ。
今日はwindfallのライブがある。行きたかったが、かなりヤバイので断念した。真っ直ぐ自室に向かう帰路が恨めしい。
もしかしたらと思ったら予想通り、自室に帰ってからは特に問題は起こらなかった。なんだかなぁ・・・。
睡眠時間が不規則で、かつ不足しているために体力が落ちているのだろう。今日ぐらいは・・・早く寝るとしますか。
いぬもあるけば・・・「検討」
2002年4月10日 MT13のプレイング締め切り日。郵便媒体ではなく、ネットで登録することができるので丸1日分余裕が生まれた。が、余裕が生まれればそれに合せて検討や調整の時間がずれ込むだけ。結局、最終的なまとめは以前と同じ調子になっている。反省。
文章化してはいないが、漠然とだがずっと水面下で考えていたために1PCのプレイング文章は割と楽に出来た。問題はもう1PC。今回、他のPLさんとプライベやチャットなどで直接やりとりしなかった。そのため、掲示板に掲示されている作戦案が今一つピンと来なかった。団体として動くならば、作戦案を踏まえて適材適所の行動を検討するのが筋なのだが、PCが最も活かせる場所と行動が見えなかった。なまじコンバートPCだからというのもあるかもしれない。提示されている選択肢に対して、動機づけることが難しい。
締め切りの時間が迫ってきている。このままではテキトーなプレイングを提出することになる。そこで動機についてもう一度頭から考え直した。彼は何故ここにいるのか?この状況下で何を思うのか?そしてどんな衝動に駆られるのか?それらを考えているうちに、提示されている選択肢に対して不満があることが判った。欠けているものがあると感じた。
そのような思考の流れに身を任せた結果、かなりリスクのある行動を取らざるを得なくなった。PCをかなりの危険に曝すことになる。けれども、それをしないことが今後、更に重大な危機を招くことが考えられた。
「『狼は生きろ、豚は死ね』か・・・」
そのうち何とかなると問題に直視しないで嵌まるよりは今から足掻いておいた方がいい。一気にプレイングを書き上げ、登録した。
文章化してはいないが、漠然とだがずっと水面下で考えていたために1PCのプレイング文章は割と楽に出来た。問題はもう1PC。今回、他のPLさんとプライベやチャットなどで直接やりとりしなかった。そのため、掲示板に掲示されている作戦案が今一つピンと来なかった。団体として動くならば、作戦案を踏まえて適材適所の行動を検討するのが筋なのだが、PCが最も活かせる場所と行動が見えなかった。なまじコンバートPCだからというのもあるかもしれない。提示されている選択肢に対して、動機づけることが難しい。
締め切りの時間が迫ってきている。このままではテキトーなプレイングを提出することになる。そこで動機についてもう一度頭から考え直した。彼は何故ここにいるのか?この状況下で何を思うのか?そしてどんな衝動に駆られるのか?それらを考えているうちに、提示されている選択肢に対して不満があることが判った。欠けているものがあると感じた。
そのような思考の流れに身を任せた結果、かなりリスクのある行動を取らざるを得なくなった。PCをかなりの危険に曝すことになる。けれども、それをしないことが今後、更に重大な危機を招くことが考えられた。
「『狼は生きろ、豚は死ね』か・・・」
そのうち何とかなると問題に直視しないで嵌まるよりは今から足掻いておいた方がいい。一気にプレイングを書き上げ、登録した。
いぬもあるけば・・・「鑑賞」
2002年4月9日夢を見た。浅い眠りの中で・・・
第一夢
私は夢の中で色々考えていた。
「今は『回帰の時代』なのかもしれない・・・。」
回帰と言っても、全く同じ場所に戻るわけではない。
螺旋のイメージ。夢枕獏の『上弦の月を食べる獅子』が思い起こされた。
第二夢
高級割烹がデパチカでお弁当を売り出した。
普通のお客さんにも気軽に日本料理の素晴らしさを判ってもらいたいという主人の思いから発した、高級店が持つ『こだわりを捨てた』上での提供だった。可能な限り安い食材を使った、質素だが良質なお弁当。だが、主人の思いは届かなかった。
商品は飛ぶように売れた。マスコミや口コミが作り出した高級割烹が売り出した限定の『こだわりのお弁当』として。受け手はお弁当を買ったのではなかった。自らが望む商品イメージを買ったのだった。
送り手と受け手の間の大きな断絶。
---
自動測定の動作時間を利用して、綺朔ちいこさんの個展を見に行った。銀座一丁目 奥山ビル5Fのギャラリーフォレスト。
中に入って驚いた。赤いリボンが30cmくらいの間隔で上から貼り下げられていた。今回の趣向の「吹き流し」をイメージしたものらしい。ギョッとしたけれど、面白い。歩くと絡まるのがなんとも・・・
展示されている作品はかなりアクが強いので好みが別れる。絵は以前のものよりも私には好ましかった。女性の裸体(胴体部)、指そして顎の人形。胴体を持って振ると、ガラガラと音がする。それは・・・赤ちゃんをあやすガラガラの音。
金子寿徳さんというギタリストが観にやってきた。昔、ちいこさんとイベントか何かで一緒になったらしい。不思議な繋がりだ。
チケットぴあで、14日にあるイベントのチケットを入手。CROWというユニットのコラボレーションイベント。ダリエさんが参加するという。どんなものなのか判らないが取りあえず観に行ってみよう。ノリはTAMTAMが参加したUFOナイトと同じ。あれもクラブチッタ川崎が会場だったなぁ。
いぬもあるけば・・・「氷解」
2002年4月8日 綺朔ちいこさんから届いたDMに誘われて個展を見に行く予定だったが、今日は行けなかった。
夜、ここ最近の彼女の活動がどういうものかを確認するためにgoogleで検索。半年前にイベントに参加したらしい。SOMA組という一人芝居の小劇団のチラシに彼女の絵が使われていたが、それについては引っかからなかった。ともかく個展としては久々の様だ。
検索した中にあった、ある日記をつい読み込んでしまった。知人が急性白血病で亡くなった話。だるさを訴えて病院に行き、即入院。しばらくして脳内出血で意識不明になり、半月後に亡くなったらしい。あっという間だ。
筆者は知人の死期が近いことと奥さんが子供達に事実を伝えていないことを知り、父親が死ぬ前に子供達に知らせる事を助言しようかどうか悩んでいた。結局、間接的な形で助言は成された。
私が読み込んだ理由は「急性白血病による急な死」そのものではなかった。残される人達の動向、ここでは幼い子供達に父親の死に対面させるという選択とその選択を行った判断材料に打たれるものがあった。
筆者は子供達に事実を伝えていないということが気に掛かり、そしてある本のことを思い出した。エリザベス・キューブラー・ロスの「「死ぬ瞬間」と臨死体験」。「子供達に死ぬ行く父親と対面させて、父親の死を受け入れさせたほうがよいのでは」と思った。だが、それを直接伝えるほどの信念はない。それが本当に正しいことなのか。読んでいる時には納得した気になっていても、いざというときには抵抗があるものだ。逆に「本に書いてあることだから」と悩みもせずに行動してしまう人の方が無神経に思う。判断を他人に委ねたはしたが、筆者の行動が元になって、子供達は病院に駆け付けられた。
私はエリザベス・キューブラー・ロスの名前は知っていたが、著書は読んだことはない。どうもトランスジェンダー心理学的な臭いを感じて(それは日本語版のタイトルのセンスの無さにも由来していたが)、敬遠していた。今回、この日記の中でハイパーリンクリンクされた抜粋を読んだのが初めてかもしれない。全てがヤバイのではない。注意して読めば、宝を見つけることができる。罠もあるけど。
少なくとも「死は重要なものであり、それを無視してはならない。」「死に行く者と残される者の両者共に、死を受け入れる機会を奪うことは残酷なことである」という考えには同意する。
しばらく前から精神が揺れていることもあって、敏感になっている。抜粋を読んでいるうちに、思い出したことがあった。祖父母や伯父の葬儀で殆ど泣くことがなかった。何故に泣かなかった・・・いや、泣けなかったのか・・・。それが判らなかった。色々な理由が平行・交錯して存在しているのだろうが、その中の1つに「死に行く人の世話をする機会がなかった」ことがあったのではないだろうか。この『世話』という言葉は日常語としてのイメージがこびりついていて術語としては不適当かもしれない。ここでは行為そのものではなく、気遣いにアクセントを置きたいので『ケア』という英語を使った方がいいか。相互作用。「死に行く人の世話をする」だけではなく「死に行く人に世話される」こと。
謎の片鱗が解けてきた。多分、私はまだ受け入れられていないのだ。彼らの死を。そう思うと涙が出てきた。
夜、ここ最近の彼女の活動がどういうものかを確認するためにgoogleで検索。半年前にイベントに参加したらしい。SOMA組という一人芝居の小劇団のチラシに彼女の絵が使われていたが、それについては引っかからなかった。ともかく個展としては久々の様だ。
検索した中にあった、ある日記をつい読み込んでしまった。知人が急性白血病で亡くなった話。だるさを訴えて病院に行き、即入院。しばらくして脳内出血で意識不明になり、半月後に亡くなったらしい。あっという間だ。
筆者は知人の死期が近いことと奥さんが子供達に事実を伝えていないことを知り、父親が死ぬ前に子供達に知らせる事を助言しようかどうか悩んでいた。結局、間接的な形で助言は成された。
私が読み込んだ理由は「急性白血病による急な死」そのものではなかった。残される人達の動向、ここでは幼い子供達に父親の死に対面させるという選択とその選択を行った判断材料に打たれるものがあった。
筆者は子供達に事実を伝えていないということが気に掛かり、そしてある本のことを思い出した。エリザベス・キューブラー・ロスの「「死ぬ瞬間」と臨死体験」。「子供達に死ぬ行く父親と対面させて、父親の死を受け入れさせたほうがよいのでは」と思った。だが、それを直接伝えるほどの信念はない。それが本当に正しいことなのか。読んでいる時には納得した気になっていても、いざというときには抵抗があるものだ。逆に「本に書いてあることだから」と悩みもせずに行動してしまう人の方が無神経に思う。判断を他人に委ねたはしたが、筆者の行動が元になって、子供達は病院に駆け付けられた。
私はエリザベス・キューブラー・ロスの名前は知っていたが、著書は読んだことはない。どうもトランスジェンダー心理学的な臭いを感じて(それは日本語版のタイトルのセンスの無さにも由来していたが)、敬遠していた。今回、この日記の中でハイパーリンクリンクされた抜粋を読んだのが初めてかもしれない。全てがヤバイのではない。注意して読めば、宝を見つけることができる。罠もあるけど。
少なくとも「死は重要なものであり、それを無視してはならない。」「死に行く者と残される者の両者共に、死を受け入れる機会を奪うことは残酷なことである」という考えには同意する。
しばらく前から精神が揺れていることもあって、敏感になっている。抜粋を読んでいるうちに、思い出したことがあった。祖父母や伯父の葬儀で殆ど泣くことがなかった。何故に泣かなかった・・・いや、泣けなかったのか・・・。それが判らなかった。色々な理由が平行・交錯して存在しているのだろうが、その中の1つに「死に行く人の世話をする機会がなかった」ことがあったのではないだろうか。この『世話』という言葉は日常語としてのイメージがこびりついていて術語としては不適当かもしれない。ここでは行為そのものではなく、気遣いにアクセントを置きたいので『ケア』という英語を使った方がいいか。相互作用。「死に行く人の世話をする」だけではなく「死に行く人に世話される」こと。
謎の片鱗が解けてきた。多分、私はまだ受け入れられていないのだ。彼らの死を。そう思うと涙が出てきた。
いぬもあるけば・・・「花見遠征」
2002年4月7日 朝早く目が覚める。頭痛がする。こめかみ周辺が痛い。軽い二日酔いのようだ。やはり体調は十分ではなかったのかと思いながら迷った。さすがに昨日と同じような休日の過ごし方は避けたい。しかし、この頭痛はネックだ。
気が付くとTVは朝のアニメをやっている。「ミニカーべーごま」ともいえる遊びを元にしたアニメのようだ。ボンボンとかで漫画が連載されているような感じの設定。総集編的な展開で、主人公が仲間との出会いを偶々出会った老人に語っていた。話を聞いた老人が主人公達の関係を評して『ソウルメイト』と言ったのに驚いた。この単語をこういう子供対象の番組で耳にするとは。
輝度の高い画面が目を疲れさせ、頭痛に良くないことに気が付いて切った。さて、どうしよう。状況を確認。やりたいことは沢山。その中でも優先順位が高いのは「花見」「綺朔さんの個展」「松風さんの実演」など。
元々、今日は内野小学校の桜の下で花見をする予定だった。そのため、土日キップも購入している。が、前日までの天気予報は雨で、かつ飴主催者というか音頭を取った仰木さんが体調を崩して行けないことが判明。他の面子も年度初めで忙しいために不参加を表明し、企画は自然消滅しかけていた。綺朔さんの個展はDMによると、今日の午後3時から。松風さんの個展も再訪したい。土日キップは今日でも払い戻しが可能なのだろうか?
とりあえず、お昼近くまで寝ることにした。どうせ、花見も皆で集まる訳ではないし、綺朔さんや松風さんの個展にも間に合う。横になりながら、再度考えた。花見に行くことについて。もしキップの払い戻しが出来るならば、1.6k円が浮く。それで何かを買うことができる。どうせ皆とワイワイ花見をすることができないのだ。ここまで考えて、ふと気が付いた。このまま雪崩式に企画がぽしゃったら、そのきっかけとなった仰木さんは感じる必要のない責任を感じてしまうかも知れないではないか。皆でワイワイ・・・も楽しみであったが、私は元々仰木さんが提案しなくても見に行こうと思っていたはず。思い入れのある光景を再び見たいと。桜花咲き乱れる光景はそう長く続かない。今日、行かなければ次の機会は来年以降になるだろう。そのとき行く時間的余裕があるだろうか?第一、来年まで私が生きているとは限らない。
頭痛は完全に治まらなかったが、寝たのは効果があった。時刻の経過は現地の天気の回復となって表れた。駅探で時刻表を確認すると、今から出れば16時前に内野駅に着けることが判った。最低でも2時間ぐらいは観られる。たかが2時間だが、その場に居ることが肝要。
新幹線の中で『「自分のために生きていける」ということ − 寂しくて、退屈な人たちへ −』を読む。新幹線を降り、在来線乗り換えの手前で座席にお土産用のお菓子を置き忘れてきたことに気が付いた。すでに車両は回送されていた。回収を断念。明日の朝にここにはいない。何故、忘れたのだろう。後で判った。写真部の部室にお土産を置きにゆく時間的余裕はなかった。もし、お土産があったら、それに束縛されて無理が生じていたろう。つまり、そういうことだ。
車窓からの光景、当時ありきたりなものだと思っていた光景に惹かれる。ありきたりでないことを知ったから。内野駅のホームに立って、内野小学校の校庭の桜を見た。ああ、これを観に来たんだ。「やひち」でお酒を物色。鶴の友や八海山などがあるが・・・一人で呑むにはちょっと多い。エチゴビール1缶だけでいい。ツマミを求めて、「いちまん内野店」に。衝動買い。買い過ぎた。
校庭を取り囲むように植えられている、あちこちのソメイヨシノの下で花見客がシートを広げている。さすがにシートを広げて一人で座るのは哀し過ぎるものがあるので、校庭には降りずに高台に位置する校舎近くの樹の下に腰掛けた。ちょっと手を伸ばせば花に触れる。
ビールを呑み、遅い昼食を兼ねたツマミをつまむ。曇っているが次第に回復している。風もなく、花見にはいい天気だ。予報が外れてくれてよかった。本を読んだり、モバイルしたり、桜花の香りする空気を深呼吸してみたり。2時間ほど過ごした後、デジカメで撮影しながら駅に向かった。
白山駅から古町方面に。白山神社付近も桜が咲いている。夕闇の中、ライトアップされているのも綺麗。古町通りを経由して、西堀通りの喫茶店に寄る。店主は顔を覚えていてくれて、「随分、久しぶりだわよね。」 カウンターに座る。ほぼ1年ぶりか。昨年のGWに来た事を覚えている。アッサムのミルクティーを頼んで、お話。タイミングが良かったみたいだ。再来週から一週間ほどパリとロンドンに茶葉買い付けついでの旅に出るとのこと。年二回の自分に対してのご褒美だと。現地にいる知人の家に厄介になるらしい。出発前に一日東京泊して映画を観ると聞いて、何を観るのか尋ねたところ「エトワール」などを観るらしい。あのバレエの映画か。面白そうな映画だった。
そんな話をしていると、馴染み客らしい女性がやってきた。軽く一杯引っ掛けてきたらしい。ハーフパイント・・・という言葉に反応。どうやら最近、イギリス人が店主のフードパブが出来たらしい。ギネスを楽しめる店だ。食べ物は本格的過ぎてキツイという話。パイなど硬かったりするので、食後に行くのがいいとこのと。本格的なので店にはフライヤーなどないらしい。フィッシュ&チップスはなさそうだ。
この女性客も英国慣れした趣味人のようで、店主と親しげに話している。どうやら市内の小学校の司書をしているらしい。この間、本の整理をしていたところ、教頭に呼び出されたという。何だろうと思ったら、今度ニュージーランドからやってきた派遣英語教師との通訳。今年から市内の小学校のうち、30校にネイティブスピーカーを派遣して生きた英語を聞かせるという試みをこの教育委員会が企画したらしい。だが、一ヶ月に一回、一時限。30校で月一回?もしかして・・・やはり教師は一人で次々どさまわりするらしい。生徒の顔を覚えることなんてできないだろう。大変な仕事だ。教頭は彼女に「こんなスケジュールでどれだけ効果があるか判らないが、頑張って欲しい」云々などを伝えて欲しいと頼んだ。それは挨拶としてはあんまりではないか? 今後、どさまわり先でどういう風に扱われるのかと思うと、そのニュージーランド人が可哀相になった。
思った以上にゆったりできた。気力が回復しているのを感じる。語らいが足りなかったのかしらん。もしかしたらGWにまた遊びに来れるかもと挨拶して店を出た。その足で話題に上がっていたパブを探したが見つからない。中途半端に聞いていたから、別の話題の場所とごっちゃになったらしい。途方に暮れて、コンビニに入り、タウン誌を手に取る。最近、開店したのならば載っているかも。予想は当たった。店の名前は「The Black Pig British Pub」。店の場所も確認。だが、終電の時間だ。寄ったら帰れない。残念だが諦めて駅に向かった。次に来た時には必ず・・・
気が付くとTVは朝のアニメをやっている。「ミニカーべーごま」ともいえる遊びを元にしたアニメのようだ。ボンボンとかで漫画が連載されているような感じの設定。総集編的な展開で、主人公が仲間との出会いを偶々出会った老人に語っていた。話を聞いた老人が主人公達の関係を評して『ソウルメイト』と言ったのに驚いた。この単語をこういう子供対象の番組で耳にするとは。
輝度の高い画面が目を疲れさせ、頭痛に良くないことに気が付いて切った。さて、どうしよう。状況を確認。やりたいことは沢山。その中でも優先順位が高いのは「花見」「綺朔さんの個展」「松風さんの実演」など。
元々、今日は内野小学校の桜の下で花見をする予定だった。そのため、土日キップも購入している。が、前日までの天気予報は雨で、かつ飴主催者というか音頭を取った仰木さんが体調を崩して行けないことが判明。他の面子も年度初めで忙しいために不参加を表明し、企画は自然消滅しかけていた。綺朔さんの個展はDMによると、今日の午後3時から。松風さんの個展も再訪したい。土日キップは今日でも払い戻しが可能なのだろうか?
とりあえず、お昼近くまで寝ることにした。どうせ、花見も皆で集まる訳ではないし、綺朔さんや松風さんの個展にも間に合う。横になりながら、再度考えた。花見に行くことについて。もしキップの払い戻しが出来るならば、1.6k円が浮く。それで何かを買うことができる。どうせ皆とワイワイ花見をすることができないのだ。ここまで考えて、ふと気が付いた。このまま雪崩式に企画がぽしゃったら、そのきっかけとなった仰木さんは感じる必要のない責任を感じてしまうかも知れないではないか。皆でワイワイ・・・も楽しみであったが、私は元々仰木さんが提案しなくても見に行こうと思っていたはず。思い入れのある光景を再び見たいと。桜花咲き乱れる光景はそう長く続かない。今日、行かなければ次の機会は来年以降になるだろう。そのとき行く時間的余裕があるだろうか?第一、来年まで私が生きているとは限らない。
頭痛は完全に治まらなかったが、寝たのは効果があった。時刻の経過は現地の天気の回復となって表れた。駅探で時刻表を確認すると、今から出れば16時前に内野駅に着けることが判った。最低でも2時間ぐらいは観られる。たかが2時間だが、その場に居ることが肝要。
新幹線の中で『「自分のために生きていける」ということ − 寂しくて、退屈な人たちへ −』を読む。新幹線を降り、在来線乗り換えの手前で座席にお土産用のお菓子を置き忘れてきたことに気が付いた。すでに車両は回送されていた。回収を断念。明日の朝にここにはいない。何故、忘れたのだろう。後で判った。写真部の部室にお土産を置きにゆく時間的余裕はなかった。もし、お土産があったら、それに束縛されて無理が生じていたろう。つまり、そういうことだ。
車窓からの光景、当時ありきたりなものだと思っていた光景に惹かれる。ありきたりでないことを知ったから。内野駅のホームに立って、内野小学校の校庭の桜を見た。ああ、これを観に来たんだ。「やひち」でお酒を物色。鶴の友や八海山などがあるが・・・一人で呑むにはちょっと多い。エチゴビール1缶だけでいい。ツマミを求めて、「いちまん内野店」に。衝動買い。買い過ぎた。
校庭を取り囲むように植えられている、あちこちのソメイヨシノの下で花見客がシートを広げている。さすがにシートを広げて一人で座るのは哀し過ぎるものがあるので、校庭には降りずに高台に位置する校舎近くの樹の下に腰掛けた。ちょっと手を伸ばせば花に触れる。
ビールを呑み、遅い昼食を兼ねたツマミをつまむ。曇っているが次第に回復している。風もなく、花見にはいい天気だ。予報が外れてくれてよかった。本を読んだり、モバイルしたり、桜花の香りする空気を深呼吸してみたり。2時間ほど過ごした後、デジカメで撮影しながら駅に向かった。
白山駅から古町方面に。白山神社付近も桜が咲いている。夕闇の中、ライトアップされているのも綺麗。古町通りを経由して、西堀通りの喫茶店に寄る。店主は顔を覚えていてくれて、「随分、久しぶりだわよね。」 カウンターに座る。ほぼ1年ぶりか。昨年のGWに来た事を覚えている。アッサムのミルクティーを頼んで、お話。タイミングが良かったみたいだ。再来週から一週間ほどパリとロンドンに茶葉買い付けついでの旅に出るとのこと。年二回の自分に対してのご褒美だと。現地にいる知人の家に厄介になるらしい。出発前に一日東京泊して映画を観ると聞いて、何を観るのか尋ねたところ「エトワール」などを観るらしい。あのバレエの映画か。面白そうな映画だった。
そんな話をしていると、馴染み客らしい女性がやってきた。軽く一杯引っ掛けてきたらしい。ハーフパイント・・・という言葉に反応。どうやら最近、イギリス人が店主のフードパブが出来たらしい。ギネスを楽しめる店だ。食べ物は本格的過ぎてキツイという話。パイなど硬かったりするので、食後に行くのがいいとこのと。本格的なので店にはフライヤーなどないらしい。フィッシュ&チップスはなさそうだ。
この女性客も英国慣れした趣味人のようで、店主と親しげに話している。どうやら市内の小学校の司書をしているらしい。この間、本の整理をしていたところ、教頭に呼び出されたという。何だろうと思ったら、今度ニュージーランドからやってきた派遣英語教師との通訳。今年から市内の小学校のうち、30校にネイティブスピーカーを派遣して生きた英語を聞かせるという試みをこの教育委員会が企画したらしい。だが、一ヶ月に一回、一時限。30校で月一回?もしかして・・・やはり教師は一人で次々どさまわりするらしい。生徒の顔を覚えることなんてできないだろう。大変な仕事だ。教頭は彼女に「こんなスケジュールでどれだけ効果があるか判らないが、頑張って欲しい」云々などを伝えて欲しいと頼んだ。それは挨拶としてはあんまりではないか? 今後、どさまわり先でどういう風に扱われるのかと思うと、そのニュージーランド人が可哀相になった。
思った以上にゆったりできた。気力が回復しているのを感じる。語らいが足りなかったのかしらん。もしかしたらGWにまた遊びに来れるかもと挨拶して店を出た。その足で話題に上がっていたパブを探したが見つからない。中途半端に聞いていたから、別の話題の場所とごっちゃになったらしい。途方に暮れて、コンビニに入り、タウン誌を手に取る。最近、開店したのならば載っているかも。予想は当たった。店の名前は「The Black Pig British Pub」。店の場所も確認。だが、終電の時間だ。寄ったら帰れない。残念だが諦めて駅に向かった。次に来た時には必ず・・・
いぬもあるけば・・・「反動」
2002年4月6日 どうやら反動が来たようだ。ガツガツと朝食を摂った後しばらくして嘔吐感に襲われた。食い合わせが悪かったのか、それとも怪しい漬物もどきがやばかったのか・・・。ともかく処置したが、気持ち悪さは残る。布団に入って、体調の動向を伺おうとした。・・・気が付いたら寝ていた。すでに夕方。色々やりたいことが沢山あったし、やらなければならないこともあったのに、一日を無駄にしてしまった(汗)。
・・・・・・と、普通書くだろう。が、半端な心理学知識がその裏にある無意識の意図を炙り出す。なぜ、そんな状態になるような暴食をしたのだろう。そのために、私は一日を潰すことになった。平行して存在する「やりたい事」群から1つの行動を選ばなければならなかったのに。そう、嘔吐のために、いや嘔吐のお陰でその選択をせずにすんだ。これは『疾病利得』だ。どれもやりたいが選ばなければならないという葛藤から逃避するために無意識が行う1手段。病気に掛かったり、怪我を負うことが無意識にとって利益をもたらす。
反動は肉体的なものではなく、精神的なものだった。物理学が示すように、物理的現象には「作用−反作用の法則」が働く。それは例えば他人の悩み事を聞くという社会的行為にも拡張されうる。知らない間に私の精神的エネルギーも消耗していたのだ。
『「自分のために生きていける」ということ』の再読を始めた。友人との話との関連もあるが、私自身がもう一度この本を読み返した方がいいような気がしたから。友人に薦めたい気もするが、難しい。おそらく、まだその時ではないだろう。
心理学の知識(特に無意識について)を下手に齧って自己分析すると総体としてある自らの逃げ場を無くすことがあり、逆に非常に危険な状況になる。それは、その事実を知ることと受け入れることは別のことだからだ。生兵法は怪我の元。
私はゲーマーであるので、1PCのパラメータ変化に対し、PLとしてリスクマネージメントする。無意識からの「心理的もしくは肉体的なストレスが生じている」というサインを受け取り、適度に甘やかせる。「ああ、大変なんだなぁ」と。短期的には不都合が生じるが、その先で生じるもっと大きなトラブルを未然に防ぐ可能性がある。風邪と同じ。
・・・・・・と、言う戯言を呟きながら大井町に向かった。品川プライベは終わっていた。出口でぶらぶらして、出てきた飲み仲間と合流。川崎に移動して呑んだ。胃腸はまだ完全には回復していないので恐る恐る呑む。純米酒ならば大丈夫だろう・・・そう考えて2合のんだのは失敗だった。
・・・・・・と、普通書くだろう。が、半端な心理学知識がその裏にある無意識の意図を炙り出す。なぜ、そんな状態になるような暴食をしたのだろう。そのために、私は一日を潰すことになった。平行して存在する「やりたい事」群から1つの行動を選ばなければならなかったのに。そう、嘔吐のために、いや嘔吐のお陰でその選択をせずにすんだ。これは『疾病利得』だ。どれもやりたいが選ばなければならないという葛藤から逃避するために無意識が行う1手段。病気に掛かったり、怪我を負うことが無意識にとって利益をもたらす。
反動は肉体的なものではなく、精神的なものだった。物理学が示すように、物理的現象には「作用−反作用の法則」が働く。それは例えば他人の悩み事を聞くという社会的行為にも拡張されうる。知らない間に私の精神的エネルギーも消耗していたのだ。
『「自分のために生きていける」ということ』の再読を始めた。友人との話との関連もあるが、私自身がもう一度この本を読み返した方がいいような気がしたから。友人に薦めたい気もするが、難しい。おそらく、まだその時ではないだろう。
心理学の知識(特に無意識について)を下手に齧って自己分析すると総体としてある自らの逃げ場を無くすことがあり、逆に非常に危険な状況になる。それは、その事実を知ることと受け入れることは別のことだからだ。生兵法は怪我の元。
私はゲーマーであるので、1PCのパラメータ変化に対し、PLとしてリスクマネージメントする。無意識からの「心理的もしくは肉体的なストレスが生じている」というサインを受け取り、適度に甘やかせる。「ああ、大変なんだなぁ」と。短期的には不都合が生じるが、その先で生じるもっと大きなトラブルを未然に防ぐ可能性がある。風邪と同じ。
・・・・・・と、言う戯言を呟きながら大井町に向かった。品川プライベは終わっていた。出口でぶらぶらして、出てきた飲み仲間と合流。川崎に移動して呑んだ。胃腸はまだ完全には回復していないので恐る恐る呑む。純米酒ならば大丈夫だろう・・・そう考えて2合のんだのは失敗だった。
いぬもあるけば・・・「TCG」
2002年4月5日 三重に在住のりおさんから電話があった。オフ会でもやるのかしらんと思いながら挨拶をしたら、千葉に引っ越したとのこと。どうやら付き合っている彼と一緒に住むことになったようだ。ここ最近、彼女達と顔を会わせるチャット会場に顔を出していなかったので情報に疎くなっている。近くになったのならば気軽に遊べるねぇと話をしていたら・・・。秋葉に近いということで、趣味が・・・ヲタク化していた。何故、シスプリに嵌まる〜っ!その手系のトレーディングカードゲーム(以下、TCG)収集にも興味を持っているようだし・・・恐るべし、世界のヲタク街「秋葉」の魔力。
最近、そんなに流行っているのかと、雑誌「げーむ・ぎゃざ」を久々に読んでみた。この雑誌がまさかコンビニに置かれるようになるとは・・・ケータイの普及よりも冗談のような話だ。ちょっと前まで「RPGマガジン」という名前のTRPG誌だったのに・・・。
目次の向かいのページにOMCの広告があるのに驚いた。それ以外にも紙面に掲載されているイラストの脇に丁寧に絵師の名前が記載されていることが気に掛かった。TCGはゲームシステムの面白さだけでなく、イラストに惹かれて購入する人が多い。そういう意味で絵師の地位は高まっている。人気がでそうな絵師の確保が業績に影響する。この流れからすると、OMCというビジネスモデルはその顧客対象が個人だけではなく企業も含めてる点を踏まえるとよい目論見だったと思う。実際、T社お抱えかと思っていた絵師が別会社のTCGのイラストを描いている。ゲーム業界は狭い故に掛け持ちは当たり前とはいえ、面白い。イラスト発注のアウトソーイング。
紙面も随分と変わった・・・ホビージャパン社は「TCGのファミ通」を目指しているのかもしれない。トーナメントを取材し、個人を取り上げているところはまともだ。
それにしても、これほど沢山の種類のTCGが発売されているのか・・・アイドル物のTCなども含めると・・・。いつからこういう収集物が流行るようになったのだろう。チョコエッグの加熱振りも凄かったが、こちらは業界が膨らんでいる。マルチメディア展開を考慮すると結構な市場になっていると考えられる。収集癖のある購買層は適度に刺激を与え続ければ、それが依存・嗜癖行為であるからなのかはともかく購買行為を繰り返す。
読んで一番ショックだったのは、以前からTRPGのボックスイラストなどで活躍している絵師の「弘 司」さんの原画展が開催されるという話。開催地が大阪だから行けないという話ではない。その主催があのアールビバン社系列だからだ。一気に気分がダークになる。ホビージャパン社などの出版社が主催するものではない。あのミュシャのリクリエイションのように、原画展を見た先には蟻地獄のように版画展示即売会場が設置されているのだろう・・・定価80万円で版画を買わせるのだろう・・・。「ヲタクはカネ持ってるからな。レアって言葉に弱いし、趣味のものには糸目はつけないし・・・」 いや、その経営判断は正しいよ。正しいから・・・嫌になる。
最近、そんなに流行っているのかと、雑誌「げーむ・ぎゃざ」を久々に読んでみた。この雑誌がまさかコンビニに置かれるようになるとは・・・ケータイの普及よりも冗談のような話だ。ちょっと前まで「RPGマガジン」という名前のTRPG誌だったのに・・・。
目次の向かいのページにOMCの広告があるのに驚いた。それ以外にも紙面に掲載されているイラストの脇に丁寧に絵師の名前が記載されていることが気に掛かった。TCGはゲームシステムの面白さだけでなく、イラストに惹かれて購入する人が多い。そういう意味で絵師の地位は高まっている。人気がでそうな絵師の確保が業績に影響する。この流れからすると、OMCというビジネスモデルはその顧客対象が個人だけではなく企業も含めてる点を踏まえるとよい目論見だったと思う。実際、T社お抱えかと思っていた絵師が別会社のTCGのイラストを描いている。ゲーム業界は狭い故に掛け持ちは当たり前とはいえ、面白い。イラスト発注のアウトソーイング。
紙面も随分と変わった・・・ホビージャパン社は「TCGのファミ通」を目指しているのかもしれない。トーナメントを取材し、個人を取り上げているところはまともだ。
それにしても、これほど沢山の種類のTCGが発売されているのか・・・アイドル物のTCなども含めると・・・。いつからこういう収集物が流行るようになったのだろう。チョコエッグの加熱振りも凄かったが、こちらは業界が膨らんでいる。マルチメディア展開を考慮すると結構な市場になっていると考えられる。収集癖のある購買層は適度に刺激を与え続ければ、それが依存・嗜癖行為であるからなのかはともかく購買行為を繰り返す。
読んで一番ショックだったのは、以前からTRPGのボックスイラストなどで活躍している絵師の「弘 司」さんの原画展が開催されるという話。開催地が大阪だから行けないという話ではない。その主催があのアールビバン社系列だからだ。一気に気分がダークになる。ホビージャパン社などの出版社が主催するものではない。あのミュシャのリクリエイションのように、原画展を見た先には蟻地獄のように版画展示即売会場が設置されているのだろう・・・定価80万円で版画を買わせるのだろう・・・。「ヲタクはカネ持ってるからな。レアって言葉に弱いし、趣味のものには糸目はつけないし・・・」 いや、その経営判断は正しいよ。正しいから・・・嫌になる。
いぬもあるけば・・・「猫畑収穫祭」
2002年4月4日 今日から谷中のギャラリー猫町で松風直美さんの個展『猫畑収穫祭』が4/14まで催される。今日は初日ということでオープニングパーティがあった。
私が駆けつけた時はすでにパーティの開始時間になっていて、作品を見る前にパーティに雪崩的に参加する事に。パーティというと堅苦しいものかと思った。実際は板の間に座布団を敷いて、丸くなっての飲み食い。居酒屋の宴会ノリだ。
心の準備もなにもないままに参加して自己紹介をしていた。さすがに皆さん、猫好きであることはもちろん、猫を飼っている。私は実家で馴染みがなかったこともあって、猫体験が少なく猫好きと自称できるほどではないし、飼ってもいない。その点肩身が狭いが、チャットで猫好きな人の萌え具合を見ているので、かなり話が通じる。
それでも、凄いと思う話を聞いた。猫好きだと近所に知られると野良猫が填っていたり、捨て猫が見つかったりすると連絡が来るらしい。まるで、その人が何でもやってくれるとでもいうかのように。そんなこんなで10匹飼っているという人の話を聞いた。これはこれで大変だ。
もっと凄い人の話は猫を守る為に身を挺したという話。近所に猫が屯する場所があるらしく、付近の人々が暖かく見守っていたという。でも中には猫が嫌いな人というのもいる。ある日、男性が飼い犬をその場に連れて現れ、猫を襲うように嗾けた。わざとするのだから犬も興奮する。非常に危険な状態を目撃した話者は猫と犬の間に立ちふさがり・・・足を噛まれたという。こうなると民事事件。飼い主には賠償責任が。その後、二度と彼の男性を見ることはないという。
この話の落ちは彼女の特性にある。話によると彼女は痛覚が鈍いらしい。最近、親指を縫うほどの怪我をしたのだが、それに気がつかなかったという。犬に噛まれた件も、痛みはほとんどなかったという。それって、もしかして・・・計略(汗)。
テーブルの上には居酒屋もかくやというほどちゃんとしたツマミが、それも次々出てきた。持ち込みやギャラリーにあるキッチンで調理されたものなど沢山の料理がでてくるという予想外の展開。皆、美味しい。お酒はツマミに合せて、日本酒をメインに頂く。何故か麒麟山がある。これも津川の阿賀野川河川敷で探検部の新歓焼き肉パーティをやったときなどに呑んでいたお酒だ。あの辺りの地酒。これを頂いた。
安土城のお膝元から来たと松風さん、変わった食べ物を持参。「赤こんにゃくの煮付け」赤こんにゃく・・・初めて食べた。なんでも派手好きな信長が食べたという曰くがあるらしい。赤というか朱に近いか。べんがらが入っているという。鉄分豊富な温泉にこんな色があったな・・・と思ったらやっぱり。赤錆色。もう1つは鮒寿司。それもお土産品として工場で作られたものではなく、自家製とのこと。卵がしっかり入っていて見事な鮒だった。これだけ立派だと一匹1万円ほどするという話には驚いた。3年間掛けて熟成させる。話によると、瓶に仕込んでから室(むろ)代りに湖水に沈めるのだという。確かにそうすれば寒暖の差は少なくなる。生活の知恵だ。試食した。匂いは噂違わぬもので、かなりキツイ。でも匂いそのものにはすぐに慣れた。味は・・・酸っぱさとしょっぱさが全面に出ているので、それだけで美味しいとは言い難い。お酒のツマミにはいいが、お茶漬けのように適度に塩分を薄めた状態で頂くのが正しい味わい方のような気がした。
猫の手帳という雑誌が主催したアート展で賞を貰った松風さんのお友達アーティストさんの多芸振りに驚かされた。昔、端役ではあったが声優をやっていたという。首に掛けている木製の笛みたいなもの、実はちゃんとした楽器。『コカリナ』という。元々はハンガリーの子供のおもちゃみたいな木の笛なのだが、それに魅了された日本人が改良してまともに演奏できるまでにしたものだという。長野オリンピックで伐採材の有効利用として作られ、奏せられたことで知られている・・・らしい(知らなかった(汗))。
で、先日、コカリナの教師資格が取れたということで、その音色を聞かせてもらった。奏したのは「琵琶湖周航の歌」。柔らかく、優しい音色だった。いいなぁ。ちょっと大きめなペンダントという感じで持ち運びが楽なところがモバイラーの琴線に触れる(笑)。ザバダックのポーランド、披露してくれた裏技を使えば吹くことが出来そう。近所で講習会でもないかしらん。
ハッ!宴が盛り上がっていたために、肝心の作品をろくに見ていないことに気が付いた。慌てて見て回る。危険だ・・・部屋に飾りたくなる小品が沢山。そういうのに限って、すでに予約のシールが貼ってあるのだが、もし貼ってなければ大変なことになっていた気がする<大量購入。猫好きで松風さんのサイトを見て気に入っていた友人のためにお皿を予約。絵柄に好みがあるだろうが、元気でいいのではないかしらん。それ以外に2つほど予約した。
パーティが終わったのは予定を遥かに越えた時間。楽しくてあっという間だった。松風さんの切り絵の実演を拝見したいのでまた期間中に訪れることになるだろう。
私が駆けつけた時はすでにパーティの開始時間になっていて、作品を見る前にパーティに雪崩的に参加する事に。パーティというと堅苦しいものかと思った。実際は板の間に座布団を敷いて、丸くなっての飲み食い。居酒屋の宴会ノリだ。
心の準備もなにもないままに参加して自己紹介をしていた。さすがに皆さん、猫好きであることはもちろん、猫を飼っている。私は実家で馴染みがなかったこともあって、猫体験が少なく猫好きと自称できるほどではないし、飼ってもいない。その点肩身が狭いが、チャットで猫好きな人の萌え具合を見ているので、かなり話が通じる。
それでも、凄いと思う話を聞いた。猫好きだと近所に知られると野良猫が填っていたり、捨て猫が見つかったりすると連絡が来るらしい。まるで、その人が何でもやってくれるとでもいうかのように。そんなこんなで10匹飼っているという人の話を聞いた。これはこれで大変だ。
もっと凄い人の話は猫を守る為に身を挺したという話。近所に猫が屯する場所があるらしく、付近の人々が暖かく見守っていたという。でも中には猫が嫌いな人というのもいる。ある日、男性が飼い犬をその場に連れて現れ、猫を襲うように嗾けた。わざとするのだから犬も興奮する。非常に危険な状態を目撃した話者は猫と犬の間に立ちふさがり・・・足を噛まれたという。こうなると民事事件。飼い主には賠償責任が。その後、二度と彼の男性を見ることはないという。
この話の落ちは彼女の特性にある。話によると彼女は痛覚が鈍いらしい。最近、親指を縫うほどの怪我をしたのだが、それに気がつかなかったという。犬に噛まれた件も、痛みはほとんどなかったという。それって、もしかして・・・計略(汗)。
テーブルの上には居酒屋もかくやというほどちゃんとしたツマミが、それも次々出てきた。持ち込みやギャラリーにあるキッチンで調理されたものなど沢山の料理がでてくるという予想外の展開。皆、美味しい。お酒はツマミに合せて、日本酒をメインに頂く。何故か麒麟山がある。これも津川の阿賀野川河川敷で探検部の新歓焼き肉パーティをやったときなどに呑んでいたお酒だ。あの辺りの地酒。これを頂いた。
安土城のお膝元から来たと松風さん、変わった食べ物を持参。「赤こんにゃくの煮付け」赤こんにゃく・・・初めて食べた。なんでも派手好きな信長が食べたという曰くがあるらしい。赤というか朱に近いか。べんがらが入っているという。鉄分豊富な温泉にこんな色があったな・・・と思ったらやっぱり。赤錆色。もう1つは鮒寿司。それもお土産品として工場で作られたものではなく、自家製とのこと。卵がしっかり入っていて見事な鮒だった。これだけ立派だと一匹1万円ほどするという話には驚いた。3年間掛けて熟成させる。話によると、瓶に仕込んでから室(むろ)代りに湖水に沈めるのだという。確かにそうすれば寒暖の差は少なくなる。生活の知恵だ。試食した。匂いは噂違わぬもので、かなりキツイ。でも匂いそのものにはすぐに慣れた。味は・・・酸っぱさとしょっぱさが全面に出ているので、それだけで美味しいとは言い難い。お酒のツマミにはいいが、お茶漬けのように適度に塩分を薄めた状態で頂くのが正しい味わい方のような気がした。
猫の手帳という雑誌が主催したアート展で賞を貰った松風さんのお友達アーティストさんの多芸振りに驚かされた。昔、端役ではあったが声優をやっていたという。首に掛けている木製の笛みたいなもの、実はちゃんとした楽器。『コカリナ』という。元々はハンガリーの子供のおもちゃみたいな木の笛なのだが、それに魅了された日本人が改良してまともに演奏できるまでにしたものだという。長野オリンピックで伐採材の有効利用として作られ、奏せられたことで知られている・・・らしい(知らなかった(汗))。
で、先日、コカリナの教師資格が取れたということで、その音色を聞かせてもらった。奏したのは「琵琶湖周航の歌」。柔らかく、優しい音色だった。いいなぁ。ちょっと大きめなペンダントという感じで持ち運びが楽なところがモバイラーの琴線に触れる(笑)。ザバダックのポーランド、披露してくれた裏技を使えば吹くことが出来そう。近所で講習会でもないかしらん。
ハッ!宴が盛り上がっていたために、肝心の作品をろくに見ていないことに気が付いた。慌てて見て回る。危険だ・・・部屋に飾りたくなる小品が沢山。そういうのに限って、すでに予約のシールが貼ってあるのだが、もし貼ってなければ大変なことになっていた気がする<大量購入。猫好きで松風さんのサイトを見て気に入っていた友人のためにお皿を予約。絵柄に好みがあるだろうが、元気でいいのではないかしらん。それ以外に2つほど予約した。
パーティが終わったのは予定を遥かに越えた時間。楽しくてあっという間だった。松風さんの切り絵の実演を拝見したいのでまた期間中に訪れることになるだろう。
いぬもあるけば・・・「定期録画」
2002年4月3日 4/1から録画するようになった番組がある。CX系で13:30から放映している「真珠夫人」。いわゆるソープドラマの時間帯で、内容も近年の流れにふさわしいドロドロした話のようだ。
録画の目的は脇役として出演している増田未亜。先日、久々にオフィシャルサイトを覗いたところ、そういう情報があった。全く知らなかったので驚いた。今回もチョイ役なのかと思ったが、きちんとした役のようだ。地道な活動が評価されたのならば嬉しいことだ。その役には多少思うところがあるが、とりあえず帯ドラマに出演している現状を喜ぼう。
・・・ぢつわ、録画しているが、きちんと見ていない。ノリがちょっとキツイなぁ(汗)。
録画の目的は脇役として出演している増田未亜。先日、久々にオフィシャルサイトを覗いたところ、そういう情報があった。全く知らなかったので驚いた。今回もチョイ役なのかと思ったが、きちんとした役のようだ。地道な活動が評価されたのならば嬉しいことだ。その役には多少思うところがあるが、とりあえず帯ドラマに出演している現状を喜ぼう。
・・・ぢつわ、録画しているが、きちんと見ていない。ノリがちょっとキツイなぁ(汗)。
いぬもあるけば・・・「ちょびっツ」
2002年4月2日というアニメを見た。
原作を読んだことは無いのだが、知人が話題にしているので設定は或る程度知っていた。
・・・めぞん一刻のパクリ? 主人公は道端で引っかけたロボットに惚れるのだろうからパクリにはならないのか・・・。原作者はよく考えているなぁと感心。ヲタクや腐女子のフェチやツボをしっかり押さえている。マーケティングをしっかりして造られたことが判る。ヲタ層に売る為の商品としては素晴らしい。売れるハズだ。実際、アニメ化してるし。結局のところ商品なのだ、欲しい人が消費すべし。
で、実は商品内容ではなく、別の事に一番驚いた。エンディングテーマはロボット役の声優が歌っている。軽快で耳に馴染む曲だな・・と思いながらテロップを見ていたら、この歌の編曲者に「永井ルイ」という名前が・・・。どこかで見たことがある名前だ。ネットで調べてみたところ・・・私がチェックしている「ソーイングマシーン」のヴォーカルである永井さんのお兄さんだった。うわぁ。アレンジャーとして結構有名らしい。そんなに有名だとは知らなかった・・・。
いぬもあるけば・・・「あるある」
2002年4月1日 前夜録画しておいた「あるある大辞典」という番組を見た。普段余り見ないのだが、『依存症』特集ということで録画した。割と視聴者が多いらしいので、この番組で取り上げられた影響は小さくないだろう。
番組では依存症という聞いたことはあるけれど実態が判らないものを判った気にさせるために色々な実験を行った。ケータイを持っている人からそれを預かり、電源を目の前で切ったときにどう感じるか・・・そんな事信じられないと大騒ぎする人がいた。返すとさそく電源を入れて、着信を確認して一段落。「ケータイ依存」「メール依存」に陥りかけていると説明。ケータイを忘れたり、バッテリーが切れると落ち着かない。電波が弱いとイライラする。
番組ではいつものようにこの現象が何故起こるのか、実験で確認していた。パチンコをしたことが無い人にパチンコをしてもらい、大当たりしたときに肉体に何が起きているのかを血液検査により神経伝達物質を測定していた。当たりがでると、脳内麻薬として知られるドーパミンが出、これによって大きな快楽を得る。このドーパミンに対する耐性が人を依存の深みに陥らせるという。ストレス社会ではドーパミンやノルアドレナリンを制御するセレトニンが多量に消費され、欠乏してしまうためになおさら依存に陥りやすいという。
ここまではいい。問題はこれから先、「依存症にならないためには」。お題目を伝えるのがこの番組の真骨頂。「問題行動以外に多くの関心事を持つ」は有効だと思われるが、「問題行動を行う間隔を10日以上あけることでドーパミン受容体を減らす」などは余りに還元主義的でかつ実態を無視した話ではないだろうか。ケータイ依存という例を出しておいて、10日以上間隔を取れというのはナンセンスだ。
結局、彼らは問題を理解していないのだ。パチンコ実験がそれを示している。彼らはこの実験の危険性を十分認識していたろうか?被験者が今後、ギャンブル依存になってしまう可能性に。当たりやすく設定されていたという話を聞いていたとしても、強烈で持続的な大当たり体験は被験者の脳裏に大きく刻まれてしまったはずだ。番組で特に「はまりやすいタイプ」とされた人の危険性は大きい。番組はこの実験にどれだけ責任を持てるのだろうか。
情報ソースにも疑問があった。コメントしている専門家は心療内科と社会医学という分野の二人。妙に偏っている気がする。この偏りは情報操作として意図的なものなのか、それとも無知故なのか?
結局、内容はおまじない的、似非科学的というか、トンデモ的というか・・・あの深夜の通販番組と同じ。如何に「科学的」という言葉に弱いかが判った。「科学的」「合理的」という言葉は現代社会の中で生き続けている数少ない『おまじない』だ。この番組の巧妙さはそのおまじないで視聴者を判断停止状態にした後、現代人が最も気に掛けてる『健康』に対する不安を煽っているところだった。それはマインドコントロールの基本に忠実で・・・
番組では依存症という聞いたことはあるけれど実態が判らないものを判った気にさせるために色々な実験を行った。ケータイを持っている人からそれを預かり、電源を目の前で切ったときにどう感じるか・・・そんな事信じられないと大騒ぎする人がいた。返すとさそく電源を入れて、着信を確認して一段落。「ケータイ依存」「メール依存」に陥りかけていると説明。ケータイを忘れたり、バッテリーが切れると落ち着かない。電波が弱いとイライラする。
番組ではいつものようにこの現象が何故起こるのか、実験で確認していた。パチンコをしたことが無い人にパチンコをしてもらい、大当たりしたときに肉体に何が起きているのかを血液検査により神経伝達物質を測定していた。当たりがでると、脳内麻薬として知られるドーパミンが出、これによって大きな快楽を得る。このドーパミンに対する耐性が人を依存の深みに陥らせるという。ストレス社会ではドーパミンやノルアドレナリンを制御するセレトニンが多量に消費され、欠乏してしまうためになおさら依存に陥りやすいという。
ここまではいい。問題はこれから先、「依存症にならないためには」。お題目を伝えるのがこの番組の真骨頂。「問題行動以外に多くの関心事を持つ」は有効だと思われるが、「問題行動を行う間隔を10日以上あけることでドーパミン受容体を減らす」などは余りに還元主義的でかつ実態を無視した話ではないだろうか。ケータイ依存という例を出しておいて、10日以上間隔を取れというのはナンセンスだ。
結局、彼らは問題を理解していないのだ。パチンコ実験がそれを示している。彼らはこの実験の危険性を十分認識していたろうか?被験者が今後、ギャンブル依存になってしまう可能性に。当たりやすく設定されていたという話を聞いていたとしても、強烈で持続的な大当たり体験は被験者の脳裏に大きく刻まれてしまったはずだ。番組で特に「はまりやすいタイプ」とされた人の危険性は大きい。番組はこの実験にどれだけ責任を持てるのだろうか。
情報ソースにも疑問があった。コメントしている専門家は心療内科と社会医学という分野の二人。妙に偏っている気がする。この偏りは情報操作として意図的なものなのか、それとも無知故なのか?
結局、内容はおまじない的、似非科学的というか、トンデモ的というか・・・あの深夜の通販番組と同じ。如何に「科学的」という言葉に弱いかが判った。「科学的」「合理的」という言葉は現代社会の中で生き続けている数少ない『おまじない』だ。この番組の巧妙さはそのおまじないで視聴者を判断停止状態にした後、現代人が最も気に掛けてる『健康』に対する不安を煽っているところだった。それはマインドコントロールの基本に忠実で・・・
いぬもあるけば・・・「春雷」
2002年3月31日朝起きたら、昨日からのノドの痛みが悪化。凄いや!ノド飴が全く効かないゾ!!(爆)
そんなわけで、本当なら映画三昧の一日を過ごすはずが、夢見三昧の一日となった。
夕方、ゴロゴロ鳴る音がする。何の音だろう。まさか、雷のはずはなかろう。では一体・・・
そう考えている間に音は激しくなり、落雷らしき音がする。電気を消して様子を伺うとやはり雷のようだ。光と音のタイムラグがどんどん短くなり、それにつれて落雷の音も激しくなる。かなり近くで落ちている。100m以内に落ちたろうものもあった。
まさか、春雷を体験できるとは。自宅周辺ではないと思っていた。ちょっとうれしかったりするのは変だろうか。
そんな事を考えているうちに雨が降ってきた。経験則から、雨が降り出したら雷は治まる。ショータイムは終わった。激しい幕引き。
夜、知人から電話があった。電話応対の自分の声に驚いたが、それよりも相手の差し迫った雰囲気にもっと驚いた。どうやらショックな出来事が起きたようだ。只でさえ不安定な状態に、かなり決定的な言葉を投げ掛けられたらしく、激しく動揺していた。まずは溜め込んでいた感情を吐露するのが肝要だ。私は話を聞いた。3,4時間ほど話をしたろうか。私の愚にも付かないアドバイスもどきはともかく、思いを訴えることによって落ち着いたようだ。
また電話しておくれ。君が言った「でも・・・生きたい」という言葉を君自身が忘れそうになったときには何時でも。
それにしても、このゲーム、1PCが生きつづけるのも楽ではないな。
いぬもあるけば・・・「あぶはちとらず」
2002年3月30日 夜更かしの反動でなかなか布団から出られない。お昼近くになってようやく動き出す。
予定ではまっすぐ友人と合流する予定だったのだが、友人の用事(宅配待ち)が遅れたため、空いた時間が出来た。
これを利用して、合流地点と逆方向の横浜クイーンズスクエアに向かった。クイーンズスクエア「アット!」マンスリーライブというイベントに奥華子さんが出演する予定だった。友人との予定を優先して行くのを諦めていたのだが、こういう形で都合が付くとは・・・。
会場は地下3階。だが吹き抜けなので大勢の人達が見聞きできる。ライブハウスと違うので雑音があったが、ライブそのものというか歌はここ数回のライブの中で最も安定していた気がする。緊張の度合いなのか。その後のイベントに惹かれるものがあったが、丁度友人から連絡があったこともあり退却。桜木町駅から飯田橋駅まで直行。
飯田橋駅はほとんど初めて降りた気がする。いい陽気だったので待ち合わせも気分がいい。喉が痛いのでノド飴を舐めつつ、文庫本を広げる。しばらくして無事合流。神楽坂近くの喫茶店に。ここで友人と学会のために上京してきた人とのブツのやり取りがあった。ブツは「水曜どうでしょう」の録画ビデオ。未放映地域に住んでいるドーラーにはうれしいお土産。全員、北海道に縁故ポイントを持っているので、あちらの話が主になる。話をしながら店内を見渡して気が付いた。イカールの版画のコピーが飾られている。座席から「ミミ」と「リリー」が見て取れた。
これから飲み会に出席するという彼と新宿駅まで一緒に。それから我々は原宿に。私のお気に入りバンド、ソーイングマシーンのライブが駅近くのギャラリーであるのだ。彼らの知人の個展の打ち上げパーティを兼ねたものらしい。ちょっと時間がある。小腹が空いたので食事を取ることに。これが失敗だった。ファーストフードで済ませれば良かったのだが、せっかく原宿なのだからちょっと面白いところにとうろついた結果、シズラーというファミレスに。入ったからにはしっかり食べたくなる。オニオンリングタワーなど気になるメニューを注文。ぱくぱく。はっ!気が付いたらライブ開始時間をとうに過ぎている。食事を終えて駆けつけても終わっているだろう。こうして2連続で彼らのライブを見逃すことに。今更無理だと分かったら、もう急ぐ必要もない。かなり急いて食べていたのだが、いきなり和みモードに。
このまま解散というのは何か悔しい。そこで表参道を散策することに。すでに日は落ち、路上に店を広げている人もいない。中途半端な時間帯をウィンドショッピングする形に。青山通りにぶつかった。交差点向こうにある店は・・・「ワンダフルワールド」。うーむ、この服を着こなすのは大変だなぁ。私のおばあちゃんPCに着させようと思ったが、考え直した方が良さそうだ。足はそのまま青山方面へ。脇道を覗くとベトナム家財らしきものを扱っている店を発見。こういう家具を置いた部屋、いいなぁ。自分の部屋の散らかり様を考えると非現実的な話だが。
道行く人、皆、幸せそうだ。そんな雰囲気がこの周辺にはある。てぽてぽ歩く。結局、青山学院大学や円形劇場の前を通り、渋谷に出た。まだ21時だ。センター街を突っ切り、前に別の友人と行った店に飲み直しのつもりで入った。店の雰囲気が変わっていた。京風を意識した店だったはずが、おもいっきり渋谷に染まっていた。早い話、客がうるさい。渋谷では割とまともに呑める店だと思っていただけに残念。別の店を開拓しないと。
小1時間ほど居たろうか。渋谷駅で解散。また呑みましょう。今日、見つけた店を確認するためにも。
予定ではまっすぐ友人と合流する予定だったのだが、友人の用事(宅配待ち)が遅れたため、空いた時間が出来た。
これを利用して、合流地点と逆方向の横浜クイーンズスクエアに向かった。クイーンズスクエア「アット!」マンスリーライブというイベントに奥華子さんが出演する予定だった。友人との予定を優先して行くのを諦めていたのだが、こういう形で都合が付くとは・・・。
会場は地下3階。だが吹き抜けなので大勢の人達が見聞きできる。ライブハウスと違うので雑音があったが、ライブそのものというか歌はここ数回のライブの中で最も安定していた気がする。緊張の度合いなのか。その後のイベントに惹かれるものがあったが、丁度友人から連絡があったこともあり退却。桜木町駅から飯田橋駅まで直行。
飯田橋駅はほとんど初めて降りた気がする。いい陽気だったので待ち合わせも気分がいい。喉が痛いのでノド飴を舐めつつ、文庫本を広げる。しばらくして無事合流。神楽坂近くの喫茶店に。ここで友人と学会のために上京してきた人とのブツのやり取りがあった。ブツは「水曜どうでしょう」の録画ビデオ。未放映地域に住んでいるドーラーにはうれしいお土産。全員、北海道に縁故ポイントを持っているので、あちらの話が主になる。話をしながら店内を見渡して気が付いた。イカールの版画のコピーが飾られている。座席から「ミミ」と「リリー」が見て取れた。
これから飲み会に出席するという彼と新宿駅まで一緒に。それから我々は原宿に。私のお気に入りバンド、ソーイングマシーンのライブが駅近くのギャラリーであるのだ。彼らの知人の個展の打ち上げパーティを兼ねたものらしい。ちょっと時間がある。小腹が空いたので食事を取ることに。これが失敗だった。ファーストフードで済ませれば良かったのだが、せっかく原宿なのだからちょっと面白いところにとうろついた結果、シズラーというファミレスに。入ったからにはしっかり食べたくなる。オニオンリングタワーなど気になるメニューを注文。ぱくぱく。はっ!気が付いたらライブ開始時間をとうに過ぎている。食事を終えて駆けつけても終わっているだろう。こうして2連続で彼らのライブを見逃すことに。今更無理だと分かったら、もう急ぐ必要もない。かなり急いて食べていたのだが、いきなり和みモードに。
このまま解散というのは何か悔しい。そこで表参道を散策することに。すでに日は落ち、路上に店を広げている人もいない。中途半端な時間帯をウィンドショッピングする形に。青山通りにぶつかった。交差点向こうにある店は・・・「ワンダフルワールド」。うーむ、この服を着こなすのは大変だなぁ。私のおばあちゃんPCに着させようと思ったが、考え直した方が良さそうだ。足はそのまま青山方面へ。脇道を覗くとベトナム家財らしきものを扱っている店を発見。こういう家具を置いた部屋、いいなぁ。自分の部屋の散らかり様を考えると非現実的な話だが。
道行く人、皆、幸せそうだ。そんな雰囲気がこの周辺にはある。てぽてぽ歩く。結局、青山学院大学や円形劇場の前を通り、渋谷に出た。まだ21時だ。センター街を突っ切り、前に別の友人と行った店に飲み直しのつもりで入った。店の雰囲気が変わっていた。京風を意識した店だったはずが、おもいっきり渋谷に染まっていた。早い話、客がうるさい。渋谷では割とまともに呑める店だと思っていただけに残念。別の店を開拓しないと。
小1時間ほど居たろうか。渋谷駅で解散。また呑みましょう。今日、見つけた店を確認するためにも。