いぬもあるけば・・・「箱書」
2003年6月19日 ふらっと書店に立ち寄る。イカロス出版から出たムックを買う。しかし、これほど詳しく載っているとわ・・・
マリみて、続刊4冊購入。もうだめ・・・
カルチャースクール。茶碗の箱紐の結び方を習った。裏千家は右にループが、表千家は左にループがくる。こういうところも違うのか。
今日は焼き物そのものでなく、箱書や付属文書などに焦点を置いたお話。箱書きは千家は謙って裏側に、武家の不昧や遠州流は表側に書いていることが多いという話に、茶人としての立場と社会的身分について思いを巡らせる。
箱に付属する文書の話に出てきた、折紙と極め札。自分の生活には関係ないものだが、よくいう「折紙つき」や「極めつき」という言葉の由来がここにある。折紙つきは知っていたが、極めつきについては動的なイメージを持っていたのでちっと驚いた。「極めた・尽きた」というイメージが言霊的にはともかく、由来としては間違っていたことを知った。う〜む。
箱書や付属文書については、「実体でないもの、書き記したもの」である故にその取り扱いに批判的な意見があるらしい。それを「単に古物品に関する話」だと思っていると足元を掬われる。歴史とは、存在とは、情報とは、現実とは・・・そんな問いに結びついている。
茶道具が、茶人によって見出されたものならば、見出すという行為が先にあることになる。価値判断によって、物が立ち現れる。「誰が、どこで、何を、どうやって」という物自体に付属するものではなく、他者による承認がそれを決定する。只、茶人の前に。単独者として。
講義の後は、スライドを見て行く。不昧公由来の伯庵茶碗がどのように包まれ、どのような箱に収められているのか、外側から1つ1つ取って行く。小さな茶碗が幾重にも包み収められているのが判った。ここまで来ると、これも文化だなと思う。
とりあえず、ツアーに参加することに。10/20を中心に5〜8日間。紋付き袴、借りられるだろうか? いや、それよりも休めるか? 皆既日食級にレアな話なので是非とも参加したいのだが。
マリみて、続刊4冊購入。もうだめ・・・
カルチャースクール。茶碗の箱紐の結び方を習った。裏千家は右にループが、表千家は左にループがくる。こういうところも違うのか。
今日は焼き物そのものでなく、箱書や付属文書などに焦点を置いたお話。箱書きは千家は謙って裏側に、武家の不昧や遠州流は表側に書いていることが多いという話に、茶人としての立場と社会的身分について思いを巡らせる。
箱に付属する文書の話に出てきた、折紙と極め札。自分の生活には関係ないものだが、よくいう「折紙つき」や「極めつき」という言葉の由来がここにある。折紙つきは知っていたが、極めつきについては動的なイメージを持っていたのでちっと驚いた。「極めた・尽きた」というイメージが言霊的にはともかく、由来としては間違っていたことを知った。う〜む。
箱書や付属文書については、「実体でないもの、書き記したもの」である故にその取り扱いに批判的な意見があるらしい。それを「単に古物品に関する話」だと思っていると足元を掬われる。歴史とは、存在とは、情報とは、現実とは・・・そんな問いに結びついている。
茶道具が、茶人によって見出されたものならば、見出すという行為が先にあることになる。価値判断によって、物が立ち現れる。「誰が、どこで、何を、どうやって」という物自体に付属するものではなく、他者による承認がそれを決定する。只、茶人の前に。単独者として。
講義の後は、スライドを見て行く。不昧公由来の伯庵茶碗がどのように包まれ、どのような箱に収められているのか、外側から1つ1つ取って行く。小さな茶碗が幾重にも包み収められているのが判った。ここまで来ると、これも文化だなと思う。
とりあえず、ツアーに参加することに。10/20を中心に5〜8日間。紋付き袴、借りられるだろうか? いや、それよりも休めるか? 皆既日食級にレアな話なので是非とも参加したいのだが。
いぬもあるけば・・・「心+亡」しい。「心+亡」れた。」
2003年6月18日 忙しさにかまけて、6/20のチャリティーコンサートのチケットをネットで予約するのを忘れた。仕方ない。当日券で行くしかないか。ZOWさんには行くと伝えてあるので大丈夫だろう。
週末の予定を調整。充実した週末を過ごせそうだ。
6/15に購入したマリみての「黄薔薇革命」「いばらの森」「ロサ・カニーナ」を読破。うーむ、こうも一気に読んでしまうとわ、不覚。ところでこの物語は女子高を部隊にした話だが、この雰囲気にはどこか馴染みがある。地方都市の男子高でもこんな感じのゆったりした雰囲気はあった。尤も、それは単に異性の目が無い故の気楽さ、そちらに関しては中学生レベルの感性のままという隔離環境を示している訳だが。だが、それだけではなかった。物語に既視感のようなものを感じていた。最近では「はちクロ」がこの類だが、それよりも遥か昔の作品。
週末の予定を調整。充実した週末を過ごせそうだ。
6/15に購入したマリみての「黄薔薇革命」「いばらの森」「ロサ・カニーナ」を読破。うーむ、こうも一気に読んでしまうとわ、不覚。ところでこの物語は女子高を部隊にした話だが、この雰囲気にはどこか馴染みがある。地方都市の男子高でもこんな感じのゆったりした雰囲気はあった。尤も、それは単に異性の目が無い故の気楽さ、そちらに関しては中学生レベルの感性のままという隔離環境を示している訳だが。だが、それだけではなかった。物語に既視感のようなものを感じていた。最近では「はちクロ」がこの類だが、それよりも遥か昔の作品。
いぬもあるけば・・・「続きと買占め」
2003年6月17日(6/16の続き:1日分の枠で書き込めるのが3000文字ぐらいらしいのではみ出した分を翌日分に)
紹介されても接点がないと辛い。とりあえず、どんな所で演奏しているのかを尋ねた。ライブハウスは個々に傾向があるので、どこで演奏しているかが判るとどちらの傾向だか判る事が多い。しかし帰ってきた答えはそういう特定のライブハウスではなかった。で、どんなジャンルなのかを尋ねると、説明しにくそうだった。私も自分が好きな音楽を説明するのが難しいので、その説明しにくさは判る。ジャズっぽいとか「棗」という単語が出てきた。どこかで聞いたことがあるような・・・。歌謡曲っぽいような・・・という苦しそうな説明に、武蔵野浪漫をうたうバンドのことを思い出し、「そういうバンドを説明するのも難しかったですよ」と言ったところ、その「武蔵野」「浪漫」という言葉に何か引っかかるところがあるのか、そのバンドについて尋ねられた。そのときに、そのバンド名を度忘れている自分に気がついた。バンジョーがあったり、ウッドベースがあったりとそのバンドの特徴を説明できても肝心かなめのバンド名がでてこないモドカシサ。バンジョーが参加しているバンドは珍しいらしく、どこかで見たことがあるかもと言われた。度忘れしている自分に自己嫌悪して名前を思い出すまで座を離れた。
バンド名が思い出せないままに、再度展示作品を見る。町田さんの作品を観るポイントはそれが写像、もしくは切断面であるということ。写真が風景を切り取るように、何かの一部が描かれている。白い紙に筆で描かれてた線はマクロレンズで拡大撮影された何か。人形を描いた作品は割と素直に不気味さを感じさせてくれるものが多い。今回も「カワイイ〜」とはいえるが「かわいい」とは言えない作品がほとんどだったが、1つだけ第一印象がとてもかわいらしいクマに似た動物のぬいぐるみの絵があった。空間に浮いた状態で、上向きに寝ていて、長いしっぽが真っ直ぐ下に垂れている。毛皮の色の違いを際出させるためか、水平に境の線が入っていてメリハリを感じる。キャラクター商品のデザインかと思わせた。こんな素直にかわいい作品もあるのかとちょっと驚いた。
が、それは罠だった。余りに何気ないので、ぱっと見、そういう「かわいい」作品だと思っていた。が、これを逆さに見て気がついた。水平に入っている線がおかしい。それは「かわいさ」の演出にまったく役立っていない。むしろ・・・ 水平線は文字通りのもの。ぬいぐるみは遺棄され/捨てられ/沈みつつあるものだった。気が付いたとき、びゅうと冷たい風が吹いた。
武田慶子さんの作品はぱっと見、リトグラフらしからぬ透明水彩風で一見メルヘンチックな作品。淡く、滲んだ感じは、題材の雨の中を歩いている光景に合っている。自由にイメージをコラージュした感じ。ぼーっと見ていると、いろいろなものが見えてきて面白い。輪郭の無い淡い滲みに自分の中にある何かを投影されてくる。そう、まるでロールシャッハテストのイラストのよう。見飽きない作品だった。
さて、ようやくバンド名を思い出した。『ソーイングマシーン』だ。うぐ。情けない。度忘れして思い出せなかったことやそのバンド名をようやく思い出せたことを町田さんに話したところ、彼女は「ああ、ソーイングマシーンですか」と頷いた。はて?まるで知っているかのよう。少し引っかかったまま、先程話をしていた男性のところに行き、思い出せなかったバンド名を伝えた。
「ああ、ソーイングマシーンですか。知ってますよ。武蔵野はらっぱまつりで見たことがありますし。でも彼らは解散したはず・・・そうそう、解散直前にグレープフルーツムーンでライブをしましたよね・・・」
驚いた。まさか知っていたとは。グレープフルーツムーンのそのライブは私が観に行ったライブだ。そして、驚きはそれだけではなかった。
「・・・higherってバンド覚えていませんか?町田さんも、出ていたんですよ・・・」
・・・・・・え゛っ!?どういういみ??それって・・・・・・(滝汗) あの場にいたってこと?あのステージにいたってこと?!
オープニングパーティも終わり、文房堂を出た。そして、近くの居酒屋に。何故か2次会に参加している私・・・(汗)。私以外皆、創作の世界の人達。開き直って、宴会モードで話を聞いたり、作品の写真を見せてもらったり。露西亜文学に傾倒している美大卒の青年なんて、そのままどこかの小説か漫画のキャラクターのようだ。宴会は楽しいものだった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
6/17
散髪後によく風邪を引く。今回も首筋周辺が冷え込んで、風邪を引きかけた。午前中は体調が悪かった。コアタイムを過ぎたら帰ろうと思ったほど。夕方にどうにか持ち直して、昨日の出張報告書も纏め上げられた。
一度上がり調子になったら、食欲も回復。帰りにすきやで「にんにく牛丼」を食べるほど。にんにく牛丼はにんにくの芽が載った牛丼。牛がかすむほど、にんにくの芽が自己主張していた。
マルエツによって、まだ残っていた「ヱビス<黒>」9本を買占めた。
紹介されても接点がないと辛い。とりあえず、どんな所で演奏しているのかを尋ねた。ライブハウスは個々に傾向があるので、どこで演奏しているかが判るとどちらの傾向だか判る事が多い。しかし帰ってきた答えはそういう特定のライブハウスではなかった。で、どんなジャンルなのかを尋ねると、説明しにくそうだった。私も自分が好きな音楽を説明するのが難しいので、その説明しにくさは判る。ジャズっぽいとか「棗」という単語が出てきた。どこかで聞いたことがあるような・・・。歌謡曲っぽいような・・・という苦しそうな説明に、武蔵野浪漫をうたうバンドのことを思い出し、「そういうバンドを説明するのも難しかったですよ」と言ったところ、その「武蔵野」「浪漫」という言葉に何か引っかかるところがあるのか、そのバンドについて尋ねられた。そのときに、そのバンド名を度忘れている自分に気がついた。バンジョーがあったり、ウッドベースがあったりとそのバンドの特徴を説明できても肝心かなめのバンド名がでてこないモドカシサ。バンジョーが参加しているバンドは珍しいらしく、どこかで見たことがあるかもと言われた。度忘れしている自分に自己嫌悪して名前を思い出すまで座を離れた。
バンド名が思い出せないままに、再度展示作品を見る。町田さんの作品を観るポイントはそれが写像、もしくは切断面であるということ。写真が風景を切り取るように、何かの一部が描かれている。白い紙に筆で描かれてた線はマクロレンズで拡大撮影された何か。人形を描いた作品は割と素直に不気味さを感じさせてくれるものが多い。今回も「カワイイ〜」とはいえるが「かわいい」とは言えない作品がほとんどだったが、1つだけ第一印象がとてもかわいらしいクマに似た動物のぬいぐるみの絵があった。空間に浮いた状態で、上向きに寝ていて、長いしっぽが真っ直ぐ下に垂れている。毛皮の色の違いを際出させるためか、水平に境の線が入っていてメリハリを感じる。キャラクター商品のデザインかと思わせた。こんな素直にかわいい作品もあるのかとちょっと驚いた。
が、それは罠だった。余りに何気ないので、ぱっと見、そういう「かわいい」作品だと思っていた。が、これを逆さに見て気がついた。水平に入っている線がおかしい。それは「かわいさ」の演出にまったく役立っていない。むしろ・・・ 水平線は文字通りのもの。ぬいぐるみは遺棄され/捨てられ/沈みつつあるものだった。気が付いたとき、びゅうと冷たい風が吹いた。
武田慶子さんの作品はぱっと見、リトグラフらしからぬ透明水彩風で一見メルヘンチックな作品。淡く、滲んだ感じは、題材の雨の中を歩いている光景に合っている。自由にイメージをコラージュした感じ。ぼーっと見ていると、いろいろなものが見えてきて面白い。輪郭の無い淡い滲みに自分の中にある何かを投影されてくる。そう、まるでロールシャッハテストのイラストのよう。見飽きない作品だった。
さて、ようやくバンド名を思い出した。『ソーイングマシーン』だ。うぐ。情けない。度忘れして思い出せなかったことやそのバンド名をようやく思い出せたことを町田さんに話したところ、彼女は「ああ、ソーイングマシーンですか」と頷いた。はて?まるで知っているかのよう。少し引っかかったまま、先程話をしていた男性のところに行き、思い出せなかったバンド名を伝えた。
「ああ、ソーイングマシーンですか。知ってますよ。武蔵野はらっぱまつりで見たことがありますし。でも彼らは解散したはず・・・そうそう、解散直前にグレープフルーツムーンでライブをしましたよね・・・」
驚いた。まさか知っていたとは。グレープフルーツムーンのそのライブは私が観に行ったライブだ。そして、驚きはそれだけではなかった。
「・・・higherってバンド覚えていませんか?町田さんも、出ていたんですよ・・・」
・・・・・・え゛っ!?どういういみ??それって・・・・・・(滝汗) あの場にいたってこと?あのステージにいたってこと?!
オープニングパーティも終わり、文房堂を出た。そして、近くの居酒屋に。何故か2次会に参加している私・・・(汗)。私以外皆、創作の世界の人達。開き直って、宴会モードで話を聞いたり、作品の写真を見せてもらったり。露西亜文学に傾倒している美大卒の青年なんて、そのままどこかの小説か漫画のキャラクターのようだ。宴会は楽しいものだった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
6/17
散髪後によく風邪を引く。今回も首筋周辺が冷え込んで、風邪を引きかけた。午前中は体調が悪かった。コアタイムを過ぎたら帰ろうと思ったほど。夕方にどうにか持ち直して、昨日の出張報告書も纏め上げられた。
一度上がり調子になったら、食欲も回復。帰りにすきやで「にんにく牛丼」を食べるほど。にんにく牛丼はにんにくの芽が載った牛丼。牛がかすむほど、にんにくの芽が自己主張していた。
マルエツによって、まだ残っていた「ヱビス<黒>」9本を買占めた。
いぬもあるけば・・・「あなたの好きな食べ物は?」
2003年6月16日 という自問に答えられない自分がいた。
蒸し暑くて1時間うとうとした末に思考しだした夜。
一見つまらない質問だが、答えには本質的なものが隠されている。
「食欲」は様々な欲望と奥底で繋がっている。
「食べる」という行為にある種の代替、類感呪術的なものがある。
では、何故「好きな食べ物」が思いつかないのだろう。
思いつかなくなってしまったのだろう。
好きな食べ物が判らないとき、食べ物は全て「好きな食べ物」ではなくなる。
好きな○○が判らないとき、○○は全て・・・・・
逢が魔時。布団に包まったまま過去に遡って、欲望を抑える傾向にある自分を把握した。
「自分の家が裕福ではない」という認識から保育園児から小中学生に渡って、親や祖母にほとんど無心しない子供だった。
近所の子が『超合金』のオモチャを買って貰っていた時も、小学生の友達がゲームウオッチで遊んでいる時も、中学生の友達がファミコンでドラクエを楽しんでいた時も、ねだっても仕方ないと無心することすらしなかった。
ゲームセンターに行ったところで入れるコインがないので必然的に縁遠かった。街中で過ごしてもいなかったので、友達のように小学生にも関わらず役割分担を決めた組織的な集団万引きをして手近なものを入手する遊びに興じることもなかった。(子供の頃にやった悪いことといえば、火遊びがボヤ騒ぎになってしまったことが思い出される)
閑話休題。
本当に自分の家が貧しかったのか、その辺は微妙だ。ただ、母親が心臓弁膜症で倒れて救急車で運ばれたり、弟が腸閉塞で死にかけたり、父親が髄膜炎で入院したりというのを小学生時に体験していると「家」に対する漠然とした不安が支配していたり、や「死」に類するものに対する恐れを抱いていたりしても不思議ではない。もし心臓病が悪化して手術の必要があるならば、当時、アメリカに行かなければという話を聞かされていた。そして、それがいつ起こるのか家族の誰も知らない事だった。
そういう子供を『分析』すれば、欲望に対する構えがおかしい子になっていても不思議ではない。(それにしても、おかしいという言葉の漢字は「可笑しい」しかないのかしらん。「おかしい」を「可笑しい」と変換して読むと可笑しくなる文章は多い気がする)
欲望を素直に口に出来ないとその芽は歪んで成長する。例えば、ここに。
そんな訳で、私は「好きな食べ物」を浮かび上がらせなければならない。ステーキ?お寿司?それとも・・・
・・・好きな食べ物というのは結局身近な食べ物だ。食べるという行為が愛するという行為に密接に結び付いている行為であることを踏まえれば当たり前な事であるが。
思い浮かばせた料理は『他愛無』く、ここに書き記すのが恥ずかしくなるぐらい単純なものだった。豚の生姜焼き。もしくはそれに類する炒め物。
思い浮かべてそれから、そういう料理をここ数年食べていないことも思い出した。思い出したからには食べなければならない。
こういうときは街中に住んでいて良かったと思う。歩ける距離に24H営業のファミレスがある。物語を進めるために、私は布団を剥いで外に出た。
夜が明けるのを待つ浮浪者風の男と資格試験の勉強をしている男以外は誰もいないファミレスに朝の4時に生姜焼き定食を食べる怪しい男の姿が・・・。
湘南町屋に出張し、そのまま直帰。大船駅から東海道本線に乗って、御茶ノ水駅に着いたのは17時半。どうにか、間に合いそうだ。と、降り口を間違えた。久々にニコライ堂がある道を歩き降りるのは心地よかったが、目的地の文房堂[http://www.bumpodo.co.jp/]とは違う方向。歩いていると気持ち悪くなってきた。というか、体調がよろしくなくて湘南モノレールに酔ったみたい。気合を入れるために、コンビニに入ってアリナミンVを購入。あの独特な後味で少しシャキッとした気がする。どうにかギャラリーが閉まる前に到着できた。
町田さんからきた水色のDMに誘われて、企画展「水無月」を観にきた。リトグラフの展示。Itazu Litho-Grafik[http://www.annie.ne.jp/~itazu/]という版画工房が主催。気楽な気分で来たのだが、そこでオカシナ事実を知ることになるとは思いもしなかった・・・
エレベーターを出るとそのフロアが展示室だった。出て右手あたりにテーブルと椅子があり、そこで出展者や観客が談笑していた。町田さんの姿を見つけて挨拶。まずは記帳して、それから展示作品を見ることにした。
事前にItazu Litho-Grafikのサイトの紹介文を読んでいたので、この企画展の出展者の人たち全てが版画を主にしているのではなく、絵画もしくは立体をやっている人もいた。今回は5名。総出展数は決して多くない。その気になれば、2,3分で見ることが出来る。逆に言えば、普通に見るのでは間が持たない。
着いて間もない内に、お酒とちょっとしたツマミがテーブルに用意され、ささやかなオープニングパーティが始まった。スーツ姿は私一人。最初は10数名程度だったのだが、次第に人数が増えていった。平日18時では早い。後から駆けつける人が多いのは当たり前だ。
さて、パーティが始まったといってもお酒が用意されただけで、特に挨拶もない。だらだらとお酒を飲みながらおしゃべりをするだけ。町田さんはもちろん私以外にも知り合いが沢山やってきているのでおしゃべりをしている余裕もなく。モノを作る側ではなく、モノを鑑賞する側なので周囲の業界的な話にも積極的には関わりにくかった。
この手持ち無沙汰な感覚が、私を作品に向かわせるよい圧力となった。限定された空間で、通常よりも長い時間、作品をカンショウする。それは次第に只の観賞から、鑑賞に、そして観照へと変容していった。
PBM的というか、視点、つまり観る側を変容させることによって別のモノが見出される感覚。ワインによるほろ酔いによる観察者の位置と運動量の「ゆらぎ」。
展示室には作品をデジカメで撮影したもののプリントアウトの束が資料として置いてあった。森田彗さんの作品を観、話をしたことと町田さんの作品を観続けていたことがもしかしたらベースになっているのかもしれない。最初、普通に見た後に、何を思ったか逆さまにしてもう一度観ることに。干しあわびは時間を掛けて繰り返し咀嚼することでその深い味わいを味わうことができる。それと同じように敢えて判りにくいように逆さまにして見ることが、「観る」を「観る/思考する」に変える。車と歩行で同じ場所を通り過ぎた時の情報量の差。逆さまにして見ることで、隠されていたものが見えることもある。場合によっては、それは作者の無意識的なものかもしれない。そして、そこまで踏み込むと「観照」なのか「妄想」なのか境界が揺らいでくる。
「逆さまに観る」というのは「観察者の暴力」でもある。世界に出現した作品をどう観るのかは観察者に委ねられる。「作品の価値」などの『位置』は観察者によって決められる。
そんなカンショウの合間に、町田さんに音楽活動をしている知り合いを紹介された。私はカンショウ者なので、私はともかく相手にとって紹介される意味はないのではと、気が引けながら・・・
蒸し暑くて1時間うとうとした末に思考しだした夜。
一見つまらない質問だが、答えには本質的なものが隠されている。
「食欲」は様々な欲望と奥底で繋がっている。
「食べる」という行為にある種の代替、類感呪術的なものがある。
では、何故「好きな食べ物」が思いつかないのだろう。
思いつかなくなってしまったのだろう。
好きな食べ物が判らないとき、食べ物は全て「好きな食べ物」ではなくなる。
好きな○○が判らないとき、○○は全て・・・・・
逢が魔時。布団に包まったまま過去に遡って、欲望を抑える傾向にある自分を把握した。
「自分の家が裕福ではない」という認識から保育園児から小中学生に渡って、親や祖母にほとんど無心しない子供だった。
近所の子が『超合金』のオモチャを買って貰っていた時も、小学生の友達がゲームウオッチで遊んでいる時も、中学生の友達がファミコンでドラクエを楽しんでいた時も、ねだっても仕方ないと無心することすらしなかった。
ゲームセンターに行ったところで入れるコインがないので必然的に縁遠かった。街中で過ごしてもいなかったので、友達のように小学生にも関わらず役割分担を決めた組織的な集団万引きをして手近なものを入手する遊びに興じることもなかった。(子供の頃にやった悪いことといえば、火遊びがボヤ騒ぎになってしまったことが思い出される)
閑話休題。
本当に自分の家が貧しかったのか、その辺は微妙だ。ただ、母親が心臓弁膜症で倒れて救急車で運ばれたり、弟が腸閉塞で死にかけたり、父親が髄膜炎で入院したりというのを小学生時に体験していると「家」に対する漠然とした不安が支配していたり、や「死」に類するものに対する恐れを抱いていたりしても不思議ではない。もし心臓病が悪化して手術の必要があるならば、当時、アメリカに行かなければという話を聞かされていた。そして、それがいつ起こるのか家族の誰も知らない事だった。
そういう子供を『分析』すれば、欲望に対する構えがおかしい子になっていても不思議ではない。(それにしても、おかしいという言葉の漢字は「可笑しい」しかないのかしらん。「おかしい」を「可笑しい」と変換して読むと可笑しくなる文章は多い気がする)
欲望を素直に口に出来ないとその芽は歪んで成長する。例えば、ここに。
そんな訳で、私は「好きな食べ物」を浮かび上がらせなければならない。ステーキ?お寿司?それとも・・・
・・・好きな食べ物というのは結局身近な食べ物だ。食べるという行為が愛するという行為に密接に結び付いている行為であることを踏まえれば当たり前な事であるが。
思い浮かばせた料理は『他愛無』く、ここに書き記すのが恥ずかしくなるぐらい単純なものだった。豚の生姜焼き。もしくはそれに類する炒め物。
思い浮かべてそれから、そういう料理をここ数年食べていないことも思い出した。思い出したからには食べなければならない。
こういうときは街中に住んでいて良かったと思う。歩ける距離に24H営業のファミレスがある。物語を進めるために、私は布団を剥いで外に出た。
夜が明けるのを待つ浮浪者風の男と資格試験の勉強をしている男以外は誰もいないファミレスに朝の4時に生姜焼き定食を食べる怪しい男の姿が・・・。
湘南町屋に出張し、そのまま直帰。大船駅から東海道本線に乗って、御茶ノ水駅に着いたのは17時半。どうにか、間に合いそうだ。と、降り口を間違えた。久々にニコライ堂がある道を歩き降りるのは心地よかったが、目的地の文房堂[http://www.bumpodo.co.jp/]とは違う方向。歩いていると気持ち悪くなってきた。というか、体調がよろしくなくて湘南モノレールに酔ったみたい。気合を入れるために、コンビニに入ってアリナミンVを購入。あの独特な後味で少しシャキッとした気がする。どうにかギャラリーが閉まる前に到着できた。
町田さんからきた水色のDMに誘われて、企画展「水無月」を観にきた。リトグラフの展示。Itazu Litho-Grafik[http://www.annie.ne.jp/~itazu/]という版画工房が主催。気楽な気分で来たのだが、そこでオカシナ事実を知ることになるとは思いもしなかった・・・
エレベーターを出るとそのフロアが展示室だった。出て右手あたりにテーブルと椅子があり、そこで出展者や観客が談笑していた。町田さんの姿を見つけて挨拶。まずは記帳して、それから展示作品を見ることにした。
事前にItazu Litho-Grafikのサイトの紹介文を読んでいたので、この企画展の出展者の人たち全てが版画を主にしているのではなく、絵画もしくは立体をやっている人もいた。今回は5名。総出展数は決して多くない。その気になれば、2,3分で見ることが出来る。逆に言えば、普通に見るのでは間が持たない。
着いて間もない内に、お酒とちょっとしたツマミがテーブルに用意され、ささやかなオープニングパーティが始まった。スーツ姿は私一人。最初は10数名程度だったのだが、次第に人数が増えていった。平日18時では早い。後から駆けつける人が多いのは当たり前だ。
さて、パーティが始まったといってもお酒が用意されただけで、特に挨拶もない。だらだらとお酒を飲みながらおしゃべりをするだけ。町田さんはもちろん私以外にも知り合いが沢山やってきているのでおしゃべりをしている余裕もなく。モノを作る側ではなく、モノを鑑賞する側なので周囲の業界的な話にも積極的には関わりにくかった。
この手持ち無沙汰な感覚が、私を作品に向かわせるよい圧力となった。限定された空間で、通常よりも長い時間、作品をカンショウする。それは次第に只の観賞から、鑑賞に、そして観照へと変容していった。
PBM的というか、視点、つまり観る側を変容させることによって別のモノが見出される感覚。ワインによるほろ酔いによる観察者の位置と運動量の「ゆらぎ」。
展示室には作品をデジカメで撮影したもののプリントアウトの束が資料として置いてあった。森田彗さんの作品を観、話をしたことと町田さんの作品を観続けていたことがもしかしたらベースになっているのかもしれない。最初、普通に見た後に、何を思ったか逆さまにしてもう一度観ることに。干しあわびは時間を掛けて繰り返し咀嚼することでその深い味わいを味わうことができる。それと同じように敢えて判りにくいように逆さまにして見ることが、「観る」を「観る/思考する」に変える。車と歩行で同じ場所を通り過ぎた時の情報量の差。逆さまにして見ることで、隠されていたものが見えることもある。場合によっては、それは作者の無意識的なものかもしれない。そして、そこまで踏み込むと「観照」なのか「妄想」なのか境界が揺らいでくる。
「逆さまに観る」というのは「観察者の暴力」でもある。世界に出現した作品をどう観るのかは観察者に委ねられる。「作品の価値」などの『位置』は観察者によって決められる。
そんなカンショウの合間に、町田さんに音楽活動をしている知り合いを紹介された。私はカンショウ者なので、私はともかく相手にとって紹介される意味はないのではと、気が引けながら・・・
いぬもあるけば・・・「マリみて」
2003年6月15日 大井さんから借りた「マリア様がみている」をようやく読み出した。読み終わったからと借りてからどれだけ経っただろう。随分長く積ん読していたものだ。1つのトレンドになるだろうという予想は借りた当時に聞いていた。その後、あさみさんが読み出した事を知って、「ああ、これはマジで来るなぁ」と思っていた。
で、読み始めた。最初の数ページがきつかったが、流れに乗れば後はあっという間。主人公のヒーローポイントならぬヒロインポイントの高さに、流石コバルト・・・と思った。
どうやら、続刊が出ているようなので、川崎の有燐堂に行ったところ、平積みされていた。うひゃ。とりあえず、続刊3冊購入。フ。堕ちてゆく予感・・・。別にWT3の資料という訳でもなく。
散髪した。これから暑くなるのでいつもよりも短くしてもらった。そのご、マユールに行ってそろそろ最後のファーストフラッシュダージリンとハチミツ入りアイスミルクティーを飲んだ。どうやら暫く「マリみて」漬けの日が続きそう。それにしてもグーグルで検索して頭に上がってくるサイトはどうしてあんなにアヤシイサイトなのだろうか?あんな紹介記事を読んだら・・・速攻、買ってしまうではないか(爆)。
で、読み始めた。最初の数ページがきつかったが、流れに乗れば後はあっという間。主人公のヒーローポイントならぬヒロインポイントの高さに、流石コバルト・・・と思った。
どうやら、続刊が出ているようなので、川崎の有燐堂に行ったところ、平積みされていた。うひゃ。とりあえず、続刊3冊購入。フ。堕ちてゆく予感・・・。別にWT3の資料という訳でもなく。
散髪した。これから暑くなるのでいつもよりも短くしてもらった。そのご、マユールに行ってそろそろ最後のファーストフラッシュダージリンとハチミツ入りアイスミルクティーを飲んだ。どうやら暫く「マリみて」漬けの日が続きそう。それにしてもグーグルで検索して頭に上がってくるサイトはどうしてあんなにアヤシイサイトなのだろうか?あんな紹介記事を読んだら・・・速攻、買ってしまうではないか(爆)。
いぬもあるけば・・・「二次会」
2003年6月14日 ストーリー性のある夢を見ていると、続きが見たくてなかなか布団から出られない。何気なくつけたTVを観ていたら、止められなくなってしまうのと似ている。
そんな訳で、お昼近くまでダラダラ。
先日買った「はちみつとクローバー」を一気読み。このマンガの面白さを伝えるのは中々むづかしい。
私はこの物語全体から、そこはかとない切なさのようなものを感じる。きちんと時間が流れる物語だから、いつかは確実に終わりがある。読者はメタなレベルで、登場人物は卒業という形でそれを感じて生きている。
今は笑っていよう。
みっふぃ−主催の飲み会「二次会」。二次会というのは前回のホームパーティの2次会という意味。梅雨時に新宿東口の看板前に集合は厳しかったかもしれない。雨が酷くならなくて良かった。5人無事に合流でき、会場の「漁亭」に移動。ペンギンのいる居酒屋といううたい文句は店そのものを説明するときにマイナスに働く気もするが、みっふぃーのお眼鏡に適うと言う点では及第だった。
それほど食欲が無かったので、おつまみは他の人に頼んでもらった。まずはビールで乾杯。
話で興味を惹かれたのは旅行について。5人中3名が近々海外旅行に出掛ける。Mさんは一週間グァムでゆったりと過ごすのだそうだ。一週間という長い滞在はもちろん、梅雨時期の日本を離れて・・・という事を考えると更にうらやましい。みっふぃ−とKさんはヨーロッパを半月掛けてゆっくり巡るのだそうだ。パリに4日間近く滞在し、バレーを観たり、歴史的施設を観て回るらしい。イタリアでオペラも観るらしく、「椿姫」をあちらで観るかもと言われたのがかなりダメージだった。素直に羨ましい。私も10月末に休みが取れれば、メトロポリタン美術館を観に行く予定だが、休みが取れるのか、お手前もどきを身に付けられるのか、そして最大の一週間滞在費を捻出できるのかなどハードルは高い。
お台場から駆けつけた○さん、観光でもしていたのかと思ったら、お仕事だったそうだ。なるほど、CXの人か。それほど飛び跳ねている感じに見えなかったので、名刺を頂くまで判らなかった。
土曜日なので2時間しかいられなく、22時前に追い出された。このまま解散もなんなので、和民で軽く飲みなおすことに。年齢の話やゲームの話などから始まり、話が盛り上がったのだがそろそろ終電を気にする時間。○さんが「うちになだれ込みますか?」と言ってくれたが流石にそれはヤバイだろう。名残惜しいが退散するにした。
そんな訳で、お昼近くまでダラダラ。
先日買った「はちみつとクローバー」を一気読み。このマンガの面白さを伝えるのは中々むづかしい。
私はこの物語全体から、そこはかとない切なさのようなものを感じる。きちんと時間が流れる物語だから、いつかは確実に終わりがある。読者はメタなレベルで、登場人物は卒業という形でそれを感じて生きている。
今は笑っていよう。
みっふぃ−主催の飲み会「二次会」。二次会というのは前回のホームパーティの2次会という意味。梅雨時に新宿東口の看板前に集合は厳しかったかもしれない。雨が酷くならなくて良かった。5人無事に合流でき、会場の「漁亭」に移動。ペンギンのいる居酒屋といううたい文句は店そのものを説明するときにマイナスに働く気もするが、みっふぃーのお眼鏡に適うと言う点では及第だった。
それほど食欲が無かったので、おつまみは他の人に頼んでもらった。まずはビールで乾杯。
話で興味を惹かれたのは旅行について。5人中3名が近々海外旅行に出掛ける。Mさんは一週間グァムでゆったりと過ごすのだそうだ。一週間という長い滞在はもちろん、梅雨時期の日本を離れて・・・という事を考えると更にうらやましい。みっふぃ−とKさんはヨーロッパを半月掛けてゆっくり巡るのだそうだ。パリに4日間近く滞在し、バレーを観たり、歴史的施設を観て回るらしい。イタリアでオペラも観るらしく、「椿姫」をあちらで観るかもと言われたのがかなりダメージだった。素直に羨ましい。私も10月末に休みが取れれば、メトロポリタン美術館を観に行く予定だが、休みが取れるのか、お手前もどきを身に付けられるのか、そして最大の一週間滞在費を捻出できるのかなどハードルは高い。
お台場から駆けつけた○さん、観光でもしていたのかと思ったら、お仕事だったそうだ。なるほど、CXの人か。それほど飛び跳ねている感じに見えなかったので、名刺を頂くまで判らなかった。
土曜日なので2時間しかいられなく、22時前に追い出された。このまま解散もなんなので、和民で軽く飲みなおすことに。年齢の話やゲームの話などから始まり、話が盛り上がったのだがそろそろ終電を気にする時間。○さんが「うちになだれ込みますか?」と言ってくれたが流石にそれはヤバイだろう。名残惜しいが退散するにした。
いぬもあるけば・・・「試飲」
2003年6月13日今日も引き続いて体調が良くない。それでも夕方になってようやく復帰した。夜になって、お任せしておいた作業が全然処理されていないことを知って愕然。スケジュール的には松島に行っていた1ヶ月分後れてしまったことになる。罠だ・・・(=_=;
マルエツに行って「部屋干し・・・」な洗剤を購入。先日、朝洗濯機に掛けておいて出掛けてしまったら・・・厳しい状態になっていた。梅雨の間、もしくは秋になるまではこの機能性洗剤を使ってみよう。柔軟材入りの機能性洗剤を試すのはもうしばらく後になりそうだ。
食料品売り場で体力を付ける為に餃子のパックを購入。勢いというものは怖いもので、そのままお酒も。キリンの「氷結果汁」の白ブドウ、アサヒの「穣三昧」、そしてサッポロの「ヱビス<黒>」を。「ヱビス<黒>」は日経産業新聞で販売量が予想を上回って商品供給が間に合わないために7月22日まで販売を休止するという記事を目にしていた。ということは、今目の前にあるのは流通在庫としてある商品ということになる。今日、買わないと当分買えなくなる。店はその辺りを把握していないらしく通常のセール品として売り出していたが。興味はあったが、売れすぎて販売休止になるほどとは思わなかった。そんな訳で6本パックを1つ買ってみることにした。
部屋に戻って、お酒の味見。ギネスのような苦味がほとんどなく、まろやかという形容詞が相応しい。確かにこれならば売れるはずだ。既存の黒ビールはどうもという層を掴める。口当たりのよさは元々のヱビスよりも良いかもしれない。発泡酒でこれを出すのは大変だろうから、そうなると消費形態が変わるかもしれない。そろそろ、消費者も「安いから。まぁ、飲めるから」という消極的な消費活動に嫌気が差してき始めているかもしれない。ビール1つでそこまで言うのは言い過ぎかもしれないが、海流の変化を読み取るには1つの指標になる気がする。
いぬもあるけば・・・「不調」
2003年6月12日どうも体調がよくない。外の空気を吸って歩いていれば回復するかもと思ったが、蒲田駅についても復帰せず。
今日は渋谷クラブASIAでグリーンコンマのライブがあるので行きたいのだが、この調子だとステージを楽しめるほど体力が残っているとは思えない。
仕方なく、真っ直ぐ帰宅した。ここ数回ライブがあったのに見にいけていない。CDも購入できていない。うぐ・・・
いぬもあるけば・・・「読参」
2003年6月11日 勢い余って沢山買ってしまった『ゲームギャザ』誌。折角なので(?)、全部の読者参加ゲーム参加用紙に参加することに。
読参第2回プレイング(01:防衛:隠れ家の入り口)
「私は○○○○○。駆るはロード・オブ・ローズ。◎◎と共に、私の前に立ち塞がる全てを突破する!」と口上を述べてから、倒す相手に剣の切先を向け、突撃する。◎◎には敵の外観と装備から予想される攻撃方法を教えてもらい、接敵後の戦いの参考にする。
読参第2回プレイング(02:防衛:逢魔を警護)
私、まだ緑閃のこと、よく知らない。戦うっていっても、下手するとやられちゃうわけでしょ。いやだ・・・。どうしようもなくなったら戦うけれど、今は戦いの場から離れていたい。
読参第2回プレイング(03:攻撃:突撃)
思いっきり体を動かせなくてストレスが溜まっていたところだ。俺の「リサイタル」、楽しんでくれ!
蝶のように舞い、蟷螂のように残酷に、見るものを惹きつける血塗れのステージ。
読参第2回プレイング(04:奇襲:本陣殴りこみ)
敵を混乱させる事が目的。敵の動きから攻撃の要となっている者や陣営を見極め、遠方から狙撃弾で打ち倒す。混乱を広げるために撃破弾を密集している敵に放つ。基本はアウトレンジ攻撃かつヒット&アウェイ。
「間接を砕けば動けなくなる。そういうことだ。」
読参第2回プレイング(05:司の後継者)
おそらく司たる力を持っているものは隠れているといっても、全てを見渡せる場所にいるはず。高い塔を探してみよう。
「大変なことだが、1つ引き受けてはくれないか。あんた一人に全てを背負わせるつもりはない。わし等もあんたと共に背負おう。」
攻撃があれば、身を呈して守る。
うーむ。1OMCほど出費しているな。
読参第2回プレイング(01:防衛:隠れ家の入り口)
「私は○○○○○。駆るはロード・オブ・ローズ。◎◎と共に、私の前に立ち塞がる全てを突破する!」と口上を述べてから、倒す相手に剣の切先を向け、突撃する。◎◎には敵の外観と装備から予想される攻撃方法を教えてもらい、接敵後の戦いの参考にする。
読参第2回プレイング(02:防衛:逢魔を警護)
私、まだ緑閃のこと、よく知らない。戦うっていっても、下手するとやられちゃうわけでしょ。いやだ・・・。どうしようもなくなったら戦うけれど、今は戦いの場から離れていたい。
読参第2回プレイング(03:攻撃:突撃)
思いっきり体を動かせなくてストレスが溜まっていたところだ。俺の「リサイタル」、楽しんでくれ!
蝶のように舞い、蟷螂のように残酷に、見るものを惹きつける血塗れのステージ。
読参第2回プレイング(04:奇襲:本陣殴りこみ)
敵を混乱させる事が目的。敵の動きから攻撃の要となっている者や陣営を見極め、遠方から狙撃弾で打ち倒す。混乱を広げるために撃破弾を密集している敵に放つ。基本はアウトレンジ攻撃かつヒット&アウェイ。
「間接を砕けば動けなくなる。そういうことだ。」
読参第2回プレイング(05:司の後継者)
おそらく司たる力を持っているものは隠れているといっても、全てを見渡せる場所にいるはず。高い塔を探してみよう。
「大変なことだが、1つ引き受けてはくれないか。あんた一人に全てを背負わせるつもりはない。わし等もあんたと共に背負おう。」
攻撃があれば、身を呈して守る。
うーむ。1OMCほど出費しているな。
いぬもあるけば・・・「探し物」
2003年6月10日 書店に行ったが公募ガイド7月号は見つからず。
仕方なしにゲームギャザ7月号を買い占めたり、「ハチミツとクローバー」を1〜4巻一気に買ってみたり。
見落としが無いかと何度も店内をぐるぐる回るも結局見つからない。そんなにマイナーだったっけ?<公募ガイド
変わりに別に興味惹かれる書籍を見つけてしまい、購入している自分。
「心理学化する社会」の臨床社会学 著:樫村愛子 刊:世織書房
もうしばらくすると「心理学化する社会」という術語はメディアでよく目にすることになるだろう。
大井さんから電話。・・・そうですか、隣どころか同じテーブルですか。もう限りなく合体サークルですな・・・(遠い目)。
仕方なしにゲームギャザ7月号を買い占めたり、「ハチミツとクローバー」を1〜4巻一気に買ってみたり。
見落としが無いかと何度も店内をぐるぐる回るも結局見つからない。そんなにマイナーだったっけ?<公募ガイド
変わりに別に興味惹かれる書籍を見つけてしまい、購入している自分。
「心理学化する社会」の臨床社会学 著:樫村愛子 刊:世織書房
もうしばらくすると「心理学化する社会」という術語はメディアでよく目にすることになるだろう。
大井さんから電話。・・・そうですか、隣どころか同じテーブルですか。もう限りなく合体サークルですな・・・(遠い目)。
いぬもあるけば・・・「秘密基地」
2003年6月9日 WT3でもPCなり切り掲示板がPCの秘密基地という設定でオフィシャルサイト下に設置できる。
最初は1番目のPCで作ろうと思ったのだが、余りに閉鎖的になってしまうことが懸念されたので断念していた。
しかし、今回・・・なPCを作り、そのネタの一環としての秘密基地を設置してみた。設置だけにしてば良かったのに筆を滑らせてトンデモな紹介文をアップしてしまった。 堕ちていく・・・(汗
やってみて判ったが、なりきりチャットやなりきり掲示板は難しい。8人も演じ分けるのは大変だ。一気に投入するのは控えよう。
最初は1番目のPCで作ろうと思ったのだが、余りに閉鎖的になってしまうことが懸念されたので断念していた。
しかし、今回・・・なPCを作り、そのネタの一環としての秘密基地を設置してみた。設置だけにしてば良かったのに筆を滑らせてトンデモな紹介文をアップしてしまった。 堕ちていく・・・(汗
やってみて判ったが、なりきりチャットやなりきり掲示板は難しい。8人も演じ分けるのは大変だ。一気に投入するのは控えよう。
いぬもあるけば・・・「喫茶×2」
2003年6月8日 布団を陰干ししながら、ゴロゴロ。それから川崎に出かけた。
ファーストフラッシュダージリンが楽しめるうちに飲んでおきたいと、マユールに。
前回は一種類しかなかったが、いつのまにかメニューシートが出来ている。3つの農場の茶葉を飲み比べられるようだ。その中で一番ファーストフラッシュらしい説明があった真中の茶葉を選んだ。若々しい感じを味会うのがファーストフラッシュの楽しみ方だが、今日はちょっと濃い目に出ていて違う感じだった。
お腹が空いてきたので、食べ物を頼もうかと思ったのだが、店員さんたちが調理器具を徹底的に掃除しだしていて、なんだか頼みにくい。結局、紅茶1杯で辞した。
蒲田に移動して、池上線に乗り、久が原に。世比亜も久々だ。引っ越してからどうしても「わざわざ・・」という感じになって疎遠になっている。いつものキリマンジャロ以外にトーストも頼んだ。
マスターの手品への傾倒は相変わらず。今の常連の関心はデジカメらしく、お客がプリントアウトしたものが置かれている。
山脇さんの本の話を話題に。
店内を落ち着いてよく見ると、アジサイを生けて飾られている。一見アジサイに見えないアジサイもあったりして。
渓流釣り好きな常連さん、「今日、尾瀬に行きたかったけれど仕事で行けなかった〜」と。『尾瀬』。久々に聞いた単語。そう思ってしまう、忘れていた自分。
ファーストフラッシュダージリンが楽しめるうちに飲んでおきたいと、マユールに。
前回は一種類しかなかったが、いつのまにかメニューシートが出来ている。3つの農場の茶葉を飲み比べられるようだ。その中で一番ファーストフラッシュらしい説明があった真中の茶葉を選んだ。若々しい感じを味会うのがファーストフラッシュの楽しみ方だが、今日はちょっと濃い目に出ていて違う感じだった。
お腹が空いてきたので、食べ物を頼もうかと思ったのだが、店員さんたちが調理器具を徹底的に掃除しだしていて、なんだか頼みにくい。結局、紅茶1杯で辞した。
蒲田に移動して、池上線に乗り、久が原に。世比亜も久々だ。引っ越してからどうしても「わざわざ・・」という感じになって疎遠になっている。いつものキリマンジャロ以外にトーストも頼んだ。
マスターの手品への傾倒は相変わらず。今の常連の関心はデジカメらしく、お客がプリントアウトしたものが置かれている。
山脇さんの本の話を話題に。
店内を落ち着いてよく見ると、アジサイを生けて飾られている。一見アジサイに見えないアジサイもあったりして。
渓流釣り好きな常連さん、「今日、尾瀬に行きたかったけれど仕事で行けなかった〜」と。『尾瀬』。久々に聞いた単語。そう思ってしまう、忘れていた自分。
いぬもあるけば・・・「隅っこ」
2003年6月7日 品プラ酒豪会(?)の面々で久々に呑む。場所は新宿「Christon Cafe」。面白い内装の店だと聞いていたが確かに。教会をイメージしてキリスト像やマリア像が周囲に飾られていたり、祭壇があったり。キリスト教に憧れる、キリスト者ではない日本人にヒットするオシャレな空間。でもどうせならば、店員も内装に合わせて欲しかった。箱と中味は別物って感じ。まぁ、あんなものでいいのか。どうせ30年続けるつもりはないだろうし。レストランというよりは低年齢層向け居酒屋といった感じ。
ちなみに、我々は店内の端っこに案内された。7名という人数のせいでもあるが、妙に悪巧み一味という感じ。実際、「A1の秋山さんに一泡吹かせたいんだ」とか「締め切りが・・・(汗」とか「WT3は・・・」とか怪しい発言が飛び交っていたからなぁ。でも、一番怪しいのは、まるでビール瓶の如く頼まれ、かつ消費されていったシャンパン・・・
ちなみに、我々は店内の端っこに案内された。7名という人数のせいでもあるが、妙に悪巧み一味という感じ。実際、「A1の秋山さんに一泡吹かせたいんだ」とか「締め切りが・・・(汗」とか「WT3は・・・」とか怪しい発言が飛び交っていたからなぁ。でも、一番怪しいのは、まるでビール瓶の如く頼まれ、かつ消費されていったシャンパン・・・
いぬもあるけば・・・「山菜」
2003年6月6日 これまた久々にたまははきへ。
親父さんたちに会うのはGWのたまハイクぶりだが、店に来たのはその前。すっかりレアなキャラクターになっている。突き出しはミツバの冷やし味噌汁。
カウンターの端の席で「キェルケ・・・」を読みつつ純米を飲む。この本そのものはハイデッガーの弟子である著者の論文を和訳したもの。東北帝国大学の招聘を受けて来日し、講義を持った人。ニヒリズムを光源としてキェルケゴールとニーチェを投影している。
読んでいて複雑な気分になるのは、平成15年に生きる私が読んでいるからだろう。本の初版は昭和17年。どうしても当時の時代背景を踏まえて読んでしまう。哲学者達は「あの時代」に何を語ったのか、語れなかったのか。キェルケゴールを語り、ニーチェを語る者が「あの時代」にどう生きたのか。そして翻って、平成15年に生きる者達は・・・
隣の席に座っている女性二人のうち一人が親父さんの娘さんであることを知った。その向こうに座っていた親子と西表島の話をしていたのだが、どうやら親子は西表在住の人で、手前の彼女達もちょくちょく西表に行っているようだ。話を聞いていると、行ってみたくなる。
他の人と一緒に、「ウドご飯」の上に「カツオのヅケ」を載せた豪華な丼を食べる。箸で簡単に分かつことのできる柔らかな赤身。ツマミにしながら呑む純米。親父さんたちが谷川岳周辺に行って取ってくるウドを炊き込んだご飯も美味しい。ご飯そのものが違う。
「アイコでも食うか」と言われてお願いする。アイコは正しくは「ミヤマイラクサ」という。アイコという名前は矢口高雄の「かつみ」という漫画を読んで知っていた。その名前の響きしか知らず、直接触ると腫れるような毒を持っている山菜だとは知らなかった。アイコ以外に、イラクサから転じて「イラ」「エラ」などと呼ばれていることもあるようだ。腫れされる棘のある表皮を向いて作ったおひたしは灰汁が全くなくシャキシャキとした歯ざわりが楽しい。
たまははきの山菜のシーズンもあと僅かだ。平日しか営業していなので中々来れないが、今シーズン中にもう1回は来たいところ。
親父さんたちに会うのはGWのたまハイクぶりだが、店に来たのはその前。すっかりレアなキャラクターになっている。突き出しはミツバの冷やし味噌汁。
カウンターの端の席で「キェルケ・・・」を読みつつ純米を飲む。この本そのものはハイデッガーの弟子である著者の論文を和訳したもの。東北帝国大学の招聘を受けて来日し、講義を持った人。ニヒリズムを光源としてキェルケゴールとニーチェを投影している。
読んでいて複雑な気分になるのは、平成15年に生きる私が読んでいるからだろう。本の初版は昭和17年。どうしても当時の時代背景を踏まえて読んでしまう。哲学者達は「あの時代」に何を語ったのか、語れなかったのか。キェルケゴールを語り、ニーチェを語る者が「あの時代」にどう生きたのか。そして翻って、平成15年に生きる者達は・・・
隣の席に座っている女性二人のうち一人が親父さんの娘さんであることを知った。その向こうに座っていた親子と西表島の話をしていたのだが、どうやら親子は西表在住の人で、手前の彼女達もちょくちょく西表に行っているようだ。話を聞いていると、行ってみたくなる。
他の人と一緒に、「ウドご飯」の上に「カツオのヅケ」を載せた豪華な丼を食べる。箸で簡単に分かつことのできる柔らかな赤身。ツマミにしながら呑む純米。親父さんたちが谷川岳周辺に行って取ってくるウドを炊き込んだご飯も美味しい。ご飯そのものが違う。
「アイコでも食うか」と言われてお願いする。アイコは正しくは「ミヤマイラクサ」という。アイコという名前は矢口高雄の「かつみ」という漫画を読んで知っていた。その名前の響きしか知らず、直接触ると腫れるような毒を持っている山菜だとは知らなかった。アイコ以外に、イラクサから転じて「イラ」「エラ」などと呼ばれていることもあるようだ。腫れされる棘のある表皮を向いて作ったおひたしは灰汁が全くなくシャキシャキとした歯ざわりが楽しい。
たまははきの山菜のシーズンもあと僅かだ。平日しか営業していなので中々来れないが、今シーズン中にもう1回は来たいところ。
いぬもあるけば・・・「おきゃろらんず」
2003年6月5日 久々に阿部さんのアコーディオンを聴くために自由が丘オキャロランズに行った。
演奏の時間が遅めなのが、会社を出るのが遅くなる私には却って都合がいい。
今日は最初にTAKUMAさんという人が歌って、その後に阿部さん達というセットだった。普通、1つのユニットが1部と2部を両方やるものなので、こういう風な組み合わせで行うのは珍しい。
TAKUMAさんはソフトで甘い歌い口でオリジナルやカバーを歌っていた。ただ雰囲気を重視したせいか、声量が足りなく、近くで聞いていた人にしかよく聞こえなかったのが残念。演奏中はお客が騒がないライブハウスならばいいけれど、アイリッシュパブのような雑然とした空間では負けてしまう。
ギネスを飲みながら、阿部さん達の準備を待つ。ツマミが欲しくなり、「おまかせ」の皿モノを頼んだ。これが味が濃くて、たちまちビールが消える。生ハムの濃厚な味を消すために飲んでいる気分になるほど。グラスが空いて、さらにキルケニーを1パイント。
ステージとなる空間の手前の大テーブルに座っていた人たちは阿部さんの知り合いのようだったのだが、まさか全員が演奏者だとは思わなかった。
演奏が始まるとそれぞれ楽器を手にして参加してゆく。メインはハープとアコーディオン、そして後から駆けつけたフィドル。これにティンホイッスルやパーカッションが思い思いに加わる。
混成のためか、ケルトミュージックだけでなく・・・何故「与作」のインストゥルメンタル・・・(驚)。
演奏が終って、団欒モード。奏者の方々が店から提供された食事を食べたり、おしゃべりしたり。
と、おじいさんのために弾いて欲しいというリクエストがあったようだ。おじいさんは英国人らしい。リクエストに応えて、また演奏が始まる。また聴けるとは思わなかったのでラッキ〜。「与作」をじゃぱにーず・とらでぃしょなる・そんぐと説明していた。
23時を過ぎたので撤収。終電にはまだ余裕がある。蒲田経由で帰宅した。
演奏の時間が遅めなのが、会社を出るのが遅くなる私には却って都合がいい。
今日は最初にTAKUMAさんという人が歌って、その後に阿部さん達というセットだった。普通、1つのユニットが1部と2部を両方やるものなので、こういう風な組み合わせで行うのは珍しい。
TAKUMAさんはソフトで甘い歌い口でオリジナルやカバーを歌っていた。ただ雰囲気を重視したせいか、声量が足りなく、近くで聞いていた人にしかよく聞こえなかったのが残念。演奏中はお客が騒がないライブハウスならばいいけれど、アイリッシュパブのような雑然とした空間では負けてしまう。
ギネスを飲みながら、阿部さん達の準備を待つ。ツマミが欲しくなり、「おまかせ」の皿モノを頼んだ。これが味が濃くて、たちまちビールが消える。生ハムの濃厚な味を消すために飲んでいる気分になるほど。グラスが空いて、さらにキルケニーを1パイント。
ステージとなる空間の手前の大テーブルに座っていた人たちは阿部さんの知り合いのようだったのだが、まさか全員が演奏者だとは思わなかった。
演奏が始まるとそれぞれ楽器を手にして参加してゆく。メインはハープとアコーディオン、そして後から駆けつけたフィドル。これにティンホイッスルやパーカッションが思い思いに加わる。
混成のためか、ケルトミュージックだけでなく・・・何故「与作」のインストゥルメンタル・・・(驚)。
演奏が終って、団欒モード。奏者の方々が店から提供された食事を食べたり、おしゃべりしたり。
と、おじいさんのために弾いて欲しいというリクエストがあったようだ。おじいさんは英国人らしい。リクエストに応えて、また演奏が始まる。また聴けるとは思わなかったのでラッキ〜。「与作」をじゃぱにーず・とらでぃしょなる・そんぐと説明していた。
23時を過ぎたので撤収。終電にはまだ余裕がある。蒲田経由で帰宅した。
いぬもあるけば・・・「断念と発見」
2003年6月4日 呑みの誘いがあったが、結局行かなかった。
大久保の居酒屋という話。微妙に何か仕掛けが施されている気がしたのもあったが。
中途半端な時間に会社を出たので、久々に蒲田駅ビルの書店に足を伸ばした。
心理学・哲学系統の棚に行って、背表紙をたらたら眺めていた。ここ最近、「哲学の勧め」とか「貴方にも判る心理学」・・・みたいな本が多い気がする。入門というか一般常識としての知識を得るためのものならばいいのだが、その先の日常必要ないディープでダークな知識や行為を安易に勧めるのはどうだろう。哲学も心理学も必要なければそれに越したことはないものだと考える。必要のないまま一生を終えられるならば、そちらの方が「しあわせ」なことだと思う。少なくとも今のような「消費」のされ方を見るに。
書籍を2冊購入。
「キェルケゴールとニーチェ」 著:カール・レヴィット 未來社
「あの子が部屋から出てこないのはどうしてだろう?」 著:山脇由貴子 ポプラ社
いい加減、キェルケゴール関係の新しい書籍は見つからないだろうと思ったら、こんな本が。どうやら復刊されたものらしい。
2冊目。山脇さんがまた本を上梓したとは知らなかった。まさか何気なく入った書店の棚で発見するという形で知るとは。
内容はタイトルからも簡単に類推できるように、「ひきこもり」に関する本。パラパラと読み始めてから気が付いたのだが、現象の解説や解決のための具体的なノウハウを綴ったものではなく、多くの事例を元にしながらも、ある家族と彼らに関わったカウンセラーの物語だった。そして、肝心のひきこもっている当人は全然出てこない。読者にとっても、扉の向こうにおそらくいるはずの『誰か』なのだ。
物語の中に見つけた言葉
「手に入れられなかった悲しみはずっと続くのに、手に入れた喜びは一瞬で終っちゃう。」
大久保の居酒屋という話。微妙に何か仕掛けが施されている気がしたのもあったが。
中途半端な時間に会社を出たので、久々に蒲田駅ビルの書店に足を伸ばした。
心理学・哲学系統の棚に行って、背表紙をたらたら眺めていた。ここ最近、「哲学の勧め」とか「貴方にも判る心理学」・・・みたいな本が多い気がする。入門というか一般常識としての知識を得るためのものならばいいのだが、その先の日常必要ないディープでダークな知識や行為を安易に勧めるのはどうだろう。哲学も心理学も必要なければそれに越したことはないものだと考える。必要のないまま一生を終えられるならば、そちらの方が「しあわせ」なことだと思う。少なくとも今のような「消費」のされ方を見るに。
書籍を2冊購入。
「キェルケゴールとニーチェ」 著:カール・レヴィット 未來社
「あの子が部屋から出てこないのはどうしてだろう?」 著:山脇由貴子 ポプラ社
いい加減、キェルケゴール関係の新しい書籍は見つからないだろうと思ったら、こんな本が。どうやら復刊されたものらしい。
2冊目。山脇さんがまた本を上梓したとは知らなかった。まさか何気なく入った書店の棚で発見するという形で知るとは。
内容はタイトルからも簡単に類推できるように、「ひきこもり」に関する本。パラパラと読み始めてから気が付いたのだが、現象の解説や解決のための具体的なノウハウを綴ったものではなく、多くの事例を元にしながらも、ある家族と彼らに関わったカウンセラーの物語だった。そして、肝心のひきこもっている当人は全然出てこない。読者にとっても、扉の向こうにおそらくいるはずの『誰か』なのだ。
物語の中に見つけた言葉
「手に入れられなかった悲しみはずっと続くのに、手に入れた喜びは一瞬で終っちゃう。」
いぬもあるけば・・・「懲りない人々」
2003年6月3日 MT14のプレイング。今日の内に纏めないと間に合わない。今回もまた通常郵便ではなく翌朝10時便を使うことに。締め切りが一日延びたのに、結局発送も一日ずれ込む。ほんと懲りないなぁ(苦笑)。
UMEのPCのプレイングはかなり弾けたものとなった。果たしてどうなることやら。
土曜日 西地区 “よ”−40a
これまた懲りない(爆)。
UMEのPCのプレイングはかなり弾けたものとなった。果たしてどうなることやら。
土曜日 西地区 “よ”−40a
これまた懲りない(爆)。
いぬもあるけば・・・「ピュア」
2003年6月2日 最近気になるもの。
キリンの午後ティーの新製品。純水を使っているという奴。純水というと「ピュアな」というイメージが一般的にあるのだろうが、別のイメージが湧いてしまう。
純水:工業的に作られるもの。非天然。そのもの自体、特別に美味しくはない。殺菌力を全く持たないので管理が良くないと雑菌が(以下略)。一般の水よりもモノを溶かす能力が高い。お茶の成分だけでなく、容器の成分も。
確かに水に拘れば純水は1つの究極だが、果たしてそれがお茶を究極的に美味しく感じさせるとも思えない。正しく純水で煎れたならば、確実に工業的に入れていることになる。そもそも「工業」に否定的なイメージを抱いてしまうバイアスとは如何?
純水=自然、自然=安全、有機=健康のような勘違いはいつから生じてきているのだろう。
工業や科学に対する否定的なイメージの根っこには単純な人間不信があることぐらいは判る。技術に対する不信ではなく、その技術を扱う人間に対する不信。同様は政治などにも見受けられ。結局、全て「不信」から来ている。ニヒリズムを空気のように吸ってきた我々にとってはこれが「自然」なのだろうが‥‥
交渉‥‥いや説得に失敗した。その前から一緒に動いているらしい人の予定行動がヤバイので、その行動を実行しないように情報戦を展開したのだが‥‥。結局、本人はダバ・マイロードみたく手近の仲間に当座の迷惑を掛けたくないとして、自らをその方向に‥‥。
多くの人が救うための手を(裏でとはいえ)尽くした結果がこれかと。目の前で人が「弱さの絶望」に落ち込むのを目の当たりにしてしまった徒労感。
キリンの午後ティーの新製品。純水を使っているという奴。純水というと「ピュアな」というイメージが一般的にあるのだろうが、別のイメージが湧いてしまう。
純水:工業的に作られるもの。非天然。そのもの自体、特別に美味しくはない。殺菌力を全く持たないので管理が良くないと雑菌が(以下略)。一般の水よりもモノを溶かす能力が高い。お茶の成分だけでなく、容器の成分も。
確かに水に拘れば純水は1つの究極だが、果たしてそれがお茶を究極的に美味しく感じさせるとも思えない。正しく純水で煎れたならば、確実に工業的に入れていることになる。そもそも「工業」に否定的なイメージを抱いてしまうバイアスとは如何?
純水=自然、自然=安全、有機=健康のような勘違いはいつから生じてきているのだろう。
工業や科学に対する否定的なイメージの根っこには単純な人間不信があることぐらいは判る。技術に対する不信ではなく、その技術を扱う人間に対する不信。同様は政治などにも見受けられ。結局、全て「不信」から来ている。ニヒリズムを空気のように吸ってきた我々にとってはこれが「自然」なのだろうが‥‥
交渉‥‥いや説得に失敗した。その前から一緒に動いているらしい人の予定行動がヤバイので、その行動を実行しないように情報戦を展開したのだが‥‥。結局、本人はダバ・マイロードみたく手近の仲間に当座の迷惑を掛けたくないとして、自らをその方向に‥‥。
多くの人が救うための手を(裏でとはいえ)尽くした結果がこれかと。目の前で人が「弱さの絶望」に落ち込むのを目の当たりにしてしまった徒労感。
いぬもあるけば・・・「休憩」
2003年6月1日 帰ってからもチャットに入って相談したり、愚痴を言い合ったり。
そこまでは普通の事なのだが、流石に一ヶ月の出張の疲れが出たのか、一旦昼前に起きたのにそのままダラダラと自室で溜まったTV録画を見て過していた。
平塚プライベに行こうと準備していたのだけれど、結局行けずじまい。「・・・せねばならない」に追われた反動がちょっときたようだ。でも、今日の静養?で回復しただろう。
夜のチャットでも交渉は続く。アリシアはイギリスに渡ることに。最初はNPCのアオイとの人間関係ドラマ的な展開を進めるつもりが、すっかり違う物語になっている(苦笑)。死の壁を乗り越えての移民策の重要アイテム「人工冬眠装置」のサンプルを交渉の場に持ち帰る任務。
夜、TV東京系の音楽伝説番組「そして音楽がはじまる」で「オネスティ」特集を見た。ロシアの反骨詩人についての話をここではじめて知った。
そこまでは普通の事なのだが、流石に一ヶ月の出張の疲れが出たのか、一旦昼前に起きたのにそのままダラダラと自室で溜まったTV録画を見て過していた。
平塚プライベに行こうと準備していたのだけれど、結局行けずじまい。「・・・せねばならない」に追われた反動がちょっときたようだ。でも、今日の静養?で回復しただろう。
夜のチャットでも交渉は続く。アリシアはイギリスに渡ることに。最初はNPCのアオイとの人間関係ドラマ的な展開を進めるつもりが、すっかり違う物語になっている(苦笑)。死の壁を乗り越えての移民策の重要アイテム「人工冬眠装置」のサンプルを交渉の場に持ち帰る任務。
夜、TV東京系の音楽伝説番組「そして音楽がはじまる」で「オネスティ」特集を見た。ロシアの反骨詩人についての話をここではじめて知った。
いぬもあるけば・・・「直行」
2003年5月31日 ホテルのフロントで宅配便の申し込みをするに際し、カードが使えず、現金のみと言われた。だが手元にそれほどない。仕方なく、近くの郵便局に行って引き落とし。そのまま大型スーパーによって、実家への土産を発送。
10時21分発を15分発だと勘違いして大慌てで矢本駅に駆け込んだ。時刻表の見誤り。逆よりはいいかと納得させる。
仙台駅構内のコンビニで食料を大量購入。お昼だけでなく夕食の分も。11時半に東北本線に乗り、在来線で東京まで向かう。土曜のお昼過ぎということで、高校生が多い。降りては乗り、乗っては降りる。そんな日常の列車に私以外にもちょっと違う雰囲気を漂わせる乗客もいる。きりりとお出掛けモードになっている母娘の二人。どうやら単身赴任しているお父さんの所に行くらしい。黒磯駅で降りていった。
私はというと、本を読んだり、バッテリーを気にしながらノートパソコンで日記を書いたり、MT14のプレイングを考えたり、気を失ってみたり(ぉ。車中でやることがあると7時間なんてあっという間だ。
1時間早く出発できれば一旦家に帰って大量の荷物を降ろしてから出かけるのだが、時間が押しているのでそのまま大井町駅を降りて「品プラ」会場に直行。
まずはバッテリー切れが気にかかるノートパソコンを充電させるためにコンセントの近くに場所を確保。重要な内容のチャットをしていたのだが、流石に会場では人の目もあるのでやりにくい。他のPLさんに見られたくない内容の相談故に。そこで、チャットは落ちることにした。うーん、彼の人が正しく状況判断できればいいのだが。
蛍夜さんに「で、そっちはどうよ」と質問された。苦笑いで返すしかない。彼はMT14には参加していないのだが、色々な情報が流れてくるようだ。先程の質問も大方の話を知っている上でのもの。MT14のPLでないのに何故会場にいるのかといえば、「呑みの待ち合わせ」をしているらしい。
とぽさんと軽く相談し、私のPCがブットーのお相手をすることに。初期から独立愚連隊的な存在なのでこういう他のPCの手が回らない仕事をこなす役回りだ。スイーパーとでもコードネームを名乗ろうかしらん。折角ブットーに関わるならば、元々PCが主張していた移民策の遂行のために動こうと思う。天変地異でイベリア半島とアフリカが地続きになっているので移民ルートとしては検討に値する。イベリア半島を難民の一時居留地にというのは随分前から考えていた。問題は食糧確保。投降兵達が開拓作業に従事してくれればいいのだが。
相談の前に情報収集をするため、品プラの時間内では作戦の相談が煮詰められない。その後の食事会で更に調整作業が行われる。
と、その前に蛍夜さんや濡葉さん達を近くの居酒屋に案内。体がもう1つあれば私も飲み会に参加したかった。
食事会でイスタンブールの状況を説明する。情報隔離されているイスタンブールに世の流れを伝えるためにH1からPCがやってくることになった。その人のプレイングが遅刻しなれば、それなりにインパクトを与えるだろう。
私は終電間際に帰ったのだが、かなりの人々がプレイングを煮詰めに次の相談場所に移動していった。彼らは朝まで相談するのだろうな。
10時21分発を15分発だと勘違いして大慌てで矢本駅に駆け込んだ。時刻表の見誤り。逆よりはいいかと納得させる。
仙台駅構内のコンビニで食料を大量購入。お昼だけでなく夕食の分も。11時半に東北本線に乗り、在来線で東京まで向かう。土曜のお昼過ぎということで、高校生が多い。降りては乗り、乗っては降りる。そんな日常の列車に私以外にもちょっと違う雰囲気を漂わせる乗客もいる。きりりとお出掛けモードになっている母娘の二人。どうやら単身赴任しているお父さんの所に行くらしい。黒磯駅で降りていった。
私はというと、本を読んだり、バッテリーを気にしながらノートパソコンで日記を書いたり、MT14のプレイングを考えたり、気を失ってみたり(ぉ。車中でやることがあると7時間なんてあっという間だ。
1時間早く出発できれば一旦家に帰って大量の荷物を降ろしてから出かけるのだが、時間が押しているのでそのまま大井町駅を降りて「品プラ」会場に直行。
まずはバッテリー切れが気にかかるノートパソコンを充電させるためにコンセントの近くに場所を確保。重要な内容のチャットをしていたのだが、流石に会場では人の目もあるのでやりにくい。他のPLさんに見られたくない内容の相談故に。そこで、チャットは落ちることにした。うーん、彼の人が正しく状況判断できればいいのだが。
蛍夜さんに「で、そっちはどうよ」と質問された。苦笑いで返すしかない。彼はMT14には参加していないのだが、色々な情報が流れてくるようだ。先程の質問も大方の話を知っている上でのもの。MT14のPLでないのに何故会場にいるのかといえば、「呑みの待ち合わせ」をしているらしい。
とぽさんと軽く相談し、私のPCがブットーのお相手をすることに。初期から独立愚連隊的な存在なのでこういう他のPCの手が回らない仕事をこなす役回りだ。スイーパーとでもコードネームを名乗ろうかしらん。折角ブットーに関わるならば、元々PCが主張していた移民策の遂行のために動こうと思う。天変地異でイベリア半島とアフリカが地続きになっているので移民ルートとしては検討に値する。イベリア半島を難民の一時居留地にというのは随分前から考えていた。問題は食糧確保。投降兵達が開拓作業に従事してくれればいいのだが。
相談の前に情報収集をするため、品プラの時間内では作戦の相談が煮詰められない。その後の食事会で更に調整作業が行われる。
と、その前に蛍夜さんや濡葉さん達を近くの居酒屋に案内。体がもう1つあれば私も飲み会に参加したかった。
食事会でイスタンブールの状況を説明する。情報隔離されているイスタンブールに世の流れを伝えるためにH1からPCがやってくることになった。その人のプレイングが遅刻しなれば、それなりにインパクトを与えるだろう。
私は終電間際に帰ったのだが、かなりの人々がプレイングを煮詰めに次の相談場所に移動していった。彼らは朝まで相談するのだろうな。