いぬもあるけば・・・「余波」
2003年5月30日 昨日のトラブルの余波が続いている。うぐ。出張最終日にワタワタするとは。
それでも方針を示すことでほぼ解決できたのでいいか。若干の質問は宿題ということで。
隊長にもご挨拶して、2度目の松島出張が終った。
何かまたトラブルが遭ったら‥‥と考えて、今朝のうちにチェックアウトはせず、明日にチェックアウトすることにしていた。
ホテルに帰ってきて、実家へのお土産を買うために出かけようと思ったのだが、MT14関係のメールチェックや関連サイトのチェックをし、更にチャットに入ってしまった事で完全に出かける気分がなくなってしまった。
トラブルの余波は仕事だけでなく、MT14にも。知らなければ関わらなかったろうし、関わらなかったならば知らずに済んだ。そうすれば、こう頭を痛めることもなかったのだろうが。知ってしまったからには、相応に動くしかない。それが自分のためでもあるから。
それらに関わって良かったと言えるのは、関わる中で自分の矮小な、独り抱えていた昔の蟠りを1つ打破できたことか。とりあえず、これで0に戻れるだろう。小利口に動いているつもりが実は屈折した思いに促されていた事に気づいたからには。これでようやく素直にその人の努力と苦労を認めることができた。全て除去しきれた訳ではないが、気兼ねなくその人の傍らに立つことができるだろう。
鳴沢滉延さんにお願いしたOMCのイラストがアップされた。
絵師さんの主義に反した発注だったかもしれないと、アップされるまで気に掛けていた。絵師さんがどう思って描いたかは判らないが、その出来栄えは依頼した自分の目に狂いがなかった事を教えてくれた。OMC登録絵師数あれど、「耽美さ」を演出できる絵師はそれほどいない。
問題は、ここまで雰囲気のある魔皇のイラストができたとなると、相方である逢魔の外見設定をどうするか、どなたに発注するか迷ってしまう。そして、あの『愛と○○○アンの旅立ち』な二人の物語をWT3中でどのように綴ってゆくかについても‥‥(ぉ
それでも方針を示すことでほぼ解決できたのでいいか。若干の質問は宿題ということで。
隊長にもご挨拶して、2度目の松島出張が終った。
何かまたトラブルが遭ったら‥‥と考えて、今朝のうちにチェックアウトはせず、明日にチェックアウトすることにしていた。
ホテルに帰ってきて、実家へのお土産を買うために出かけようと思ったのだが、MT14関係のメールチェックや関連サイトのチェックをし、更にチャットに入ってしまった事で完全に出かける気分がなくなってしまった。
トラブルの余波は仕事だけでなく、MT14にも。知らなければ関わらなかったろうし、関わらなかったならば知らずに済んだ。そうすれば、こう頭を痛めることもなかったのだろうが。知ってしまったからには、相応に動くしかない。それが自分のためでもあるから。
それらに関わって良かったと言えるのは、関わる中で自分の矮小な、独り抱えていた昔の蟠りを1つ打破できたことか。とりあえず、これで0に戻れるだろう。小利口に動いているつもりが実は屈折した思いに促されていた事に気づいたからには。これでようやく素直にその人の努力と苦労を認めることができた。全て除去しきれた訳ではないが、気兼ねなくその人の傍らに立つことができるだろう。
鳴沢滉延さんにお願いしたOMCのイラストがアップされた。
絵師さんの主義に反した発注だったかもしれないと、アップされるまで気に掛けていた。絵師さんがどう思って描いたかは判らないが、その出来栄えは依頼した自分の目に狂いがなかった事を教えてくれた。OMC登録絵師数あれど、「耽美さ」を演出できる絵師はそれほどいない。
問題は、ここまで雰囲気のある魔皇のイラストができたとなると、相方である逢魔の外見設定をどうするか、どなたに発注するか迷ってしまう。そして、あの『愛と○○○アンの旅立ち』な二人の物語をWT3中でどのように綴ってゆくかについても‥‥(ぉ
いぬもあるけば・・・「帰り際」
2003年5月29日 出張ももうすぐ終わり。契約が更新されない限り、長期出張で矢本を訪れることはなさそう。そこで、お土産になるものを売店で購入した。ブルーインパルスのストラップやF−2の玩具など。こういうものも中国製なのだなぁ。
新しい機体がやってきた。うちの機材をしげしげと眺める。工場の机にあるものを見るのとはまた違うものだなと感じた。
Ngtが終わってミーティングが始まるのを待っていたら、トラブル発生。明日で終わるというタイミングで発生しますか!タイミングの見事さに苦笑するしかなかった。事態を把握するまでは慌てたが、実際には大したことなくすんだ。宿題は出そうだが、大騒ぎになるものではない。
ドタバタしたので、事務所を出たのが22時過ぎ。大型スーパーに寄る気力もなく、コンビニで食べ物を買って、夜食に。
新しい機体がやってきた。うちの機材をしげしげと眺める。工場の机にあるものを見るのとはまた違うものだなと感じた。
Ngtが終わってミーティングが始まるのを待っていたら、トラブル発生。明日で終わるというタイミングで発生しますか!タイミングの見事さに苦笑するしかなかった。事態を把握するまでは慌てたが、実際には大したことなくすんだ。宿題は出そうだが、大騒ぎになるものではない。
ドタバタしたので、事務所を出たのが22時過ぎ。大型スーパーに寄る気力もなく、コンビニで食べ物を買って、夜食に。
いぬもあるけば・・・「ひかりごけ」
2003年5月28日 MT14の世界設定がかなりダークな近未来ものであることは前に説明したかもしれない。
人災によって齎された地球規模の天変地異をようやく生き延びた人々を異常気象による寒冷化が襲い、生存圏を奪われつつあるヨーロッパ。
滅びるしかないと思った人々を救ったのが、気象制御装置「カルネアデス」。ナノマシンによって気象を制御することで氷河を押し戻し、ヨーロッパを天変地異前の温暖な気候に戻して数千万の命を救った。
しかし、「カルネアデス」はその名の通り、ヨーロッパの人々を救うために別の犠牲を強いた。不完全なものを緊急起動させたため、制御圏外の広い範囲でナノマシンが猛毒と化す不具合が生じた。これによって圏外の民である中東の生存者が滅亡に瀕することになる。
MT14では、真実を知った中東の人々が数百万の民を救うために「カルネアデス」を破壊する遠征を仕掛けたところから始まった。ゲームがPCとPLに投げつけた問題はまさに「カルネアデス」という単語に集約できる。
で、今、とても気になるモノがリプレイに登場している。
・・・「ヒカリゴケ」。ブタペストの洞窟の中に発生しているという設定のものは、ゲーム開始時には洞窟を演出するアイテムでしかなかった。それが、中盤になって別のものに変わった。
なんと、この「ヒカリゴケ」は食す事ができるのだ。それどころか非常に栄養価が高い。今後膨大な数の難民が押し寄せてくる可能性がある中、その食料問題がすでに危機的と予想されている。「ヒカリゴケ」は硫黄化合物を分解して成長するという特性によって温泉地であるブタペストでは大量生産が可能な奇跡の食べ物と注目されることになった。
が、この展開は希望にあふれるもののように見えるが、私にはそう単純に思えない。「カルネアデス」を踏まえると、全く別のものが浮かび上がってくる。
・・・「ひかりごけ」。「カルネアデス ひかりごけ」で検索すれば、私が何をみたか分かるだろう。[http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/hikarigoke.htm]
「ヒカリゴケ」が来る食糧難を解決するアイテムとして設定された時点では、オフィシャルやマスターのほとんどは考えていなかったと思う。中東を含めたヨーロッパの民の餓えを凌ぐ天からの贈り物が「ひかりごけ」であることの意味を。
MT14の物語装置は、PLやマスターも知らないところで駆動している。
人災によって齎された地球規模の天変地異をようやく生き延びた人々を異常気象による寒冷化が襲い、生存圏を奪われつつあるヨーロッパ。
滅びるしかないと思った人々を救ったのが、気象制御装置「カルネアデス」。ナノマシンによって気象を制御することで氷河を押し戻し、ヨーロッパを天変地異前の温暖な気候に戻して数千万の命を救った。
しかし、「カルネアデス」はその名の通り、ヨーロッパの人々を救うために別の犠牲を強いた。不完全なものを緊急起動させたため、制御圏外の広い範囲でナノマシンが猛毒と化す不具合が生じた。これによって圏外の民である中東の生存者が滅亡に瀕することになる。
MT14では、真実を知った中東の人々が数百万の民を救うために「カルネアデス」を破壊する遠征を仕掛けたところから始まった。ゲームがPCとPLに投げつけた問題はまさに「カルネアデス」という単語に集約できる。
で、今、とても気になるモノがリプレイに登場している。
・・・「ヒカリゴケ」。ブタペストの洞窟の中に発生しているという設定のものは、ゲーム開始時には洞窟を演出するアイテムでしかなかった。それが、中盤になって別のものに変わった。
なんと、この「ヒカリゴケ」は食す事ができるのだ。それどころか非常に栄養価が高い。今後膨大な数の難民が押し寄せてくる可能性がある中、その食料問題がすでに危機的と予想されている。「ヒカリゴケ」は硫黄化合物を分解して成長するという特性によって温泉地であるブタペストでは大量生産が可能な奇跡の食べ物と注目されることになった。
が、この展開は希望にあふれるもののように見えるが、私にはそう単純に思えない。「カルネアデス」を踏まえると、全く別のものが浮かび上がってくる。
・・・「ひかりごけ」。「カルネアデス ひかりごけ」で検索すれば、私が何をみたか分かるだろう。[http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/hikarigoke.htm]
「ヒカリゴケ」が来る食糧難を解決するアイテムとして設定された時点では、オフィシャルやマスターのほとんどは考えていなかったと思う。中東を含めたヨーロッパの民の餓えを凌ぐ天からの贈り物が「ひかりごけ」であることの意味を。
MT14の物語装置は、PLやマスターも知らないところで駆動している。
いぬもあるけば・・・「余震」
2003年5月27日 余震というのが思った以上にキツイものだと知った。
一度、大きな地震に遭った後なので、また同等の揺れが来るかもしれないと体が反応してしまう。微震でも大きな余震の前触れなのかと思ってしまったり。つまり、余震が続いている間、緊張状態が続く訳だ。
阪神淡路大震災の時に被災者が参ったという話をようやく実感として理解した。
PRGゲーマーはこの体験を元に更に想像するだろう。空爆に曝された生活する人々や日常的にテロが発生する場所で生きる人々の、日常の裏にべったりと塗りつけられた恐怖を。次の瞬間に全てが失われるかもしれないことをいつも考えながら生き続ける日々を。
一度、大きな地震に遭った後なので、また同等の揺れが来るかもしれないと体が反応してしまう。微震でも大きな余震の前触れなのかと思ってしまったり。つまり、余震が続いている間、緊張状態が続く訳だ。
阪神淡路大震災の時に被災者が参ったという話をようやく実感として理解した。
PRGゲーマーはこの体験を元に更に想像するだろう。空爆に曝された生活する人々や日常的にテロが発生する場所で生きる人々の、日常の裏にべったりと塗りつけられた恐怖を。次の瞬間に全てが失われるかもしれないことをいつも考えながら生き続ける日々を。
いぬもあるけば・・・「大地震」
2003年5月26日 定時の終わりを告げるラッパの音が鳴り響いた後、多少まったりとした雰囲気になった。
今日はNgtがあるので、まだ帰れない。それでも、定時が終わったことで多少緊張が解けていた。
Ngtの準備が整いつつある午後6時半前。それは起こった。
相当の規模だ。最初、冗談かと思った。全員がそのままの状態でいて特に慌てる様子もなく、部屋にあるものが落ちたり倒れたりする音もしなかったからだ。
揺れの時間が長かったために、揺れている間に「これはネタだ!」と考えている自分がいた。
「これだけしっかり把握しているのだから、このまま座りこけているのもなんだなぁ。」
TVで見た地震体験車のことを思い出し、机の下にあえて隠れるというネタを思いついた。中々、机の下に隠れるほど長く揺れることは少ない。少なくともそれを把握して、状況確認してから動くほど長くは。
で、隠れてみた。隠れてから大した時間が立たないうちに揺れは収まった。
まずはTVで状況確認。震度的にも相当大きいことを知ることで、ちょっと安心。しかし地震で別のことを思い出した。会社の人が点検のために奥尻島に訪れていたときに遭遇した、あの地震のことを。
震源地が分からなかったこともあり、津波のことを思い出して、ちょっと冷や汗。TVで「津波発生の恐れはない」と言ってくれるまではかなり不安だった。地形的には奥尻島を襲ったレベルの津波が襲うことはないだろうと思ったが、もし来たら事務所や周囲の機材が全て被害を受け、物によっては機能を失ってしまったろう。そのときの被害総額を考えると、平然としては居られなかった。
事務所では全社挙げて、被害状況の確認をしていた。あれだけの揺れにも関わらず、ほとんど被害がなかった。一部、水道施設や消火設備に不具合が発生したり、位置を固定していた大型機材がずれたとかいう程度。
為さらせた敷地も何も問題なかった。
地震発生後、すぐに最悪の事態が起きたときにそれを他者に伝えておくために、AirH"でいつものチャットに地震報告。最悪、もっと大きな地震や津波などが発生して私が死んでも、その直前の様子が誰かに伝わるだろうと。そんな考えは杞憂だったけれど。
「津波発生の恐れなし」のニュースを見て、ようやく本社に連絡する気になった。最初の揺れの後に「無事だ」と伝えてから被災するのも情けないと思い、本当に無事と言える事態まで状況を観察していた。
社用のケータイで連絡しようとしたのだが、このときすでにケータイの回線も輻輳状態に入りつつあった。電話を掛けても通じない。そのうち、「おまちください」と表示された。
ケータイは駄目だけれど、利用者が少ないPHSは、AirH"は全く問題ない。そこで、自分の個人アドレスから会社の上司に安否の確認のメールを打った。
会社にメールを打ったのは、別に業務のためだけではない。メールを受け取れない実家から会社に問い合わせがあるかも知れないからだ。
「
松島*****派遣員 **です。
地震、はげしく揺れましたが、**待機者は皆、無事です。
********は中止です。**にも大きな被害はなさそうです。
しっかり、机の下に隠れました。
ケータイが繋がらないので、個人の回線でメールを送ります。
以上
」
続いて、一食会MLにメールを流し、それからこの日記を読んでいる人に対し、状況報告の書き込みを行った。
「 えー、現在、宮城県北部におりまして・・・
生まれて一番大きな地震に会いました。震度6弱。
が、揺れそのものはそれほど衝撃的ではありませんでした。
空っ風や冬の日本海の風などの突風で家が揺れるのを体験しているから?
震源地が深くて良かったです。海岸沿いですからね。津波が一番怖い。
昨日の車酔いの残りがあって、余震の揺れに気持ち悪くなったのはひみつ。
とりあえず、今日の日記は無事を知らせるためのものとして。」
事務所は余震による被害発生を恐れて、ずっと待機命令が出ていた。
が、21時近くになって派遣者の我々は帰宅することにした。この頃になると輻輳状態も解消し、実家に連絡を入れることができた。
今日はNgtがあるので、まだ帰れない。それでも、定時が終わったことで多少緊張が解けていた。
Ngtの準備が整いつつある午後6時半前。それは起こった。
相当の規模だ。最初、冗談かと思った。全員がそのままの状態でいて特に慌てる様子もなく、部屋にあるものが落ちたり倒れたりする音もしなかったからだ。
揺れの時間が長かったために、揺れている間に「これはネタだ!」と考えている自分がいた。
「これだけしっかり把握しているのだから、このまま座りこけているのもなんだなぁ。」
TVで見た地震体験車のことを思い出し、机の下にあえて隠れるというネタを思いついた。中々、机の下に隠れるほど長く揺れることは少ない。少なくともそれを把握して、状況確認してから動くほど長くは。
で、隠れてみた。隠れてから大した時間が立たないうちに揺れは収まった。
まずはTVで状況確認。震度的にも相当大きいことを知ることで、ちょっと安心。しかし地震で別のことを思い出した。会社の人が点検のために奥尻島に訪れていたときに遭遇した、あの地震のことを。
震源地が分からなかったこともあり、津波のことを思い出して、ちょっと冷や汗。TVで「津波発生の恐れはない」と言ってくれるまではかなり不安だった。地形的には奥尻島を襲ったレベルの津波が襲うことはないだろうと思ったが、もし来たら事務所や周囲の機材が全て被害を受け、物によっては機能を失ってしまったろう。そのときの被害総額を考えると、平然としては居られなかった。
事務所では全社挙げて、被害状況の確認をしていた。あれだけの揺れにも関わらず、ほとんど被害がなかった。一部、水道施設や消火設備に不具合が発生したり、位置を固定していた大型機材がずれたとかいう程度。
為さらせた敷地も何も問題なかった。
地震発生後、すぐに最悪の事態が起きたときにそれを他者に伝えておくために、AirH"でいつものチャットに地震報告。最悪、もっと大きな地震や津波などが発生して私が死んでも、その直前の様子が誰かに伝わるだろうと。そんな考えは杞憂だったけれど。
「津波発生の恐れなし」のニュースを見て、ようやく本社に連絡する気になった。最初の揺れの後に「無事だ」と伝えてから被災するのも情けないと思い、本当に無事と言える事態まで状況を観察していた。
社用のケータイで連絡しようとしたのだが、このときすでにケータイの回線も輻輳状態に入りつつあった。電話を掛けても通じない。そのうち、「おまちください」と表示された。
ケータイは駄目だけれど、利用者が少ないPHSは、AirH"は全く問題ない。そこで、自分の個人アドレスから会社の上司に安否の確認のメールを打った。
会社にメールを打ったのは、別に業務のためだけではない。メールを受け取れない実家から会社に問い合わせがあるかも知れないからだ。
「
松島*****派遣員 **です。
地震、はげしく揺れましたが、**待機者は皆、無事です。
********は中止です。**にも大きな被害はなさそうです。
しっかり、机の下に隠れました。
ケータイが繋がらないので、個人の回線でメールを送ります。
以上
」
続いて、一食会MLにメールを流し、それからこの日記を読んでいる人に対し、状況報告の書き込みを行った。
「 えー、現在、宮城県北部におりまして・・・
生まれて一番大きな地震に会いました。震度6弱。
が、揺れそのものはそれほど衝撃的ではありませんでした。
空っ風や冬の日本海の風などの突風で家が揺れるのを体験しているから?
震源地が深くて良かったです。海岸沿いですからね。津波が一番怖い。
昨日の車酔いの残りがあって、余震の揺れに気持ち悪くなったのはひみつ。
とりあえず、今日の日記は無事を知らせるためのものとして。」
事務所は余震による被害発生を恐れて、ずっと待機命令が出ていた。
が、21時近くになって派遣者の我々は帰宅することにした。この頃になると輻輳状態も解消し、実家に連絡を入れることができた。
いぬもあるけば・・・「徹夜・温泉・湯あたり・ラーメン」
2003年5月25日 24時も過ぎてから、花火大会。といっても、コンビニで売っているような花火セットなので、あっという間に終わってしまうが。それでも楽しい。
シュガーコートでお土産にもらった紅茶を思い出した。トートバッグからガラス瓶の入ったポリエチレン袋を取り出すと、液体の感触。どうやら、ガラス瓶が倒れて洩れてしまっていたらしい。瓶に残っていたのは1杯分。これを私が飲むよりも後輩が飲んで喜んでくれるほうが嬉しい。幸い、好評だった。
そんなこんなで4時近くに。そろそろ今後のことを考えないと。このまま貫徹してもいいけれど、そうするとおそらく昼過ぎに強烈な反動が来るだろう。ここはきちんと眠らないまでも横になった方がいい。男女別れた雑魚寝部屋は既に埋まっている。仕方がないので、大部屋の脇で横になった。寝るというよりは気を失うという感じ。パーカーを着込んだり、押入れから布団を引き出して丸まってみたり。
現役陣は元気で、寝ている人の顔に落書きをしてみたり、着メロ鑑賞会を開いたりって・・・ずっと同じものを鳴らし続けるのはどうよ。しかも、ズンドコ節って・・・半分うなされかけた(苦笑)。
結局、7時近くには大部屋の片付けを始め、雑魚寝部屋も次々攻略されていった。吐かせるまで呑ますことがなくなったためか、全員が起きている。これにはちょっとビックリした。8時前に合宿所の戸締りができるなんて‥‥。
そのまま真っ直ぐ内野駅に出ようと思ったら、T先輩が車で新潟駅まで送ってくれるという。夕方に着き、朝に出発するため、日本海を拝めないと思っていたのだが、先輩が海岸道路を走ってくれて、久々に日本海を拝むことができた。この道と平行してある砂浜には悲喜こもごもの思い出がある。[http://www.wave.ie.niigata-u.ac.jp/image/nue1.jpg]
が、先輩のカーステがそんな感傷に浸らせてくれない。がはっ!谷山浩子ですか、リン・ミンメイですか、そして‥‥種ともこですかっ‥‥て、こんなところに種ともこファンが!
関屋分水を越え、寄居浜の脇を通って、新潟駅‥‥に真っ直ぐ行かずに寄り道。「柳都大橋」なる新しい橋ができたのだそうだ。をー!これが‥‥。うーむ。
続いて、「新潟みなとトンネル」という信濃川を潜るトンネルに向かうという。をー!これが‥‥。うーむ。
立て続けに『びみょ〜』なものを見せられてなんともいえない気分を抱えつつ、新潟駅に。「ありがとうございました〜。」と若干SAN値を下げながらお礼を述べてお別れ。
新潟駅で朝食として鮭の漬け焼弁当を購入。前に買って気に入ったもの。何でも、ローソンでこの漬け焼を具にしたお握りが出ているのだそうだ。これと同じぐらい美味しいならば、値段が高くても買うなぁ。満腹ではなく、満足のために。
お腹が膨れたのがよくなかったのか、車中でまた気を失った。東京駅は八重洲中央口を出て、Iさんにケータイで連絡を取る。神田で昼食を取っているのだそうだ。合流してから車で移動なので、こちらから動くことに。合流。
車は西へ。目的地は箱根。なんのことはない、前回と同じ温泉「天山」。その車内で怪しいマンボなCDを聞かされ、うわぉ!
教訓:徹夜後に1時間も温泉に使ってはいけない。
入浴中や直後はなんでもなかったのだが、甘味処で少し寒く感じたのがやばかった。注文時に面白いことがあったり、葛きりはおいしかったりだったのだけど。
温泉の次はラ博。そこまでの道のりで私はダウン。湯あたりと軽い車酔い。起きていると最悪の事態になりそうなので、寝てやり過ごした。目が覚めても、目を閉じたまま、3人の会話を聞いたり、また気を失ったり。
ラ博に着いた。寝たことで、どうにか回復したようで、車酔いも収まりかけていた。ラ博に入って、何も食べられないという悲しい状況は避けられた。とはいえ、完全ではない。いつもならば、普通盛りを頼むのだが、小鉢に入ったミニラーメンに。
最初に並んだのは、和歌山の井出商店。復活の出店というのだが、この店の名前、どこかで聞いたか見た覚えがある。早寿司が売られているのを見て思い出した。MT9終了後、PCの逃避行を巡る和歌山縦断の旅をしたときに寄った気がする。16時頃なのに外で並んでいる人がいるのに惹かれて立ち寄った。尤も他の店だったのかもしれないが、味はほとんど同じだった。体調が良ければ早寿司も食べたかったな。
帰りの時間、つまりタイムリミットがある私のため、長く並んでいる店はパスして、勝丸に。適度に食べたために胃腸が刺激されたのか、大分調子が戻ってきた。それでもミニラーメンなのは変わらず。
ゆずサワーをIさんと共に飲んで、ラ博をそれなりに満喫。
新横浜駅でも良かったのだが、ノリで東京駅まで送ってもらった。途中で海を見た。
「DIRASさん良かったね。一日の内に日本海と太平洋が見られて!」という突っ込みが(汗)。
無事に東京駅に着き、お別れ。また遊びましょう。
そして私は東北新幹線に乗り、出張先に。
シュガーコートでお土産にもらった紅茶を思い出した。トートバッグからガラス瓶の入ったポリエチレン袋を取り出すと、液体の感触。どうやら、ガラス瓶が倒れて洩れてしまっていたらしい。瓶に残っていたのは1杯分。これを私が飲むよりも後輩が飲んで喜んでくれるほうが嬉しい。幸い、好評だった。
そんなこんなで4時近くに。そろそろ今後のことを考えないと。このまま貫徹してもいいけれど、そうするとおそらく昼過ぎに強烈な反動が来るだろう。ここはきちんと眠らないまでも横になった方がいい。男女別れた雑魚寝部屋は既に埋まっている。仕方がないので、大部屋の脇で横になった。寝るというよりは気を失うという感じ。パーカーを着込んだり、押入れから布団を引き出して丸まってみたり。
現役陣は元気で、寝ている人の顔に落書きをしてみたり、着メロ鑑賞会を開いたりって・・・ずっと同じものを鳴らし続けるのはどうよ。しかも、ズンドコ節って・・・半分うなされかけた(苦笑)。
結局、7時近くには大部屋の片付けを始め、雑魚寝部屋も次々攻略されていった。吐かせるまで呑ますことがなくなったためか、全員が起きている。これにはちょっとビックリした。8時前に合宿所の戸締りができるなんて‥‥。
そのまま真っ直ぐ内野駅に出ようと思ったら、T先輩が車で新潟駅まで送ってくれるという。夕方に着き、朝に出発するため、日本海を拝めないと思っていたのだが、先輩が海岸道路を走ってくれて、久々に日本海を拝むことができた。この道と平行してある砂浜には悲喜こもごもの思い出がある。[http://www.wave.ie.niigata-u.ac.jp/image/nue1.jpg]
が、先輩のカーステがそんな感傷に浸らせてくれない。がはっ!谷山浩子ですか、リン・ミンメイですか、そして‥‥種ともこですかっ‥‥て、こんなところに種ともこファンが!
関屋分水を越え、寄居浜の脇を通って、新潟駅‥‥に真っ直ぐ行かずに寄り道。「柳都大橋」なる新しい橋ができたのだそうだ。をー!これが‥‥。うーむ。
続いて、「新潟みなとトンネル」という信濃川を潜るトンネルに向かうという。をー!これが‥‥。うーむ。
立て続けに『びみょ〜』なものを見せられてなんともいえない気分を抱えつつ、新潟駅に。「ありがとうございました〜。」と若干SAN値を下げながらお礼を述べてお別れ。
新潟駅で朝食として鮭の漬け焼弁当を購入。前に買って気に入ったもの。何でも、ローソンでこの漬け焼を具にしたお握りが出ているのだそうだ。これと同じぐらい美味しいならば、値段が高くても買うなぁ。満腹ではなく、満足のために。
お腹が膨れたのがよくなかったのか、車中でまた気を失った。東京駅は八重洲中央口を出て、Iさんにケータイで連絡を取る。神田で昼食を取っているのだそうだ。合流してから車で移動なので、こちらから動くことに。合流。
車は西へ。目的地は箱根。なんのことはない、前回と同じ温泉「天山」。その車内で怪しいマンボなCDを聞かされ、うわぉ!
教訓:徹夜後に1時間も温泉に使ってはいけない。
入浴中や直後はなんでもなかったのだが、甘味処で少し寒く感じたのがやばかった。注文時に面白いことがあったり、葛きりはおいしかったりだったのだけど。
温泉の次はラ博。そこまでの道のりで私はダウン。湯あたりと軽い車酔い。起きていると最悪の事態になりそうなので、寝てやり過ごした。目が覚めても、目を閉じたまま、3人の会話を聞いたり、また気を失ったり。
ラ博に着いた。寝たことで、どうにか回復したようで、車酔いも収まりかけていた。ラ博に入って、何も食べられないという悲しい状況は避けられた。とはいえ、完全ではない。いつもならば、普通盛りを頼むのだが、小鉢に入ったミニラーメンに。
最初に並んだのは、和歌山の井出商店。復活の出店というのだが、この店の名前、どこかで聞いたか見た覚えがある。早寿司が売られているのを見て思い出した。MT9終了後、PCの逃避行を巡る和歌山縦断の旅をしたときに寄った気がする。16時頃なのに外で並んでいる人がいるのに惹かれて立ち寄った。尤も他の店だったのかもしれないが、味はほとんど同じだった。体調が良ければ早寿司も食べたかったな。
帰りの時間、つまりタイムリミットがある私のため、長く並んでいる店はパスして、勝丸に。適度に食べたために胃腸が刺激されたのか、大分調子が戻ってきた。それでもミニラーメンなのは変わらず。
ゆずサワーをIさんと共に飲んで、ラ博をそれなりに満喫。
新横浜駅でも良かったのだが、ノリで東京駅まで送ってもらった。途中で海を見た。
「DIRASさん良かったね。一日の内に日本海と太平洋が見られて!」という突っ込みが(汗)。
無事に東京駅に着き、お別れ。また遊びましょう。
そして私は東北新幹線に乗り、出張先に。
いぬもあるけば・・・「V・新川」
2003年5月24日 始発に乗るつもりが(以下略)。
仙台駅で朝食として駅蕎麦を食べた後、前回と同じ「雲丹プリッツ」「牛タンカール」を購入。睡眠不足気味なので車中で睡眠。結構深く眠ったのか、目が覚めたときに何時間も時間が過ぎていたような感覚が。
自宅に真っ直ぐ帰らずに、会社に寄って、用を済ませる。ファイルコピーに1時間以上も掛かるとわ‥‥。
自宅のポストには大量の郵便物が押し込められていた。ライブや劇などのDM以外に4つの白い封筒が〜♪
ログブックの書き込みを見てPCが死亡していないことを確認し、余分な交流誌を省いて鞄に詰め込んだ。さて、出発だ。
東京駅で指定席と取ってから、構内の書店をうろつく。う〜む、触手が伸びるような本がないなぁ。ハードカバーは女性を貶めたり、びぢねすまんを惑わしたりする自己啓発本やタレント本ぐらいしかない。新書も興味を惹かれるものがない。単行本も。
車内で‥‥また、寝てた。 18:17 新潟着。万代橋を渡りながら、辺りを見回す。ホテルオータニの近くの河川敷で絵を描いている女性が2人。彼女達そのものが絵になっている。考えてみると新潟の街は絵になる街だ。初夏の街を歩いて思った。
おやつ代わりに「志まん焼き」を1つ食べて、「シュガーコート」に。店主はテーブル席で友人とのお食事会。「まだやっていますか?」と尋ねたところ大丈夫そう。カウンターに座って、一息ついた。お食事会用に作っておいてあるアイスティーと、アッサムのアイスミルクティーを頂く。作り置きしてあったのはフレーバーティー「サマーナイトドリーム」とディンブラ。フレーバーティーは好みがあって、個人的に当たり外れが多くてちょっと恐々という感じで口にしたのだが、想像以上に口当たりがよく美味しかった。ディンブラのアイスティーよりも。これから何人か店を紹介した部員がいる写真部の合宿に乱入するのだと言うと、もう呑まないからと500mlほどサマーナイトドリームのアイスティーを貰った。喜ぶだろう後輩の顔が思い浮かぶ。
店をでて、すぐにバスに乗らずに、オギノ通りにある「キッチンV」に夕食を食べに行った。どうせ1次会には間に合わないし、それならばネタになる店に行かないと。『Vスパ』を注文。松坂も捨てがたかったが、ネタとしてはVスパの方が上だろう。カウンターには仕事帰りの男女と家族連れ。仕事帰りの二人は出張中らしく、誰かに教えて貰っての来店の様子。マスターが次々と注文の品を作ってゆくのを見るのが楽しそう。確かに目の前で美味しい料理が出来てゆくのは魔法のようだ。和みモードに入って女性がマスターに声を掛けていた。「Vスパ」というのが、どんなメニューなのか興味を持ったらしい。そのVスパを食べながら、彼女達の会話に聞き耳を立ててみる。
「馬主さんはホテルオークラに泊まることが多いんですよ」「競馬場の近くにも寮があるんですけれど、ホテルに泊まるほうが遊びにも出られるし・・・・」最初、どこかの雑誌社か何かの人だと思っていたのだがどうやらJRA関係の人達らしい。カップルという訳ではない故の清々しさを二人に感じた。
そうそうVスパの味は変わっていなかった。「おやじさん」が引退して、マスターが変わっても。ただ昔は写真部の写真が飾られていた店内も、(2階は判らないが)今は平山知事のサインぐらいしか置いてなかった。次は「松坂鉄板焼き」を食べよう。
西小針経由内野行きのバスに乗り、中門前で下車。 第四銀行裏の道をだらだら歩く。かつてアンモナイトという店だった建物も居酒屋っぽい店に変わっていたりと飲み屋が増えている。路地に入って、居酒屋「新川」に到着。あれ?どこか違う気がしながら暖簾を潜った。カウンターに座って、ビールを頼む。アルバイトの可愛いお姉さんがお酌をしてくれる。どこだ、ここわ!(爆)
お腹は減っていなかったが、寂しいので「板わさ」と「地鉱玉のみ」を頼んで一息つく。改めて周りを見回すと、窓際や棚の上、そして冷蔵庫の中に一種類の一升瓶が置かれてあった。「鶴の友上白」だった。これだ。看板を見て、何か違うと思ったのは。新川で鶴の友を呑んだ記憶はない。前は別の醸造所のお酒を扱っていた。鶴の友上白に変わっても、値段は変わらず。そして、「お銚子10本頼むともう1本」も健在。う〜む。これは、頼まなければならない。時間もないので急いで瓶ビールを空けてお銚子を1本頼んだ。
左隣に座っていた青年は学生ではなく、地元の人だった。都内の私大を出て戻ってきたらしい。鶴の友を『本当に』地酒と言える人だ。写真談義もどきをした。写真と絵画の関係。どちらが上だ下だというのはないと思う。ベクトルが違う。絵画の唯一性っぽさと写真の写実性っぽさ。どちらも「唯一」「写実」そのものではない。ただ、写真はここ10年ほどで恐ろしく技術が進み、商品が変わった。そのために「写真」というものの存在形態までも変わっている。「何を撮る」ではなく「そのとき、その場に居た」かしか差異にならなくなる。VR技術が進んだら、それすら危うくなる。ディックの世界。
‥‥などという小難しい話などしていた訳ではもちろんない。レンズ付フィルムやカメラ付ケータイで誰彼も写し写される時代なのだから、気軽に撮ればいいのではと勧めてみた。
焼き鳥(塩)を頂いた代わりに、板わさを進呈して、座を辞した。コンビニで紙コップを買ってから合宿所に。バルサンを焚いただろうから、寝ているときに腕の上をアレが駆けることはない‥‥と思いたい。
大部屋には現役以外に先輩が3名、後から同期や1つ下の後輩が。仙台駅で入手したブツの威力はなかなかのものだった。
今年の新入部員の様子を尋ねてみると、やはり今年も女性が沢山入部したようだ。男性よりも多いかも。何でも昼間のモデル撮影会には女性だけでなく男性のモデルもいたという。変わるものだ。
もうすぐ結婚するT先輩に既婚のO先輩がアドバイス。う〜む。S先輩は付き合っている人がいるが結婚するかどうかは迷っているという。後輩はとんでもないところでフィアンセを見つけたらしい。そんな場所ならば同じ趣味で楽しいだろうなぁ。でも、なれ初めを他人に説明するのが大変そうだが(苦笑)。
新入部員に地質科学部の人が居た。昔の地質鉱物科。つまり、「地鉱」だ。わ。ということは、彼女もメット被って大荷物を背負って実習に出掛けるのか。って、もう出かけているのか。話の流れで、地学は地学でも自学実験Bの話になったり、天文部の昔話をしてみたり。それと何の拍子か、探検部の話に。どうやら友人が結構探検部に入っているらしい。前は農学部の林学科ばかりだったのに。そこで、私が居たときの探検部の活動内容を説明した。新しい校舎を建てたり、改装する金はあっても部室を作る金はないらしく、旧部室が崩壊してから事実上部室がなくなっている。そのため、OBとのネットワークが絶たれている可能性が高い。「地球の歩き方」なかりし頃からの貧乏個人海外旅行をするためのネットワークとか。体育会系らしからぬ個人プロジェクト志向の活動とか。全員で一緒に行うのは新歓、浜コン、追いコンなどの飲み会のみなんていう部活はここだけだったろう。言葉を変えれば「超部活」。群れではなく、個の集まり。まだ存在しているという話そのものが驚きとも言える。
そんな話をしながら、新歓合宿の夜は更けていった。
仙台駅で朝食として駅蕎麦を食べた後、前回と同じ「雲丹プリッツ」「牛タンカール」を購入。睡眠不足気味なので車中で睡眠。結構深く眠ったのか、目が覚めたときに何時間も時間が過ぎていたような感覚が。
自宅に真っ直ぐ帰らずに、会社に寄って、用を済ませる。ファイルコピーに1時間以上も掛かるとわ‥‥。
自宅のポストには大量の郵便物が押し込められていた。ライブや劇などのDM以外に4つの白い封筒が〜♪
ログブックの書き込みを見てPCが死亡していないことを確認し、余分な交流誌を省いて鞄に詰め込んだ。さて、出発だ。
東京駅で指定席と取ってから、構内の書店をうろつく。う〜む、触手が伸びるような本がないなぁ。ハードカバーは女性を貶めたり、びぢねすまんを惑わしたりする自己啓発本やタレント本ぐらいしかない。新書も興味を惹かれるものがない。単行本も。
車内で‥‥また、寝てた。 18:17 新潟着。万代橋を渡りながら、辺りを見回す。ホテルオータニの近くの河川敷で絵を描いている女性が2人。彼女達そのものが絵になっている。考えてみると新潟の街は絵になる街だ。初夏の街を歩いて思った。
おやつ代わりに「志まん焼き」を1つ食べて、「シュガーコート」に。店主はテーブル席で友人とのお食事会。「まだやっていますか?」と尋ねたところ大丈夫そう。カウンターに座って、一息ついた。お食事会用に作っておいてあるアイスティーと、アッサムのアイスミルクティーを頂く。作り置きしてあったのはフレーバーティー「サマーナイトドリーム」とディンブラ。フレーバーティーは好みがあって、個人的に当たり外れが多くてちょっと恐々という感じで口にしたのだが、想像以上に口当たりがよく美味しかった。ディンブラのアイスティーよりも。これから何人か店を紹介した部員がいる写真部の合宿に乱入するのだと言うと、もう呑まないからと500mlほどサマーナイトドリームのアイスティーを貰った。喜ぶだろう後輩の顔が思い浮かぶ。
店をでて、すぐにバスに乗らずに、オギノ通りにある「キッチンV」に夕食を食べに行った。どうせ1次会には間に合わないし、それならばネタになる店に行かないと。『Vスパ』を注文。松坂も捨てがたかったが、ネタとしてはVスパの方が上だろう。カウンターには仕事帰りの男女と家族連れ。仕事帰りの二人は出張中らしく、誰かに教えて貰っての来店の様子。マスターが次々と注文の品を作ってゆくのを見るのが楽しそう。確かに目の前で美味しい料理が出来てゆくのは魔法のようだ。和みモードに入って女性がマスターに声を掛けていた。「Vスパ」というのが、どんなメニューなのか興味を持ったらしい。そのVスパを食べながら、彼女達の会話に聞き耳を立ててみる。
「馬主さんはホテルオークラに泊まることが多いんですよ」「競馬場の近くにも寮があるんですけれど、ホテルに泊まるほうが遊びにも出られるし・・・・」最初、どこかの雑誌社か何かの人だと思っていたのだがどうやらJRA関係の人達らしい。カップルという訳ではない故の清々しさを二人に感じた。
そうそうVスパの味は変わっていなかった。「おやじさん」が引退して、マスターが変わっても。ただ昔は写真部の写真が飾られていた店内も、(2階は判らないが)今は平山知事のサインぐらいしか置いてなかった。次は「松坂鉄板焼き」を食べよう。
西小針経由内野行きのバスに乗り、中門前で下車。 第四銀行裏の道をだらだら歩く。かつてアンモナイトという店だった建物も居酒屋っぽい店に変わっていたりと飲み屋が増えている。路地に入って、居酒屋「新川」に到着。あれ?どこか違う気がしながら暖簾を潜った。カウンターに座って、ビールを頼む。アルバイトの可愛いお姉さんがお酌をしてくれる。どこだ、ここわ!(爆)
お腹は減っていなかったが、寂しいので「板わさ」と「地鉱玉のみ」を頼んで一息つく。改めて周りを見回すと、窓際や棚の上、そして冷蔵庫の中に一種類の一升瓶が置かれてあった。「鶴の友上白」だった。これだ。看板を見て、何か違うと思ったのは。新川で鶴の友を呑んだ記憶はない。前は別の醸造所のお酒を扱っていた。鶴の友上白に変わっても、値段は変わらず。そして、「お銚子10本頼むともう1本」も健在。う〜む。これは、頼まなければならない。時間もないので急いで瓶ビールを空けてお銚子を1本頼んだ。
左隣に座っていた青年は学生ではなく、地元の人だった。都内の私大を出て戻ってきたらしい。鶴の友を『本当に』地酒と言える人だ。写真談義もどきをした。写真と絵画の関係。どちらが上だ下だというのはないと思う。ベクトルが違う。絵画の唯一性っぽさと写真の写実性っぽさ。どちらも「唯一」「写実」そのものではない。ただ、写真はここ10年ほどで恐ろしく技術が進み、商品が変わった。そのために「写真」というものの存在形態までも変わっている。「何を撮る」ではなく「そのとき、その場に居た」かしか差異にならなくなる。VR技術が進んだら、それすら危うくなる。ディックの世界。
‥‥などという小難しい話などしていた訳ではもちろんない。レンズ付フィルムやカメラ付ケータイで誰彼も写し写される時代なのだから、気軽に撮ればいいのではと勧めてみた。
焼き鳥(塩)を頂いた代わりに、板わさを進呈して、座を辞した。コンビニで紙コップを買ってから合宿所に。バルサンを焚いただろうから、寝ているときに腕の上をアレが駆けることはない‥‥と思いたい。
大部屋には現役以外に先輩が3名、後から同期や1つ下の後輩が。仙台駅で入手したブツの威力はなかなかのものだった。
今年の新入部員の様子を尋ねてみると、やはり今年も女性が沢山入部したようだ。男性よりも多いかも。何でも昼間のモデル撮影会には女性だけでなく男性のモデルもいたという。変わるものだ。
もうすぐ結婚するT先輩に既婚のO先輩がアドバイス。う〜む。S先輩は付き合っている人がいるが結婚するかどうかは迷っているという。後輩はとんでもないところでフィアンセを見つけたらしい。そんな場所ならば同じ趣味で楽しいだろうなぁ。でも、なれ初めを他人に説明するのが大変そうだが(苦笑)。
新入部員に地質科学部の人が居た。昔の地質鉱物科。つまり、「地鉱」だ。わ。ということは、彼女もメット被って大荷物を背負って実習に出掛けるのか。って、もう出かけているのか。話の流れで、地学は地学でも自学実験Bの話になったり、天文部の昔話をしてみたり。それと何の拍子か、探検部の話に。どうやら友人が結構探検部に入っているらしい。前は農学部の林学科ばかりだったのに。そこで、私が居たときの探検部の活動内容を説明した。新しい校舎を建てたり、改装する金はあっても部室を作る金はないらしく、旧部室が崩壊してから事実上部室がなくなっている。そのため、OBとのネットワークが絶たれている可能性が高い。「地球の歩き方」なかりし頃からの貧乏個人海外旅行をするためのネットワークとか。体育会系らしからぬ個人プロジェクト志向の活動とか。全員で一緒に行うのは新歓、浜コン、追いコンなどの飲み会のみなんていう部活はここだけだったろう。言葉を変えれば「超部活」。群れではなく、個の集まり。まだ存在しているという話そのものが驚きとも言える。
そんな話をしながら、新歓合宿の夜は更けていった。
いぬもあるけば・・・「片付け」
2003年5月23日 今週末は出掛ける予定。明日はホテルに泊まらないので一日だけ撤収する。
事務所から帰ってきてから、すぐに洗濯。
夕食を終えてから、部屋に干す。乾燥しているから明日の朝には乾いているだろう。
ダンボールに送ってきた荷物やこちらで購入したものなどを詰める。今回も書籍が結構溜まっている。読みかけの本が沢山(汗)。
ネットを覗いてMT14のリプレイ到着報告や結果の内容の一部を教えてもらう。北海道だけでなく、神奈川のPLさんの所にも届いているディブがあるらしいので、明日昼過ぎに自宅に帰れば相当数のリプレイを確保できると予想。それにしても、A2ディブがまだ次回もあるようなので良かった。
朝まで生テレビの討論のネタが面白そうだったので見ていたのだが・・・途中で意識を失ってしまった(ぐぅ)。
事務所から帰ってきてから、すぐに洗濯。
夕食を終えてから、部屋に干す。乾燥しているから明日の朝には乾いているだろう。
ダンボールに送ってきた荷物やこちらで購入したものなどを詰める。今回も書籍が結構溜まっている。読みかけの本が沢山(汗)。
ネットを覗いてMT14のリプレイ到着報告や結果の内容の一部を教えてもらう。北海道だけでなく、神奈川のPLさんの所にも届いているディブがあるらしいので、明日昼過ぎに自宅に帰れば相当数のリプレイを確保できると予想。それにしても、A2ディブがまだ次回もあるようなので良かった。
朝まで生テレビの討論のネタが面白そうだったので見ていたのだが・・・途中で意識を失ってしまった(ぐぅ)。
いぬもあるけば・・・「NEXT」
2003年5月22日 先日買ったDVD「NEXT」は1982年9月29日にTBS系で放映されたスペシャル番組のDVD。 20年前、オフコースというグループがあった。ニューミュージックというジャンルで活躍していた。 その彼らが解散するに際して、自分達で企画、出演した番組。
子供の私が音だけでも取ろうとラジカセのマイクをTVのスピーカーに近づけて録音したあの日。
自分に取って大事な事を邪魔する日常生活音や自分を呼ぶ無神経な声に怒りを感じたあの日。
小学生高学年の頃の私に刷り込まれた音楽は、両親の口ずさむ懐メロ、弟と一緒に眠りに付くまでずっと歌っていたアニソン、そしてオフコースだった。それは今も引きずっているものだと思う。
小学生があんな歌に惹かれたらヤバイ。あの歌詞に心震えたらヤバイ。そのPCの美学がそれによって触発されて、成長してしまう。
声変わりが嫌だった。高音が出なくなる。そしたら、歌えなくなるじゃないか。
第二次性徴期である中学生時代は、私の記憶ではモノクロをベースにしたモザイクになっている。
そのうち、この頃の記憶も掘り下げることになるのだろう。
今は孤独なあの人に。
「 いつだってほんとうは
ひとりより ふたりの方がいい
あの頃確かに僕等がいたね
誰も知らない僕等がいたね
何も見えない明日に向かって
走る僕等がいたね
新しい時の流れの中で
いつかまた逢える時がくるね 」
子供の私が音だけでも取ろうとラジカセのマイクをTVのスピーカーに近づけて録音したあの日。
自分に取って大事な事を邪魔する日常生活音や自分を呼ぶ無神経な声に怒りを感じたあの日。
小学生高学年の頃の私に刷り込まれた音楽は、両親の口ずさむ懐メロ、弟と一緒に眠りに付くまでずっと歌っていたアニソン、そしてオフコースだった。それは今も引きずっているものだと思う。
小学生があんな歌に惹かれたらヤバイ。あの歌詞に心震えたらヤバイ。そのPCの美学がそれによって触発されて、成長してしまう。
声変わりが嫌だった。高音が出なくなる。そしたら、歌えなくなるじゃないか。
第二次性徴期である中学生時代は、私の記憶ではモノクロをベースにしたモザイクになっている。
そのうち、この頃の記憶も掘り下げることになるのだろう。
今は孤独なあの人に。
「 いつだってほんとうは
ひとりより ふたりの方がいい
あの頃確かに僕等がいたね
誰も知らない僕等がいたね
何も見えない明日に向かって
走る僕等がいたね
新しい時の流れの中で
いつかまた逢える時がくるね 」
いぬもあるけば・・・「あり」
2003年5月21日事務所近くが工事中のため、舗装道路ではない場所を歩く。
狭くて、ブロックがあったりするので足元を見て歩く。
地面に小さな盛り上がりを見る。アリの巣だ。
「別にどういうものでもない」と通り過ぎながら気がついて愕然とする。
それまでアリという存在を忘れるような生活をしていたことに‥‥
アリを忘れるならば、他のものも忘れていたに違いない。あのアスファルトとコンクリートの地を往来する日々の中で。
ノートパソコンのパッドの調子がおかしい。すぐに認識しなくなってしまう。マウスの使えないXPマシンはちょっと使えない。再立ち上げをしなければならなくて、ストレスが溜まってしまう。
メールの返事を書いたり、チャットに参加するのも一苦労だ。
狭くて、ブロックがあったりするので足元を見て歩く。
地面に小さな盛り上がりを見る。アリの巣だ。
「別にどういうものでもない」と通り過ぎながら気がついて愕然とする。
それまでアリという存在を忘れるような生活をしていたことに‥‥
アリを忘れるならば、他のものも忘れていたに違いない。あのアスファルトとコンクリートの地を往来する日々の中で。
ノートパソコンのパッドの調子がおかしい。すぐに認識しなくなってしまう。マウスの使えないXPマシンはちょっと使えない。再立ち上げをしなければならなくて、ストレスが溜まってしまう。
メールの返事を書いたり、チャットに参加するのも一苦労だ。
いぬもあるけば・・・「歓迎」
2003年5月20日 先週予定されていた飲み会が急遽今日行われることに。矢本駅に集合してから、近くの寿司屋まで徒歩で移動。事務所の人は2名、駐在員は私を含めて4社から1〜2名で合計7名。
高知は四万十川の上流が地元という人がいて、彼はかなり呑める様だ。さわち料理など、あちらの食べ物の話を聞くと、食べに行きたくなるなぁ。まだきれいなうちに四万十川にも行っておきたいし〜。
それ以外にも子供の可愛さや7〜8Gのきつさなどが話題に。
ちょっと値が張るけれど、お寿司は美味しかった。刺身の盛り合わせに鯨があったりして、出した金額よりいいものが出た事を考えると安いと言える。
その後、スナックに移動して2次会。フィアンセからの電話に座を外す高知出身の彼をからかってみたり。相手の女性は今、那須の実家にいるらしい。へ?那須ですか。うちに転職しますか〜(ぉ。
色々な会社の人が集まっての飲み会だったが、終始楽しく飲めた。それは、駐在員が若手ばかりということもあるが、主催の人柄ゆえに堅苦しいものにならなかったからだろう。
・・・しかし、25時過ぎまで呑み続けることになるとわ・・・(がふぅ)
高知は四万十川の上流が地元という人がいて、彼はかなり呑める様だ。さわち料理など、あちらの食べ物の話を聞くと、食べに行きたくなるなぁ。まだきれいなうちに四万十川にも行っておきたいし〜。
それ以外にも子供の可愛さや7〜8Gのきつさなどが話題に。
ちょっと値が張るけれど、お寿司は美味しかった。刺身の盛り合わせに鯨があったりして、出した金額よりいいものが出た事を考えると安いと言える。
その後、スナックに移動して2次会。フィアンセからの電話に座を外す高知出身の彼をからかってみたり。相手の女性は今、那須の実家にいるらしい。へ?那須ですか。うちに転職しますか〜(ぉ。
色々な会社の人が集まっての飲み会だったが、終始楽しく飲めた。それは、駐在員が若手ばかりということもあるが、主催の人柄ゆえに堅苦しいものにならなかったからだろう。
・・・しかし、25時過ぎまで呑み続けることになるとわ・・・(がふぅ)
いぬもあるけば・・・「散策」
2003年5月19日 今日は定時で上がれたので、ちょっと自転車で散策にでることにした。すでに矢本の町にも数週間はいるが、矢本駅周辺とホテルから事務所までの間ぐらいしか把握していない。逆の方向は私の頭の地図では空白。
先任者によって書かれている地図にはケーキ屋や大型ショッピングセンターのようなものがあるらしい。歩いてでもいける距離。まずは「割とおいしい」とコメントが書かれていたケーキ屋に行ってみよう。
・・・・・・・・・迷った(ぉ。
どうやら、1つ南の道を走っていたようだ。しばらく西に走り続けたが、右に曲がってみる・・・といきなり田んぼ道に。蛍が見られるという話も嘘ではなさそうだ。北東をみると、明かりが見える。あれがショッピングセンターのようだ。
住宅地に戻ったら、看板が見えた。目的のケーキ屋「パティスリー・シバタ」。なんで広い道沿いではなく住宅地の真ん中にあるのだろう。2つ、ケーキを買って「ロックタウン」に。イオングループの大型スーパーマーケットらしいが、名前の意味がさっぱりわからない。24時間営業のスーパーに書店、ビデオレンタル、100円ショップなどが集まっている。すぐ近くにセブンイレブンとサンクスがある。何でこんなところに集まるのだろうと思ったのだが、どうやら将来を見越してのようだ。近くに高速のインターチェンジがある。店は国道のバイパスへと繋がる予定の道沿いに作られていた。この道も1種のバイパスなのだが、地元の人に聞いた話が面白い。お祭りの時に付近から多くの観光客がやってきて、町中が大渋滞になるのだそうだ。特に高速のインターチェンジから会場までのルートが。つまり年に1度のイベントのために作られている。「矢本」「祭」<検索
先任者によって書かれている地図にはケーキ屋や大型ショッピングセンターのようなものがあるらしい。歩いてでもいける距離。まずは「割とおいしい」とコメントが書かれていたケーキ屋に行ってみよう。
・・・・・・・・・迷った(ぉ。
どうやら、1つ南の道を走っていたようだ。しばらく西に走り続けたが、右に曲がってみる・・・といきなり田んぼ道に。蛍が見られるという話も嘘ではなさそうだ。北東をみると、明かりが見える。あれがショッピングセンターのようだ。
住宅地に戻ったら、看板が見えた。目的のケーキ屋「パティスリー・シバタ」。なんで広い道沿いではなく住宅地の真ん中にあるのだろう。2つ、ケーキを買って「ロックタウン」に。イオングループの大型スーパーマーケットらしいが、名前の意味がさっぱりわからない。24時間営業のスーパーに書店、ビデオレンタル、100円ショップなどが集まっている。すぐ近くにセブンイレブンとサンクスがある。何でこんなところに集まるのだろうと思ったのだが、どうやら将来を見越してのようだ。近くに高速のインターチェンジがある。店は国道のバイパスへと繋がる予定の道沿いに作られていた。この道も1種のバイパスなのだが、地元の人に聞いた話が面白い。お祭りの時に付近から多くの観光客がやってきて、町中が大渋滞になるのだそうだ。特に高速のインターチェンジから会場までのルートが。つまり年に1度のイベントのために作られている。「矢本」「祭」<検索
いぬもあるけば・・・「機種変更」
2003年5月18日 夜更かしをしなかったので、割と普通の時間に起きられた。まずは洗濯と、洗濯機に洗濯物を投げ込んでから今日の行動方針について考えた。
前々から要求のあったケータイの機種変更をしよう。8mmビデオテープも補充しないと‥‥
時間を効率的に使うことを考えると、洗濯が終わる前に外出して用事を済ませたほうが良いと判断。ばたばた着替えて外出。川崎に出てまずは、ケータイショップへ。カメラ付ケータイにしようと思ったが、「もうすぐ更に画素数の多い新製品がでるだろう。このタイミングで買うのもなんだなぁ。」と思い、カメラなしのP211isにした。うわ‥‥幾世代ジャンプしたのだろう。とうとうiモードに加入。手続き終了まで1時間掛かる。遅い朝食を吉野家で取り、それからヨドバシカメラに。雑誌コーナーで「サンライズエイジ」という「買うしかないだろう、おい!」的な雑誌を見つけて購入。CD/DVDコーナーで、WT3の資料として劇場版台DVDを1枚、ずっと探していたCD「アニマージュ」、そしてオフコースの解散コンサートのドラマ「NEXT」のDVDを購入。TV録画用の8mmテープも購入。それから紅茶専門店マユールで今年のファースト フラッシュ ダージリンを飲みつつ、「サンライズエイジ」をぱらぱらと。会計時、「自分でも紅茶を入れるの?」と店長に聞かれ、「入れますよ。」と応えたところ、1パック分のファースト フラッシュ ダージリンの茶葉を頂いた。ラッキ〜!
13時近くになったので自室に戻り、室内に洗濯物を干してから、荷物を纏めて出発。有楽町駅で16:56発のはやての指定席を取る。それからボザール・ミュウに向かって歩いていると、あやしい行列が。「パスタを食べよう」と日本パスタ協会がキャンペーンを張って、人々にパスタを1袋配っていた。これから出張に行く身がだつい並んでしまった(苦笑)。「パスタを食べよう」はいいのだが、「パスタを食べて健康になろう」というフレーズが少し気に掛かった。小麦粉ではなくパスタが健康にいいのかしら?でも、パスタの原材料記述にはどこの小麦粉か書いていない。クローン牛の安全性が取りざたされている昨今、そこまで健康を意識する人が、『放射能汚染』について気に掛からない訳がない、どんな農薬がポストハーベスト散布されているか気にならないはずがない。
外堀通りを歩き、電通ビルまで来て、路地に入る。日曜日なのでギャラリーなど閉まっているところが多く、人通りが少ない。電通のすぐ裏だと覚えていたが間違っていた。ようやく銀座蒲田ビルに到着。4Fがボザール・ミュウ[http://www.art-miu.com/]だ。
町田久さんの個展。DMをよく見ていなかったので気がつかなかったのだが、町田久美さんが「町田久」さんと改名されていた。町田さんは遅めの昼食に出ていて席を外していた。今回は、それとも今日は、いつもより出展数が少なかったのだが、かなりの作品が売約されているのに驚いた。今日が初日なのに‥‥。
猫アートのギャラリーなので、猫の雑誌が沢山置いてある。猫の雑誌なんて1,2冊ぐらいしかないと思ったがそうではないようだ。看板娘ならぬ「看板猫」の特集をしている雑誌があったりして、面白い。
昼食を終えて戻ってきた町田さんと、作品の話よりももっと「濃い」話を‥‥
自宅の近くにガイナックスが引っ越してきて、ひっそり大騒ぎしている感じ。「近くのコンビニで庵野監督を見かけるかも〜」と。
先ほど購入した「サンライズエイジ」を広げてアニメ談義。ダグラムやザブングルはともかく、TVKが入るからかもしれないが、ガッチャマンなどのタツノコ談義にまで行くとは‥‥やぱし侮れない人だなぁ。他にも漫画談義などなどなど。
話し込んでしまって、指定の列車に乗り遅れてしまった。喫煙席しかない「はやて」の指定席を取るのを止めたのと、有楽町駅前の中華料理屋で夕食を取ったため、当初の予定より2時間遅れで矢本に到着。
前々から要求のあったケータイの機種変更をしよう。8mmビデオテープも補充しないと‥‥
時間を効率的に使うことを考えると、洗濯が終わる前に外出して用事を済ませたほうが良いと判断。ばたばた着替えて外出。川崎に出てまずは、ケータイショップへ。カメラ付ケータイにしようと思ったが、「もうすぐ更に画素数の多い新製品がでるだろう。このタイミングで買うのもなんだなぁ。」と思い、カメラなしのP211isにした。うわ‥‥幾世代ジャンプしたのだろう。とうとうiモードに加入。手続き終了まで1時間掛かる。遅い朝食を吉野家で取り、それからヨドバシカメラに。雑誌コーナーで「サンライズエイジ」という「買うしかないだろう、おい!」的な雑誌を見つけて購入。CD/DVDコーナーで、WT3の資料として劇場版台DVDを1枚、ずっと探していたCD「アニマージュ」、そしてオフコースの解散コンサートのドラマ「NEXT」のDVDを購入。TV録画用の8mmテープも購入。それから紅茶専門店マユールで今年のファースト フラッシュ ダージリンを飲みつつ、「サンライズエイジ」をぱらぱらと。会計時、「自分でも紅茶を入れるの?」と店長に聞かれ、「入れますよ。」と応えたところ、1パック分のファースト フラッシュ ダージリンの茶葉を頂いた。ラッキ〜!
13時近くになったので自室に戻り、室内に洗濯物を干してから、荷物を纏めて出発。有楽町駅で16:56発のはやての指定席を取る。それからボザール・ミュウに向かって歩いていると、あやしい行列が。「パスタを食べよう」と日本パスタ協会がキャンペーンを張って、人々にパスタを1袋配っていた。これから出張に行く身がだつい並んでしまった(苦笑)。「パスタを食べよう」はいいのだが、「パスタを食べて健康になろう」というフレーズが少し気に掛かった。小麦粉ではなくパスタが健康にいいのかしら?でも、パスタの原材料記述にはどこの小麦粉か書いていない。クローン牛の安全性が取りざたされている昨今、そこまで健康を意識する人が、『放射能汚染』について気に掛からない訳がない、どんな農薬がポストハーベスト散布されているか気にならないはずがない。
外堀通りを歩き、電通ビルまで来て、路地に入る。日曜日なのでギャラリーなど閉まっているところが多く、人通りが少ない。電通のすぐ裏だと覚えていたが間違っていた。ようやく銀座蒲田ビルに到着。4Fがボザール・ミュウ[http://www.art-miu.com/]だ。
町田久さんの個展。DMをよく見ていなかったので気がつかなかったのだが、町田久美さんが「町田久」さんと改名されていた。町田さんは遅めの昼食に出ていて席を外していた。今回は、それとも今日は、いつもより出展数が少なかったのだが、かなりの作品が売約されているのに驚いた。今日が初日なのに‥‥。
猫アートのギャラリーなので、猫の雑誌が沢山置いてある。猫の雑誌なんて1,2冊ぐらいしかないと思ったがそうではないようだ。看板娘ならぬ「看板猫」の特集をしている雑誌があったりして、面白い。
昼食を終えて戻ってきた町田さんと、作品の話よりももっと「濃い」話を‥‥
自宅の近くにガイナックスが引っ越してきて、ひっそり大騒ぎしている感じ。「近くのコンビニで庵野監督を見かけるかも〜」と。
先ほど購入した「サンライズエイジ」を広げてアニメ談義。ダグラムやザブングルはともかく、TVKが入るからかもしれないが、ガッチャマンなどのタツノコ談義にまで行くとは‥‥やぱし侮れない人だなぁ。他にも漫画談義などなどなど。
話し込んでしまって、指定の列車に乗り遅れてしまった。喫煙席しかない「はやて」の指定席を取るのを止めたのと、有楽町駅前の中華料理屋で夕食を取ったため、当初の予定より2時間遅れで矢本に到着。
いぬもあるけば・・・「ほーむぱーちー」
2003年5月17日‥‥はっ!寝坊した!
4時半に目覚ましをセットしたのは無謀だったか(汗)。
こうなったら‥‥洗濯だ(ぉ。
いつも来ている作業着。そろそろ洗濯しないとと思っていた。丁度いい。コインランドリーにセットして、食堂を覗くと食べるつもりのなかった朝食が用意されている。頂きます。
昨日の飲み会、結局23時近くまで続いていた。それが失敗の原因か。
小原庄助さんよろしく朝風呂〜。
その後、ついついいつものチャットルームを覗いたのが失敗。気がつくとお昼近く。
結局、仙石線に乗ったのは12時過ぎ。仙台では今日から青葉祭りということもあるのか、車内は割りと混んでいた。
仙台駅でお弁当を購入。伯養軒の「味噌仕込み牛たんせいろ」。売店でパーテーのお土産に「かもめのたまご」を購入。まともに食べてないので興味があったのだ。「萩の月」は当たり前すぎてどうも。それだけですませればよかったのだが、新幹線ホームでご当地お菓子を見てしまい。それらも購入。まさか、「雲丹プリッツ」や「カール 牛タン味 レモン風味」なんてあるとは‥‥(吐血)。
「はやて」はあっという間に東京駅に着く。仙台から乗ると大宮と上野しか止まらないからほんとにあっという間という感じだ。那須塩原から乗る各停の「なすの」と乗車時間は大して変わらないのでは。
一旦、自室に戻って、荷物を置き。それからほーむぱーてー会場であるみっふぃーの家に。南武線尻手駅から谷保駅。乗り換え無しなのに50分近くも乗るのだから、先程の「はやて」と比べると‥‥(苦笑)。
駅からは一度通った道なので迷わず到着。途中、モヒカン、鋲打皮ジャン、ボードという住宅地らしからぬ姿のあんちゃんを見かけた。原宿や渋谷にいるよりも勇気が必要かも。
ベルを鳴らし、家に上がらせていただく。しょうぞうさんは最初からいたらしく、ようやく自分以外の男性が来たことにホッとしていた。今のところ圧倒的に女性の方が多いようだ。6:2ぐらいか。
まずは名札作り。ハンドル名と出張先の宮城からやってきたことを書いた。後は「謎の人(え?」と(^-^; 胸ポケットに「本体」を入れて、ぱーてーの輪に入った。
丸テーブルにみっふぃーが作った杏仁豆腐を使ったフルーツポンチがあるのでそれを頂いた。そして、仙台駅で買ってきたご当地スナックの数々を披露。流石にインパクトがあったようだ。雲丹なんて、そのものを食べたことがない人もいたしなぁ。でも、昨年の日本SF大会行き夜行列車で食べた「納豆せんべい」の物凄さに比べたら、全く大丈夫。(比較対照が違う?)
近状やらダラダラおしゃべりしていると、もう夕方。その間にぽつぽつと参加者がやってきた。男性の一団もやってきた。どうやら、学生時代のバイト仲間という感じの集まりらしい。社労士さんや信用組合に勤めていたり、サントリーに勤めている人などがいるらしい。社労士の人がみっふぃーと知り合いらしくその伝で今日やってきたようだ。だが、彼らは彼らで同窓会モードになっていて、名札を書き終えるや否や、持ち込んだ缶ビールを「ぷしゅ!」とやりだした。
それが合図という訳ではないけれど、こちらもお酒を飲むことに。しょうぞうさんが持ってきた徳島の酢橘酎。ロックで頂くのだが、口に含むと立ち上る香りがいい。これは危険なお酒かも。口当たりも悪くないから、くぴくぴ行ってしまう。気をつけないと飲みすぎてしまう。
つまみはみっふぃーが作ったおでん。最初、おでんと聞いたときはちょっと季節外れじゃないかと思ったのだが、今日のこの薄ら寒い曇りの日には丁度いい。前回のお花見のときの天気をちょっと思い出してみたり〜。
keikoさんも稽古を終えて、やってきた。手持ちのお土産は何故か新潟のご当地お菓子「おこめチョコレート」。ちょっと親戚の家に行ってきたらしい。なる。
ようやく参加予定者が全員やってきたので、日本酒を開けた。辛いけれど飲み口がいいので、評判が良かった。買ってきた甲斐があるというもの。おでんに日本酒は合うねぇ。
話のノリで、みっふぃーのお父さんのパソコンを触らしてもらうことに。タブレット機能がどんなものなのか見てみたかった。ちーぷにゃんがフォトショップを立ち上げて、猫のイラストを描いて「割と描きやすいかも〜」と。WINDOWS2000でもタブレット機能が使えるんだ‥‥。それにしても、みっふぃーのお父さんはちょっと謎な人だ。現代美術やそれ以外のちょっとした美術品の小物がセンス良くあちこちに置いてある家。机の周囲に趣味と思われるニュートンや天体関係の冊子が置いてあると思えば、パソコンにフォトショップやイラストレーターがインストールされている。一体どんな職業の人なのだろうと、みっふぃーに尋ねた。う〜む。なるほど。そういうことか。
keikoさんと演劇の演出に関する話をする。演出家と役者の凌ぎ合いとか。映像と演劇の違いとか。
社労士の彼が、女性陣に結婚と出産について質問をしていた。職業柄、暗い部分をたくさんみているせいか、自身は結婚に対して関心がないようで、「したいものなの?」という酔いもあってか妙に直球な質問を投げかけていた。そこで展開された会話はなかなか興味深いものだった。それぞれの立場の違いによる認識の違いが表れるものだったが、如何せんそろそろ撤収しなければならない。もう少し話を聞きたかったが、撤収作業に入った。
しょうぞうさんは足に来るほど酔っていたが、私も結構酔っていたようだ。未開封の「かもめのたまご」をお邪魔したご家族に残したのは良かったのだが、「本体」をピアノの上に置き忘れてしまった。それに気がついたのは川崎行きの南武線に乗った後。
自室に着いたが、胸焼けがしたので夜更かしせずに寝ることに。それでも「成恵の世界」を見るあたり‥‥(^-^;
いぬもあるけば・・・「無礼講」
2003年5月16日 今日は、新たにやってきた別会社の駐在員の方を歓迎するための飲み会がある‥‥はずだった。が、その話があってから、いつまで経っても集合時間などの詳しい話がない。「おかしいなぁ」と思いながらの当日。
夕方になっても話がない。それどころか話を持ち出してくれた隊長さんがいない。はて?周囲の人に尋ねたら、「観籐会にでている」とのこと。確かに食堂から見える藤は見ごろになっていたなぁ。
そんな訳で飲み会は延期。
宿に夕食をキャンセルしていた。さて、どうしよう。
と、一緒に行動している人から「美味しい居酒屋があるので行きますか?」とお誘いが。まだ一緒に飲んだことがなかったこともあって、そのお誘いに乗った。彼は下戸でビールもコップ1杯までしか美味しく飲めないらしい。彼が美味しいというのだから、ツマミに惹かれるものがあるのだろう。
一旦宿に戻って、着替えてから出かける。目的の店は「無礼講」というお店。その前を何度も行き来したことがあるのに知らなかった。暖簾を潜って中に入ると‥‥知っている部署の小隊長の姿が。
う〜む。まさか、このタイミングで会うとは。合流して一緒に飲むことに。まずは中ジョッキ。ツマミは焼き鳥。
先に始めているあちらは二人なのに日高見の純米吟醸の一升瓶をカウンターに置いている。私は中ジョッキを空けてから、墨廼江の小瓶を頼んだ。墨廼江を飲むのはこれが初めてか?純米なのでツマミに合う。
地魚の刺身を頼んだところ、カワハギの刺身でいいかと。お願いした。同行の彼もカワハギの刺身は食べたことがないので興味津々。腸を使った味噌タレで頂くと、これが美味しい。酒が進む。一緒に焼いてもらったホッケと共にかなり幸せな気分。
ここは駐在先の人がよく利用するらしく、同じ職場の人達が顔をあわせることも。また、なじみ客同士の会話も豊富。チェーン店らしからぬアットホームさがいい。言われなければチェーン店だということが判らないだろう。
楽しい語らいをしながらの飲みだったが、私の年齢を知ってあちらの片方の雲行きが怪しくなってきた。う〜む。だが、ある程度予想される事なので対処も容易だ。まぁ、あちらでは男は私の年では皆、結婚しているようだからなぁ(苦笑)。
夕方になっても話がない。それどころか話を持ち出してくれた隊長さんがいない。はて?周囲の人に尋ねたら、「観籐会にでている」とのこと。確かに食堂から見える藤は見ごろになっていたなぁ。
そんな訳で飲み会は延期。
宿に夕食をキャンセルしていた。さて、どうしよう。
と、一緒に行動している人から「美味しい居酒屋があるので行きますか?」とお誘いが。まだ一緒に飲んだことがなかったこともあって、そのお誘いに乗った。彼は下戸でビールもコップ1杯までしか美味しく飲めないらしい。彼が美味しいというのだから、ツマミに惹かれるものがあるのだろう。
一旦宿に戻って、着替えてから出かける。目的の店は「無礼講」というお店。その前を何度も行き来したことがあるのに知らなかった。暖簾を潜って中に入ると‥‥知っている部署の小隊長の姿が。
う〜む。まさか、このタイミングで会うとは。合流して一緒に飲むことに。まずは中ジョッキ。ツマミは焼き鳥。
先に始めているあちらは二人なのに日高見の純米吟醸の一升瓶をカウンターに置いている。私は中ジョッキを空けてから、墨廼江の小瓶を頼んだ。墨廼江を飲むのはこれが初めてか?純米なのでツマミに合う。
地魚の刺身を頼んだところ、カワハギの刺身でいいかと。お願いした。同行の彼もカワハギの刺身は食べたことがないので興味津々。腸を使った味噌タレで頂くと、これが美味しい。酒が進む。一緒に焼いてもらったホッケと共にかなり幸せな気分。
ここは駐在先の人がよく利用するらしく、同じ職場の人達が顔をあわせることも。また、なじみ客同士の会話も豊富。チェーン店らしからぬアットホームさがいい。言われなければチェーン店だということが判らないだろう。
楽しい語らいをしながらの飲みだったが、私の年齢を知ってあちらの片方の雲行きが怪しくなってきた。う〜む。だが、ある程度予想される事なので対処も容易だ。まぁ、あちらでは男は私の年では皆、結婚しているようだからなぁ(苦笑)。
いぬもあるけば・・・「散策」
2003年5月15日 アサヒの懸賞を応募してしまった。ふ。
間に合わないだろうと思ったら、天候不順だったために早く終わったために郵便局の受付に間に合った。
部屋に戻って、着替えて外にでる。前々から気になっていた矢本駅前にある手作りアイスクリーム屋「トナカイ」に。
まるで模擬店のような応対だったので、これはハズレな店なのかしらと思ったのだが、想像以上にアヤシイ店だった。この店でしか食べられない、もしくはお勧めのアイスを尋ねたところ、『ブルーインパルス』という青い色をしたアイスクリームを薦められた。中にゼリーか何かが入っているみたい。
あやしい‥‥これは‥‥食べないと(ぉ。
と、いうことで食すことにした。見た目からしてミント系のアイスだと思ったのだが違った。不思議な味。敢えて例えるならば、ヨーグルト風といった感じか。店員さんに尋ねたところ、「ヨーグルトみたい」と言われるがヨーグルトではないし、入れてもいないらしい。幾つかの酸味のあるフルーツを加えることでこの味が出来ているとのこと。アイスのミルクとフルーツの酸味が合わさってヨーグルトのように感じるのではと言われた。う〜む、不思議な味。
店内に張られている記事を見て、このお店が町内レベルの店ではなく、県内レベルの店である事が判った。ニッカウィスキーの作並工場(見学ができる)の売店にここで開発したウィスキーアイスを納めているらしい。それ以外にも、味噌アイスや牡蠣エキスアイス・・・。確かに「牡蠣」、「作並工場」、そして「ブルーインパルス」は観光資源ではあるが、それをアイスにしてしまうとは‥‥
長くいようと思ったのだが、アイスは美味しかったが、出てきたコーヒーの余りにアメリカンぶりとairH"の回線状態の悪さぶりに、大して時間もたたないうちに席を立ってしまった。
きちんとしたコーヒーが飲みたい。もしそれが駄目ならば自分で沸かそう。パーコレーター用に粗挽きした豆を求めて散策。喫茶店だと記憶していた店がお菓子屋さんだったことが判明。ケーキならば近くにケーキを銘打った別の店がある。あちらにしようと移動。チョコレートケーキを買って店を出てから、コーヒー豆のことを思いだした。しかし、矢本の夜は早い。19過ぎにはほとんどの店が閉まりかけている。この近くにあるかもしれない喫茶店も厳しい。そんな考えの末、結局、いつもの大型スーパーに。ここでUCCのキリマンジャロ豆を入手。粗挽きに挽いて購入。ついでに酒のつまみを購入。帰りがけ、惣菜屋に立ち寄って、見切品のコロッケなどを買って帰宅。
晩酌を先に始めてしまい、コーヒーは沸かさずに終わった。
間に合わないだろうと思ったら、天候不順だったために早く終わったために郵便局の受付に間に合った。
部屋に戻って、着替えて外にでる。前々から気になっていた矢本駅前にある手作りアイスクリーム屋「トナカイ」に。
まるで模擬店のような応対だったので、これはハズレな店なのかしらと思ったのだが、想像以上にアヤシイ店だった。この店でしか食べられない、もしくはお勧めのアイスを尋ねたところ、『ブルーインパルス』という青い色をしたアイスクリームを薦められた。中にゼリーか何かが入っているみたい。
あやしい‥‥これは‥‥食べないと(ぉ。
と、いうことで食すことにした。見た目からしてミント系のアイスだと思ったのだが違った。不思議な味。敢えて例えるならば、ヨーグルト風といった感じか。店員さんに尋ねたところ、「ヨーグルトみたい」と言われるがヨーグルトではないし、入れてもいないらしい。幾つかの酸味のあるフルーツを加えることでこの味が出来ているとのこと。アイスのミルクとフルーツの酸味が合わさってヨーグルトのように感じるのではと言われた。う〜む、不思議な味。
店内に張られている記事を見て、このお店が町内レベルの店ではなく、県内レベルの店である事が判った。ニッカウィスキーの作並工場(見学ができる)の売店にここで開発したウィスキーアイスを納めているらしい。それ以外にも、味噌アイスや牡蠣エキスアイス・・・。確かに「牡蠣」、「作並工場」、そして「ブルーインパルス」は観光資源ではあるが、それをアイスにしてしまうとは‥‥
長くいようと思ったのだが、アイスは美味しかったが、出てきたコーヒーの余りにアメリカンぶりとairH"の回線状態の悪さぶりに、大して時間もたたないうちに席を立ってしまった。
きちんとしたコーヒーが飲みたい。もしそれが駄目ならば自分で沸かそう。パーコレーター用に粗挽きした豆を求めて散策。喫茶店だと記憶していた店がお菓子屋さんだったことが判明。ケーキならば近くにケーキを銘打った別の店がある。あちらにしようと移動。チョコレートケーキを買って店を出てから、コーヒー豆のことを思いだした。しかし、矢本の夜は早い。19過ぎにはほとんどの店が閉まりかけている。この近くにあるかもしれない喫茶店も厳しい。そんな考えの末、結局、いつもの大型スーパーに。ここでUCCのキリマンジャロ豆を入手。粗挽きに挽いて購入。ついでに酒のつまみを購入。帰りがけ、惣菜屋に立ち寄って、見切品のコロッケなどを買って帰宅。
晩酌を先に始めてしまい、コーヒーは沸かさずに終わった。
いぬもあるけば・・・「ゆうじ」
2003年5月14日 有事法制関係のニュースが流れている。「有事」をすぐに戦争状態に直結すると却って、そのイメージが掴み難くなる。
PBMで鍛えた妄想力で想像すれば、新聞紙面から「有事」とはどんなものか推測できる。簡単に言えば、今の日本は見方を変えれば「有事」だという見方も出来る。まぁ、そこまで行かなくてもそれに近い状況だ。市場経済、財政、健康保険、年金などは余りに長期に渡って「非常事態」なので、逆に「非常事態」であるという感覚がなくなっている。内乱で生まれてから一度も長期の平和を知らない人達が、「戦時」という感覚がなくなっているのと同様に。幸い、日本では直接的に人が死ぬ可能性のある事態は発生していないだけ。
が、例えばイラク攻撃に賛意したことでいつテロが発生するとも限らない。次の瞬間、何が起こるか判らない「予測不能の時代」。
また、どんな冗談も本当にならないとは限らない。昨日のフィクションが今日のノンフィクションに。昨日のノンフィクションが今日のフィクションに。「バーチャル/リアルの時代」。
明日の予測が不能で、自分が認識できる「世界」に自信がないのは辛い。その辛さを忘れるために、思考を放棄する。自ら考えることを止め、近視的に物事を捉え、泡のような「今」という瞬間にのみ生きる。それは‥‥『動物としての生』。それは個人だけでなく、社会全体にも広がっている。
閑話休題。
非常事態となった場合、どうなるのかをSARS対策で考える。有事法制を取り上げるマスコミが話題にした基本的人権のあくなき尊重をこれに当てはめるとどうなるだろう。このような思考実験はPBM的ではあるが。
感染を抑えるには、SARS患者と感染の疑いのある人に対する強制隔離、強制収容がどうしても必要なのは、中国や台湾の状況を見て判る。台湾では自宅を出ないように要請されている人が外出してしまうので、TV電話を引き入れて監視するという具合だ。罰金を取るということは、外出行為は違法と判断していることになる。
さて、そのように外出を希望する人の基本的人権はどれほど尊重されているといえるだろうか?同様の事態が日本で生じた場合、どうなるのだろう。これは只の思考実験ではない。来週にも現実にありえる状況だ。バーチャルではなく、リアル。
「強制隔離や強制収容は仕方がない」ならば、武力攻撃時の強制避難や強制収用も同様に「仕方がない」という事になる。
「有事」の定義も国会やマスコミで取り上げられている問題だ。武力攻撃された場合だけでなく、武力攻撃されると予想される場合や武力攻撃される可能性がある場合の対処も触れられていて、これに危機感を感じる人がいる。
これを考えるよい事例が今現在ある。マスコミが視聴率という甘美な食べ物に惑わされて狂乱的に電波を使用しているところの、「白装束の一団」。彼らに対する必要以上に危険視する取材が、取るに足らない犯罪をネタにした全国的な強制捜査に踏み切らせた。
何故、強制捜査に踏み切ったのか。「危険行為を行う『可能性』があった」からだ。
鸚鵡の影に怯えて、白装束の集団の施設に押し入り、名簿などの書類を押収した。このことに対するマスコミのコメントを、先の「可能性」を踏まえて聞いたり読んだりするべきだろう。マスコミが信用ならない事が判る。いざ、天秤が傾いたら、昭和10年代の朝日新聞のような感じにならないとは言えない。
SARSと白装束の一団と有事法制。一見、係わり合いのなさそうなものが繋がるのはとてもPBM的だ。だが、PBMゲーマーはそこに共通項を見つける。
「白装束」。
街全体を殺菌する映像。
白装束の集団。
化学兵器防護服。
そして社会風潮をこれらから妄想/演繹する。
外からの侵入を恐れ、拒む姿。
グローバルの振りをした「保守」。
無差別な振りをした差別。
余裕な振りをした恐怖。
それは、一日本人である私というPC/PLにも当てはまる。
私/私の中にある「拒絶」「保守」「差別」「恐怖」。
例えば、今、このタイミングで中国や台湾から輸送船で大量の難民が日本に押し寄せたら、日本人はどう対処するだろうか?
マスコミによって、北朝鮮が核弾頭を持っているという「事実」を得たら・・・「仕方がない」と呟いて何をするのだろうか?
そんな面倒なことを考えるのは嫌だ。私/私はそんな思考は「放棄」する。
PBMで鍛えた妄想力で想像すれば、新聞紙面から「有事」とはどんなものか推測できる。簡単に言えば、今の日本は見方を変えれば「有事」だという見方も出来る。まぁ、そこまで行かなくてもそれに近い状況だ。市場経済、財政、健康保険、年金などは余りに長期に渡って「非常事態」なので、逆に「非常事態」であるという感覚がなくなっている。内乱で生まれてから一度も長期の平和を知らない人達が、「戦時」という感覚がなくなっているのと同様に。幸い、日本では直接的に人が死ぬ可能性のある事態は発生していないだけ。
が、例えばイラク攻撃に賛意したことでいつテロが発生するとも限らない。次の瞬間、何が起こるか判らない「予測不能の時代」。
また、どんな冗談も本当にならないとは限らない。昨日のフィクションが今日のノンフィクションに。昨日のノンフィクションが今日のフィクションに。「バーチャル/リアルの時代」。
明日の予測が不能で、自分が認識できる「世界」に自信がないのは辛い。その辛さを忘れるために、思考を放棄する。自ら考えることを止め、近視的に物事を捉え、泡のような「今」という瞬間にのみ生きる。それは‥‥『動物としての生』。それは個人だけでなく、社会全体にも広がっている。
閑話休題。
非常事態となった場合、どうなるのかをSARS対策で考える。有事法制を取り上げるマスコミが話題にした基本的人権のあくなき尊重をこれに当てはめるとどうなるだろう。このような思考実験はPBM的ではあるが。
感染を抑えるには、SARS患者と感染の疑いのある人に対する強制隔離、強制収容がどうしても必要なのは、中国や台湾の状況を見て判る。台湾では自宅を出ないように要請されている人が外出してしまうので、TV電話を引き入れて監視するという具合だ。罰金を取るということは、外出行為は違法と判断していることになる。
さて、そのように外出を希望する人の基本的人権はどれほど尊重されているといえるだろうか?同様の事態が日本で生じた場合、どうなるのだろう。これは只の思考実験ではない。来週にも現実にありえる状況だ。バーチャルではなく、リアル。
「強制隔離や強制収容は仕方がない」ならば、武力攻撃時の強制避難や強制収用も同様に「仕方がない」という事になる。
「有事」の定義も国会やマスコミで取り上げられている問題だ。武力攻撃された場合だけでなく、武力攻撃されると予想される場合や武力攻撃される可能性がある場合の対処も触れられていて、これに危機感を感じる人がいる。
これを考えるよい事例が今現在ある。マスコミが視聴率という甘美な食べ物に惑わされて狂乱的に電波を使用しているところの、「白装束の一団」。彼らに対する必要以上に危険視する取材が、取るに足らない犯罪をネタにした全国的な強制捜査に踏み切らせた。
何故、強制捜査に踏み切ったのか。「危険行為を行う『可能性』があった」からだ。
鸚鵡の影に怯えて、白装束の集団の施設に押し入り、名簿などの書類を押収した。このことに対するマスコミのコメントを、先の「可能性」を踏まえて聞いたり読んだりするべきだろう。マスコミが信用ならない事が判る。いざ、天秤が傾いたら、昭和10年代の朝日新聞のような感じにならないとは言えない。
SARSと白装束の一団と有事法制。一見、係わり合いのなさそうなものが繋がるのはとてもPBM的だ。だが、PBMゲーマーはそこに共通項を見つける。
「白装束」。
街全体を殺菌する映像。
白装束の集団。
化学兵器防護服。
そして社会風潮をこれらから妄想/演繹する。
外からの侵入を恐れ、拒む姿。
グローバルの振りをした「保守」。
無差別な振りをした差別。
余裕な振りをした恐怖。
それは、一日本人である私というPC/PLにも当てはまる。
私/私の中にある「拒絶」「保守」「差別」「恐怖」。
例えば、今、このタイミングで中国や台湾から輸送船で大量の難民が日本に押し寄せたら、日本人はどう対処するだろうか?
マスコミによって、北朝鮮が核弾頭を持っているという「事実」を得たら・・・「仕方がない」と呟いて何をするのだろうか?
そんな面倒なことを考えるのは嫌だ。私/私はそんな思考は「放棄」する。
いぬもあるけば・・・「酒屋」
2003年5月13日 宿に戻って、すぐ外出。前回の出張時に見つけた松島の酒屋「むとうや」に。仙石線松島海岸駅から歩く。平日19時過ぎの松島は‥‥ほとんどの店が閉まっていた。それはもう見事に。土産屋はホテルが経営している、ホテル客を相手にしているのだろうが一件。後は食堂が数件と「むとうや」のみ。昼に電話して営業時間を確認しておいたからいいものの、急がなければもう1本遅い電車で来て、閉まっていた「むとうや」の前で呆然とする可能性があった。それから何もないこの道を帰るのは辛いだろうなぁ。
店に入って、まずは冷蔵保管庫にある銘柄をチェック。すると店員のお姉さんが声を掛けてきた。やぱし、怪しいから覚えられているか(汗。
閉店時間も近いのだが、試飲をさせてもらう。美味しさに驚くのを見るのが好きな性質なようで、販売分を売りつくして商品がないものまで飲ませてくれる。4種頂いたが、最初に頂いたものに一番驚かされた。澤乃泉の純米大吟醸の生酒。生酒特有の度数の強さが感じられない。とてもすっきりしている。うわ。四合瓶で3K円ぐらいするだけのことはある。蔵でも当たりのものらしい。
今日、訪れたのは5/17にみっふぃーの家で行われるホームパーティに持ち込むお酒を探す目的。これならば、驚かせることができそうだ。折角持ち込むならば、「ふ〜ん」で終わらずに驚かせたいじゃないか。
それ以外に自分で呑むために、綿屋の純米吟醸を。これは「むとうや」PBのような商品。ラベルに店のマークが入っている。元々店頭商品にならない樽のお酒。それを呑んだ社長が店頭売りを決めたのだという。もう1つ、真鶴の純米吟醸。去年、この店でよく売れた蔵だという。
来月に入荷するお酒を試飲させてもらった。がっ。これも中々。え?でも、来月は来れないッス〜(汗)。
店に入って、まずは冷蔵保管庫にある銘柄をチェック。すると店員のお姉さんが声を掛けてきた。やぱし、怪しいから覚えられているか(汗。
閉店時間も近いのだが、試飲をさせてもらう。美味しさに驚くのを見るのが好きな性質なようで、販売分を売りつくして商品がないものまで飲ませてくれる。4種頂いたが、最初に頂いたものに一番驚かされた。澤乃泉の純米大吟醸の生酒。生酒特有の度数の強さが感じられない。とてもすっきりしている。うわ。四合瓶で3K円ぐらいするだけのことはある。蔵でも当たりのものらしい。
今日、訪れたのは5/17にみっふぃーの家で行われるホームパーティに持ち込むお酒を探す目的。これならば、驚かせることができそうだ。折角持ち込むならば、「ふ〜ん」で終わらずに驚かせたいじゃないか。
それ以外に自分で呑むために、綿屋の純米吟醸を。これは「むとうや」PBのような商品。ラベルに店のマークが入っている。元々店頭商品にならない樽のお酒。それを呑んだ社長が店頭売りを決めたのだという。もう1つ、真鶴の純米吟醸。去年、この店でよく売れた蔵だという。
来月に入荷するお酒を試飲させてもらった。がっ。これも中々。え?でも、来月は来れないッス〜(汗)。
いぬもあるけば・・・「鈍り」
2003年5月12日 東京見物に行かれた人に結局どこに行ったのかを尋ねた。「六本木ヒルズ」−「渋谷ハチ公口」−「明治神宮」−「秋葉原」というコース。ハチ公口から明治神宮までは徒歩で歩いたらしいので、センター街界隈を歩いたのだろう。お勧めしてはいたが、六本木ヒルズに行くとは思わなかった。お金が掛かるので見学ツアーには参加しなかったらしいが。
表参道も散策しようとしたけれど、人ごみの中を歩くのが辛くなったので止めたらしい。秋葉原では、会議やお客さんの言葉を記録するためにICレコーダーを買ったという。MP3形式でも結構な時間録音できるみたい。ちょっと惹かれた。ぱっと見、どこのサードパーティの製品なのかと思ったら、オリンパス製だった。オリンパスがこういう製品を出しているとは知らなかった。価格も機能から考えるとそれほど高くない。いいかも。それにしても、ロゴの文字は上下反対向きの方が視認性がいいと思うのだが。工業デザイン的にどうなのだろう。
せっかく早く上がっても、だらだらとTVを見たり、ネットを散策しているとあっという間に深夜になってしまう。朝が早いのに出張前と余り変わらない時間に眠ているため、平均睡眠時間が4〜5時間になっている。ほとんど机に座りっぱなしとはいえ、悪い方向に天秤が傾きつつあるなぁ。
表参道も散策しようとしたけれど、人ごみの中を歩くのが辛くなったので止めたらしい。秋葉原では、会議やお客さんの言葉を記録するためにICレコーダーを買ったという。MP3形式でも結構な時間録音できるみたい。ちょっと惹かれた。ぱっと見、どこのサードパーティの製品なのかと思ったら、オリンパス製だった。オリンパスがこういう製品を出しているとは知らなかった。価格も機能から考えるとそれほど高くない。いいかも。それにしても、ロゴの文字は上下反対向きの方が視認性がいいと思うのだが。工業デザイン的にどうなのだろう。
せっかく早く上がっても、だらだらとTVを見たり、ネットを散策しているとあっという間に深夜になってしまう。朝が早いのに出張前と余り変わらない時間に眠ているため、平均睡眠時間が4〜5時間になっている。ほとんど机に座りっぱなしとはいえ、悪い方向に天秤が傾きつつあるなぁ。
いぬもあるけば・・・「たらら」
2003年5月11日 予定より1時間寝坊。うが。
手早く荷物を纏めて、出発。
サトウムセン蒲田店で生MDを買った後に、会社に。データファイルを転送し、ハンドキャリィした荷物を上司の机の上に置いて、最後にメールチェック。
仕事上のメールはほとんどなかったが、学生時代の友人からのメールが。工場立ち上げのために上海に長期出張していたのだが、五月頭に帰ってきていた‥‥が、会社から自宅待機の命令が出て、出社禁止。出歩くのに、マスクを着用している日々だという。大変だ。 あれ?でも、前日の連絡だと皆で飲みにいったはず‥‥。まぁ、いいか‥‥(汗)。
30分ほどで会社を出、蒲田駅から石川町駅に。元町をげしげし歩いて、通過して目的地のマリンタワーに。信保陽子さんが歌っていた。この間の原宿GIGZOOのライブで見たことがある。その歌声に通りすがりの人たちが大勢足を止めていた。マリンタワー隣のファミリーマートでジュースを買ってから、階段の開いている場所に腰を落ち着けた。
信保さんが終わって、奥華子さんが準備を始めた。今日はいつものキーボードではなく、信保さんが使ったキーボードを使うらしい。そのため、準備作業は大したことがなく、マイクチェックのみ。
マイクチェックが終わったと思ったら、そのままライブに突入した。柔らかな中に緊迫を孕んでいる歌声が新緑の山下公園まで広がる。いい感じだ。新曲の「リップクリーム」のあと、「春風」、「雲よりも遠く」。いつもよりも短いMCの後に「その手」、最後に「talala」。「talala」は久々に聞いた。爽やかさが似合う内容だった。
進行が早かったため、予定よりもかなり早く終わった。会場付近でスタッフと話をしている奥さんに声を掛けたかったが、そのタイミングを見計らう時間はない。荷物を持って会場を辞した。
早めに終わったので、予定よりも早い京浜東北線に乗れた。お陰で上野駅構内の書店に寄れる。早川文庫JAで新しそうなものを見繕い、それ以外に数冊を購入したら、黒磯行きの東北本線の発車時刻ぎりぎり。
車中では先ほど買った新書や雑誌を読んでいた。無事に黒磯駅で乗り換えた後、うつらうつらしていると‥‥突然、車掌が「申し訳ありません‥‥」という調子で話しながら車両を歩いてゆく。はて。駅に止まっているのに、何があったというのだろ。
車内放送を聞いて、ようやく福島駅でポイント切り替えができないというトラブルが生じ、前の列車数台が止まっており、この列車もここで止まらざるを得ないという事だった。
‥‥え゛?
ここは福島駅から3つ手前の松川駅。これは最悪、石巻に行く仙石線最終に乗れないかもしれない。いつ復旧するかわからない。1時間遅れたらアウトなのは確実。
‥‥
しかし、ここでガタガタしていても仕方ない。まずは復旧して仙台に着いてからだ。それまでは、昨日かったみそぱんを食べながら、読みかけの雑誌を読むことに。
30分ぐらい経って、復旧したとの知らせが車内放送で流れた。しかし、先に止まっている列車や隣の寝台列車を先に行かせたため、40分の遅れ。時刻通りならば、仙台到着予想時間は22時47分。石巻行き仙石線最終は22時50分‥‥乗り換え3分?東北本線は地上ホームだが、仙石線は地下ホームのため、3分はかなりシビアだ。ちょっとでも遅れたり、仙台駅の乗り換えでもたついたりしたら「ホームにて」のように目の前で閉まるパターンだな。
「福島駅で降りて新幹線に乗り換えるか?」という考えが浮かんだ。時刻表を持っていないので都合のいい列車がくるのか判らない。しかし、このままでも駄目かもしれない。もうすぐ、福島駅。決断の時は迫っている。
結局、新幹線に乗り換えることなく、福島駅を出た。
さて、これで運命が決まった。もしかしたら今夜は仙台で夜を明かすことになるかもしれない。
そんな事を考えながら、揺られてゆく。と、妙に列車の走行音が大きい。もしかしたら、遅れを取り戻すためにスピードを上げている?
どうやらそのようだった。
結局、40分遅れは25分遅れに短縮され、余裕で間に合うことになった。
手早く荷物を纏めて、出発。
サトウムセン蒲田店で生MDを買った後に、会社に。データファイルを転送し、ハンドキャリィした荷物を上司の机の上に置いて、最後にメールチェック。
仕事上のメールはほとんどなかったが、学生時代の友人からのメールが。工場立ち上げのために上海に長期出張していたのだが、五月頭に帰ってきていた‥‥が、会社から自宅待機の命令が出て、出社禁止。出歩くのに、マスクを着用している日々だという。大変だ。 あれ?でも、前日の連絡だと皆で飲みにいったはず‥‥。まぁ、いいか‥‥(汗)。
30分ほどで会社を出、蒲田駅から石川町駅に。元町をげしげし歩いて、通過して目的地のマリンタワーに。信保陽子さんが歌っていた。この間の原宿GIGZOOのライブで見たことがある。その歌声に通りすがりの人たちが大勢足を止めていた。マリンタワー隣のファミリーマートでジュースを買ってから、階段の開いている場所に腰を落ち着けた。
信保さんが終わって、奥華子さんが準備を始めた。今日はいつものキーボードではなく、信保さんが使ったキーボードを使うらしい。そのため、準備作業は大したことがなく、マイクチェックのみ。
マイクチェックが終わったと思ったら、そのままライブに突入した。柔らかな中に緊迫を孕んでいる歌声が新緑の山下公園まで広がる。いい感じだ。新曲の「リップクリーム」のあと、「春風」、「雲よりも遠く」。いつもよりも短いMCの後に「その手」、最後に「talala」。「talala」は久々に聞いた。爽やかさが似合う内容だった。
進行が早かったため、予定よりもかなり早く終わった。会場付近でスタッフと話をしている奥さんに声を掛けたかったが、そのタイミングを見計らう時間はない。荷物を持って会場を辞した。
早めに終わったので、予定よりも早い京浜東北線に乗れた。お陰で上野駅構内の書店に寄れる。早川文庫JAで新しそうなものを見繕い、それ以外に数冊を購入したら、黒磯行きの東北本線の発車時刻ぎりぎり。
車中では先ほど買った新書や雑誌を読んでいた。無事に黒磯駅で乗り換えた後、うつらうつらしていると‥‥突然、車掌が「申し訳ありません‥‥」という調子で話しながら車両を歩いてゆく。はて。駅に止まっているのに、何があったというのだろ。
車内放送を聞いて、ようやく福島駅でポイント切り替えができないというトラブルが生じ、前の列車数台が止まっており、この列車もここで止まらざるを得ないという事だった。
‥‥え゛?
ここは福島駅から3つ手前の松川駅。これは最悪、石巻に行く仙石線最終に乗れないかもしれない。いつ復旧するかわからない。1時間遅れたらアウトなのは確実。
‥‥
しかし、ここでガタガタしていても仕方ない。まずは復旧して仙台に着いてからだ。それまでは、昨日かったみそぱんを食べながら、読みかけの雑誌を読むことに。
30分ぐらい経って、復旧したとの知らせが車内放送で流れた。しかし、先に止まっている列車や隣の寝台列車を先に行かせたため、40分の遅れ。時刻通りならば、仙台到着予想時間は22時47分。石巻行き仙石線最終は22時50分‥‥乗り換え3分?東北本線は地上ホームだが、仙石線は地下ホームのため、3分はかなりシビアだ。ちょっとでも遅れたり、仙台駅の乗り換えでもたついたりしたら「ホームにて」のように目の前で閉まるパターンだな。
「福島駅で降りて新幹線に乗り換えるか?」という考えが浮かんだ。時刻表を持っていないので都合のいい列車がくるのか判らない。しかし、このままでも駄目かもしれない。もうすぐ、福島駅。決断の時は迫っている。
結局、新幹線に乗り換えることなく、福島駅を出た。
さて、これで運命が決まった。もしかしたら今夜は仙台で夜を明かすことになるかもしれない。
そんな事を考えながら、揺られてゆく。と、妙に列車の走行音が大きい。もしかしたら、遅れを取り戻すためにスピードを上げている?
どうやらそのようだった。
結局、40分遅れは25分遅れに短縮され、余裕で間に合うことになった。