久々に久が原に。茶道具講座の講義に出るため。授業料も未払い分が溜まっていたので銀行で降ろして来た。6ヶ月纏めて払ったのでドンと出て行った。
 今日の講義はいつもと違って、1つの茶器『利休円座肩衝茶入』について深く探るという内容だった。内容そのものは通史的に見てきたものがどのように対応するかという感じで、それらについては新しい話は無かった。
 しかし山上宗二記の写本の話は面白い。「古本商から尋ねられた古文書を見たら、それがあるとされていたが未だ見つかっていなかった写本だった」とか、「未だ見つかっていない写本が今後発見される可能性がある」という話は今現在のことだけに想像力を働かせやすい。
 
 講義が終わってからのお喋りが今日は早く終わったので、近くの馴染みの喫茶店「世比亜」に寄った。馴染みと行っても今年初めてぐらいではないかしらん。まだマスターを含めた馴染み客の話題はカメラと写真だった。が、ゼンザブロニカを買ったはいいが云々など、最初の頃からすると随分深化したものだ。
 マスターに池上梅園の様子を尋ねた。家から店までの通勤路中に池上本門寺があるので、どんな様子かを知っている。どうやらそろそろ見頃みたいだ。この週末、元々の予定が順延になったので代りに行ってみようかしらん。「観梅するなら池上梅園だけでなく、この近くにもいい場所がある」と、観梅スポットを教えてもらった。これは尚更行かないと。
 とりあえず、測定系のハードが怪しいという話になった。私が行く間にオシロスコープを繋いでトリガ信号が出ているかを確認してもらうことに。また11時に蒲田を出て、飯能に。流石にちょっとキツイ。
 着いたら、不思議な事にトリガが来なくて動かなかった測定器が動いていた。オシロスコープでもトリガ信号を確認。もしかして‥‥よくパソコンのサービスセンターの問い合わせでよくある「ケーブルが‥‥」の類いの話?(汗)。ドッと疲れが出てきた。
 1つのトラブルはこれで解消。もう1つ、プログラムを改修しないと動かないことは判っているので、その辺をチョコチョコを書き換えた。2時間ほど動作確認。問題なく測定できるようになったので帰る事に。
 朝から飯能。普通に行くと「尻手−川崎−品川−池袋ー飯能」というルートで行くのだが、これは朝から通勤ラッシュに巻き込まれて体力を喪失しろというものなので避けたい。山手線を利用しないルートはないかと調べたら、南武線を下って、「尻手ー府中本町−新秋津‥‥秋津−飯能」というルートがあった。乗車時間も運賃もほとんど変わらない。このときだけは南武線沿線に住んでいて良かったと思った。
 出張先での作業は膠着状態。何が理由で動かないのか。少なくともプログラムの改修だけで何とかなる話ではなさそうな事は判明した。というか、それしか判らない。一旦明日の朝は蒲田に出て、色々な人と相談してから出直すことにした。
 そんなストレスを解消するため‥‥という言い訳で自分を言いくるめて、OMC発注。すずりそうこさんに、PC全身図とPCバストアップを。(ぱたり)
 OMCのツインピンを発注。WT3のPCで。『涙味のホットチョコレート』というタイトルを付けて、悲しみのシチュエーションピンナップ。物語の中の1シーンとして描写してもらいたかったので、状況の説明だけでなく、どうしてそういう状況になったのかの経緯も発注文に記載した。その結果、どことなくプレイング文章のような感じになってしまった。絵師の「いと。」さんに愉しんで描いてもらえればいいのだが。変なところが細かいので面倒かもしれないが。

 朝、会社にでたら、測定器材が動かないので何とかしてほしいとの連絡があった。納期に関わることなので、急遽飯能に出張することに。11時に会社をでて、途中昼食を取って、目的地に着いたのが13時半。簡単にプログラムをいじれば直ると思っていたのだが、どうも様子が違う。状況確認だけで一日が終わってしまった。一旦帰って明日、朝から来る事に。
 体調が良くなくて、西武池袋線に乗っているときはちょっとグロッキーぎみだった。しかし、今日はアクスディア読者参加ゲームの締切日。今日の消印で送れればよいのだけれど、未だ1枚も書いていない。一旦家に帰ってから書こうと思ったが、家で腰を降ろしたが最後、外出できなくなる可能性が高い。それに書き上げてから出かけて今日の消印が貰えるかも怪しい。そういうことで、池袋東口のロッテリアで作業。喫煙席だからか2階は空いていて、窓際のカウンターに座る事ができた。1時間ほど掛けて5PC分のシートを記入。残り時間は後1時間。池袋の中央郵便局がどこにあるか判らないので、よく知っている新宿郵便局に移動し、そこから送付した。無理してるなァ。
 7時半に家を出た。日曜にこの時間に家を出るなんて滅多に無い。JR浅草橋駅集合の時間は8時半。
 今日はギルティギアシリーズ ソルカイオンリーイベント「ラクテン」の一日スタッフ。仰木さん経由の頼まれ事なので遅刻して迷惑かける訳には行かない。(ヒント:後が怖い)
 そんな訳で、8時25分に浅草橋駅に到着。かんたさんやKさんと合流。今日のスタッフ陣で男性は我々3人だけ。最初の机や椅子などの設営要因。かんたさんから、おそらく麻布十番祭りで手に入れたのだろうアヴァンティエプロンを受け取った。その後、仰木さんや空祝さん達も集まり、会場の東京卸商センターに移動。
 会場に到着し、部屋の中に入ると‥‥すでに机や椅子が並べられていた。昨日のイベントのままなのか判らないが、ともかく設営そのものの作業は無くなったみたい。我々男性3名のれぞんでーとるはどこに(ぉ。
 私は室内担当だったので、到着しているサークルの宅配物をサークルさんのスペースに置いたり、追加貸出用椅子を運んだりと細々した作業をしていた。風もあまり無く、天気が良いので隅田川に面している窓際は暑いぐらい。日差しを遮るように薄いカーテンを引き、軽く窓を開けた。スペース上のチラシが飛ばない程度に。
 事前の会議で小物を入れられるウエストバックかエプロンをつけて欲しいと言われたので、コミケサークル参加標準装備のダリエ・エプロン(赤)を纏った。渡されたスタッフ証を首に掛けて、丁稚1号の出来上がり。
 
 一般入場開始30分ほど前に、1階の駐車場に並んでいる一般参加者列の様子を見てきた仰木さんが血相を変えて戻って来た。我々の予想以上の列が出来ているというのだ。全員を一度に入れたら‥‥いや60サークルのイベント会場に入れられる人数ではない。ともかく小分けに整列入場させるため、業務用エレベータを使って会場階まで20名ずつ運ぶことにした。
 気が付くと、私はエレベータの動作管理役。エレベーターガールならぬ「エレベーターガイ」と呼んでくれ(ちがう)。仰木さんが一般参加者の誘導誘導役。こうして、戦いは始まった‥‥
 とりあえず、会場入り口に並ばせられるだけの人数を並ばせることにした。100人以上を列が乱れないように。驚いたのは想定していた以上にきちんとこちらの誘導に従ってくれる一般参加の人々。オンリーイベント故の同胞意識があるのだろうか。最後まで大きなトラブルは1つもなかった。
 11時少し過ぎに開場。上に上げた人達のほとんどを入れたが、それで会場は過密状態。これ以上入れると同人誌即売会という趣旨のイベントではなくなってしまう。今のままだと、続いて人を入れるのは1時間からそれ以上待たなければならない。とはいえ、駐車場にはまだ100名以上並んでいる。幸い、天候がよく暖かい日だとはいえ、薄暗い屋内駐車場に1時間以上並ばせるのは忍びない。有明のコミックマーケットならばともかく、1ジャンルのオンリーイベントでそれは無茶だ。一般参加者も想定していないだろう。不満が溜まってトラブルが発生する可能性がある。
 「状況」が出現して20分ぐらいだろうか、主催者である千秋真冬さんが決断した。一般参加者全員にまずは会場に入ってもらうために、急遽、総入替制にした。会場内に放送。10分後(記憶によれば)に現在会場にいる一般参加者に一旦出ていただき、次に並んでいる人達を会場に入れたいと。機会の公平を選んだ訳だ。予定にないことなので、退出を拒否したり、怒ったりする人が出てくるだろうと予想した。だが、全員何のトラブルもなく退出し、まだ会場に入りたい人は駐車場で再度並ばれた。
 これらの動きがあった間、私はひたすら「エレベーターガイ」役をこなしていた。駐車場から会場前に上げたり、会場から駐車場に下ろしたり。
 12時半ぐらいになって、ようやく落ち着いた。それにしても凄い。12時前にパンフレットは売り切れていた。それ以降に一般参加者にはサークルの会場配置図のコピーを配付。
 私とかんたさんで浅草橋駅前の松屋に昼食として「豚めし」18個を買出しに行った。こういうのは学祭っぽくていいねぇ。控え室で交代で昼食をとることに。お弁当以外にも陣屋橋要さんお手製のクッキーやらスタッフへの差し入れやらがあった。余り休憩するという気持ちになれないので、それほど減っていない。お弁当を食べた後に、デザートとして1つずつ味見。
 昼食を終え、本部に。カタログ販売は終わり、フリードリンクサービスは女性スタッフが対応しているので、控え要員といった感じ。仰木さんのファンの方を仰木さんの所まで連れて行ったり、追加椅子の受け取りをしたり。
 15時、トラブルもなくイベントは無事終了した。大成功だろう。おそらく一般参加者は300名以上訪れたのではないだろうか?その殆どが開場前に並んでいたわけだ。
 後片付けを終え、16時過ぎに撤収完了。我々6名は浅草橋駅近くの喫茶店で30分ほど喫茶。その後、秋葉原まで‥‥歩いた。総武線沿いにずっと歩いたのだが、道すがら面白い看板や怪しい会社名を見つけて、空祝いさんと喜んでいた。怪しいもの探しは愉しい。
 秋葉原駅で解散‥‥のつもりが、空祝さんの「ビールを飲みにいきましょう」の一言で居酒屋探しに。T島さんは買い物があるという事で一旦別れた。
 さて、日曜日の秋葉原で営業している居酒屋というと‥‥「いざかや」が頭に浮かんでしまった。祐巳みたいに顔に出たのか、かんたさんが「DIRASのよく行く店でいいんじゃない?」と全てを察知しているかのようなツッコミを。ガフッ・・・ あの店は‥‥席が開いているか判らないのですが‥‥。
 結局、台東区にある「いざかや」に向かった。今日は梓さんがサークル参加しているはずのコスパがあるので満席の可能性があったのだが、その予想は外れ、無事に座ることができた。インテリア、有線から流れる歌、そしてウェイトレスの衣装に仰木さんたちの「ふぅ」と言った溜め息があったような気がするが気のせいだろう。それよりも、ドリンクメニューが気になったようだ。 「ザクサワー」「グフサワー」「ドムサワー」そして「白い奴」。脇には「美少女 あります」とのビラが。
 まずは全員、ビールで乾杯し、その後は怪しいドリンクを物色してゆくことに。「美少女」は頼まなかったけれど、それ以外は制覇。「白い奴」が好評だった。このとき、アイディア煌く空祝さんが「ゲルググサワーはないのですか?」と。なるほど‥‥そのノリが許されるならばゴッグサワーもできるな。後で店長さんに伝えよ〜。
 それなりに呑んだり食べたり。おそるべき事が判明。携帯が圏外に。T島さんからの連絡がなかったのはそのためだったのか。気が付くのが遅すぎて、全員溜め息。
 最初は怪しいと思っていた人達も、周囲を気遣うことなく更に怪しい会話を楽しめることと、つまみの味と量のコストパフォーマンスの良さを知り、気に入ってくれたようだった。そうなのだ、普通の居酒屋として十分使える店なのだ。『ひよこ家』は。
 十分愉しんで店を出て秋葉原駅で解散。まだ19時近く。今日は一日が長い。上野駅で空祝さんを見送って、渋谷駅に移動。O−WESTに向かう途中でストリートライブの演奏が耳に入った。よいグルーブに惹かれながらも、奥井亜紀さんのチケットを求めて、当初の目的地に。既にライブイベント「歌チョコ」は終わっていた。入り口で亜紀さんとすれ違う。これから打ち上げなのだろう。今日の客だったら声を掛けたかも知れないが、違うので普通の顔をしてすれ違った。(ドキドキしながらも) 無事にチケットを入手。前方にある居酒屋に入っていく亜紀さんの姿を捉えながらも、店を通り過ぎ、一路駅に。おっかけをするつもりはない。
 先程のバンドがまだ演奏していた。丁度最後の曲らしく、終わったところでMDを200円で配付していた。購入‥…
 世間ではバレンタインデー。余り盛り上がっていないのは、今週の「かってに改蔵」の通りの展開なのだろうか?
 私にとっては振替出勤日。通勤は楽だが、社食の夕方営業が休み。ということで、外に夕食を食べに。麺類が食べたかったので、環8沿いのラーメン店に行く事にした。
会社からまっすぐ環8に出る。ガストが近くにあるが、目的に合わないので通りを渡ることに‥‥。目の前に見えた新しい店に驚いた。「すきや」ができてる。蒲田郵便局近くに1軒、そしてもう少し羽田よりにも1軒。ほとんど1km置きにある勘定だ。無茶な出店をしているなぁ。新しい店の前を通り過ぎ、花月に。げんこつラーメンを選んだのは、治りきっていない体調に渇を入れようと。にんにくもたっぷり入れて‥‥。15分後、背油にちょっとやられた気がする(汗。しょぼん。しょぼくれているのは、今日行われた奥さんのライブに駆けつけるのを早々に断念したこともある。
 
 とまれ、明日は朝から忙しい。寝坊は許されない。いつもよりも早めに寝て、体力を回復させよう‥‥と思いながら、時計が24時を過ぎるのを見ていた。





                       (予想通り、義理が1個だけだったっすよ(涙))
 WT4のサブシナリオ「【地】憧れの導師様☆」のリプレイがアップされた。前に比べると随分良くなった。読んでいて愉しい。一緒に参加した2PCもキャラが立っている。こういうリプレイが届くと次も参加したくなるというものだ。
 
 ところで、そうも体調が悪い。ライブを観るために早めに退社するつもりだったが、体調が悪いために早めに退社するような形。JR蒲田駅で真っ直ぐ家に帰るかどうか迷ってしまったほど。
 吉祥寺到着。マンダラ2は久々。開演直前だったが、余りお客がいなかった。1ドリンクは健康を気遣って、薬酒としてタンカレー・ジンのストレート(チェイサー付き)で。ちびちびやりながら、今日のオープニングアクトを務める、ソーイングマシーンの永井LEEさんと話をしたり、本を読んだり。そうなのだ。ソーイングマシーン[http://www2.odn.ne.jp/sewingmachine/]も活動を再開しはじめたのだ。尤も前のようなバンドではなく、永井LEEさんのソロユニットだけれども。情報として元ぱぶりかの事を伝えた。
 さて、オープニングアクト。アコギ1つで永井LEEさんがステージに。久々ということで随分緊張していた様子。3曲ぐらいしかしないのだろうと思っていたが、5曲も聴けたのは嬉しかった。最後の曲「Soul Star」が気に入った。
 ライブ直前まで、ソーイングマシーンの演奏が終わったら帰ろうと思っていた。が、ジンが効いて来たのか、その後のバンドの演奏も聞いてみることに。マークトラヴィス・グループは中途半端なギャクが外していたのと、音が大きかったのでちょっとダメージ。ザ・ワイワイズの演奏に対する感想は「若いなァ」というものだった。そして気が付くと、今日のイベント主催の真黒毛ぼっくすの演奏に。考えていた以上に良かった。驚いたのは最後にイベントバンド全部で歌った「今日の日はさようなら」。この歌を最後に歌うというところに主催バンドのキャラクターが現れている。
 永井LEEさんに挨拶し、真黒毛ぼっくすの最新CDを購入して外にでた。体調はすっかり回復していた。回復した勢いで松屋に入ったほど。そうそう、松屋といえば、豚めし。すきやの豚丼を食べた感想から、余り期待していなかったのだが、美味しかった。牛めしの豚肉使用バージョンではなく、別の丼物として完成されていた。白ゴマが効いている。これで290円は安いなぁと思ったら、WBSで一杯290円では利益が30円しかないので、2月15日から350円に値上げするという。350円か。でも、あのカレー丼と並べられたら間違いなくこちらを食べるだろうな。

 決定的なことはこうである、−−神にとっては一切が可能である。これは永遠の真理で、したがって各瞬間に真理である。ところが人々は日常こともなげにそういうことを口にしているのであるが、しかし、人間がぎりぎりのところまで押しつめられて、彼にはもはや(人間的な意味では)いかなる可能性も存在しないようになったとき、そのとき始めて今いったことが真剣に問題となるのである。神にとっては一切が可能であるということを彼に信ずる意志があるかいなかがそのとき問題となる、−−くりかえしていうが、彼に信ずる[#「信ずる」に傍点]意志があるかいなかということである。だがそれでは、それこそ全く公式通り「正気を失う」ことになりはしまいか? しかり! 信ずるというのは実に神を獲得するために、正気を失うことにほかならない。


 WT4プレイング締め切り。どうにかプレイング送信‥‥今回もぎりぎり。私信を送る余裕は今回もなかった。
 
 自分の調査不足が恥かしい。AERAの2004.1.19号で小倉千加子氏と酒井順子氏の対談記事があったとは。もう、私がああだこうだ書く意味はなくなった。ネットでも引いて観ているサイト[http://www.cafeglobe.com/news/media/index2_040205.html]もあるし。とはいえ、今後もマスコミが多く取り上げるだろうことが予想される。それらは、TV局が視聴率を稼ぐためのヤラセと同じで、燃やすものもなく、火も治まっているのに更にガソリンを掛けるようなもので、マスコミ関係者の発想と精神の貧困さの現れと判断する。その上で、それらの記事を読むと愉しいだろう。イタイ文章を楽しめるはずだ。
 そうだ、「負け犬」という言葉を使ってしまったことについて考えた中で面白いものがあった。ある名称に否定的な言葉が使われている場合、それに該当する集団の存在を抑圧することができる。これを利用して、名称の変更を提案したいものがある。
 「逆ギレ」という言葉。意味は幼稚で卑怯なものなのに、この単語そのものにはそのような否定的な形容がない。そこでこれを「ガキギレ」としてみたらどうだろう‥‥
 
 
 
 
 話変わって・・・
 
 『信仰』が終わって〜 僕等は生れた〜♪
 『信仰』を知らずに〜 僕等は育った〜♪
 
 そんな「『信仰』を知らない子供達」は「死に至る病」を著者の意図通りに『判る』ことは出来ない。エッセーとしてしか読むことが出来ない。
 一PBMゲーマーは日本人PCとして、代替品を用いて味わいを想像する。キュウリにハチミツを掛けてメロンを想像するように。それがニセモノであることを知りながら‥‥
 

 決定的なことはこうである、−−愛は一切が可能である。これは永遠の真理で、したがって各瞬間に真理である。ところが人々は日常こともなげにそういうことを口にしているのであるが、しかし、人間がぎりぎりのところまで押しつめられて、彼にはもはや(人間的な意味では)いかなる可能性も存在しないようになったとき、そのとき始めて今いったことが真剣に問題となるのである。愛は一切が可能であるということを彼に信ずる意志があるかいなかがそのとき問題となる、−−くりかえしていうが、彼に信ずる[#「信ずる」に傍点]意志があるかいなかということである。だがそれでは、それこそ全く公式通り「正気を失う」ことになりはしまいか? しかり! 信ずるというのは実に愛を獲得するために、正気を失うことにほかならない。

 12時まで作業し、先輩がお昼を食べに行くタイミングで那須塩原駅まで送ってもらう。
 一旦、東京駅のロッカーに着替えなどの出張用荷物を預け、浜松町に。(くぅ、やぱし書かねばならぬか‥‥)
 あさみさんのサークルに挨拶するために〜。『St.Valentien〜紅薔薇からの贈り物〜』というマリみて紅薔薇オンリーイベントに。後日の仕事のために下見‥‥ということでもなく単純に挨拶に‥‥。
 アフターイベントが面白かったので最後まで観たかったが、時間がない。あさみさんたちに挨拶して撤収。
 急いで、亀戸に移動。もっと余裕があれば帰宅して、耐寒重視のコートではなく軽めの物を羽織りたかったが仕方ない。‥‥ところが、奥華子さんの野外ライブの会場であるサンストリートに着いたところ、考えていた以上に寒く、見た目は悪いが、野外ライブを見るには正解だった。
 前回のライブがびみょ〜なものだったので、今回はどうだろうか?と不安だったのだが、それを見事に払拭してくれた。見ず知らずの人の足を止めて、聞き入らせてしまう。よいライブだった。

 1.その手
 MC
 2.白いハート
 3.雲よりも遠く
 MC
 4.涙の色
 MC
 5.小さな星

 ライブ後、手焼きのCD−Rと、2/23のライブチケットを購入。行けるか未定だが、とりあえず押さえておいた。
 続いてのライブを行ったemikoさんのおっかけか、それとも勘違いおっかけらしき人達がいたが、彼らも気に入ったようだ。どうか、マイナーアイドル的なおっかけ行為は避けて欲しいところだ。
 ところで、チケットを奥さんから買うに際し、万札しかなかったので、両替するために近くの屋台でクレープを買った。大の野郎が平和な休日のサンストリートで一人、チョコバナナクレープをもぐもぐ食べているところに吹き荒れる寒風は決して客観的風景だけでなく、心象的風景でも‥‥(ぱたり)
 今日のうちに帰りたかったのだが、作業のけりがつかず、結局もう一泊することに。日曜日から来ている人達は帰宅。う〜。
 彼らが去ったおかけが、今日はホテルアライに宿を取ることができた。
 夕食は元喜というとんかつ屋で。同行の二人に「明太マヨネーズとんかつ定食」を勧めた。今のところ、この店でしか食べた事がない変り種メニューなので話のネタにでも‥‥と。怪しがられた。割りといけるんだけどなァ。
 

 さて可能性が必然性を放棄し、その結果自己が可能性のなかで自己自身から離れ去って、再びそこにもどり来るべきなんらの必然的なるものをももたない場合、これが可能性の絶望である。自己は抽象的な可能性となる、−−自己は可能性のなかでもがき廻って疲れ果てるだけで、その場所から外に動き出すこともまたどこかほかの場所にゆきつくこともともにできない。なぜというに必然的なるものこそ場所なのである。人間が自己自身になるというのはまさしく場所における運動そのものにほかならない。生成は場所からの運動であり、人間が自己自身になるというのは場所における運動である。
 さて〔必然性を持たぬ〕自己に対しては、可能性は次第次第に拡大されてくる、その領域はどこまでも拡大されてくるように思われる、−−彼には何物も現実的にはならないのであるから。最後にはどんなことでも可能であるかのように思われてくる、−−そして丁度ここまできたときには、深淵がもう自己を呑み込んでしまっているのである。

 
 那須出張。ダイヤ改悪のお陰で、那須出張初日は睡眠時間が少なく効率が物凄く悪い。測定作業は進んだが、解析や他の作業はろくに進まなかった。
 夕食は黒磯市内のCOCOSに。みょ〜に和やかな雰囲気。それぞれ別個の作業をしているので、損得関係が余り無いため、水平的な関係だからかしらん。
 ホテルアライの予約が取れず、私だけ別の旅館の相馬屋に泊まる。電波環境はこちらの方がいい?
 
 読書。件の本を読んで感じたのは、この本で書かれている内容は「特殊」だというもの。30代の‥‥云々言っているが、これは今現在の30代に当てはまることで、10年前に30代だった人の10年前や、10年後に30代になる人の10年後では当てはまらないだろうということ。具体的に言うと、バブル期の恩恵を受け、当時の「都会的生活」を謳歌し、形を変えつつも「都会的生活」を継続している一群。こう言うと、先程の「今現在の30代」という年齢の括りも実際は違う。年齢的に同じでも、それに無関係な人達は別のグループになる。年齢で括る危うさを述べるのが目的ではないが、ともかく件の本はそのように読まなければならないだろう。筆者もそういう人々を対象に語っているはずだ。判る人は判るけど、判らない人はどうせ判らないだろうというスタンスで。
 筆者の「負け犬」という定義によって肩の荷を下ろすことが出来て安らげる人とそうでない人が同じ世代で存在しているのは「都会的生活」度の違いによるものと考える。ところで、「負け犬」は何になりたいのか?
 

 童話や伝説のなかにしばしばひとりの騎士が出てくる。或る騎士が突然一羽の不思議な美しい鳥を見つけた。鳥は始めにはすぐ近くにいるように見えるので、騎士はそれを手で捕えることもできるように思いこむ。彼はそれを追いかける、そうすると鳥は或る距離だけ飛び去る、騎士はどこまでも追いかける。ついに夜となり、仲間からはぐれた彼は自分の迷いこんだ森のなかでもはや帰路を見出すことが出来なくなるのである。憧憬的な可能性とはちょうどこのようなものである。可能性を必然性のなかにとりもどす代りに、彼は可能性の後を追いかける、−−そしてついにはもはや自己自身への帰路を見つけることが出来なくなるのである。−−方向が逆ではあるが、憂愁においても同じことが起る。そこでは人間は愛の憂愁にかられて不安の可能性を追い求めるのであるが、そのため遂には自己自身から離れ去ってその不安のなかで身を滅ぼすにいたるのである、ないしは、そこで身を滅ぼしはしまいかと不安に感じていたそのもののなかで身を滅ぼすにいたるのである。


 絶望のこの形態には世間では全然といってもいいくらい気づいていない。こういうふうに自己自身を放棄する人は、まさにそのことによって却って世間の取引を旨くやってのける骨《こつ》、いな、世間で成功をかちうる骨を体得するにいたるからである。こういう人々の場合には彼の自己とその自己の無限性への努力が彼を邪魔したり彼に煩らいを齎《もた》らすなどということがなくなる、彼は小石のように滑らかに擦り減らされており現今流通の貨幣のように通りがいい。世間は彼を絶望していると看なすどころか人間はすべてかくあるべきものと考えるのである。一般に世間は(これは当然のことだが)真実に怖るべきものの何たるかを全然理解していない。ただに生活に何の不都合をも来さないだけでなく、かえってその人の生活を安易な愉快なものにするような絶望が全然絶望と看なされていないのはむしろ当然である。世間の考えがこういうものであることは就中《なかんづく》ほとんどあらゆる格言−−これは大抵は処生訓にすぎないものであるが−−についても窺《うかが》われる。例えば、饒舌《じょうぜつ》には十度の、沈黙には一度の後悔があるということがいわれる。なぜであるか? 口に出していったということはひとつの外的な事実であり、それ自身ひとつの現実なのであるから、それはひとをいろいろな煩らいのうちに捲きこみうるからである。けれどももし口に出していわなかったとしたら! 実はこれこそ危険きわまることなのである。

 
 口に出して言おう。私は本日、「マリア様がみてる」オンリー同人誌即売会『薔薇色革命?』の会場を訪れたと(自爆)。
 ひ〜ん、あさみさん達のサークルとダリエファンクラブ仲間の吉成綾加さんのサークルに挨拶に行っただけで‥‥。
 『いばらの森』第二版をサークル・クロスロードで買い求めたときに、「マリみてPBeMに参加していますよ。大井さんの紹介で‥‥」と自己紹介しかけたら、「ああ、DIR‥‥Sさんですよね」と返された(がたがた)。
 
 イベント終了後、あさみさんたちと遅い昼食を会場地下の食堂で取った。食堂はアヤシイ団体に会場の7割を占拠されていた。どうやら、講演会をしているらしい。聞こえてくる話が‥‥イタスギル。どうやら自然保護活動家の講演らしいのだけれど‥‥。とりあえず、我々の笑いのツボを刺激してくれるのは止めて欲しい。食事中に。講演者だけでなく観客もヘンな人が多かったみたい。講演に対する質問がどうしたら自慢話大会になるのだろう。馬脚現しっぱなし。
 浜松町駅であさみさん達と別れ、川崎に。理髪店に寄った後、吉野家で牛丼を食す。先程軽く食べたばかりで食欲はなかったが、名残惜しむために‥‥。
 マユールに18時半ほどまでいた後、チネチッタ川崎に。ようやく「ラストサムライ」を観た。ツッコミたいところもあったが、お金を払った分は楽しめたのではないか。ただ、私は観客としては余りに頭でっかちになりすぎていた気もする。
 
 

 というのは沈黙においては人間は全く自己自身へと孤立せしめられる、そこでは現実がやってきて彼の世話をやくということがない、−−現実が彼の言葉の結果を彼の上に齎らして彼を罰するというようなことがないのである。しかり、そういう意味では沈黙は決して危険を齎らしはしない。けれどもまさしくその故に、怖るべきものの何たるかを知っている人は、その進路を内側にとって外に何の痕跡《こんせき》をも残さないような罪・咎《とが》をこそ何にもまして最も怖れるのである。それからまた、世間の眼から見ると冒険は危険である。なぜであるか?冒険には失敗の可能性がつきまとうから。冒険しないこと、それが賢明である! しかも我々は冒険さえすれば容易に失うことのないもの(よしほかにいかに多くのものを失おうとも)をかえって冒険をしないために怖ろしいほどやすやすと失うことがありうるのである、−−すなわち自己自身を。少なくとも冒険するのはかくもやすやすと、あたかも何も失われはしなかったかのようにかくもやすやすと、自己自身を失うというようなことはない。もし私の冒険が誤っていたとすれば、そのときはそのときで、人生が刑罰によって私を救ってくれるであろう。しかしもし私が全然冒険を試みなかったとしたら、一体誰が私を救ってくれるのであるか? ことにもし私が最高の意味での冒険(最高の意味での冒険とは自己自身を凝視することにほかならない)を避けて通った卑怯さのおかげで、あらゆる地上的な利益を獲得することはできたが、−−自己自身はこれを喪失したとしたら?


 「人、全世界をもうくとも、己が生命を損せば、何の益あらん」
 全然返せないでいる長着。今日も店が開いてない様子でダメだった。
 遅い昼食をマユールで取ってから、蒲田経由で大倉山に。約束の時間まではまだある。大倉山はほとんど知らないので、駅周辺を少し歩いてみる。良さそうな喫茶店でもないかしらん‥‥。「カフェグランデ」という店を見つけてコーヒーを飲んだ。ゆったりできそうな店だった。
 18時ちょっと前に駅に戻ると既に待ち合わせている友人達の姿が。まだ来ない数名を待ちながら、昨日から読んでいる本を読んでいた。
 全員集まって、天文部OB会の「新年会?」会場[http://girls.www.infoseek.co.jp/leisure/restaurant/kanagawa/detail.html?ip=2&;id=0002102028&p0=14&g0=15&u1=genre&s0=3]に。
 ああ、愉しいひとときを・・・
 「負け犬の遠吠え」購入。
 いきなり「本書を読まれる前に」で笑わせてもらった。ある意味、これだけでもう十分だ。イタイ。
 何故、この章があるのだろう。『負け犬』という言葉の定義をしているように見えるが実は違う。論じる前に、逃げ道を確保しているのだ。そういう意味で確かに、ここには「負け犬」根性がある。
 そもそも、定義があいまいだ。「子供の有無」と「結婚している、していない」は別の話だし、「普通の家庭」というものについても何も説明がない。どうにか読み解いた上で類推される定義は「著者の親世代の常識でいうところの『普通の人生』を生きていない半端者」だと考える。
 
 著者は別の言い方として次のように説明する。

 「既婚子持ち女に勝とうなどと思わず、とりあえず『負けました〜』と、自らの弱さを認めた犬のようにお腹を見せておいた方が、生き易いのではなかろうか?」という意識から来る、一種の処世術と見ていただいてもいいでしょう。

 さて、この処世術で得られる人生とは何なのだろう。ルサンチマン的な域を出ない気がするのだが。この説明には「自分の弱さを認めた犬のように」とあるが、実際は自分の弱さを認めていない。認めた『振り』をしているだけ。自分の弱さを認めざるを得なくなった末、本当に、真剣に、強度を持って「自分の弱さを認めた」訳ではない。
 この説明文を読んで連想されたのが、「AC概念」だ。「負け犬概念」は「AC概念」の上っ面を掠めて発想された印象を与える。それも悲しいかな誤解したものの上っ面を。決定的な誤解。「ベクトルの向きが逆」という事。本当の「AC概念」は内向きなのに対し「負け犬概念」は、誤解されている「AC概念」と同様に、外向きなのだ。
 
 ‥‥と、読み始めからかなり辛口な感想で始まったが、それなりの期待もしている。1400円もしたのだ。それを覆してくれる何か、読んだ人に希望を与える何かかあるはずだ。
 ‥‥でなければ、可哀想じゃないか。
 買ってまだ聴いてないCDがいくつかあった。ザバダックの新譜も。その新譜を聴いた。気に入った曲もある。
 アルバムタイトル曲の「wonderful Life」を聴いて、「Papa told me」を思い出してはいけない?確かに信吉よりもかっこ悪い詩になってしまっているので違うのだが。最後の『できるなら もう一度だけ この手に 抱きしめたい』という句を何故入れたのか、私にはさっぱりわからない。これでは、それまでの言葉が偽りの言葉だということになってしまう。そういう受け取りが正しいのか。それを作詞者は狙ったのか。やるせなさを。ならば、ある意味で素晴らしい。新境地かも。
 
 
 出張先を定時で退社した。ここ最近滅多になかったので嬉しい。明日も作業する人達に挨拶して、黒磯駅への送迎車に乗り‥‥ちょっとトラブル発生(うぐ)。浮かれていたからか。
 駅で降りて、そのまま電車に乗らず、マチルダで夕食を。
 チャットをしていたら、WT3の依頼が開いているのを見て、参加。処理などに追われていたら、乗るつもりだった電車を乗り過ごした。浮かれていたからか。
 WT4のサブシナリオ「【地】憧れの導師様☆」に参加。同じディブに参加しているPC「金の導師様(はぁとまぁく)」のPLさんも誘ったのだが、残念ながら参加されなかった。ギャグネタで突っ走れたと思ったのだが。プレイングそのものはそれなりに壊れたものになったので、後は紅茶マスターがどう調理してくれるかどうかだ。前回は限りなくコピペリプだった。さて今回は如何。
 
 夜。にしんさんから指摘を受けた。どうやら私がAERAの記事から読み取った「負け犬の遠吠え」という本の内容はびみょ〜に違うようだ。半可通が一番ダメという事象が今回も。とまれ、買って読んでみよう。そうすれば、批評する権利は得られるだろうし。
 ヤフーBOOKSにインタビュー記事が載っていると教えてもらったので読んでみた。[http://books.yahoo.co.jp/featured/interview/20040204sakai/01.html]
 色々思うところがあるが、一番気になったのがインタビュアーの中沢明子氏。この人、先のAERAの記事中の特集として「愛読誌でわかるあなたの負け犬度チェック」の文章を書いた人なのだろうか。同一人物だとするとかなり疑問に思うものがあった。この人のインタビューの振りにこんなのがある。「――雑誌や新聞の「負け犬論争」のようなものを読むと、「30代以上の未婚女性を負け犬だなんて、どういうつもりだ!」「私は負けてなんかいない!」といった調子の、そもそも『負け犬の遠吠え』を読んでいるのか?という疑問を感じざるをえない意見を言う方がいます。」
 私はAERAのあの記事しか読んでいない。逆に言えばあの記事を読んだ上で2/2の日記に書いたような事を感じた訳だ。伝達不十分な記事そのものに関わっている人が、「私は違います」という感じでインタビューに臨んでいるならば、滑稽だ。尤も氏は只の一ライター、記事全体に関与できないのだろうから言い過ぎては可哀想だろう。だが結果的に、これら全てが滑稽に見えるバイアスを受けてしまった。
 
 
 
 OMCでかんちゃんさんに依頼した全身図が納入された。
 
 
                  ‥‥(ぱたり)。
 
 
 
 一昨日の日記の引用について、引用元を記載するのを忘れていた。私の好きなエッセイストであるS・キェルケゴールのエッセイ「死に至る病」(岩波書店版)から。
 節分ということで、7−11で「恵方巻き」を売っていた。一部の地域で行われている行事を広めることで商品消費を促す戦略。クリスマスケーキやバレンタインデーのチョコレートと同じ仕手商品。それを承知の上で、ネタのために買ってしまう自分。やってしまう自分。まぁ、海苔巻きなんて久々で、思った以上に美味しかったからいいか。今しか食べられないのならば、また買ってもいいかも。
 
 現在、出張先には同じ部署から私を含めて7名来ている。宿泊しているホテルも同じなので、勢い集団行動になる。普段の昼食は個々人ばらばらに食べているのに、今日は1テーブルを囲んで皆で食べる。個人主義の職場なので、こういうときに同じ職場の人の人となりを初めて知ることになる。それは基本的な事、例えば食べ物の好き嫌いとか、普段の食生活とかを通して。余所から見たら「親密さの増大の実験」のような。
 
 昼過ぎからどうやら雪が振り出したようだ。16時ぐらいには降りは結構強くなっていた。ボタン雪のようなので直ぐに解けるとは思うが。
 降雪なので少し早めに夕食に出掛けた。場所はファミレス「五十番」。定番のハンバーグカレーを食べる。私にとっては問題ないが、ドライカレーの油がきつくて残す女性もいた。油がきついなんて思いもしなかったので少し驚いた。
 食後にWT3シナリオのプレイングを作成して送信。罠ありの戦闘シナリオなのに、いつもの突撃型装備しか持たせていない。PCの特性がそういうタイプなので仕方ない。
 
 7−11に寄る。恵方巻き再び(ぉ
 いや、まいった。寝坊というより、時刻表の記憶違い。自分では余裕があると思っていたのに‥‥。
 東京駅の売店でAERAを購入。最初の特集の「負け犬の幸福論」という記事を読む。どうやら、このあいだかんたさんが教えてくれた酒井順子氏の「負け犬の遠吠え」という本が引き金になっての特集らしい。階級内差別の話?
 問題の本を読んでいないのでなんとも言えないが、勝ちだ負けだという比較の価値観に取り込まれた時点で、著者も編集者も読者も「絶望へまっしぐら」なのは判る。
 「負け犬」という言葉は愚痴話のネタとして扱うのが一番当たり障りがないだろう。まともに扱えば危険すぎる話だ。何もかもが見えてしまう。
 読んでる雑誌で読者を分類する記事で小倉千加子氏の「結婚の条件」を思い出した。あれも読んでいる雑誌から読者の生き方を分類している。危険といえば、この本も危険だ。視野が広い分、こちらの方がヤバイかもしれない。

 話題になっているという現象を見るとき、見過ごしてならないのはこれに対抗する男性を対象にした本が見当たらないことだ。おそらく、男性を対象にした本は女性よりももっと『シャレにならない』から出せないのだろう。もしくは、もっと別の評価関数によって比較される「絶望へまっしぐら」の別の本があるのだろう。
 

 ああ、もしもいつか砂時計が、人生の砂時計がめぐりおわるときが来るとしたら、−−そしてこの世の喧騒が沈黙し、せわしない暇つぶしの営なみが終りを告げ、君の周囲にあるものすべてがあたかも永遠におけるが如くに静まりかえるときが来るとしたら、−−そのとき君が男であったか女であったか、金持ちであったか貧乏であったか、人の世話になっていたか独立していたか、幸福であったか不幸であったかというようなことはすべて問題ではない。君が王位にあって冠の輝きを帯びていたか、それとも人目につかぬみすぼらしい人間としてその日その日の労苦と暑熱とを忍んでいるにすぎなかったか、君の名前が世界の存続している限り人々の記憶に止まっていたか、それとも君は数知れぬ群集のなかの一人にすぎぬものとして名前もなしに一緒に駆けずりまわっていたか、或いはまた君を包んでいた栄光はあらゆる人間的描写を凌駕するほどのものであったかそれともまた君はこの上もなく苛酷で不名誉な人間的判決によって罪人の烙印を押されていたか、そういうことは問題ではない。永遠が君に問うこと、これらの数知れぬ幾百万の人々の一人一人に問うことはただ一つである、−−君は絶望して生きていたかどうか、君は君の絶望に少しも気づいていないような状態で絶望していたか、それとも君の病を君を咬む秘密として君の心の奥底に秘めて生きてきたか、罪深い愛慾の果実としてそれを君の胸の下に抱いて生きてきたか、それともまた絶望にたえかねて狂暴となり他人の恐怖のたねとなるような仕方で生きてきたか。もしそうだとしたら、もし君が絶望のまま生きてきたとしたら、よしその他の点で君が何を獲得しないし喪失したとしても一切が君には喪失されてしまっているのである。永遠は君を受け付けない、永遠は君を知らないというのだ! 或いはもっと怖しいことには、永遠は君を知っている、君の知られている通りに君を知っている、−−永遠は君の自己を通じて君を絶望の中に釘づけにするのである!

 
 夕食は楼蘭で海老チリソースかけご飯。airH"の圏内なのでメールチェック。逢魔PCのOMCシングルピンナップが納品されていた。早速確認。ピンナップ?う〜ん、商品でいうところの「ウエストアップ」にしか見えない。私の指定が悪かったのか。一番怖ろしい予想は「間違ってピンナップ系の枠を開けていた。背景は描けない。」というもの。このままだと、この新人絵師さんの評判が悪くなる。滅多にファンレターは出さないのだが、今回は指摘するために出してみようか。
 
 その後、出張先に戻って作業。気が付くと24時過ぎ。ああ、OMCのバレピンを頼み損ねた〜!
 Do As Infinity@日本武道館の追加公演を見に行った。Do As InfinityをDAIと略すのを知ったのはファンサイトなどを巡って。やっぱり長くて書きにくいからねぇ。登録すればともかく、チャットなどでは長くて面倒。
 さて、そのDAI、私はファンというほどのものでもなく、先日買った「GATES OF HEAVEN」も2枚目。AVEXレーベルはちょっとあざとさを感じているので、それ故に避ける傾向があった。ライブを見に行こうと思ったのは、アルバムに収録されているいくつかの歌が引っかかって、改めて彼らに関心を持ったからだ。
 しかし日本武道館に来るなんて何年ぶりだろう。九段下駅を利用するのだってガタコン@東京以来かもしれない。
 開場時間になっているが、別段急いで中に入る必要がないので、しばらく道路の脇の鉄柱に腰掛けてチャットをしていた。しばらくしていると隣にも人が座りタバコをふかしている。と、警備員に注意された。「タバコを消してください。ここは千代田区です。条例で道路での喫煙は禁止されています。」 ああ、武道館って千代田区にあったのね。改めて認識。
 
 17時ちょっと過ぎに開演。いきなり全員の客がスタンディング。しまった。座って聴くものだと思っていた。終演までほとんど立ち通し。立ち続ける体力の無い人は厳しいかな。1階席から見下ろせるアリーナ席のお客が一糸乱れず腕を振っているのを見て、イソギンチャクの触手を連想して薄気味悪く感じ、ちょっと引いてしまった。ブラックワイドショーの影響か。いけない、いけない。そんなことではノリ遅れる。
 日本武道館ってやはり音響が良くないのだなぁと思った。東京ドームも似たようなものなのかしらん。
 ライティングや映像設備にそれとなくお金が掛かっているのが判った。たわめた白いスクリーンにまだら模様の色を浮かべさせるのはどういうカラクリなのだろう。通常のライトでは難しい。プロジェクターならば相当の性能のものを使っているはずだ。AVEX関係のライブなので卑下たゴージャスさを垂れ流す演出のライブかと思ったら、照明からも判るように品のよい演出のライブだった。どうやら誤解していたようだ。
 DAIのメンバー二人の気安さなどのキャラクターがにじみ出ているライブ。愉しめた。歌った曲全てを知っているわけではないが、「GATES OF HEAVEN」に収録されている曲は直前まで聴いていたから染み付いているし、ヒット曲はTVなどどこかで耳にしている。売れている人のライブは歌っている曲が判る、知っているという点で愉しむのに敷居が低いことを再認識。周りに合わせて動いていれば、それなりに楽しめるだろうし。
 DAIのメンバーの名前すら覚えていない。熱烈なファンからのヴォーカルの女性に対する掛け声を聞いて、最初ニックネームだと思った。だが、それは名字だった。「(名字)ちゃ〜ん」と。チャン付けのライブ会場での呼びかけとしてはこれって珍しいのでは?メンバー同士がそう言っているからなのかもしれないが。名前に比べれば、名字の方が他人行儀な感じを普通受ける。呼ばれている本人が名字を意識しているのだろうか?家族を意識しているのだろうか?彼らに対し、もう少し調べてみたくなった。歌詞の理解のためにも。
 このライブは近いうちにDVDとして発売される予定らしい。会場で聴いたのと、収録されたので音がどう違うのかチェックしてみたい。
 
 終演後、いそいそと九段下駅に。観客全員が九段下方向に誘導されている。ちょっと遅れたら、地下鉄の乗車が大変になるのが予想されたので、競歩の如くに。
 新橋の吉野家でカレー丼を食べた。う〜む。ヤバイな。代替商品としては完成度は今一。少なくとも吉野家でなければというほどの味ではない。近くの駅ソバのカレーライスの方が美味しいかもしれない。牛丼に絞ってきたから逆に新規商品開発能力が無くなっているのかしらん。どうせならば他の店では食べられない、完全にオリジナルな丼ものを開発すればいいのに。ファーストリテイリングのトマトの魅力を使いきったコラボ丼とか面白そうなのに‥‥。まぁ、まだマーボ丼と焼鳥丼を食べていないのでそこまで言わなくてもいいのかもしれないが。焼鳥丼も原材料がいつまで入手可能か判らないので早く食べに行った方がいいのかしらん。
 
 明日の出張準備のため、21時過ぎに会社に。出張先で使う資料とか梱包していたら、24時になっていた。 
 ところで、昨日買った「豚まん」「白えびの押し寿し」「きのこ入りカレーパン」は美味しく頂いた。蒸し器があれば冷えた豚まんをもっと美味しく食べられたのだが‥‥
 マーガレットズロースが新宿のタワーレコードでインストアライブをすると知って、正直驚いた。ぱぶりかの対バンとして聞いたのが最初。味のある歌を歌うけれど、万人受けするような歌を歌うバンドではない。それよりも自分達の詩を歌うことに重きを置いている感じだった。そういうバンドがインストアライブをするとは。
 そのインストアライブが今日ある。久々に新宿に行くことにした。30分ほど早くついたので、タカシマヤの10階催事場に足を伸ばした。JRの車内ポスターで「グルメのための味百選」という企画をしているのを見かけたからだ。「551蓬莱」が出店している。豚まんを食べたくて訪れた‥‥が、物凄い並んでいる。先に香川の「羽根さぬき本舗」の和三盆糖を買ったり、地酒コーナーを見ていたりしたのが失敗だったか。10分並んだが、後5分で買えそうもない。16時からのインストアライブに間に合わなければ新宿に来た意味がなくなるので、仕方なく退却。朝から何も食べていないので去り際に「ビストロ喜楽亭」のきのこ入りカレーパンを買って、タワーレコードに。
 
 J−POPを扱う階の片隅にライブスペースがある。マーガレットズロースの新譜が流れていた。思った以上に客が集まっている。フライヤーを配る人やビデオを撮っている人は彼らの知り合いの様子。偶々店に立ち寄ったついで‥‥というのではなく、態々観に来ている人がこれほどいるバンドに成長しているとは知らなかった。16時をちょっと過ぎて、ギター&ヴォーカル、ベース、パーカッションの3名が登場。ドラムは音が大きすぎるから持ち込めなかったらしく、コンガなどを使ったアコースティックバージョンの演奏になる。
 演奏が始まった。久々に「斜陽」を聴く。新譜「こんな日を待っていたんだ」のタイトルはこの歌の歌詞の一節から取られている。マーガレットズロースを代表する歌。
 他にも友部正人さんの「大阪へやってきた」のカバー、「パンツの歌」、「今夜ライブの話をしよう」など4曲を歌った。シャイなヴォーカルの平井さんなど3人の好青年ぶりが見て取れるライブだった。
 ライブだけで終りだと思ったら、サイン会まで実施したのでまた驚く。どうせCDを購入するつもりなので参加してみよう。
 CDを購入するために、そのフロアをうろうろしていて了解した。この店はインディーズCDに力を入れている。ただCDを置くだけでなく、良さをアピールしようとしている。マーガレットズロースも同様に恐らくスタッフがプッシュしたいと思って取り上げたのではないだろうか。うろうろした結果、マーガレットズロース「こんな日を待っていたんだ」、サザンハリケーン「台風の芽」、菅野ようこ「GET9」、zabadak「wonderful life」、菊池成孔featuring岩澤瞳「普通の恋」、そして菊池成孔×コンボピアノ「10 Minutes Older」を購入。 
 無事にジャケットにサインをしてもらった後、タカシマヤに。先程の雪辱を晴らすべく並ぶ。30分ちょっと並んでようやく豚まんをget!そこまでして‥‥という思いもあったが。
 豚まんは後で食べるとして、それ以外の展示品も見て回る。地酒コーナー、改めてよく見て驚いた。鶴の友が置いてある。上白と純吟が。これには驚いた。が、判っているお客は余りいないようで、それほど売れてはいなさそうだった。張り付いている販売員も全く別の醸造所から来ている人などだったので、越後銘酒は飾りとして営業はしないようだった。
 沢山出店しているので見て回るだけでも愉しい。品物を売るだけでなく、その場で調理している店もあった。京都「八起庵」の鴨なんば。ふらっと入って注文。カウンターの向こうにいる親父さんに「暑いから上着は脱いだほうがいいですよ」と京都弁で言われ、コートを脱いでシャツ姿に。ずっと立っていたので座ることができて、ちょっとほっとしてた。
 こうやって座ったはいいが、実は鴨なんばの味については期待していなかった。いくら全国から名店を集めたからといってそんなに抜きん出ていることはないだろう。自分の想像の範疇だと、かけうどんに鶏肉が載っている以上のものでしかなかった。
 出店スペース内で作られた鴨なんば。軽い気持で汁をレンゲでとって味見してみる。驚いた。これは美味しい。ダシが効いていてしっかりした味わい。京都というので薄味を想像していたのだが、全く違う。 適度な歯ごたえがあり、旨みの濃い鶏肉、しっきりとした京ネギ、汁がよく絡む細うどん。そして味を引き締める山椒。よく考えられているなあと食べながら感心した。山椒なんて鰻ぐらいしか使わないのだが、鴨なんばではとてもよい薬味になっている。美味しさに驚いていると、先ほどの親父さんが「どうですか?」と尋ねてきたので、素直に「美味しいです。山椒が効いてますね」と答えた。京都では山椒を日頃の料理でも使うという。関東では先程も書いたように鰻以外ではまず使わない。京都では欠かせない薬味らしく、味噌汁にも掛けるとその親父さんは言っていた。七味を味噌汁に掛ける人は知っているけれど‥‥。そこで七味の中に山椒も含まれているのを思い出す。あちらでは七味も山椒の香りの強いものが好まれるようだ。山椒について面白い話も聞いた。薬味屋さんの話だと、蝮がいるようなところの山椒が良い品なのだという。なので良い山椒を手に入れようとすると危険な思いをしなければならないらしい。ふうむ‥‥ふと思った。この柔和な顔つきの親父さんは誰なのだろう。デパートの企画の出店のお手伝いという感じではない‥‥
 夢中に食べるという体験は久々だ。汁まで飲み干した。満足感。1500円という値段はうどんの値段とすると高いが、満足感からすると妥当だろう。親父さんもよい食べっぷりが嬉しかったのか、チラシを貰ったときに「京都の店にも是非来てください」と言われた。世辞にしても嬉しいものだ。とてもよい気分で出店を後にした。本店は京都は左京区の川端丸太町にあるらしい。また京都に行くことがあるだろう。そのときには立ち寄りたい。
 さて他にも美味しそうなものが沢山あって、相当我慢したつもりだが、それでもタカシマヤを出るときには東京の「羽二重団子」の羽二重だんご、富山の「堺捨」の白えびの押し寿し、福井の「奥井海生堂」の利尻昆布などを買っていた。

 アキバの「いざかや」に。店内のお客の大半が独特の雰囲気を持っていた。はて?何かイベントがあったかしらん。宇宙刑事ギャバンを元ネタにしたパロディ本「聖戦戦士○○○○」とかを広げている人がいたり、とても軍服ちっくな服装をしている人がいたり。そういう人たち以外にも「アヴァンティ」してみるとどう考えても自衛官らしき20代前半の人たちの会話が聞こえてくる。「演習で銃剣で一人倒しましたよ〜」とか。「走れコータロー」の替え歌で「走れ陸士長」とか。海自関係者らしい人が一般人である私や隣の人に、今日明日ととあるイベントが開催されていて、その帰りだという話だった。イベント名を聞いて、思い出した。大井さんが先日言っていたイベント。私も前に行って50AE弾を‥‥(ごにょごにょ)。とまれ、そのイベントを知っている。そして全てを了解してしまった。ということは、そんな私も一般人でわ‥‥(とおいめ)。

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